岩本素白 『素白随筆遺珠・学芸文集』 (平凡社ライブラリー)

「現実とは狭い小さい世界を意味して居ない。詩と夢と空想とみな総べて其の中に在る現実である。こういう考え方はまた相異なる二つの物を一つにしようとする考え方である。」
(岩本素白 「日本文学に於ける詩精神と散文精神の交流」 より)


岩本素白 
『素白随筆遺珠・
学芸文集』
 
平凡社ライブラリー 669/い-31-2

平凡社
2009年5月11日 初版第1刷発行
454p
B6変型判(16.0cm) 並装 カバー
定価1,700円(税別)
装幀: 中垣信夫


「本書は、『岩本素白全集』第二巻、第三巻(一九七五年、春秋社刊)を底本としました。」



本書「解説」より:

「ここには随筆三十四篇、論文七篇、および講演一つが収めてある。」


素白随筆遺珠 学芸文集


カバー裏文:

「私はいつも独りで歩く。
気が向けばふらりと机を離れて杖を取る。
朝も夕も、月の晩には更けても出る。
旅と名を付けて善いかも知れぬ三日四日、
七日八日の泊りにも、
気分の上からは夕方の散歩のようにして出る。
…………(本文より)」



目次:

素白随筆遺珠
 早春
 研ぎ
 憶い出――染谷進君を悼む
 微恙
 再び散文へ
 こわれ物
 初秋の夜
 古祠
 山里
 ある晩の話
 まぼろし
 職人
 歌人長嘯子
 逸題
 筑波
 新樹の頃
 板橋だより
 向島
 孤杖飄然
 母校
 鳥居坂時代
 関西の春を恋う
 追憶――近藤潤治郎先生のこと
 野の墓
 独り行く
 白子の宿――独り行く、二
 石を探した話
 狂多くして
 小御門――狂多くして、二
 湯治場の話
 瑣事一二
 街頭山水
 ある海辺の朝
 靴の音

日本文学の写実精神
 はしがき
 日本文学の写実精神
 日本文学に於ける詩精神と散文精神の交流
 歌物語以前の写実的短篇
 古民謡の味
 清少納言の作物と其の都人的特殊性
 徒然草談義
 挙白集を語る
 国文学に於ける随筆の地位と其の特質

解説――遠眼鏡の風景 (池内紀)




◆本書より◆


「研ぎ」より:

「其処には二間間口(にけんまぐち)に硝子戸をはめて、何時(いつ)も店さきには、五十余りの中爺さんが片肩脱(かたかたぬ)ぎで刀を砥石(といし)に懸けて居る家であった。大方の子供と同じように刃物の好きな私は、いつも其の前を通る時はきっと立止って、硝子障子越しに青白い光を蜿(うね)らせる、細長い生き物のような白刃を眺めるのである。」


「微恙」より:

「然しこういう町の姿は何処にも有りふれた景色である。それをこうして珍しく一々思い浮べて居るということも、一生を動かずに都会で暮してしまって、たまさかの機会にも旅へ出ることを面倒にして居た私だからであろう。都会に育ったので気軽のようではあり、実際また気軽なところも多分にあるのだが、根は何事によらず億劫がりの私は、一(ひ)と頃流行(はや)り物のようにさえなって、人々の騒いだ疎開もつい手遅れになってしまった。勿論地方に親類も縁者も無かったからではあるが、動こうにも何代持てあまして来たがらくたと、年中机にばかりに倚って居る私の年々に殖える書冊と、それを眺めて嘆息ばかりして居るうちに、山の手の林の中のような私の家にも、空から焰の雨が降って来たのである。何事にも一生物を徹して遣(や)った事のない私に、皮肉な事にもこれだけは徹底的にやって来て、家も家財も書物も何も彼(か)も尽(ことごと)く灰燼に帰したのである。あとからは批評も非難もされる事ではあるが、人間というものは結局自分の性分や性癖以外には何とも動きようのないものである。私の歩いて来た跡を振り返って見ても、したい事を十分しえなかった事は有るとしても、したくない事はしずに来たといってよい。少くとも人を煩わす事や物を頼む事や交渉ごと、奔走ごと、それらはみんな私には苦手(にがて)である。疎開という事も一応考えはしたのだが、結局手遅れになって出来なかったのは、出来ないのではなくて、どうにもそれをするのが厭であったからと云った方がよい。」


「こわれ物」より:

「私は暇な時は河原へ出て、石ころを拾っても楽しめるし、色々種類のある草葺屋根の形を見て歩いても愉しめる馬鹿な性分を持った男だが、寂しい田舎に居て本を持たない今、雨の日は一寸困る。そういう日は、戸棚も無くて汚ない古箱の上に並べてあるこのようなこわれ物を手に取って、撫でて見たり眺めたりして日を過ごすのである。こわれ物は丈夫な物より美しい。人というものは「愛する心」を失わない中(うち)は、如何なる境遇にも堪えて行かれるものである。」


