小池滋 『ディケンズとともに』

「また彼の小説についても、今日の読者を驚かせ、時には慄然とさせるような現代性が発見され、単なる十九世紀の無教養な大人や子供を楽しませただけの滑稽大衆小説ではなくて、もっと重要な意味を持った芸術品であること、カフカやプルーストが好んで読んだのも、決して理由のないことではない、ということが改めてうなずけるのである。」
(小池滋 「サンタクロースかペテン師か――ディケンズの生涯」 より)


小池滋 
『ディケンズとともに』


晶文社
1983年2月25日 初版
1993年11月20日 三刷
233p 初出一覧1p
19.3×15.6cm
丸背紙装上製本 カバー
定価2,400円(本体2,330円)
ブックデザイン: 平野甲賀


本書「あとがき」より:

「ここに収めた文章は、「〈ミステリー作家〉ディケンズ」を除いて、既に別のところに発表したものに手を入れて再録したものである。」
「大きく分けて、ディケンズという人間とその時代を扱った部分、ディケンズをいろいろな角度からとり上げて論じた部分、作品論の部分、と三つにまとめた。作品論の作品の選び方が少々変っているように思われるかもしれないが、私が邦訳した本につけた解説がその母体となっているからである。」



本文中図版(モノクロ)多数。


小池滋 ディケンズとともに 01


カバーそで文:

「イギリスの19世紀は、チャールズ・ディケンズの時代であった。その数多の物語は、上はヴィクトリア女王から下は名も無き貧民の子にいたるまで、すべての人々を無限に楽しませ続け、同時に、資本主義勃興期の英国社会の偽善と頽廃をやむことなく攻撃し続ける刃となった。ヴィクトリア朝イギリスの生活と社会を背景に、大英帝国の裏も表も知り尽くした男の生涯と作品を描く。」


目次 (初出):

サンタクロースかペテン師か――ディケンズの生涯 (世界文学全集29『エドウィン・ドルードの謎』(講談社)解説 1977. 4)

 Ⅰ
非商用の旅人ディケンズ (『ディケンズを読む』(南雲堂) 1980. 10)
子供が大人の父となる時――ディケンズにおける父と子 (『ロマン派文学とその後』(研究社出版) 1980. 9)
「ミステリー作家」ディケンズ (新稿)

 Ⅱ
恐ろしい夜の町――ドストエフスキーとディケンズ (『現代思想』(青土社) 1979. 9)
トリヴィアリズムとカメラ・アイ (『ディケンズの文学と言語』(三省堂) 1972. 12)

 Ⅲ
『バーナビー・ラッジ――一七八〇年の騒乱の物語』 (世界文学全集15『バーナビー・ラッジ』(集英社)解説 1975. 10)
全世界はこれ牢獄――『リトル・ドリット』 (世界文学全集34『リトル・ドリット』(集英社)解説 1980. 11)
『エドウィン・ドルードの謎』の謎 (世界文学全集29『エドウィン・ドルードの謎』(講談社) 1977. 4)

ディケンズ年譜
あとがき
初出一覧



小池滋 ディケンズとともに 02



◆本書より◆


「トリヴィアリズムとカメラ・アイ」より:

「彼の若き日の自叙伝の断片の一節を、有名なフォースターの伝記の中からひろい上げてみよう。(中略)彼がまだ若かった頃、ロンドンの裏街のコーヒー店へ好んで出かけて行ったが――

  セント・マーチンズ小路(レイン)にコーヒー店があった。憶えているのは、それが教会の近くにあって、入口の楕円形のガラス窓に外から見て COFFEE-ROOM と書かれていたことだけだ。いまでも、まったく別のコーヒー店に入って、同じような文字がドアに書かれているのを見ると、反対側から逆さに MOOR-EEFFOC と読んで(当時よくそう読んで、気味の悪い幻想にふけったものだった)血管にショックが走るのである。
 (『チャールズ・ディケンズ伝』第一部、第二章)」

「私たちもこれに似たようなガラス板を眺めることはよくあることであろう。私自身かつて TENPURA というネオンサインを逆から見て、一瞬ロシア語かと思った経験がある。しかし普通の人間がいかなる「ショック」も感じないですましているのは、頭の中で「これは字が逆さになったものだ」という修正を行なっているからである。その場合じかに視覚だけで受け取るのではなく、その中間に知性が介在して、目がとらえた図形に修正――つまり逆さに並べかえるという――を加えているわけである。ところがディケンズはその知性による修正を介在させず、視覚でとらえたものをそのまま彼の意識の上に定着させてしまったから、何か不気味なものに写ったのだろう。」
「画面における細部(あるいは背景など)が、主要な部分と同じように正確・鮮明に写し出されるということが果たして(中略)「混沌」であるかどうかの検討からはじめよう。知性の意匠という権威が力を失い、個々のディーテイルがそれぞれ平等の権利を主張するのは、確かに一つのアナーキーであるかもしれない。しかし小説という芸術において、細部は常に他のもの(中心的なもの)のために従属し、奉仕しなくてはいけないものだろうか。それ自身の存在を主張し、他のあるものと対立したり、時には反撥することはできないものだろうか。言いかえれば、知性の意匠はそれほど絶対至上のものであろうか。」



「全世界はこれ牢獄」より:

「ここで注意せねばならぬことは、ディケンズが諷刺し、あからさまに発(あば)いて見せたのが、ドリット氏の紳士気取りの滑稽さではない、という事実だ。紳士でない者が紳士の猿真似をする、つまりスノッブを諷刺しているわけではないのだ。ディケンズが強調したかったのはその逆のことであった。紳士気取りを笑う時には、偽りなのは、そのスノッブの方で、紳士の実体は確固として揺らぐことはないという、自信がなければならない。ところがディケンズの諷刺は、いわゆる世間の紳士の実体こそが偽りのものであって、マードル氏や社交界のお歴々の方が、獄中のドリット氏に似ているのだ、という指摘にある。こうなると笑ってはいられなくなるだろう。」

「小説『リトル・ドリット』はこうした西欧の近代資本主義に内在する罪を告発し、その自己崩壊の運命を予言しているかのようでもある。」

「先刻全世界は牢獄、全人類は囚人、というのが、小説『リトル・ドリット』のライトモティーフだと言ったが、もっとも恐ろしい牢獄は、(中略)絶望、「死に至る病」ではなかろうか。アーサー・クレナムが破産した後、周囲の人びとの諫言にもかかわらず、自ら監獄に入ろうと躍気になり、入獄してから食事もとろうとしないのは、一つには彼の良心が敏感すぎるからだが、もっと大きな原因はこの近代人の病、死への願望が強かったからだろう。」

「こう考えて行くと、ディケンズの小説は底知らぬ恐ろしさを持った暗い本という気がして来る。」






















































































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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