『郡司正勝 刪定集 第二巻 傾奇の形』 (全六巻)

「芸能にたずさわる人間は、やはり一般社会からは特定の者たちで、盲僧・瞽女・唱門師・散所法師・田楽法師・猿楽法師などのいわゆる中世の賤民芸能者の群であり、世捨人であり、アウトサイダーの立場にたつ人々で、そういう人々こそ、夢幻能のワキを果たすべき役柄と資格が与えられていたのだといってよかろう。」
(郡司正勝 「かぶき戯曲を支えるもの」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第二巻 傾奇(かぶき)の形』


白水社
1991年1月25日 印刷
1991年2月5日 発行
388p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第2号 (6p):
独創の演劇学(戸板康二)/郡司先生と私(ドナルド・キーン)/発生期の感覚(三浦雅士)/郡司学を仰ぎ見て(服部幸雄)/カット: 米島貞宏



本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「戯曲の発想・演技・演出「構造」、発生から解体までの「役柄」、たて・六法・だんまりといった「技術史」などの歌舞伎の様相を、民俗学の深い造詣を援用しながら考察した郡司学の秀峰。」


帯背:

「歌舞伎の諸
様相を探る」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

構造の発想
 かぶきの世界構造について (講演筆記/「芸能史研究」87号 昭和59年10月)
 かぶきと民俗学 (「文学」24巻11号 昭和31年11月/『かぶきの発想』(弘文堂)収録)
 御霊信仰・風流・かぶき (「芸能復興」14号 昭和32年4月/『かぶきの発想』収録)
 演出と演技の発想 (「創造への形式」改題/「演劇評論」21号 昭和30年6月/『かぶきの発想』収録)
 戯曲の発想 (「演劇評論」23号 昭和30年8月/『かぶきの発想』収録)
 かぶき戯曲の構造と発想 (「綜合世界文芸」14輯(「時代・世話の複式構造について」)昭和33年6月/「芸能復興」4(「かぶきと盆狂言」)昭和28年8月/『かぶきの発想』収録)
 かぶき戯曲を支えるもの (「国語と国文学」35巻10号 昭和33年10月/『かぶきの発想』収録)

役柄の研究
 猿若の研究 (「日本演劇」7号 昭和21年7月/『かぶき――様式と伝承』(寧楽書房)収録)
 かぶきの役柄――発生・解体 (「共立女子大学文学芸術研究所研究叢書」第5冊(「かぶきの役柄の発生」)昭和37年3月/「同」第6冊(「かぶきの役柄の解体」)昭和39年7月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 「型」について――かぶきの場合 (「早稲田大学大学院文学研究科紀要」8 昭和38年1月/『かぶき論叢』収録)

演技の系譜
 「かるわざ」の系譜 (「歌舞伎芸の成立」改題/日本演劇学会誌Ⅲ『歌舞伎の新研究』 昭和27年10月/『かぶき――様式と伝承』収録)
 たての源流 (『かぶき――様式と伝承』収録)
 「立て」の歴史 (『歌舞伎のタテ』(講談社)収録)
 六法考 (「六法源流考」改題/『かぶき――様式と伝承』収録)
 だんまり考 (「だんまりの発想」改題/「演劇学」1 昭和34年1月/『かぶきの発想』収録)

解題
 鳥越文蔵 郡司学形成前後 臥作と坐作

初出一覧




◆本書より◆


「かぶきの世界構造について」より:

「例の『古事記』のなかに、イザナギ・イザナミノミコトがこの秋津島に天下りまして、「天の御柱をみたて、八尋殿を見立て給ひき」というところがあるが、これがおそらく、「見立て」の出てくるいちばん最初の記録でしょう。「見立て」の呪力です。実際にそこへ柱をたてたり、御殿をたてたりしたのではなくて――これは折口信夫も「見立て」だといっているように、そこへ柱を見立てることによって「世界」を見立てている。共同幻想でそこへ御殿を見立てているんだと考えていいのではないか。これはやっぱり、演劇の力の根元ではないかとおもいます。」
「つまり、「見立てる」というのは一つの呪力ですが、芸能というものはこの「見立て」の呪力そのものだ、芸能とは立てるものだ、本来、時空を立て直すことが芸能ではなかっただろうか、とおもうわけです。
 元禄かぶきの絵入狂言本をみますと、「見立随一」ということばが出てくる。にわかや茶番のなかにも「見立茶番」などというものがありまして、品物、景物を出して、それを見立ててせりふをいう。見立てると、そのものになってしまう。「見立て」の世界をそこに現出させてしまう。眼前に景物があって、それにせりふをいうことによってそこに一つの世界が約束される。そのせりふでそれを定着させる。「見立て」を定着させるというのが、演劇の本質ではなかったか。」



「かぶきと民俗学」より:

