石川淳 『狂風記』 (全二冊)

「さしあたつて必要なものは無法のろくでなしどもの手である。乘りかかつた事件のねらひは、仕上げをきれいにすることではなく、醜怪をいやらしいままにそつくりさらけ出すことにあつた。(中略)考へうるすべての惡辣な手はこれをさらにエスカレートしてゆくところに靈的な意味があつた。といふのは、靈の顯現は人間といふ生餌を食ひやぶつて燃えあがるものと、ヒメは堅く信じてゐたからである。」
(石川淳 『狂風記』 より)


石川淳 
『狂風記 (上)』


集英社
1980年10月10日 第1刷発行
452p 口絵(モノクロ)i 
菊判 丸背布装上製本 貼函
定価2,000円
装幀: 栃折久美子



正字・正かな。


石川淳 狂風記上 01


上巻帯文:

「執筆10年、
1440枚の大作
ここに刊行!

怨霊舞い、権謀術数渦巻く
波乱万丈の物語…
アナーキーな風が、
卑俗な現実を笑いとばす!」



上巻帯背:

「比類なく華麗な
小説世界を展開」



上巻帯裏:

「覚悟といふカテドラル
丸谷才一

 『狂風記』は石川淳の文学の集大成とも言ふべき大伽藍である。ここにはこの偉大な文学者のすべてがある。この豪勢な建築は、中国の伝奇の悪夢にSFの宇宙論を加へ、西欧十八世紀小説の論理学を彩るに落語のレトリックをもつてし、そして歌舞伎の社会学の柱としてゴシック・ロマンスの幻想をすゑるといふ方法で作られた。
 しかもこのカテドラルの中心には二巻の巻子本(かんすほん)があつて、謎めいた古文書から発する力が末世のてんやわんやをあやつることになるのだが、このとき作者は、記紀の伝承から幕末の艶話を経てつひに今日の東京のニュース・ストーリーに及ぶといふかたちで、一篇の長篇小説のなかに日本史全体を封じこめたのだらうか。いや、違ふだらう。ここにあるのは民族の歴史などといふちつぽけなものではない。彼は普遍的な人間の運命を叙して、乱世に生きる覚悟を花やかに表明したのである。」



石川淳 狂風記


石川淳 
『狂風記 (下)』


集英社
1980年10月10日 第1刷発行
460p 
菊判 丸背布装上製本 貼函
定価2,000円
装幀: 栃折久美子


「「昴」連載 一九七一年二月―一九八〇年四月」



石川淳 狂風記下 01


下巻帯文:

「現代日本文学に
屹立する
記念碑的作品

卓抜な想像力と
豊饒なパロディ…
華麗な小説言語の世界が、
いま、現代文学を痛撃する!」



下巻帯背:

「現代文学の
記念碑的大作!」



下巻帯裏:

「巨匠、未来を語る
大江健三郎

 戦後乱世の風がなお吹きあれた時分、ハイティーンの僕を支えたのは、ドスのようにポケットにおさめた、石川淳の小説であった。そこに描かれた、えたいのしれぬ生命力のかたまり、しかも美しい娘と若者の肖像は、燃えるような励ましを、ポケットの主につたえたのだ。かれらは同時代の荒野にあって、決然と未来にひとみをさだめていた。
 三十年たって、いま新作に示された、石川淳の宇宙モデルは、その究極の全体像をあらわしている。古代のしるしから、現代のありとある出来事まで、ふくみこんで山なす瓦礫、その裾野を掘るヒメとマゴ。僕はこの娘と若者の肖像に、かつての熱狂をよみがえらせる。古代へさかのぼり、地底へもぐりこむ、石川淳宇宙の奥行きは、かつてのどの作品より深く、現代の混沌と、よくあいわたる広さだが、ヒメとマゴはその総体をおおいつつ、断じて未来をめざすのだ。」



内容:

上巻: 一~二十九
下巻: 三十~五十六


石川淳 狂風記上 02



◆本書より◆


上巻より:

