池内紀 『悪魔の話』 (講談社現代新書)

「村人たちは、たとえば旅廻りのジプシーを魔女だと言いそやして、村境いから入れようとはしなかった。ひとり住いで少し変わり者の女性に魔女だという噂をたてて、何かにつけてのけ者にしてきた。村という共同体の中では、自分たちと違ったふうに生きる生き方があってはならない。自分たちとは違った人間が、この世にいてはならないのだ。」
(池内紀 『悪魔の話』 「小さな町――魔女狩り 2」 より)


池内紀 
『悪魔の話』 

講談社現代新書 1039 

講談社
1991年2月20日 第1刷発行
1993年4月16日 第6刷発行
206p
新書判 並装 カバー
定価600円(本体583円)
装幀: 杉浦康平+赤崎正一



本書「あとがき」より:

「かなりの本を参照したが、ことごとしくあげるまでもない。主なものは文中に訳者・出版社とも記しておいた。(中略)とりわけ私はノーマン・コーンとグリヨ・ド・ジヴリに啓発された。コーンによってヨーロッパの悪霊を社会的に見る手がかりを得た。ジヴリの本を通して、悪魔を楽しむすべを学んだ。」


本文中図版(モノクロ)多数。


池内紀 悪魔の話 01


カバー文:

「現われる時間は夜、好きな色は黒。人に禍(わざわ)いと死をもたらし、宇宙をも破壊しつくすすさまじい力……。
世界の半分を支配する闇の帝王たちが物語るものはなにか?
その誕生から性格、分類、材質まで、「悪魔」の観念が生みだした華麗な精神絵巻をよむ。」



カバーそで文:

「悪魔の総数――カネッティは二つの説をあげている。
一つはすこぶる厳密であって、四四六三万五五六九。もう一つはいたって大ざっぱで、計十一兆。……
まったく別の数字ものこされている。それによれば悪魔には六軍団があって、おのおの六六大隊を擁し、
一大隊はそれぞれ六六六小隊をもち、一小隊は六六六六の悪魔で編成されている。
とすると悪魔の総計は十七億五八〇六万四一七六ということになる。
いかにもこの数は大きすぎるだろう、とジヴリは述べている。
地球上の人口を一五億とすると、人間一人につき悪魔一人の割合すらも上まわる。
海千山千の悪魔相手に、人間はもともと形勢不利だというのに、
数の方でもこうだとしたら、とても対抗できないだろう。
古来、定式とみなされてきた計算法があった。
「ピュタゴラスの数」の六倍、1234321×6=7,405,926 これが悪魔の正確な数だという。
見方にもよるだろうが、ともかく人類を悩ますのに十分な数にちがいない。
――本書より」



目次:

1 サタン紳士録
 夕方、ひとけない通りで
 現代の悪魔紳士
 異種合体のうす気味悪さ
 悪魔のシンボルとしてのヘビ
 醜悪な悪魔像
 前身は天使
 いま、悪魔は

2 悪魔学入門
 世にも恐ろしい絵
 悪魔とは何か
 闇を選ぶか、光を選ぶか
 一元説と二元説
 神はなぜ悪魔を創造したか
 悪魔の分類
 悪魔の名前
 契約は二十年

3 闇の力
 悪魔との記者会見
 総数十一兆?
 悪魔の材質とは
 『神曲』天国篇
 天使語と悪魔語

4 黒と白
 黒ずくめの男
 黒のもつイメージ
 白というフィクション
 ボードレールと黒
 威厳あふれた黒
 紙切れの眩惑
 
5 飛行幻想――魔女狩り 1 
 ドイツの小さな町で
 魔女の乗り物
 「魔男」はいない?
 魔女の香油
 ワルプルギスの夜
 理性が眠る時

6 小さな町――魔女狩り 2 
 魔女狩り市長
 魔女という罪の発明
 テンプル騎士団の「犯罪」
 無から有は生じない
 ヘンゼル・グレーテル神話
 グリム童話の中のファシズム
 テレビと魔女狩り