「それは民俗芸能を採訪して地方を歩いてみて痛切に感ずることであるが、すでに都市では滅び去っていった芸能の数々が、まったく文字というものをもたない、山間僻地の人々のあいだに、確実に伝えられてきた驚くべき伝承の力というものの事実についてである。
 都市生活ではとうてい考えおよばないのは、台本や詞章をもってこれらの民俗芸能は伝承されていないということである。たまたま台本や詞章がのこっていることがあっても、それは村のインテリが好事的に偶然に書きのこしたものか、あるいは他に理由があったので、稽古用にするためではなかった。これらの伝承はすべて肉体から肉体へ伝えられるもので、こういう場では文学の力は信じられていないといってもいい。
 したがって、その詞章の内容はほとんどが理解されていないのが通常である。それはまったく肉体的習練にともなうもので、理解も分析も入りこむ余地がなく、また必要としない世界だともいえる。
 それはちょうど、彼らの日常生活の営みと似ているコースをとっているので、たとえば「しでの田長(たおさ)」とよばれたほととぎすが鳴き出せば、いやおうなしに田植の生活行動に移るということを、先祖代々毎年狂いなく続けなければ、たちまち生活が破滅してしまう農村にとっては、そういう生活を分析している暇も余裕もないのであって、これを外見からみれば、型通りの単調な繰り返しにすぎないが、農民にとっては必死の生活力なのである。
 そういう生活のなかで、毎年繰り返される祭の芸能も、彼らにとっては一つの解放であるとともに、不安なくその生活を続けるためにも、芸能は生活体である肉体でもって正確に繰り返されて伝えてゆかねばならぬものであった。歌はリズムによって、踊は肉体運動による「型」で覚えてゆくので、頭で覚えるものではなかった。その「型」を理解しようという近代的操作がはじまるとともに、その型はそこから崩壊してゆくべき運命を辿ることになる。」



「御霊信仰・風流・かぶき」より:

「かぶきの発祥が中世から近世の変革期に行われた風流(ふりゅう)を基盤とすることは、すでに定説となっているが、その風流を動かし運んだ精神について、これを十分に解明したものがまだないといっていい。」
「ことにかぶきが風流から承け継いだ精神的エネルギーを問題とする場合には、この風流を発せしめた「御霊(ごりょう)信仰」とその祭の力に触れないでは、かぶきに興行を与え、演技を開き、戯曲を凝集した風流の本質に切りこむことができないのだとおもう。」

「芸能それ自体が、日常の生活とちがった不思議な現象でありえたこと、舞台は一つの目にみえない奇蹟を現出する場所であったことは、やがて芸能の場へ怨霊が近づくこととなり、ここだけは、ある時期に限って目にみえないものの真の姿がみえることになったのであろう。
 「今年多くの不思議打続く中に、洛中に田楽を翫ぶ事法に過ぎたり」(『太平記』巻二十七「田楽事」)と、ここにも田楽の流行は、人意によるものでなく、ひとつの不思議とみている心持があらわれている。しばしば田楽の流行が、「霊狐の所為」とか、「神々所好」などと公卿衆の日記にも記されていることは、芸能とは、なにかあの世からの表象のように考えられたからである。
 高時が田楽によって滅びたのも天狗の所為であった。有名な四条河原の桟敷崩れの田楽も、天狗倒しによるものであった。この世に執心をのこした怨霊は天狗道へ堕ちるのが、この時代の思想であったから、したがって舞台の芸能者の所作にも、なにかしら、この世のものでないものをみていたのである。

  斯る処に、新座の楽屋八九歳の小童に猿の面をきせ、御幣を差上て、赤地の金襴の打懸に、虎の皮の連貫(つらぬき)を蹴開き、小拍子に懸て、紅緑のそり橋を斜に踏で出たりけるが、高欄に飛上り、左へ回り右へ曲り、抛返りては上りたる在様、誠に此世の者とは見えず、忽に山王神託して、此奇瑞を示さるるかと、感興身にぞ余りける。(巻二十七「田楽事」)

 「誠に此世の者とは見えず、忽に山王神託して、此奇瑞を示さるるか」と表現したところに、芸能の本来の姿がみえる。だからこの桟敷が崩れたときにも、「厳(いつく)しき女房の練貫(ねりぬき)の褄高く取けるが、扇を以て幕を揚るとぞ見へ」て、上下二百四十九間の桟敷が将棋倒しになったのであり、不思議な山伏が「余に人の物狂はしげに見ゆるが憎きに、肝つぶさせて、興を醒させんずるぞ、騒ぎ給ふなと云て座より立て、或桟敷の柱をえいやえいやと推と見へけるが二百余間の桟敷、皆天狗倒に逢てげり」と芸能の場の不思議な珍事を記さずにはおかれなかったので、今日のように舞台と現実を分けて考える意識といったものがありえなかった時代の芸能の性格を物語っているようにおもう。
 このように芸能の場は、ともすれば天狗や鬼や怨霊の集まる場であったことが、やがて猿楽や田楽の能に劇的構成力を与え、鬼畜物などを生む力となったのだとおもう。
 そのもっとも烈しい怨霊は、「切(きり)」においてあらわれるべきで、あるいは、その切の時刻が、夜の更けきわまる時と一致していたのかもしれないことは、花祭の鬼や、遠山祭の天伯(てんぱく)や、出雲や隠岐神楽の切部(きりべ)の鬼の出現をもおもいあわせ、切能の鬼畜物を考えるべきかとおもう。
 われわれは、それらがやがて風流とともに街頭に練り出した姿をみることができる。これはいずれが先か後かということを論ずるよりも、舞台と街頭を選別する考え方のほうが、まちがっているといったほうがよかろう。赤いシャグマをかぶって風流を踊り狂って出る鬼や天狗は、怖るべき性格のなだめられた、庶民の願いを聞き入れてくれる鎮護の神々と変じ、もはや恐怖を感じさせるものではなくなっている姿をみることができる。
 赤い着物をき、シャグマをかぶって、いまも京の街々を花鎮めの踊りをしてあるく「やすらい花」を、われわれは、ビルの窓から、これを精霊の姿とはみることができなくなっているまでである。」



