『郡司正勝 刪定集 第五巻 戯世の文』 (全六巻)

「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

(郡司正勝 「秋成の怪異」 より)


『郡司正勝 刪定集 
第五巻 戯世の文』


白水社
1991年8月20日 印刷
1991年9月10日 発行
380p 口絵(モノクロ)4p
四六判 丸背布装上製本 
ビニールカバー 貼函
定価4,500円(本体4,369円)
装丁: 石黒紀夫

月報第5号 (6p):
含羞の学問(諏訪春雄)/教わることのみ(野口達二)/「郡司学」の真髄(谷川渥)/こわい話(小笠原恭子)/先生の方法(佐藤恵里)



郡司正勝(ぐんじまさかつ)刪定集(さんていしゅう)第五巻 「戯世(ぎせい)の文(ぶん)」。
本文中図版。


郡司正勝刪定集


帯文:

「上田秋成・山東京伝・鶴屋南北・瀬川如皐などの戯作者、狂言作者をはじめ、市川団十郎・中村仲蔵などの歌舞伎役者たちを江戸風俗のなかで考察し、近世芸能と江戸文学との関連を華麗に展開。」


帯背:

「江戸文学と
風俗・芸能」



帯裏:

「各巻内容
第一巻 かぶき門
 四百年におよぶ歌舞伎史を掘り下げた、独自の点描史。
第二巻 傾奇の形
 戯曲・演技・演出などの構造を、新たな切口で捉える。
第三巻 幻容の道
 人間の原初の動きに立ち帰って伝統舞踊の理念を探る。
第四巻 変身の唱
 放浪芸や見世物などの民間芸能を踏査に基づいて考察。
第五巻 戯世の文
 江戸の戯作者、狂言作者、芝居風俗などの諸論を収録。
第六巻 風流の象
 記号論を越えた記号論風傑作「童子考」を軸に編集。
各巻順に隔月配本。」



目次 (初出):

戯作三昧
 秋成、京伝、南北 (『図説日本の古典17 上田秋成』月報(集英社) 昭和56年2月)
 秋成の怪異 (「別冊現代詩手帖 上田秋成」 昭和47年10月/『鉛と水銀』(西澤書店)収録)
 京伝の西欧趣味 (「山東京伝の西欧趣味」改題/「THE LITERATURE」1巻2号 昭和24年12月/『かぶき袋』(青蛙房)収録)
 京伝の蝦夷奥州情報 (「京伝の読本と蝦夷北国情報」改題/『叢書 江戸文庫⑱ 山東京伝集』月報(国書刊行会) 昭和62年8月)
 京伝と黙阿弥――「野晒悟助」をめぐって (「『野晒悟助』と黙阿弥」改題/東横ホール筋書 昭和30年7月)
 柳亭種彦の随筆と小説 (『日本随筆大成』第二期第20巻付録(吉川弘文館) 昭和49年10月/『鉛と水銀』収録)
 洒落本と芝居の台本 (『洒落本大成』第五巻付録(中央公論社) 昭和54年7月)
 かぶきと小説の交流 (「かぶきと『小説』との交流」改題/「季刊歌舞伎」8号 昭和45年4月/『鉛と水銀』収録)
 荷風別れ (『荷風別れ』(コーベブックス) 昭和52年9月)
 鏡花の劇空間 (「國文学」30巻7号 昭和60年6月)
 卑俗と絢爛――江戸と谷崎文学 (「解釈と鑑賞」昭和51年10月号)

かぶき作者と役者
 南北の作品と演出 (「南北研究」2号 昭和57年11月)
 「東海道四谷怪談」 (「解説『四谷怪談』の成立」改題/『新潮日本古典集成 東海道四谷怪談』(新潮社) 昭和56年8月)
 南北の合巻 (「鶴屋南北の合巻・文化期」改題/「ユリイカ」10巻4号 昭和53年4月)
 南北悪評 (「悲劇喜劇」35巻12号 昭和57年12月)
 並木五瓶の晩年 (「初代並木五瓶の晩年」改題/「伝記」10巻8号 昭和18年8月/『かぶきの発想』(弘文堂)収録)
 嘉永期の瀬川如皐 (「季刊歌舞伎」25号 昭和49年1月)
 黙阿弥について (「黙阿弥」改題/『民俗文学講座 6』(弘文堂) 昭和35年4月/『かぶき論叢』(思文閣出版)収録)
 『手前味噌』と仲蔵の代々 (『手前味噌』(北光書房) 昭和19年3月/『かぶき論叢』収録)
 かぶき役者の随筆・日記・自伝 (『燕石十種』第六巻付録(中央公論社) 昭和55年3月)

