A・v・フォイエルバッハ 『カスパー・ハウザー』 西村克彦 訳 (福武文庫)

「カスパーは、何時間でもストーブのそばに坐って木馬と遊んでいまして、自分の周囲におこっていることがらには少しも留意しませんでした」
(A・v・フォイエルバッハ 『カスパー・ハウザー』 より)


A・v・フォイエルバッハ 
『カスパー・ハウザー』 
西村克彦 訳
 
福武文庫 フ 1201 

福武書店
1991年7月12日 第1刷印刷
1991年7月15日 第1刷発行
196p
文庫判 並装 カバー
定価450円(本体437円)
装丁: 菊地信義


「初出――「Law School」(立花書房)一二号~二八号(一九七九年九月~一九八一年一月)に連載。」



本書「序文にかえて」より:

「本書は、ドイツの刑法家フォイエルバッハが一八三二年に刊行したつぎの書物の本文および脚註の完訳である――Kaspar Hauser, Beispiel eines Verbrechens am Seelenleben des Menschen, von Anselm Ritter von Feuerbach, Ansbach, bei I. M. Dollfuß, 1832. ただし、文章の段落を増やし、各章の見出しをつけてみた。」


フォイエルバッハ カスパーハウザー 01


カバー裏文:

「1828年、聖霊降誕祭のさなか、奇妙な野良着姿の少年がニュルンベルクの町に忽然と現れた。歩くのもままならず、満足に話すこともできない、その特異な言動は様々な憶測をよぶ――。“近代刑法学の父”が生涯最後に遺した、謎に満ちた観察記録は、ヨーロッパ中の関心を引き起こし、今日まで二千以上の文献を生んだ。原著からの本邦初完訳。」


目次:

序文にかえて――フォイエルバッハについて (西村克彦)

カスパー・ハウザー――人間の精神生活に対する犯罪の一例
 一 奇妙な少年の出現
 二 少年の身体に見られた特徴
 三 塔に閉じこめられていた当時
 四 野生児か犯罪の被害者か
 五 他人や自然に対する経験
 六 少年の異常な知覚や能力
 七 暗殺の被害者としての少年
 八 著者の好意とその限界

訳者あとがき 
解説――カスパー・ハウザー受容史 (山下武)



フォイエルバッハ カスパーハウザー 02



◆本書より◆


「奇妙な少年の出現」より:

「彼の様子やすべての動作は、青年の身体でありながら、まるで二歳か三歳にも満たない幼児であった。大多数の警官のあいだでは、この男を白痴もしくは狂人とみるか、それとも半野蛮人とみるか、という点だけで意見がわかれた。ところが一人か二人は、こんな子供のふりをしていて実は巧妙な詐欺師である、ということも十分ありうることだと考えた。」


「塔に閉じこめられていた当時」より:

「白痴か狂人のようでいて、しかも温和で従順で善良なところが多いので、この他所(よそ)者を野蛮人だとか、森の中で野獣に育てられた子供だといっても、誰も信じる者はなかった。何といっても彼には(中略)、言葉と概念が欠けていて、(中略)万事に無関心で、生活上の慣習や便宜や欲求に対しては嫌悪の情を示しており、そのため、彼の精神的・道徳的・身体的な存在の全体において異常な特色を示していたのである。
 だから人びとが彼のことを、何かの不思議で地球にやってきた他の遊星の住人だと考えるべきか、それとも、地下で生れ育てられて成熟年齢に達したときにはじめて地上に出て太陽の光に接したという、プラトンの書物に出てくる人間だと考えるべきか、という選択をせまられていると思ったのも無理はなかった。
 カスパーは、つねに、バターをつけないただのパンと水のほかは、すべての飲食物に対して大変な嫌悪の意思を示していた。」

「最初の数日と数週間のあいだにカスパーにみられた多くの驚くべき現象の中でも、「馬」というもの、ことに「木馬」という表象が、彼には少なからぬ意味をもっているにちがいない、ということがわかった。(中略)この言葉を、いろいろな機会や対象について最も頻繁に口にしたのだが、しかも多くの場合、涙をながしながら哀願するような調子であって、まるで、それによって何か特定の馬に対するあこがれを示しているかのようだった。」

「カスパーは、(中略)毎日、警察の詰所に連行され、騒音と混雑の中でいつも一日のかなりの部分をそこで送るのであった。」
「ある日、青年であると同時に幼児でもあるこのめずらしい男をもっともよく世話してくれていた憲兵の一人が、詰所に白い木馬をもってきてやったらどうかということを思いついた。
 それまでは無感覚か無関心か、または、そしらぬふりをするか、しょげているように見えたカスパーが、この木馬を一見すると突如として人が変わったようになり、まるで待ちこがれていた旧友に再会したかのような態度になった。大げさな喜びは示さなくても、泣き笑いをしながら、木馬のそばにいざりよって、なでたりたたいたりしながらこれを見つめていたが、それから、人びとの好意によって贈られたいろいろな小物――色がさまざまのもの、キラキラするもの、音を立てるもの――を、みんなその木馬にぶらさげようとした。それらの品物はみな、それで馬をかざることによって、はじめて彼にとっての真価を獲得したかのようである。」
「その後も彼は詰所に来るたびごとに、周囲の人たちには少しもかまわず、すぐに愛馬のそばに坐るのだった。憲兵の一人は、警察での供述や、のちには裁判所での供述で、「カスパーは、何時間でもストーブのそばに坐って木馬と遊んでいまして、自分の周囲におこっていることがらには少しも留意しませんでした」と語っている。」

