『郡司正勝 刪定集 第三巻 幻容の道』 (全六巻)

「白色は狂気の色。存在のあり方を確かめるために、今日も彼らは白粉を塗る。」
(郡司正勝 「白塗り地獄考」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第三巻 幻容の道』


白水社
1991年4月5日 印刷
1991年4月20日 発行
388p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第3号 (6p):
飄逸のひと郡司さん(南博)/転機の光明(花柳寿楽)/真の自由人(大笹吉雄)/学恩(今尾哲也)/追悼 守屋毅(郡司正勝)



本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「歩、走、飛、跳、踏、伸、屈など、肉体の原初の動きに立ち還って伝統舞踊の理念を探る一方、かぶき舞踊の歴史と実態から、現代の暗黒舞踏に至るさまざまな動きの意味を説き明かす、第一級の舞踊研究。」


帯背:

「伝統舞踊の
理念と実態」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

伝統と舞踊
 「舞踊」という語 (「逍遥の『舞踊』という語」改題/「坪内逍遥研究資料」7 昭和52年3月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 舞踊論 (『日本の古典芸能6 舞踊』(平凡社)昭和45年11月/『かぶき論叢』収録)
 舞と踊 (『民俗文学講座3 芸能と文学』(弘文堂)昭和35年6月/『かぶき論叢』収録)
 踏む・足拍子 (「日本の舞踊と足拍子」改題/国立劇場公演「日本舞踊の流れ1*踏む」プログラム 昭和55年3月)
 歩く・走る (「歩くと走る」改題/国立劇場公演「日本舞踊の流れ4*歩く・走る」プログラム 昭和58年3月)
 飛ぶ・跳ねる (「飛ぶ・跳ねるの芸能化」改題/国立劇場公演「日本舞踊の流れ3*飛ぶ・跳ねる」プログラム 昭和57年3月)
 伸びる・屈む (「《伸びる》と《屈む》と」改題/「夜想」9 昭和58年7月)
 鬼の踊り足 (「国立能楽堂」14 昭和59年10月)
 振と物真似 (国立劇場公演「日本舞踊の流れ2*身振りと物真似」プログラム 昭和56年3月)

かぶき幻容
 おどりを支えるもの (『おどりの美学』(演劇出版社)昭和32年11月)
 日本舞踊の場 (同)
 振付と振付師と (『西山松之助著作集7』付録 昭和62年10月)
 伝統と新作舞踊 (国立劇場第三回舞踊公演「舞踊名作集」プログラム 昭和42年3月/『鉛と水銀』(西沢書店)収録
 役者の踊と舞踊家の踊 (「演劇界」増刊号「舞踊名作事典」昭和61年2月)
 風流踊 (「風流踊歌」改題/『日本古典文学大系96 近世随想集』(岩波書店)月報 昭和40年9月)
 かぶき踊歌 (『日本古典文学大系76 栄花物語下』(岩波書店)月報 昭和40年10月)
 近松の怨霊事まで (『近松全集15』(岩波書店)月報 平成1年12月)
 「道成寺」の世界 (『道成寺』(小学館)昭和57年11月)
 「一奏現在道成寺」 (「『現在道成寺』について」改題/「第七回花ノ本寿舞の会」プログラム 昭和54年10月)
 顔見世所作事と「色手綱」 (国立劇場歌舞伎公演「御摂勧進帳」筋書 昭和63年1月)
 「うしろ面」 (「日本舞踊」41巻3号 平成1年3月)
 「お陰参り」 (「『お陰参り』について」改題/「三津二郎をどりの会」プログラム 昭和54年10月)
 「紅葉狩」 (「『紅葉狩』について」改題/「藤蔭満州野古典発表会」プログラム 昭和52年5月)
 「羽衣」その近世 (「羽衣とかぶき・その近世」改題/芸団協主催公演「羽衣」プログラム 昭和63年3月)
 「隅田川」子隠しの世界 (芸団協主催公演「夢か花か 子ども――隅田川の世界」プログラム 昭和60年2月)
 おどり転生 (「演劇界」昭和63年1~12月号)
 おどり変相 (「演劇界」平成1年1~12月号)
 おどりの四季 (「演劇界」昭和62年1~12月号)

