磯田光一 『イギリス・ロマン派詩人』

「ぼくは人間性(Human Nature)は好きなのですが、人間ども(Men)は嫌いです。」
(ジョン・キーツ)


磯田光一 
『イギリス・ロマン派詩人』


河出書房新社
昭和54年5月20日 初版印刷
昭和54年5月25日 初版発行
267p vi 口絵(カラー)2p
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,800円



本書「あとがき」より:

「本書は、「文藝」昭和四十八年十月号から五十二年八月号まで九回にわたって断続連載された『イギリス・ロマン派詩人』に、全面的な改修をほどこし、シェリーの詩の註解を加えて一冊にしたものである。」
「巻頭のカラー写真は、自分の所蔵本で時代の雰囲気を読者に理解してもらうのに役立ちそうなものを選んで掲げたものである。」



本文中図版多数。


磯田光一 イギリスロマン派詩人 01


帯文:

「破滅を賭した“美の使徒”の群れ
物語の魅力にあふれる大河評論!
フランス革命前後の激動期を駆け抜けて行った詩人たちの像を蘇らせ、時の流れを越えて詩の存在根拠を現代に問う労作六百枚。著者のライフワークとも称すべきロマン派研究二十年の成果」



帯背:

「激動期を生きた
詩人たちの行方」



磯田光一 イギリスロマン派詩人 02


目次:

プロローグ
第一章 もう一つの十八世紀
 (1) 疫病と大火のあと
 (2) 詩人のポープの胸中
 (3) 都市から農村へ
 (4) あばかれた墓場
 (5) 世紀末の子ら
第二章 失われた戒律を求めて――ワーズワス
 (1) ケンブリッジの憂鬱
 (2) 復古としての革命
 (3) 不可能性としての善
 (4) 晩年の思想
第三章 老水夫のゆくえ――コールリッジ
 (1) さすらいのカイン
 (2) 老水夫の出現
 (3) もう一人のセアラ
 (4) 旅路の果て
第四章 廃墟への誘惑――バイロン
 (1) ハロルドの巡礼
 (2) 虚栄の市
 (3) 蘇ったファウスト伝説
 (4) イタリアの光と影
 (5) ハロルド死す
間奏曲――シェリー『西風によせる歌』私解
第五章 夭折の世紀児――キーツ
 (1) 眠りへの願望
 (2) 天からの誘惑
 (3) 情しらずの美女
 (4) ローマへの道程

あとがき
主要参考文献



磯田光一 イギリスロマン派詩人 03



◆本書より◆


「第一章 もう一つの十八世紀」より:

「人間が最終的には個人であるなら、彼にとって信じるに値するのは、主観に映じてきた現実だけである。それ以外に何もないなら、わが眼に映じてきたものだけを、たとえ虚偽であろうと信じつづけてどうして悪かろう。現実とは、つまるところ個人の感性が吸引した現実だけではないか? ここにおいて「われ考える、ゆえにわれあり」は、「われ感ず、ゆえにわれあり」に転換される。客観性を斥け、内なるイメージの世界を優位に置いたヒュームの思想を、閉鎖的な観念論と呼び捨てることは易しい。だがそういうゆがみ(引用者注: 「ゆがみ」に傍点、以下同)を批判する人々にたいして、おそらくヒュームは次のように答えたであろう。人々よ、そのゆがみこそ、わが運命の星なのである、と。」

「“怠惰”が“七つの大罪”の一つであるなら、その反対語に当たるのは“勤勉”である。だがピューリタン革命以後の社会において、“勤勉”が“エゴイズムの追求”を意味する現実が出現したとき、そこで詩人の感性は微妙な乖離をしいられざるをえない。外側の社会が“勤勉”の論理によって動いてゆくとき、もし“城”を作るとすれば“怠惰の城”以外にあろうはずもない。そしてトムソンの『怠惰の城』の出た時代には、“怠惰”は同時に“安楽”をも意味したのである。」
「外部の“昼”の世界にたいする“夜”の世界が、甘美であるにもかかわらず不安をはらんでいるという二重性は、もう一人の詩人エドワード・ヤング(Edward Young)によっても、次のようにとらえられていた。“昼”の世界が“勤勉”という悪徳を強制されているなら、信じるに値する現実とは“夜”だけである。運命が微笑するのはじつに“眠り”においてだけであった。だが荒涼たる人生のなかでは、その眠りさえいまやつかのまの安らぎにすぎない。」
「この長詩『夜の想い』(Night Thoughts)にみなぎる悪夢めいた神秘的な雰囲気を十分に読者に伝えることはむずかしい。だがこれがどれほど内向的であろうとも、心象風景を形づくるイメージの魅力には、何か抗しがたいものがある。この詩が最後にいたって心の安らぎを歌っていても、夢魔のリアリティーが減殺されるわけではない。」
「おそらくヤングの『夜の想い』のパラドックスは、来たるべき時代の詩人たちの直面する問題を、最も先駆的に物語っている。というのはロマン派の詩人とは、ひとくちにいえば“眠りをうばわれた畸型児の群れ”と呼んでもいいからである。彼らが病人であるかぎり、快癒をねがわなかったはずはない。しかし人間は自己破壊を冒してまでも自己を証明しようとすることもある。つまり病気への誠実が、快癒への希求の表現たりうる場合もあるということである。
 もはや醒めることのない永遠の眠りとは、いうまでもなく“死”である。過去がすでに死の国にあるなら、詩人たちの関心が“墓場”に向けられてゆくことも時代の必然であった。」