「その奥ふかくなにがひそむとも知れず、まだ發しない震動のけはひが地の底からつたはつて來て、裾野は塵一つあまさず吸ひよせる磁場のやうであつた。むせかへる塵にまじつて、マゴの身柄は今この場の片隅に廢品の中の居候として住みこんでゐる。」

「「オバケを見るやうな目つきで、あたしを見ることはないよ。あたしはちやんと生きてゐる。これからもずつとね。おまへをここに呼び出したのはげんに生きてゐるあたしのカンのはたらきではあるけれど、それもつまりは靈のみちびきだよ。」
 「うむ。それはおれも不思議におもつてるんだ。どうしてここに來るやうなことになつちまつたんだか。」
 「靈から見れば自然の成行だらうね。靈はあたしひとりぼつちぢやない。長野氏代代の靈、それよりもまたはるかに遠い先祖の靈までふくめて、今はみんないつしよにこのあたしの身一つにかたまつてるんだからね。あの位牌に書いてある七つの文字は、未來にかけて、あたしの系圖の全部だよ。」
 「系圖。ふーむ。そんな古くさいものをどうしてここに……」
 「バカだね、おまへは。未來にかけてといつたのが耳にはひらないのかい。現在から未來にむかつてものをいふのが系圖だよ。いいえ、それにものをいはせてやるのが今の代の當主であるあたしのつとめだよ。たとへば、あたしが系圖の中から先祖の靈をぎゆつとつかんで取出して來ると、それが今から生きはじめて、あたしの身に於てあたらしく行動をおこすといふやうなものだね。」
 「ものすごい系圖だな。そんなの、あるかい。」
 「あたりまへだよ。過去にさかのぼつてどこまでも突きつめてゆけば、どうしたつて未來のはうに出ちまふほかないもん。系圖はその道しるべの手がかりだよ。」

「ヒメにとつて、ふりかへつて見ると、過去は遠くまでいちめんに灰がふつてゐた。今日の商賣は葬儀屋として、日常に死者の灰をあたまからかぶつてゐるのも、抜きさしならぬ因縁か。當人はすすんでその因縁の中に飛びこんで、そこよりほかに生きどころはないと、つよい決意をひそめたやうであつた。死者の灰に生きる。これはおそらく先祖代代臍の緒に書きつがれて來た約束なのだらう。ただそれをわが身のことにして必至に來歴の意味をさとるためには、おふくろが死ぬといふ事件……いや、おふくろはどうしてもむざんに殺されなくてはならぬといふ必然があつた。三年前、ヒメがちようど滿はたちになつた日の寒いあけがたに、おふくろは短刀で刺されて、寢てゐた蒲團の中から家の外にまでころがり出て、血まみれのすがたを氷つた道の上に派手にさらしてくれた。(中略)短刀でとどめを刺されるまで地上をのた打ちまはつたその生活の相は死後の今でも消えない。ヒメが世の中に信ずることのできるものは、たつた一つ、さきにおふくろの體内に、今はおのれの體内に流れつづけてゐるところの、代代の血の歴史であつた。
 おふくろのおふくろの、そのまた何代前になるのか、京の三條大橋に生きながらサラシモノにされた女がゐて、ヒメにとつて家の系圖といふものはそれからはじまつた。このイキザラシ一件はおそらく系圖の花として代代傳承されて來たらしく、ヒメのおふくろは橋にくくりつけられた遠い先祖がそのころ麗容をもつてうたはれたことを美人系の證據のやうにそそつかしく取りちがへて、せめてもの自慢のたねに、ヒメの幼時から耳にタコが入るほどくりかへして語つてきかせた。このタコはをさない耳におそろしく、また晴れがましく、戰慄すべき女の榮光を吹きこんだ。イキザラシ。ほとんど神話の世界の出來事であつた。罪の汚辱にも崩れない美貌が水のほとりにつるされたすがたは、あやしいまでに秘密にみちて、たしかに此世ならぬものにちがひない。もしこのすがたを畫にかいたとすれば……いや、少女の想像の中ではすでにそれが畫になつてゐて、空はるかなあこがれの像、現在のヒメとしては、ますます身にしみてふりあふぐべきイコンにひとしかつた。」

