来嶋靖生 編 『東海道品川宿 ― 岩本素白随筆集』 (ウェッジ文庫)

「古風というものは、不便なものだがまた嬉しいもので、もし変に古い格を振り廻されては堪らないが、つつましく昔を守っているのは善いものである。」
(岩本素白 「東海道品川宿(一)」 より)


来嶋靖生 編 
『東海道品川宿
― 岩本素白随筆集』
 
ウェッジ文庫 い 005-1

ウェッジ
2007年12月28日 第1刷発行
233p 「編集付記」1p
文庫判 並装 カバー 
定価700円(本体667円)
装丁: 上野かおる



本書収録随筆中、平凡社ライブラリー版と重複しているのは「ゆく雲」「壷」(『素白随筆集』)、「こわれ物」「母校」「鳥居坂時代」「歌人長嘯子」(『素白随筆遺珠・学芸文集』)の六篇であります。


素白 東海道品川宿


帯文:

「随筆の
精髄
ここにあり――。

少年の日の
耳目にふれた光景を
細やかに写しとる
静謐な筆致。
多くの文人に愛読された
素白の随筆は
失われた明治の面影を伝え、
庶民の心の襞に
つつましく分け入る。」



カバー裏文:

「晴れた日は、愛用の杖を携えて、人知らぬ裏町や寒駅を飄然と散策する。雨の日は、皿や茶碗を撫でたり眺めたりして日を過ごす。
 「人というものは「愛する心」を失わないうちは、いかなる境遇にも堪えて行かれるものなのである。人に対しても物に対しても、また自然に対しても――」
 傑作「東海道品川宿」を中心に近代随筆の最高峰と謳われた素白随筆を精選する。」



目次:

序の章
 ゆく雲 (昭和10年1~3月)

Ⅰの章
 東海道品川宿(一~十三) (昭和33年7月~35年11月)
 素湯のような話――南駅余情序章 (昭和28年1月)
 晩春夜話――南駅余情一 (昭和28年6月)
 こがらし――南駅余情二 (昭和29年1月)
 板橋夜話一――南駅余情三 (昭和30年1月)
 板橋夜話二――南駅余情四 (昭和30年4月)
 怡々草堂夜話――唐棧 (昭和36年1月)
 神府開帳 (昭和36年7月)
 女首蛇身像――神府開帳二 (昭和36年8月)

Ⅱの章
 素白夜話――逸題 (昭和33年2月)
 壷
 こわれ物 (昭和22年1月)
 母校 (昭和29年5月)
 鳥居坂時代 (昭和30年2月)

Ⅲの章
 歌人長嘯子 (昭和23年6月)
 日本文学に於ける漫画の創始 (昭和21年1月)

岩本素白略年譜
解説 (来嶋靖生)




◆本書より◆


「東海道品川宿(三)」より:

「まだ今一つ、更に陰惨を極めたことは、丁度この近くと思われる辺に「投げ込み寺」があったらしいことである。投げ込みというのは大きな穴を掘って、乞食の死んだのや行き倒れなど、哀れな無縁の仏の足に札を附けて投げ込んだのである。土を掛けて埋めてしまったのではなく、深い穴の中へ上から次ぎ次ぎ放り込んで、ただ仮りの屋根のような物で蔽ってあったのだという。(中略)私のような幼い時には薄ぼんやりした子供であり、長じては唐変木(とうへんぼく)、朴念仁(ぼくねんじん)、で通って来た者でも、世の中と人の上とをほんの少し目を据えて観ると、ことごとく裏があり奥があり底があって、ほじくり返し切れず、またさらけ出してはやり切れないものがある。それを人々はただ利害の為に或はまた臆病や遠慮の為に綺麗ごとに済ませて置くに過ぎない。世間で遣り手と云われて成功している人物は、まことにかの遣り手婆ァの如く強慾でわる知恵が廻って手前勝手であり、またすべての力の前に押しひしがれている人々は、かの哀れな遊女たちの如く弱く果敢(はか)なく浮ぶ瀬も立つ瀬もなくて、運のわるい者はやがて投げ込み寺の穴の中へ放り込まれるのである。私は少年時代にふと耳にし、大変な世界もあるものだと驚きもし悲しみもした一二の事を記して置こう。
 客の扱いが悪いといって綿にくるんだ棒で叩かれた遊女達があったという。手が無い腕が無いという見せしめに、大勢の人の目につく冷たい長廊下の正面に、額に塵紙を張られて坐らせられた遊女達があったという。更けて時ならぬ夜食の菜(さい)に、菜漬けの香の物を煮て食う遊女達があったという。然しそれは未だしも、ふて腐って梯子段の上から立ちながら小便を垂れて、しかも、したい時にするのは小便ばかりと叫んでいた女があったというに至っては、これを単にあばずれ、ばくれん、落ちた女の果てとだけ云うべきではないであろう。言葉の卑陋(ひろう)極まる中に限りない悲痛絶望の声が聞かれるのである。これらの不幸な女達の、更に一層不幸であった者たちは、死んでもこの投げ込み寺の穴の底深く、腐れ爛(ただ)れてその骨さえ跡形もなく土に化してしまっているのである。然しこれは単に哀れな遊女たちの上だけのことではない。今日でも弱者、劣者、敗者の上にも続くものである。人は空を飛び星を造る時代になったが、人が単に人に勝とうとし、人が単に他を越えようとする心を捨て得ぬ限り、世界は何時まで経っても幸福にはなり得ないであろう。いろいろ尤(もっと)もらしい、また美しい理窟は附けるが、大方の人の好み求めるところは、結局名と利との二つに帰する。(中略)そうして世間はこの二つを得た者を優れた人、賢い者と呼ぶ。東洋の教えの中には、人は愚かになれということを強く主張しているものがあるが、さて人間、利口らしくはなり得るが、愚かにはなり得ないものである。
 昔から遊惰と淫蕩と悪徳とに縁の深いこの町にも平凡で愚直で、名も知られず金も積まず、碌々(ろくろく)として生を終えた善良な人々が沢山いた。(中略)世に名の聞え財を積んだ人々の為には、石に刻んだ頌徳(しょうとく)の碑があり、本になり紙に記した功績の伝えがあるが、私はこれらと違った凡庸善良な人々の為に聊(いささ)か蕪雑(ぶざつ)な文字を連ねて、その「愚かな徳」を頌したいと思う。」
































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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