伝統と叛逆
 肉体と象徴について (「舞踊学」10 昭和62年12月)
 変身と舞踊 (銅鑼魔館「ハヤチネ」プログラム 昭和62年7月)
 破戒のなかの婚儀――舞踊への道 (「現代詩手帖」20巻4号 昭和52年4月)
 舞踏と禁忌 (「現代詩手帖」28巻6号 昭和60年6月)
 土方巽という古典舞踏 (「死という古典舞踏」改題/「美術手帖」昭和48年2月号/『鉛と水銀』収録)
 白塗り地獄考――超自然の色彩 (日本文化財団主催公演「舞踏懺悔録集成」プログラム 昭和60年2月)
 舞踏という舞踊の季節 (「朝日新聞」昭和60年2月19日夕刊)
 死せる北の舞踏 (鈴蘭党写真集『舞い舞いLOVE』昭和56年10月)

音曲転生
 音曲と日本人 (「閑暇活人」(住まいの文化誌)昭和60年8月号)
 日本音楽展望 (『総合芸術としての日本音楽』改題/『日本の伝統音楽』(音楽の友社)昭和44年12月)
 音声の文芸 (『日本古典文学大系74 歌合集』月報 昭和40年3月/『かぶき袋』(青蛙房)収録
 薗八の音色は (「薗八の音色は哀し」改題/「日本経済新聞」昭和30年12月22日)
 私と音曲 (「宮薗の家元に」改題/「季刊邦楽」16 昭和53年9月)
 薗八節追考 (「国文学研究」昭和29年3月/『かぶきの発想』(弘文堂)収録)
 鳥辺山 (芸団協主催公演「道ゆく芸能」プログラム 昭和56年3月)
 かぶきに登場する尺八 (「歌舞伎に登場する尺八」改題/「季刊邦楽」16 昭和53年9月)
 放下歌 (『日本古典文学大系79 狭衣物語』月報 昭和40年8月/『かぶき袋』収録)
 民謡と踊 (「国文学」25巻5号 昭和55年6月)
 佐原囃子 (キングレコード「佐原囃子」解説 昭和37年)
 諏訪太鼓 (キングレコード「諏訪太鼓」解説 昭和37年)
 葬送と歌舞音曲 (民族博物館報「みんぱく」一三八 平成1年3月)

解題
 古井戸秀夫 幻容と舞踊
 市川雅章 舞踊と原型

初出一覧




◆本書より◆


「舞踊論」より:

「能という舞踊劇は、幽霊劇といわれるごとく、死霊・生霊が、舞をみせ、舞語りをするところにある。それを引き出してくるために、諸国一見の僧といった世捨人という条件をもった者が通りかかると、その土地に執念をのこした亡霊があらわれて問い弔って貰って成仏する、といった形式をとる。
 その問い弔いを、狂いや、舞や、働きや、語りで表現することとなる。この問いの手順に、夢――狂い――舞――告白といったコースを取ることが多い。
 これは中世劇の一特色とみれば、日本ばかりでなく西欧でもおなじことがいえるようである。

  すなわち、エリザベス朝時代の演劇および前記古典主義時代のフランス演劇の中の発狂の場面は、夢と同じく作劇術の一部なのであり、それが少し後になると、告白の場面に代わるのである。その場面は演劇を空想から真実へ、誤った解決から真の結末へと導くのであり、また同時代の小説と同様このバロック演劇の本質的原動力の一つなのである。騎士物語の偉大な冒険は、もう彼らの空想を抑制せず、常規を逸した精神の現われになる。ルネッサンスの末期、シェークスピアとセルヴァンテスがこの狂気の偉大なる栄光を証言している。(ミシェル・フーコー著・内藤陽哉訳『狂気と文化』)