「子供がやがて大人になるということを、どこまでも理解しようとせず、彼じしんも以前は子供だったし、多分いまよりもまだまだ大きくなるのだといって、人がうけあうと、きわめて頑強に否定するのだった。」



「他人や自然に対する経験」より:

「たとえば「山」という言葉は、彼にとっては、盛りあがったものとか、高くなったものに何でも通用するので、ある肥満漢のことを、「大きな山をもっている人」と言ったことがある。また、ショーrうがさがってその端を床に引きずっている婦人のことを、「きれいな尾をもっている女」と言った。」

「この少年について最も驚くべく、まったく説明のつかないのは、偏執的といえるほど秩序と清潔を愛することであった。その小さな家の中にある無数の物に、それぞれ定位置があって、きちんとまとめられ、注意ぶかく並べられ、整然と配列されていること、などがそれである。不潔なこと、あるいは不潔と考えることは、彼にとっても他人にとっても嫌悪すべきものだった。」



「少年の異常な知覚や能力」より:

「人や動物の形をしたものは、石像であろうと木彫りであろうと、はたまた絵に描かれたものであろうと、彼の考えでは、あくまで生きものであり、自分じしんとか他の生物に認めた特質をすべてそなえているのであった。街の人家に描かれたり刻みこまれたりしている馬や一角獣や駝鳥などが、いつまでも一定の位置から動かずにいることが、彼には不思議でならなかった。」
「セバルドス教会の外側にかかっている、ファイト・シュトース作の大きなキリスト磔刑像をはじめて見たときには、そのことで恐怖と苦痛が生じた。彼は、あそこで苦しめられている男を降ろしてやってくれと哀願し、あれは本物の人間ではなくて像にすぎないから、何も感じてはいないのだと説明しようとしても、なかなか納得しようとはしなかった。
 どんな物の動きであろうと彼の認めたものは、彼からみれば自発的な動きであり、その動きのあらわれである事物は、生きているものであった。
 風に吹きとばされる紙は、机の上から立ち去ったものである。坂の上からころがり降りる乳母車は、自分で高所から降りてゆくのを楽しみにしている、というわけである。
 木が枝や葉を動かしているのは、生きていることを知らせているのだし、木の葉が風に揺れて音を立てているのは、木が話しかけているのである。ある子供が一本の木の幹を棒でたたいたときには、木をいためつけているといって、不快の念をあらわしたものである。」

「よく晴れた夏の夜、先生がはじめて星空を見せた(中略)。そのときの彼の驚きと狂喜のさまは、筆舌につくしうるものではなかった。見ていて飽きることがなく、何度もそれを眺めかえしたのだが、そのさい、いろいろな星座を正しく見てとって、とくに明るい星については、その色のちがいにまで注目した。「あれは私が世間で見たものの中でいちばん美しいものだ。しかし、こんなに沢山のきれいな灯を、誰があそこにかかげたのか? 誰が灯をつけ、誰が消すのか?」とさけんだ。」

「すべての感覚の中でも最も彼をこまらせ、苦痛をあたえ、他の何ものにもまして世間での生活を拷問のようにしたのは、嗅覚であった。私たちには匂いのないものが、彼にはそうではなく、たとえばバラの花のようにすばらし香りも、彼には悪臭であるか、そうでなくても神経をいためつけた。」
「あらゆる匂いが、多かれ少なかれ彼のきらいなものであった。どんな匂いがいちばん好きかとたずねられると、「好きなものなどありはしない」と答えたものである。」
「私たちが悪臭のする物と称するものは、彼には、私たちが芳香を感ずる物ほどには不快に感じられなかったようである。たとえば、ポマードよりは猫の糞のほうが頭痛をおこさせる程度が少ないから、それなら嗅いでもよいといい、オーデコロンとか香料入りのチョコレートにくらべたら、どんな糞でもまだましなほうだというのである。新しい肉の匂いは、彼のいちばんおそれたもので、猫の糞とか棒鱈(ぼうだら)の匂いのほうが、まだしも彼には堪えられるのであった。」

「彼の魂は、子供らしい温和さにみちていて、虫や蠅を殺すことができず、まして人間を傷つけることなど思いもよらず、それは、天使の魂にみられる永遠なるものの輝きのように、あらゆる関係において清浄潔白なものであった。」