かぶき絵
 写楽と寛政六・七年の劇界 (「写楽の描いた寛政六・七年の劇界」改題/「太陽」浮世絵シリーズ「写楽」 昭和50年10月/『かぶき論叢』収録)
 幕末の江戸・芝居と浮世絵 (劇団四季「絵師絵金」公演プログラム 昭和47年8月)
 刺青と役者絵 (『原色浮世絵刺青版画』(芳賀書店) 昭和51年1月)

かぶき袋
 かぶきと文字 (「歌舞伎と文字」改題/「QT」63号 昭和61年1月)
 芝居の店舗 (「芝居にあらわれた店舗」改題/「嗜好」490号 昭和58年12月)
 芝居と卵 (「演劇と卵」改題/「嗜好」別冊「卵ブック」 昭和60年5月)
 芝居の豆腐と苅豆 (「芝居の豆腐屋と苅豆」改題/「嗜好」別冊「豆ブック」 昭和62年6月)
 芝居と柿色――柿山伏 (「柿山伏」改題/「嗜好」509号 昭和63年10月)
 かぶきの衣裳 (「服装文化」162号 昭和54年4月 「染色の美」17号 昭和57年6月)
 かぶきの化粧 (「化粧文化」8号 昭和58年5月)
 かぶきの口上 (「日本学」7号 昭和61年6月)

解題
 内山美樹子 「戯世」と学問

初出一覧




◆本書より◆


「秋成の怪異」より:

  「荒にし我軒は、いつしか浮浪子(のらもの)の中宿となりて、長き代のかたみにはあらで、荒唐世説(とりじめもなきよそごと)をいはざれば、夜食の腹ふくるゝよと、宵よりつどひて七つの鐘聞く夜はあまたたび

とは、『世間妾形気』の序文にいうところである。」

「「蛇性の婬」の豊雄という優雅な文学青年も、一般社会からすればのら者にちがいない。(中略)生活設計に勤めようという「過活(わたらひ)心」のない豊雄というのら者には、秋成の青年時代の面影も滲ませていよう。怪異を求める甘美な浪漫派の気持は、おのずからそのうちにある。怪異とは優美心にほかならないからである。
 さらに、戦慄するような怪異は、のら者の至りの「吉備津の釜」の正太郎の身上においてきわまる。」
「秋成には、仏教も儒教も信じないところがあった。自然主義的な思想の持主の秋成は、「おのがままなる奸けたる性」は、宗教や教育ではいかにすることも出来ぬことを知っていた。怪異は、その絶望感から現出する。いわゆる破滅型の人間なのである。」
「美麗なものと醜悪なもの、貞淑なものとその裏腹の執念の恐怖とを、おなじものとみる秋成の思想(中略)。それはまた、のら者の思想でもある。のら者にしてはじめて、見ることが出来る怪異なのである。」
「秋成の怪異の恐怖感は、反社会的のら者の思想が生んだ、天明無頼文学の高潮期の所産であった。」

「秋成の怪異の魅力は、その「骨冷えたる」孤絶の恐怖感にある。」
「いわば宇宙の回帰線上におこった、いや、実は何もおこってはいない恐怖感のようなもの、向こうへ向こうへ、遠くへ透明な世界に引かれてゆく、冷たい引力のようなもの、そんな骨冷えたる恐怖感を秋成の怪異には感じる。」
「秋成の怪異には、共同幻想としての狂気がない。共同幻想に覚め果てたのら者の、孤絶した自我が見てしまった怪異がある。秋成が鬼気迫るのは、このことにほかならない。
 共同幻想としての国家主義意識、全体主義的な本居宣長を、鼻持ちならぬ俗物として、噛みつかねばおさまらなかった秋成には、宣長のいう「大和魂」などという共同幻想は胸くそが悪かったのである。」
「「どこの国でも其国のたましひが国の臭気」だ、というのである。そこには、国家意識といった共同幻想を認めない、彼の個の目覚めがある。ことごとくに宣長に盾ついたのは、宣長がそういった共同幻想を創り出す親玉だったからにほかならない。「やまと魂」という共同幻想が、そののちの歴史にどんな災いを及ぼしたか、いまさら、いうまでもないことである。」

