ハンス・リヒター 『ダダ ― 芸術と反芸術』 針生一郎 訳

「ダダのこうした否定的な定義は、拒否すべきものを拒否するところから生れる。だが、拒否は精神的、心情的な自由への願望からおこったのだ。」
(ハンス・リヒター 『ダダ』 より)


ハンス・リヒター 
『ダダ
― 芸術と反芸術』 
針生一郎 訳


美術出版社
1966年9月10日 第1刷発行
1969年6月30日 第4刷発行
404p 別丁図版52p(うちカラー2p)
A5判 角背バクラム装(背布)上製本 
本体プラカバー 機械函
定価1,600円



本書「凡例」より:

「本書はハンス・リヒター著『ダダ――芸術と反芸術』(Hans Richter: Dada―Kunst und Antikunst; Verlag M. DuMont Schauberg, Köln, 1964)の完訳である。」
「訳者のもとには著者から、日本版への序文、本文正誤表とともに、「後期ダダ」のイタリアの部分を補足するドイツ語原稿が送られてきた。また著者は日本滞在中に、日本版につけ加えるべき数行の英語原稿を、訳者に書きのこしていった。」
「図版は原著にあるものすべてを転載し、ほかに多少加えた。原著には原色版は挿入されていないが、本書では二点入れた。」



本文中図版多数。


リヒター ダダ 01


リヒター ダダ 02


目次:

日本版への序文 (ハンス・リヒター 1966年2月)

凡例

まえがき
序章

1 チューリッヒ・ダダ一九一五―一九二〇
 ダダはどこでおこったか?
 ダダはどのようにしておこったか?
 キャバレー・ヴォルテール、そのメンバーと協力者
 キャバレー・ヴォルテールからダダは生れた
 『ダダ』という雑誌
 ダダの集会
 抽象詩
 天国語
 偶然 一
 偶然 二
 偶然と反-偶然
 笑い
 私生活、カフェ・オデオン
 《三九一》
 バルセロナ
 チューリッヒ・ダダの終り

2 ニューヨーク・ダダ一九一五―一九二〇
 《二九一》
 アルチュール・クラヴァン、自己犠牲
 マルセル・デュシャン、あるいはレディ・メイドにおける反偶然
 マルセル・デュシャン、レディ・メイド
 ニヒル
 反芸術から芸術へ
 無用なものの発明
 ダダの『盲人』『ロング・ロング』『ニューヨーク・ダダ』
 2×2=5

3 ベルリン・ダダ一九一八―一九二三
 ダダ以前
 活動的なベルリン・ダダ
 一九一八―一九一九年、最後の審判のトランペット
 フォトモンタージュ
 抽象詩から視覚音声学へ
 非共同体
 ハウスマンとバーデル
 R・HとR・H
 一九一九―一九二〇年、反芸術のもよおし
 一九二〇―一九二三年、ダダの勝利!

4 ハノーヴァー・ダダ
 人間シュヴィッタース
 詩人シュヴィッタース
 画家、出版者、《貼り絵作家》
 シュヴィッタースの柱

5 ケルン・ダダ
 マックス・エルンストとヨハンネス・バールゲルト

6 パリ・ダダ一九一九―一九二二
 言葉の更新
 パリの反芸術
 ジャック・ヴァシェ
 詩人の総攻撃
 雑誌A―Z
 横顔
 絶頂
 遠足と《バレス裁判》
 反・反と《パリ会議》
 ヒゲのはえた心臓
 後産(あとざん)
 準ダダ、超(シュル)レアリスム

7 後期ダダ

8 ネオ・ダダ
 モットー
 盆栽
 もつこととたべること!
 ゼロの点
 美術館と画商
 大衆
 未来

解説 (ヴェルナー・ハフトマン)

トリスタン・ツァラ『チューリッヒ日記』一九一五―一九一九抜粋

訳註
訳者あとがき (針生一郎)

参考文献
図版目次
索引



リヒター ダダ 03



◆本書より◆


「チューリッヒ・ダダ」より:

「声が大きく、挑発行為が好きな点では、ツァラの反抗仲間、医者兼詩人のリヒアルト・ヒュルゼンベック博士もツァラに劣るまい。ヒュルゼンベックは、だれよりも尊敬するフーゴー・バルとの親交をとおして、いちばんかれの性にあうキャバレーの混雑のなかにひきこまれた。かれの学生そのままの横柄さは、ツァラの敏活な機智とはまったくちがった形で、公衆を憤激させるのに一役買った。この断乎たる態度をおぎなうため、かれは馬の鞭をもちい、かれの新鮮で凝縮された詩『空想的な祈り』に効果をそえるべく、空中でリズミカルに振り、また公衆の背後でほのめかすように鞭を唸らせた。
 ヒュルゼンベックは黒人のリズムの拍子に熱中して、以前すでにベルリンでバルといっしょに、その実験をおこなったことがある。かれは挑発的に鳥の羽根やコールタールをもちいた『祈り』のために、大きなタム・タムを好んで使った。バル――「かれはリズム(黒人のリズム)をつよめることを主張した。できればむしろ、文学を大地にうちのめしたがっていた。」バルのピアノによる即興演奏、エミィ・ヘニングスの細い、小さい、わざとらしい少女の声(それは民謡と娼婦の歌のあいだを変転した)、さらに公衆を新しい詩の原生語から、芸術的ヴィジョンの原生林につれだす、ヤンコの抽象的な黒人の仮面をあわせてみれば、このグループに活気を吹きこんだ生命力と熱狂が、いくらか体験されるだろう。……「かれらは自分の作品のためには狂信者であり、犯罪者であり、偏執者である。かれらは公衆にむかって、かれらの病気を受けいれなければならないかのようによびかけ、かれらの状態を判断するための資料をさしだす」……と新聞は書いた。」

「デカルト以来、世界のすべてが理性によって説明できる、という迷信がみとめられてきたのである。この迷信は必然的な転回によってとりのぞかれなければならなかった。理性と反理性、意味と無意味、計画と偶然、意識と無意識が共存して、全体の必然的部分をなすという認識、そこにこそダダは重点をおいたのである。」



「アンナ・ブルーメに」(クルト・シュヴィッタース):

「おお おまえ、二十七の感覚をもつわたしの恋人よ、わたしはおまえを愛する――おまえがおまえのおまえにおまえを、わたしがおまえに、おまえがわたしに――わたしたち?
それは(ちなみに)どこかよそのことだ。
おまえはだれ、ものの数にも入らぬ女よ? おまえは――おまえが? ――人びとはいう、おまえは……だと――
いわせておけ、かれらは教会の塔がどんな風にたっているか、知りはしない。
おまえは帽子を足にはいて歩きまわる。おまえの手の方に、おまえの手の上を歩きまわる。
やあ、のこぎりで白くこまかいひだに刻まれたおまえの赤い服。
わたしは赤が好きだアンナ・ブルーメ、わたしは赤くおまえを愛す!――おまえがおまえのおまえにおまえを、わたしがおまえに、おまえがわたしに――わたしたち?
それは(ちなみに)つめたい灼熱のなかだ。
赤い花、赤いアンナの花(ブルーメ)、人びとは何というだろう?
懸賞問題――(1)アンナ・ブルーメは鳥をもつ
         (2)アンナ・ブルーメは赤い
         (3)鳥はどんな色か?
青はおまえの黄いろい髪の色。
赤はおまえの緑の鳥がくうくう鳴く声だ。
おまえ、ふだん着の地味な娘、おまえは綠のけものを愛する、わたしはおまえを愛する!――おまえがおまえのおまえにおまえを、わたしがおまえに、おまえがわたしに――わたしたち?
それは(ちなみに)火の箱に入っている。
アンナ・ブルーメ! アンナ、ア-ン-ナ、わたしはおまえの名をしたたらせる、おまえの名がやわらかい牛の脂のようにしたたる。
おまえはそれを知っているか、アンナ、もう知っているのか?
おまえはうしろから読まれることもある、おまえ、だれよりもすばらしいおまえ、おまえは前からでも、うしろからでも同じだ――《ア-ン-ナ》
牛の脂がわたしの背中をしたたりなでる。
アンナ・ブルーメ、おまえしたたるけもの、わたしはおまえを愛する。

一九一九年」




































































































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