「一七七〇年の八月二十四日、テムズ川からそれほど遠くないブルック街の屋根裏部屋で、当時十七歳であった一人の少年が、鼠を駆除する口実で買い求めた砒素を飲んで自殺をとげた。(中略)トマス・チャタトン(Thomas Chatterton)がそれである。のちにワーズワスが、

  わたしは想った、あの驚異の少年チャタトンを。
  倨傲のゆえに滅んだ、あの眠りをうばわれた魂を。
  われら詩人は、青春を歓喜のうちに旅立つが、
  やがて失意と狂気とにたどり着く。
  I thought of Chatterton, the marvellous Boy,
  The Sleepless Soul that perished in his pride;
  We Poets in our youth begin in gladness;
  But thereof come in the end despondency and madness.

 と歌っているように、チャタトンは文字どおり「倨傲のゆえに滅んだ」「眠りをうばわれた魂」であった。それは世にいう、“呪われた詩人”の嚆矢というべきであろうか。
 ここで注目すべきは、チャタトンにみられる“倨傲”のあらわれ方である。文字どおり不遇であったチャタトンは、死を選んだ年にはほとんど餓死にも近い境遇にあった。彼が世の常識を受けいれる程度に謙虚であったら、彼は他人の好意や恵みを喜んで受けてもよかったであろう。しかし彼は、近隣の人から晩餐に招ばれたときでさえ、飢えを我慢して、ほとんど傲然とその好意を斥けた。」
「だが興味ぶかいのは、チャタトンが詩の“偽作”への情熱をもっていて、“ローリー詩篇”と呼ばれる一群の作品の作者であったことである。トマス・グレーの“剽窃の詩学”についてはすでに述べたが、チャタトンではその傾向はさらに徹底をきわめている。教会の古文書を通じて中世のほの暗い闇の魅力を知り、歴史と伝説の世界に心を吸いこまれていった彼は、ついにトマス・ローリーという中世の詩人を捏造し、その詩人の作品が発見されたという触れこみで、チャタトン自身の偽作を公然とジャーナリズムに売り込んでいたからである。
 この年少の、しかしこの上なく倨傲であった詩人の眼には、十八世紀の詩法は問題にならないほど無意味にみえた。そして彼の心にとって守るに値したものは、壮大な神話が生きていて、人間の生死がなおも手ごたえのあるものとして感じられていた過去だけであった。このとき“偽作”の道を選ぶことは、彼の守るべき真実への忠誠さえ意味したのである。そういっていいすぎならば、架空の中世詩人“トマス・ローリー”を仮構して、それと同一人物だという誇りをもったとき、チャタトンははじめて彼自身であることができたということだ。」
「チャタトンのこの“偽作への情熱”は、ロマン派の隠された半面を暗示している。通説とはちがって、ロマン派の詩人たちは、それほど個性の高揚を歌ったわけではない。(中略)“個性”に目覚めることが“眠りをうばわれる”ことを意味するならば、“個性”とはいまや求めるまでもない病気であった。そして個性という病気を生きぬこうという誠実は、同時に“個性”を超えたものへの屈折した希求と、ほとんど表裏一体をなしていた。現実への呪いが深まれば深まるほど、チャタトンは“個性”という倨傲を押し進めていくより仕方がなかった。そしてこの傲慢無比の天才少年は、現実への復讐として、彼の心が吸い寄せた中世の幻影を、偽作という詐術を用いて定着しようと試みたのである。」