「秋成は、別号を剪枝畸人と称した。畸人は片輪者の意。剪枝は、剪指、指を切りつめたものの意。」
「また別号を無腸という。無腸は蟹の異名。秋成は、左右の指が、二、三本、蟹のごとくに折れ曲がった畸人であった。五歳の折に悪性の天然痘にかかったために、「右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足(た)たざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患うべし」とみずから『胆大小心録』に記すところがある。ここに、不具を誇示して別号とした彼の意識の底にあるもの、つまり構えがある。
 科rえの姿勢には、だれを恨むのでもない、この怨恨のかたちが籠められている。(中略)そこには文人気質の超脱思想がある。これが根深く人間形成の基本となることがある。跛(あしなえ)て名優の資質が発揮されるのもおなじであろう。病む人には常人にないものが見えたりするものなのである。それは世の狂人とはちがう、骨冷えて覚めきっているがゆえに、狂うことを識る者たちである。みずから片輪者をもって任ずる裏返しの誇りがあるからである。」
「秋成の『雨月物語』の漢文の序は、本文の名文に引きかえ、佶屈怪僻、厭味たらしい、読むに堪える代物ではないというのが通評である。したがってほとんど無視されてきたのが、これまでの現状である。
 しかし、私は、「剪枝畸人書」と署名した、この序文こそは、片輪者のみが知ることができる真実を、地獄に堕ちたもののみが知る文学の迫真性を、確認せしめる力があるとおもう。怪異を見てしまった栄光をさえ誇っている慄然たる文章をほかに知らないのである。
 世のつねならぬ佶屈怪僻の文章とは、世のつねの人のいうこと、これほど鬼気迫る、醜悪を辞さぬ芸術の美神に仕える瞬間の名文を知らない。彼が、みずから畸人としたのには意味がある。言いがたいことを言い尽くしているのである。片輪者のみが観た地獄の世界を、怪異の世界を誇らしく語り尽くしているからである。」
「文学とは、本来こういうものであったはずである。文学は代書屋ではない。文章を書けば、地獄に堕ちずにはいない。それが小説家の宿命、秋成のいう業(ごう)であろう。
 もし小説家にして、「三世生唖児」、「堕悪趣」する恐怖を感じないとしたら、それはおそらく偽者であり、売文の徒にすぎまい。本当の小説家なら、かならずや怪異を見ずに済ますことはならぬはずである。」



「かぶきと文字」より:

「かぶきでは舞台の上で字を書くというのが一つの芸になっています。「葛の葉」で、女に化けていた狐が障子に書置をしますね。「子別れ」の場面です。「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信田(しのだ)の森のうらみ葛の葉」。これを初め右手で書いて、赤ん坊が泣くので抱きかかえて、今度は左手で書いて、あとは口で書く。しかも裏文字といって左右を逆にした字です。裏側から見た字ですね。それを口で、床のチョボに合わせ所作をしながら書くわけですから、これは一種の「芸」です。」
「舞台の上で字を書くといえば、筆で紙に書くのではなく、宙空に書くことがあります。多くは大詰の幕切れに刀で「大入」という字を書くんです。これはたとえば立廻りがあり、相手を斬るつもりで「大入」という字に書く場合もありますし、また「大入叶(かのう)」と書く時もあります。(中略)これは一種の縁起物です。
 それからかぶきの独特な化粧法である隈取のなかに文字の隈があるんです。「大入隈」といいますが、「大入」という字を紅でもって顔に書くんです。(中略)これも「お客がたくさん来るように」という願いがこめられている呪術(まじない)と遊びでしょうね。」

「ところで「菩薩」という字は昔は一般には画数が多くて複雑なものだから、「菩薩」の上の草冠だけをとってくっつけて「廾サ」と書き、それで「菩薩」と読んでいました。俗に「ササ菩薩」というものです。略字というか、一種の記号、そしてもう象徴なんですね。それがしまいには印になるわけです。
 こういう、字引を引いても出てこないような字というのが、かぶきにはけっこうあるんです。実際にはなく、かぶきだけで使われる虚構の字というものがたくさんありますから、『歌舞伎字典』というのが一冊できてもいいくらいです。
 たとえば「相合傘」なんていうのは手偏にさらに手を添えて書くと手と手をとるということになり、これで相合傘になる。手偏に手を書く。これが外題に出てきます。」









































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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