「彼は、かなり長いあいだ、医師と牧師という二つの身分階層に対して、おさえることのできない嫌悪感をいだいていた。医師がきらいなのは、「いやらしい薬を処方し、そのために人を病気にするから」であり、牧師がきらいなのは、彼を不安がらせ、わけのわからない証拠――これは彼の表現だが――によって頭を混乱させるからであった。」



「著者の好意とその限界」より:

「おだやかで、やさしく、だらしない傾向もなければ、はげしい感情を見せないのだから、いつも変らず静かな彼の情動は、月夜の静寂の中で鏡のように波の立たない湖面にも似ている。動物をいためつけることができず、虫に対してもあわれみが深くて、これを踏みつけることをおそれ、その点では臆病なくらい気が弱いのである。そのくせ、いったん立案して正しいものと認めた計画を主張し貫徹すべき段になるやいなや、自分の思うとおりに、前後をかえりみず、仮借なきまでに行動するであろう。逆境に置かれていると感ずると、じっくり辛抱して、沈黙を守り、厄介な事態は避けて通るか、さもなければ、おだやかな抗議によって事態を変更させようとするだろう。
 しかし結局は、どうにもならないとわかれば、その機会がおとずれ次第、そのような束縛からはさっぱりと脱却するであろうが、そのことで自分を苦しめた相手を恨むことはしないのである。
 従順で、人の言うことをよく聞くのだが、自分に不当な責任をなすりつけるか、自分が偽と考えることがらを真だと主張するような人は、彼が単なる好意とかその他の配慮から、その不正とか偽を甘受するものとは期待しないほうがよい。控え目な態度はしていても、必ず確固として自己の権利をゆずらないであろうが、万一、その他人が彼に対して頑固に自説を主張するようなときは、黙ってその場を去るであろう。」
「彼には祖国がなく、両親も親戚もいない。いわば、その類としては唯一の生物である。いつでも思い出されるのは、うるさく押しかける世間の人たちのただ中での孤独、無力と弱さ、自分の運命を支配する状況というものの力に対して、自分はどうすることもできないこと(中略)である。
 だからこそ、彼が人を見る眼はこえていて、いわば自己防衛の形をとっているのだし、周囲を見る眼光がするどくて、他人の特質と弱点をすばやくつかむのである。」



「解説」(山下武)より:

「ヤコブ・ヴァッサーマンの長篇小説『カスパー・ハウザー――または心の惰性』(一九〇八年)(中略)は今日に至るも邦訳がなく、(中略)当然ながら、小説化するにあたって彼は相当大胆な脚色を行なっている模様だ。その第一が、クララ・アンナヴルフ夫人なる女性の登場である。事実、主人公のカスパー以外、小説中の登場人物のうち最も作者が同情を以て書いているのがこの女性で、最後に狂える彼女はカスパーの記念碑の建立に参集した一同にむかい、「人殺し!」と叫ぶ。カスパーは刺客に殺されたのではなく、無理解な社会が彼を殺したというのだ。それは他人の猜疑の眼(まなこ)や社会復帰の強制によって傷付いたカスパーの語る、「それ以上僕は何もいらない。ベッドは世の中で一番良い物であり、それ以外のすべてのものは悪い」――という、小説中の言葉によっても明らかではないだろうか。彼にとっては、“無菌状態”に置かれた地下牢の方が却って幸せだったかもしれないのである。」
「一九七九年(中略)秋には(中略)ウェルナー・ヘルツォーク監督の「カスパー・ハウザーの謎」(中略)が都内各所で上映された。(中略)カスパー役に起用されたブルーノ・Sは職業俳優ではなく、施設を転々とし、誤って精神病院にも入れられたことがあるという。殊更このような特異な人物を起用したヘルツォークの意図が、自然児カスパーを調教して社会秩序の鋳型に無理矢理はめこもうとした社会に対する抗議にあることは明らかだ。」
「ペーター・ハントケも「カスパー」と題した前衛的な戯曲を一九六七年に書き、一九八四年に邦訳が(中略)刊行された。しかし、主人公のカスパーはこの難解な前衛劇の素材であるに過ぎず、もっぱら現代という時代を象徴する一個の犠牲者(中略)として登場する。(中略)社会によって情報を詰めこまれ、他人と同じように喋る人間につくられていく「ことばの拷問劇」――それがハントケの「カスパー」にほかならない。「ぼくは社会という牢獄の囚人、牢獄ことばを復唱する哀れな道化師だ」(龍田八百訳)と訴えるカスパー。」
「かつて、フォイエルバッハはカスパー・ハウザーと名乗る不幸な少年に対してなされたこの犯罪が、「人類残酷史のなかでも空前」の「精神生活に対する犯罪」に当るとして告発したが、現代に呼吸するわれわれ自身もまたこの種の「犯罪」の犠牲者だとすれば、何たる皮肉であろうか。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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