 このコースをバロック演劇の本質的なものの一つとみ、時代が下ると、それらの夢と狂乱のシチュエーションは、告白の場面に代わるとみているが、このことは、日本の場合にもいえるのかもしれない。
 男性の主人公なら「語り」、女の主人公なら「くどき」で、これが告白にあたるということになろう。しかし、これらは、真実の解決のためでなく、あくまでも舞踊的次元の表現をとるところに、西欧と東洋の展開の仕方のちがう点があるのかもしれない。
 しかも、「狂乱」には、「狂気」といっただけの精神病的な概念一般では解けない、いわゆる「風狂」があり、いわば「遊び」という精神が根源的にあるところに「憑く」という微妙な精神的な空間があるようにおもう。したがって能の舞では、おもしろう憑き、おもしろう狂う精神が、その芸術心を保つこととなる。」
「それが「踊」となると、原始的意味は別として、仏教、ことに浄土宗と結びつき、平安末期の空也あたりから、勇躍歓喜の宗教舞踊の性格において展開したから、それに死霊がついてまわり、ことに御霊会(ごりょうえ)に発した御霊信仰が強大になってくる過程において、「憑く」形式は、舞の一人にでなく、踊の形式を借りた群集の陶酔となって展開した。」

「風流が、もと「フリ」と同義語だとすると、風流踊といわなくとも、すでに「踊」のことである。久寿二年四月二十日の賀茂祭に、左中将隆良朝臣は、風流車に乗って、都大路を往った(『百錬抄』)とあるが、ゆらりゆらりと、花に飾られた牛車が、今日も葵祭の日にゆくのと同様ではあるが、風流傘などは、ゆさゆさと揺れ動いてゆくところに風流としての風情があろう。叡山の僧兵たちが「御輿を振り奉る」(『太平記』)という場合の「振り」も神威を動かすことに相違なかろう。
 しかし、そこには常規を逸した振舞が、目にあまるものであったにちがいない。後世、建物や細工が、基準から外れてずれてしまうこと、つまり「狂う」ことを、「フリ」といっている。「フリ」には、こうした面があって、「風流」そのものが、施政者側からすると常規を逸脱したものをもっていることが、しばしば禁止をもたらしたものとなったと考えられるのもそれである。たんに贅沢過差ばかりが憎まれたものではあるまい。「異形風流」(『看聞御記』応永二十六年七月十四日)といった念仏拍物(はやしもの)にともなった異形なる集団感覚、それを当局は惧れたにちがいないのである。」

「もともと「フリ」は、躍動の精神と知的作用を必要とする両面をもつものであった。近世封建社会の保守的な機構の完備と堕落のなかで、あかるい機智に富んだ解放的な抵抗精神にみちていたはずの「見立」や「やつし」の「フリ」がもつ積極的な働きの面が、しだいに「うがち」や「粋」や「しぶみ」の消極的な狭い細い世界に傾斜していったものとみたい。」



「肉体と象徴について」より:

「「から」は、空・虚・殻で、「亡骸(なきがら)」の「から」である。「だ」は「立」だとすれば、「からたち」で、「立ち」は、「一本立ち」の「たち」で、生きていること、存在していることを顕示していることで、日本語の「立ち」には、かなり複雑な意味深長さがある。
 とにかく、「からだ」とは、空虚なもので、この点からしても、西洋的身体、肉体とはちがう概念から出発していることはあきらかであろう。」
「この「からだ」を、日本人は、古来から「うつせみ」と形容し、「空」ということ「身」ということを同一視してきた文学の伝統がある。
 「うつせみ」は「空蝉」とも書き、蝉の脱けがらのことである。(中略)魂のない空の入れものであり、頼りにならぬ世の人の身のこととしたのが、日本の身体論のはじまりであったことは、知っておかなくてはなるまい。」
「つまり、肉体は、どこまでも「仮の宿」としての無色透明な、露の命の入れ器としてみる見方なのである。」
「コンクールは洋舞にはふさわしくても、日本舞踊にとっては邪道であるようにおもわれる。」
「この国の舞踊には、バレエにみるような競技性はなかったといっていい。」
「この国の舞踊のための身体は、訓練こそ必要とするものであるが、その肉体は、仮の宿とすべき幽玄の器となること、俗肉を脱落せしむべきためであって、豊満な完全美を目的としていない。いみじくも暗黒舞踏家土方巽がいった「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」というのが、東洋の身体の理念であったのではなかろうか。
 日本の舞踊家の祖の巫覡の多くが、肉体的に欠陥のある人々によって司祭された例もけっして少なくはない。生まれながらにして、病弱な、一度は死線を越えた者が、舞踊家の資格を与えられることもある。土佐の山中の神楽の太夫たちのなかには、山仕事の重労働に向かぬ虚弱な孤独な夢みがちの体質のものがなっているのだということも聞いたことがある。
 おそらくそれは身体ばかりでなく、ふかく魂に傷ついたものが、仮宿の身体を求めて、烈しい舞踊の始原へ戻る「魂振り」の運動・表現に、日本の舞踊は求められたのではなかったか。つまり影身を表現する色身の哀しさ、日本舞踊にそこはかとなく漂うもの、いまわれわれは、それを失おうとしている。」