7 ファウスト博士
 黒魔術師ファウスト
 黄金をつくってほしい
 もっとも完璧な錬金術師
 悪魔がもち出した条件
 二十四年契約
 契約か賭か
 悪魔の黒い魔術

8 不思議博物館
 謎めいた国王、ルドルフ二世
 悪魔とまじわる皇帝
 国王のひそかな楽しみ
 悪魔と論争したルター
 教会の中にも悪魔がいる
 悪魔の家

9 流刑の神々
 神々の悪魔化
 かくれ家に住む神
 追われた神、河童
 ハイネと柳田国男
 神々の衰頽

10 気の好い悪魔たち
 影をなくした男
 悪魔の足あと
 橋造りが得意
 悪魔もヘマをする
 大建造物は神への挑戦
 恩知らずは人間の方
 悪魔も驚く珍品

11 魔除け
 愛の霊薬
 マンドラゴラの根かワニの脳髄か
 媚薬を飲ませる方法
 ゴーレムとオドラデク
 ジャンボ機操縦席のお札
 さまざまな悪魔祓い

12 いたるところに悪魔がいる
 最後の審判
 禁止された闇の王たちの肖像
 グリューネヴァルトの見た闇
 ボスの奇怪な世界
 ゴヤの辛辣な目
 ゴヤの悪夢の世界
 ゴーゴリとロシアの悪霊たち

あとがき



池内紀 悪魔の話 02



◆本書より◆


「サタン紳士録」より:

「このように悪魔は永いあいだ、ひたすら醜悪で、おぞましい存在だった。」
「しかし、これは元来、美しい光の天使ではなかったか。かつては天国の朝に輝く第一天使であり、聖天使のあいだにあって一段と高貴さできこえていた。とすると堕ちた天使、反逆の天使は必ずしも卑しく、醜悪なものとかぎらない。悲しみをたたえ、〈高貴な悪〉の姿をとってあらわれてもいいではないか。」
「マリオ・プラーツによると、悪魔が恐ろしい中世の仮面を取り去るのはミルトンの『失楽園』(一六六七年)にはじまるという。ここにようやく、堕ちたりとはいえ、いまだに大天使の面影をのこした、美しい悪魔が語られた。蒼ざめた頬には懊悩(おうのう)のあとが色濃い。眉の下には不屈の勇気と誇りが漂っている。」
「これは堕ちてなお威厳を失ってはいないのだ。」
「マリオ・プラーツは(中略)ミルトン以来、十九世紀ロマン主義文学につぎつぎあらわれる〈高貴な悪〉の紳士たちをたどり直した。たとえばシラーの『群盗』(一七八一年)の主人公カール・モールは、人品卑しからざる悪党であり、「威風堂々たる怪物」だった。他人に支配されることが我慢ならず、全能の神に決闘を挑んだ悪魔の現代版。」



「悪魔学入門」より:

「悪魔が悪いのは生まれつきのことではないのだ。宇宙に存在するすべてのものと同じように善いものとして創造された。そして天使にふさわしいあらゆる賜物(たまもの)を受けていた。
 それがどうして悪となったのか?
 みずからの自由意志を自由に用いて善でないもの、存在しないものを求めたからだ。非存在へと向かうにしたがい、善であり、存在であり、実存である神からはなれ、空虚に近づく。まるで台風の中心にある「目」のようなものであって、空虚であり同時におそるべき破壊的な力をひめている。」

「「虚(うつろ)なもの」、光と闇の比喩をかりれば、影と闇。」



「闇の力」より:

「かつて私たちのまわりにも、いたるところに闇があった。深い闇があった。山は昼でも暗く、森陰には黒々とした闇が隠れていた。町の通りは暗く、夜の空には満天の星の背後に底知れない闇があった。
 人の住居もまた暗かった。玄関も、座敷も、納戸も、はばかりも、物置きも、屋隅には昼間から闇がひそんでいた。とっぷり日が昏(く)れると、たちまち墨を流したような一面の闇につつまれた。
 闇の中には何がいただろう? そこにはあきらかに死者がいた。見えない死者の群れがいた。暗い通りや、玄関や、庭をとおり抜けるとき、私たちは子ども心に、何よりも死者を思った。死者を連想し、死の観念におびえて足がすくんだ。」
「私たちのまわりから闇が追い払われてすでに久しい。いまやどこもかしこも眩しいばかりに明るいのだ。」
「闇を駆逐した。ついては私たちは、同時に何かも喪失したのではあるまいか。ひそかに生者を見はっていた死者の群れ。死の観念を失った。死にしたしまずして、どうして生を尊重できるだろう。外界の闇はまた、自分のなかの闇の部分の警告ではなかったか。息を殺して自分のなかにひそんでいる黒々とした悪の部分。おのれのなかの悪を知らずして、どうしてこの世の悪が識別できようか。おそかれ早かれ私たちは駆逐したはずの闇の力の報復を受けるにちがいない。」



「黒と白」より:

「いかにも悪魔は比喩(アレゴリー)によって、たとえば蛇や竜や豚や山羊や獅子や鷲などによって表わされ、下等な、軽蔑すべきものであったが、と同時に(中略)意味が百八十度逆転して、とりわけ価値の高いもの、神的なものそれ自体をさえあらわす比喩に転じる。ユング流にいえば、こうである。
 「そして変容とはまさしく、最も低きものから最も高きものへの、動物的で太古的(アルカイック)な幼児性から神秘的な『ホモ・マクシムス(最高の人間)』への変容に他ならないのである」(池田紘一・鎌田道生訳)
 これはまさしく悪魔たちの変身原理でもあるだろう。そういえばボードレールは巧みにこの原理を応用してサタンへの祈りを書いた。」

「おお「天使」らのうちで最も博識にして最も美しき者よ
 運命に裏切られ ほめ歌を捧げられなくなった神よ

 これが長い連祷のはじまり。あいまに「おお サタンよ、わが長き悲惨を憐み給え!」のリフレーンがくり返される。
 『悪の華』の詩人にとってサタンは「流謫(るたく)の王者」であり、不当におとしめられた者であって、敗れてもつねに倍する力をもって再び立ち上がる。すべてを知る故に、むしろ万物の王たる者、人類のかずかずの苦悩を親しく癒(いや)してくれるのである。父なる神が、「その黒き怒り」のおもむくままに地上の楽園から追い出した者たちの庇護者であった。
 「祈り」と銘打たれたしめくくりの前半三行。
 
  栄光あれ たたえられてあれ、サタンよ、かつて君臨した
  「天」の高みにおいても、また、いま、事やぶれて、
  沈黙のうちに夢想にふける、「地獄」の深みにおいても!」」



「気の好い悪魔たち」より:

「パリに近いサン=クルーの町に伝わる話によると、いくつものアーチをもった石の橋を造るのに人々が難儀していたところ、悪魔が助力を申し出てきた。返礼として、最初に橋をわたる者の魂をいただく。美しい橋が完成したとき、町の住人たちは相談のあげく、まっ先きって一匹の黒猫をわたらせた。いっぱい食ったことに気がついたが、もはやせんかたない。悪魔は歯がみしつつ、黒猫を抱いて立ち去ったというが、十九世紀の民衆画では、司教杖をもった橋の守護聖人から黒猫を手わたされ、目をつりあげ、牙をむき出してくやしがっている悪魔の姿が描かれている。」



こちらもご参照下さい:

松山巖 『乱歩と東京』 (PARCO PICTURE BACKS)
ノーマン・コーン 『魔女狩りの社会史 ― ヨーロッパの内なる悪霊』 山本通 訳







































































































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