「「地下にうづもれた黑い木みたいなもの。うもれ木と見えるもの。それはほんとに木の性で腐つちまふやつもあるだらうし、石になつて冷えこんぢやふやつもあるだらうけど、そんなのばかりぢやないよ。木と見えて燃える石。火を吹く岩。さういふぴりつとしたのもあらあね。その火の性のうもれ木のうちとして、世の中には穴ぼこといふものがあるんだよ。」」

「「うちの紋のことだがね。先祖の長野主膳は表むきにはなにかほかの紋をつけてゐたやうだけれど、じつをいふと、長野家の紋は九曜なんだよ。むかしはそれを家の秘密として、もしやひとに見つかつたらきつとわるいことがおこるみたいに、大切にかくしてゐたらしいね。九曜は星が九つ。そのうち七曜はだれでも知つてゐる。あとの二つの星はだれも知らない。むつかしい名はついてゐても、どういふ星だかわからない。それはあたしにも不思議な謎だよ。ただ天のずつと遠い高いところ、目がくらくらするほど冴えわたつた丸天井の隅のはうに、ほかの星からは仲間はづれに、黑光りに光つた小さい星が二つある。どこの天文臺でも、どんな精密なレンズでも、見つかりつこない星二つ。それがてつきり九曜の中の二曜だらうよ。あたしにはそれが見える。とりわけてよく見えるんだよ。だつて、それこそうちの先祖の靈が宿つてゐる星にちがひないもん。ふたりともひどい最期をとげた先祖の男と女の靈。未來永劫うらみに燃える世界ぢゆうの靈は、凝りに凝つて、むかしからこの男星女星にあつまつてゐるのぢやないかね。靈のみちびきはこの星が下界にむかつてはなつ光のたよりだよ。」」

「運動の場は死者と生者とがぶつかりあふ境である。そもそも生きたやつの仕打として、死んだやつを僞善的に土の下に埋めてしまふことをおもひついたのは、よつぽどずるい著想にちがひない。たましひはそこに鎭められたのではなくて、ていよく土の牢に閉ぢこめられたことになる。死者にものをいはせるな。過去が息を吹きかへして來て、現在の秩序にひびを入らせることは許さない。一分の隙なく土をかぶせた上にも念を押して、鍬でぺたぺたぶつたたいて、おもい石を置くわけである。しかし、屈伏することを知らないたましひにとつて、過去現在といふ仕切があるだらうか。千年むかしのたましひでも、ものをいふところは今よりほかない。今の秩序を破れ。」



下巻より:

「そのとき、マヤが聲をかけた。
 「先生、それは住む世界がちがふといふおはなしね。さういへば、わたくし、みようなことがあるの。いつどこでも、どんな場所、どんな環境に身を置いても、どうもほかのひとたちとは居どころがちがつてるみたいな氣がするのよ。つまり、對象の受けとめ方がちがふといふわけ。げんにこの場でも、おなじものを見ながら、みんなとおなじやうには見ちやゐない。かう見えるといはれても、さうは見えない。よく不感性だと笑はれるけど、こつちから逆にいへば、みんなはわたくしとおなじやうには感じないらしいわ。これきつと生理的なものね。おまへをかしいぞといはれれば、そつちこそをかしいぞといふことになるわよ。わたくしの感覺の器官には羽衣のやうなうすい膜がかかつてるのね。ほかのひとたちにはさういふ膜がないみたい。どつちがまともか寸たらずか、そんなこと氣にしちやゐない。ただいくぶん世界がちがふとはいへさうね。わたくしにしてみれば、わるいけど、こつちのはうがちつとばかり優越的なきもちよ。」」

「亡靈。千年にあまる歴史の闇をやぶつて、荒ぶる神の形相はあからさまに宵の空にうつり出た。ことばは陰陰と重く、巷の燈火はひたと色をうしなつて地に沈んだかと見えたをりに、はなやぐ娘の聲が歌ふやうにあどけなくさけんだ。
 「遠いまぼろしは今の世のうつつにあらはれたよ。みゆきの道には血の花を。國王オシハノミコのお通りだよ。」」























































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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