「かぶき戯曲の構造と発想」より:

「風流が、先祖神とちがう、非業の死を遂げた荒(現)人神を慰撫するための祭に発したものであることは民俗学ですでにあきらかなことであるが、新しい時代の雰囲気のなかで、能の幽霊劇の過去の歴史的人物でなく、現代人の、もう一歩突っ込んでいえば、一代のかぶき者の死を思慕し悼むのを、芸能の形を借りて再現せしめたのが風流のなかから生まれたかぶきの舞台の本命であった。」


「かぶき戯曲を支えるもの」より:

「日本の戯曲における構成力に、個性の力の稀薄なことは、はじめから個性などは問題にならない、つまり演劇というものにそんなものは求めていない、いわば、つねに典型をみせることが演劇であったといえるのではないか。」

「芸能にたずさわる人間は、やはり一般社会からは特定の者たちで、盲僧・瞽女・唱門師・散所法師・田楽法師・猿楽法師などのいわゆる中世の賤民芸能者の群であり、世捨人であり、アウトサイダーの立場にたつ人々で、そういう人々こそ、夢幻能のワキを果たすべき役柄と資格が与えられていたのだといってよかろう。
 つまり夢幻能の舞台に立ったワキは、彼ら自身であり、見物側からすれば、神霊をみた証人たちであり、あるいはその証人が舞台にいることによって、夢幻の神霊がたしかに登場を約束されるのだともいえよう。
 そういう点では、やがてかぶきがこれらの芸能者の群のなかから歩き巫女の出雲のお国の登場によって導き出されるのは必然である。しかも能がすでに武家貴族の式楽たる様相をおびて、一般民衆から浮き上がった存在になってしまったときに、民衆と接するその始源的な立場において、約束を果たすのは、これら寺社の隷属に名を借りた芸能者の群でしかありえない。」

「巫女お国の舞台に、名古屋山三の霊があらわれるのは、かぶきは御霊信仰に支えられた風流であったからである。梅玉本『かふきの草子』にみえる、業平狂乱を演じたのは、やはり王朝のかぶき者を、男と女のふた業平の面影からこれを登場させたものであろう。
 元禄の上方のかぶきで「怨霊事」が重要な女方のパターンとして形成され、江戸のかぶきで「荒事」が成立してゆくのは、舞台にはなにかを祀る意識の拠りどころがあったからで、江戸の曾我狂言が百五十年間の毎年の正月のレパートリーとして、一年は曾我ではじまり曾我で終わりをつげる観を抱かせたのは、曾我神社に祀られた五郎神(御霊神)の荒人神の登場を祭典として繰り返したためであろう。
 かぶきは、のちには興行経済のうえから一年中のべつ上演されるようになったが、もとはやはり、盆や祭に寺社の境内においてその支配下にあって興行しなければならなかったこと、つまり、のちにも節句節句が狂言の替り目になっていたことなどを考えると、その祭典の構造がかぶき戯曲の構成におよぼした精神的形態は大きかったとおもう。」
「世話狂言の中心が、いつも心中物や殺しにあり、近松の心中物が、心中場で凄惨なまでにその死の直前の状況を精彩に描写しなければならなかったこと、また何人斬といった殺人の血みどろな場面や「四谷怪談」のお岩の凄惨な逆境をとくに描写しつづけたのは、その深刻さが強調されればされるほどかえって救われるのだという約束のもとで、一種の懺悔譚に似た因縁話を説くことになるので、見物にしても、そういうニュース事件は衆知の事実であって、その死の直前の光景を作者も見物もはっきりと実感的に描き出すことによって、その因縁はこうであるのだという劇的分析に入ってゆくので、世話物における戯曲構成法は、そういう過程で成り立っていったのではあるまいか。だから劇というものは、すでに結末はわかっているので、当然なるようになっていったのだという因縁と、ああそうであったのかという証の過程を指摘してゆけばよかった。芝居というものは、民衆の総意の納得のうえで、いかにして主人公の怨念を救い慰めるか――これは民衆を浄化することなのだが――にその目的がかかっていたのではあるまいか。
 つまり約束事の果たし方の過程をみるのが、日本の戯曲を支えている心意構成なのではあるまいかということである。」



























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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