「ベックフォードもまたゴシック趣味に心をうばわれた人間の一人であった。彼の建築への知識がきわめていい加減なものであったことについては、すでに専門の学者の指摘がある。だが重要なのは、時代に逆行するものだけを寄せ集めて、それだけで巨大な建造物を作ったという彼の不思議な情熱である。それはまことに“無効への情熱”と呼ぶにふさわしい。異国の、あるいは中世の幻影に魅入られた彼の心は、それを文学表現に仮託しただけでは、なおも十分に充たされなかった。
 一七九六年、ベックフォードは建築家ワイアットに命じて、久しく心にいだいていた夢を、いよいよ建築の形で実現する事業に着手した。すべては“趣味”によって統合され、いっさいの実用性は排除されなければならなかった。」
「この怪挙は、いうまでもなく彼の“趣味”を徹底させるという、きわめて屈折した情熱の所産であった。いいかえれば彼は“自然”よりも“人工”を駆使することによって、失われたものの復興を志したといえるのである。」
「いかなる反地上的な情熱も、いつかは現実からの報復に出逢う。金銭の行詰りから、ついにこの建物を売り払わざるをえなかったベックフォードは、その後バースで余生を送るほかはなかった。」
「およそ敗北しない夢が、高貴な夢であったためしはない。そして精神に関する悲劇の意味は、現実からの報復によって確認される。」
「これを荒涼たる人生といってしまえばそれまでである。だが本当にそうだったのであろうか。もし彼がその運命をこそ自ら欲したとするならば、彼を裁く資格をだれがもちうるか。(中略)ベックフォードの肉体の嘆きに嘘がないなら、彼の精神の渇きにも嘘はなかった。荒涼たる臨終の床で、彼が何を想っていたかを推察することはむずかしい。(中略)だが畸型という宿命をこそ生きた彼の“精神”には、ニーチェのいう“運命愛”にも似た感覚が、なおも深く生き続けていたと思われる。」



「第二章 失われた戒律を求めて」より:

「だが、そもそもの最初から、時代錯誤者としてしか生きられなかったところに、ロマン派詩人の運命はあった。グレーにせよチャタトンにせよ、ワーズワスにせよ、その内部に宿った夢は、“大英帝国”の“市民民主主義”とは最初から相容れないものであった。だが、彼らがどれほど“市民民主主義”を呪ったとしても、それが時代の必然であるという認識だけは、いささかも曇ってはいなかったのである。彼らはただの夢想家ではない。すべてを知りながら“夢”だけを語っていたのである。」


「第三章 老水夫のゆくえ」より:

「海は人間を死に到らせるところの不吉な力でもあった。しかしこうした暴威をふるう海は、他方、陸地が“母なる大地”を意味するのと同様に、(中略)人間の帰っていく母胎を象徴することもあった。このような“海”の二面性は、W・H・オーデンが『怒れる海』のなかで指摘しているように、砂漠との関連を通じてとらえると、その近代的な“意味の変容”がいっそう明らかになる。すなわち海も砂漠も「そこには正邪を問わず社会がなく、善悪ともに歴史的な変化が起らず」、したがって「共同生活の諸悪からも、責任からも解放されて」いるのである。」
「海と砂漠とのイメージ上の近接は、おそらくロマン派詩人の孤独とその近代性に深い関連があった。砂漠も海も市民生活と対立する場所に据えられていて、人間社会の掟を破った者や、社会にみち足りることのない者が旅してまわる場所である。カインのさまよい歩く不毛の地も、砂漠の変形とみてさしつかえない。」



「第四章 廃墟への誘惑」より:

「『マンフレッド』の主人公は、アルプス山中の城主として設定されている。人生への嫌厭を糧(かて)として生きた彼は、まさしくそのために“精神の不眠”を強いられている。」

「彼の心を占めているのは他人との“異質性”への呪いにほかならない。

  おれの精神(こころ)は世人の心とともに歩まず、
  人の子の眼(まなこ)で地上を眺めず、
  諸人(もろびと)の野心の渇きはつゆほどもなく、
  人の世の生きる目標(めあて)も、物の数ではなかった。
  My Spirit walked not with the souls of men,
  Nor looked upon the earth with human eyes;
  The thirst of their ambition was not mine;
  The aim of their existence was not mine.

 これはマンフレッドが好んで選んだ道ではなくて、彼の気質が強制した何ものかである。あるいは気質の極限化を、作者は普遍的な問題として提出したといえるかもしれない。」

「三十六歳の誕生日に詩を書いたのち、バイロンの生命はあと三ヵ月しかなかった。戦場でかかった熱病をこじらせてしまった彼は、四月十九日に息を引きとった。その前夜、昏睡状態に陥る直前に、家令のフレッチャーに語った言葉が最後のものになった。それは、“I want to sleep now.”という言葉である。」
「バイロンもまた、ワーズワスがチャタトンを評した言葉をかりれば、“眠りをうばわれた魂”であった。そして彼は“精神の不眠”からの活路を、じつに不眠の徹底化(引用者注: 「不眠の徹底化」に傍点)という迂回の道を通って探し求めていたのである。この主題から眺めるならば、ギリシアにおける現実政治の運命などは、おそらく第二義的な問題でしかなかったであろう。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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