「変身と舞踊」より:

「舞踊の極限の原理は、カミへの変身にあろう。
 韓国の仁川の巫女(ムーダン)祀で出逢ったムーダンの変身ぶりは、それぞれの神の役柄をも表出していて、忘れがたい強い印象をのこした。豚を犠牲にして、血だらけになった巫女が、座敷から庭へ飛び出し、さらに街頭へ駆け出すといった神懸りの舞踏をみていると、日常生活の場の境界線から逸脱して、神の自転のなかで、一つの宇宙を創り出し、いっぺんに、異次元の時間へ遡ってゆく思いに囚われずにはいられなかったほどであった。
 とにかく、こんな烈しい、荒々しい舞踏を日本ではみたことがなかったので、まさしく人間が失った時間を、取り戻すことができるのは、いまやムーダンの世界にしかないのではないかと思い知らされたほどであった。」



「舞踊と禁忌」より:

「もともと「白」は、なんらの色なき世界をあらわす「死の世界」の表識である場合と、生まれる前の白明を暗示する「生の世界」の表識である場合との両義をもつものであるといえよう。」

「この世俗に「白子」とよぶものは、日本では見世物になった。朝倉無声の『見世物研究』には、その白子の見世物が、文政二年(一八一九)、天保六年(一八三五)、同九年、嘉永六年(一八五三)にかかったことを伝える。
 文政二年二月に、名古屋の大須で見世物になったものは、「肥前登り猩々太夫松浦福寿斎」と名づけられた猩々と海女とのあいだに生まれた白子という因縁話が添えられており、髪の毛は、ことごとく柿色であったとされる。その太夫に猩々舞をさせたのは、色にちなんだ白子の舞踏であった。
 この畸人をみるときは、無病長寿だという迷信が、おおいに人気を煽ったという。つまりむかしの人は、不具者を、福寿の神としたところに元の深い心意があった。常人とちがう人を稀人(まれびと)とみ、常世の国からの客人として迎えたのである。医学理論や科学に駆逐された転落を、今日の暗黒舞踏は、その白に怨恨を加えて立ち上がった姿勢かもしれぬとみたのはそのためである。
 白塗りのタブーを、怨みに変えたところにいかがわしさの聖境をおもいださせたともいえよう。白には怨念がある。辺境の地で、生まれた子の面(かお)に、白布を当てたり、濡らした白紙を貼って、間引くのを「白人(しらひと)」といった。」
「舞踏の白塗りの軀位が、屈む姿には、胎内回帰の想念がある。(中略)舞踏の白子は、世の禁忌とする殺さねばならぬ闇の世界の姿であったといえよう。」
「暗黒舞踏の白塗りは、堕ちたる神の姿をおもわせる。(中略)白は、閉ざされた彼方の光の在り方を示しているようにおもう。
 肉体という「空駄(からだ)」の闇の存在を暗示するために、白色を塗りたくったのである。」



「舞踏という舞踊の季節」より:

「彼らが暗黒舞踏といわれる共通のイメージには、この死の国の風土が、近代への対立となっていることが指摘し得る。そして、その死の視点から肉体を観念したときに、肉体観の革命が生まれたのではないか。
 彼らはギリシャ以来の西洋流の美しい肉体を烈しく拒否した。彼らの舞踏は、ほとんど白骨をおもわせる白粉を塗った骸骨踊であり、賽の河原の地蔵尊か五百羅漢のそれに似たイメージをもつ。
 もともとこの国には、即身成仏を憧れたミイラ信仰が底流している伝統と、さらに東洋的骨肉解脱の登仙の思想とがある。痩身鶴のごときの美、さらにいえば、難行苦行に耐えた飢餓の美への憧れすら、美徳であった。大駱駝艦の男性群舞の構造は、それらをほとんどエロチックに転換させたものである。彼らは、獣になり、木になり、石になり、あるいは胎児へと回帰してゆく。彼らが、そうした肉体を美しいと感じる世界へ解放したとき、これまでの西洋舞踊の理念を仮装としてきた肉体は、軽薄な借りものとなり、舞踊の肉体として使用に耐えない醜悪なものとなってしまう。価値の転換である。そしてここに舞踏が誕生する。
 さらにいえば、この国には亡者踊の伝統がある。(中略)盆踊とは、亡者がこの世に帰ってきて家族の者とともに踊るものであった。(中略)能は、みな亡者の仮面をつけて、冥土からこの世にあらわれる劇であるし、念仏踊から誕生したかぶきは、かぶき者の亡者がありし日の華やかなかぶき振りの姿で登場するものであった。」
「暗黒舞踏家の肉体には、しばしば母や姉や、あるいは憧れの人の霊が棲みついている傾向がある。大野一雄には母が、土方巽には姉が棲みついていた。それもイタコ(巫女)がもつ伝統的な風土なのだといえる。」



「日本音楽展望」より:

「日本音楽では、「語り物」というジャンルが大きな分野を占める。」
「どうして、語り物と音楽が分離してゆかなかったか。これらは、はじめから、言葉と音楽とを総合させたものでなく、もともと、この国の民俗は、言葉と音楽を別ものとは考えなかったところに、大きな原因の一つがあるようにおもわれる。
 つまり、「声」と「音」とは、区別しながらも、その半面では、おなじものと考えるという点があり、「音声」と一つにして使ってしまうといっそうわからなくなる。つまり、「鳥の声」と聞くこともあり、「鳥の音(ね)」と聞くこともあったので、鳥の声というときは、そこに意味をもつ言葉を聞きとっているので、ホトトギスは、「本尊かけたか」と啼き、梟は天気をみて「糊つけ、干せ」と啼くという類である。それは獣の声もおなじことで、鳥獣の声に、一種のお告げを聞きとろうとした態度は、その魂を、人間のものと別ものだとは考えなかったことによるもので、そのうえに、仏教の因果、輪廻の思想が、根を下ろしてゆくことになる。
 したがって、音として、その音色やテンポやリズムに引かれるよりは、意味を感じとることのほうが大きい、というよりは、分離して考えることができなかったのだとおもわれる。それは、日本最古の楽器の一つといわれる「琴(こと)」においても、琴の「こと」は、詞の「こと」とおなじく、紀記にみえる「天の詔(のり)琴」は、「宣(の)りごと」つまり「のりと」とおなじことで、琴の音に、神の言葉を聞きとろうとした古代人の感覚から、琴は、彼らにとって、たんなる器楽の音色ではなかったのである。」



「鳥辺山」より:

「かぶき舞踊あるいは人形浄るりでは、「道行物」というジャンルが、もっとも大きな分野を占める。道行は、たんにAの地点からBの地点へゆくことではない。現実の地点にもう一つ、あの世の道が重なっているのである。それは心情の世界の出来事であるといってもいい。心中への道行は、心情的には、主人公たちはすでに死んでいるのであるから、同時にあの世の道を辿ることでもある。実景は、この世であっても、魂はもう別次元の世界をゆくというのが本質である。「道行」はもと、地霊の名を唱えてゆく「もの尽し」にはじまるのであろうから、一種の名寄せでもある。「山づくし」「橋づくし」は、道行の根幹をなすのだといっていい。」






























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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