「古祠」より:

「人間ばかりではなく、神や仏でも流行って人気の有り過ぎるのは、俗気が伴って面白くない。少し寂びれて居たり、知られずに居る方が、有難いような気持がする。」
「今、戦が済んで大方の都市は焦土となり、混乱と不安の極(きわ)みの末に、次ぎ次ぎと大きな変革が起りつつある。用いられるもの捨てられる者、挙げられるもの貶(おと)される者、世の中は眼を見張るような事ばかりである。転変は人の身の上ばかりではなく、神も仏も堂宮(どうみや)を亡くしたり信者を失ったり、衰亡の道を辿るのも有れば、これを機会に利口な所謂宗教家と称する者に担(かつ)がれて、人気を集めるものも有ろう。
 然し又、今から永い「時」が経って、それが衰え寂びれた、と云おうより、本然の静かな姿にかえった時、又私のような妙な男が遣って来て、古い昔の跡を尋ね、俗信でもなく、又所謂信仰というものでもなく、頭を下げ、賽銭を上げて、唯無心に花の開落を眺めるように、静かにそれを眺めるであろう。」



「山里」より:

「本も無い机も無い私は、ともすると外へ出たが、山や川の眺めにも飽きると、町に続いている草屋根の形を見て歩いた。それは実に美しい曲線と切り口との連続で、私の眼と心とを楽しませた。二階造りの草葺きの家は殊に面白かった。昔少しばかり絵を描いていた妻に、私はその形の面白さを説明して聞かせるような事もあった。近くの森の社(やしろ)の額(がく)も面白かったし、その古い鈴の色も美しかった。それでも時には所在のないような日もあって、川へ行く道で拾って来た石を、何時までも眺めているような事があった。」


「ある晩の話」:

「「坊さんと蛇と武芸者の話を知っておいでですか。」「いいえ、知りません。」「話しましょうか。」「どうぞ。」――実際はこんなにすらすら言葉の受け渡しをしていたわけではない。話す人はせっかちで、こちらは間の抜けた受け答えをしていたのである。何の話の続きからか、殺気(さっき)という話になっていたのである。
 「坊さんと武芸者が話をしていたのです。すると蛇が一匹するすると出て来て、その間を突っ切って行きたいように近寄って来ました。坊さんも武芸者も気がついて、その蛇を見ました。しかし二人ともだまっていると、蛇は首をもちゃげて、少しためらっているようでしたが、そのまま静かに坊さんの膝の上を通って、庭の方へ出てしまった。――という話なのです。」
 「なるほど――武芸者の方からは今いう殺気が出ていたということなのですね。その武芸者は宮本武蔵というところでしょうが、僕が坊さんだと飛上って逃げてしまいますね。ハゝゝゝ――」
 「今の話はまあ要するに、かたにはいった一つの話なのでしょうが、私の郷里のお寺にはほんとの話があります――」
 「やっぱり殺気の話ですか。」
 「いいえ、殺気じゃありません――そこの坊さんは名僧でもなんでもないんですが、いつも静かに本を読んでいると、よく小鳥が座敷へ入って来るそうです。そして時によると、いつまでも座敷の中で遊んでいることがあるそうです。ところが奥さんがいると決してはいって来ない。どんなに静かにしている時でも来ない。来てもすぐ飛んで行ってしまう、というのです。」
 「奥さんから殺気が出るわけでもないでしょうがね――」
 「そこである時、それをいいましたら、そのお坊さんは笑って――でもお前はお布施(ふせ)を開けて見るから駄目だよ――といったそうです。」
 「なるほど、殺気じゃなくって欲気(よくけ)があるというのですね。こりゃ誰にもある。しかしその坊さん、ほんとに欲のない人だったのですか――」
 「ええ、なかったそうです。何も修身の教科書みたいな人じゃなかったのでしょうが、まるでとんじゃくしなかった人だそうです。この話を私にした人も、その坊さんの血すじを受けた人でしたが、やっぱり大へん淡白な人です。」
 「殺気と欲気がなければ世界は平和なのですがね。僕なんかまだ蛇にも小鳥にも逃げられるほうです。」
 そとはよい月夜だったが、庭には余り樹や竹が茂っているので、窓の所は暗かった。茂みの中でカサリとかすかな音がした。私はその方を見た。」



「まぼろし」より:

「私は愚かな性分で、つまらぬ事にはとやかくと気を揉(も)んで見るが、大きな事になると自分ながら案外暢(の)ん気(き)で居られるたちである。暢ん気というよりは、始末がつかないので泰然として居るのかも知れない。然しそれは、何とかなるだろうという希望に似た気持と、何とでもなれという捨てて掛かった気持との、何とも不思議な交錯であった。」


「職人」:

「知り合いの古泉さんが、手頃のあき地を見付けて自分の家を建て始めた。遠くない所なので、私も散歩の往き返りなどには寄って見る事があった。殆ど廃寺のようになって居た寺地の続きで、山の手とは云いながら、東京にもこんな所が残って居たかと思われる程、静かな所であった。古泉さんは大した学歴などは無い人だが、古くから或る省の属官をして居て、永い借家生活から今度ともかくも自分の家が出来ると云うので、如何にも楽しいらしく、休みの日などは何時も普請場(ふしんば)へ来て居た。
 折々行って見て居る中に、家は段々出来て行って、家根(やね)にはもう瓦が乗ってしまった。左官が這入って壁を塗るようになってから、その左官の親方というのに注意が引かれた。或る場所は中塗りが乾いて、上塗りをする頃であったが、又別の所の中塗りに使うのであろう、どぶ川の底のようなべとべとした土に、すさという細かく刻んだ藁を入れて、土こねの男が長い柄の鍬でこね返して居た。それはもう六十過ぎの親爺であったが、親方と云うのは五十過ぎの痩ぎすの男で、何とも神経質らしい、実に口八釜(くちやかま)しく絶えず小言ばかり云って居る男であった。
 おいおい、そんなに一ぺんに水を入れてしまっちゃ仕様(しよう)が無(ね)えじやねエか、間抜けだな――もっとこっちへ体を寄せるんだ、そんな風にして居ちゃア其処を通る大工さん達の邪魔だアな、どじな親爺ったら有りゃしねエ。
 親方はこんな風に、口汚くがみがみ云うのだが、土こねの親爺は反抗する風もなく、水鼻をすすりながら体の向きを少し変えて、頻りに土をこねて居た。背の高い、体の大きい親爺で、洗い洒(ざら)継ぎの当った股引を膝の上まで捲(まく)り上げて、膝から下は泥まみれになって居た。
 そんな事っちゃ駄目だよ、ちょいと其の鍬を貸して見ねエ、ナほれ、こんな塩梅(あんべえ)しきにやるんだ、お前(め)エのアまるで擂子木(すりこぎ)で味噌でも摺ってるようだ、無器用ったら有りゃしねエ。
 其ののべつに云う口小言(くちこごと)は可笑(おか)しい程であった。丁度(ちょうど)古泉さんも来合せて居る時で、にやにや笑って聞いて居たが、親方が向うへ行ったあとで
 あの親方の口汚いのは仲間でも評判で、何処へ行っても一日中ああだそうです。職人を叱り散らす程、好い腕でも無いのだそうですが、それでも職人のあたまをはねて親方でやって行くんですね。
 そう云って古泉さんは笑った。それから幾日か経った。春も深くなる頃で、庭になるところの隅に生えて居る連翹(れんぎょう)も盛りを過ぎたまま、陽に輝いて其処を明るくして居た。或日散歩の出がけに寄って見ると、三時過ぎの柔かな日射しの中に、安普請ではあるが新しく出来た五ツ間ばかりの小家が、何かういういしいような姿をして建って居た。例の左官の親方が来て居て、家根(やね)の下り棟(むね)の瓦の間を鼠色の土で堅めて居たが、相変らず口小言の百万陀羅(ひゃくまんだら)で、それを例の通り土こねの親爺が一手に引受けて居た。
 手馴れた洋杖(ステッキ)を振りながら、近所を一と廻りして帰りに又寄って見ると、玄関のところに梯子(はしご)が架(か)かって居て、そっと見ると其の下に一足の草履が脱いであった。少し穿(は)き崩(くず)した物ではあったが、新しい時にはりゅうとした物であったらしく、酷(ひど)く贅沢な鼻緒がすがって居た。誰が登って居るのかと見上げると、丁度正面の棟瓦(むねがわら)のところに、しがみ付くようになって、何かやって居る男が居た。向うの方から来た古泉さんが近寄って来て、さっき親方の弟だというのがぶらりと遊びに来て、あそこを自分に遣(や)らせろと云って、代りに上って居るのだが、何か細工をして居るらしい。そうして親方は、弟を代りに置いて帰ってしまったと云うのである。暫く見て居るうちに、その男は鏝(こて)を持って下りて来た。そう古くない印半纏(しるしばんてん)を着て、小意気な八端(はったん)の三尺(さんじゃく)を締め、白足袋を穿いた四十がらみの小肥りの男で、弟だというが余り親方には似て居ない。古泉さんも私も一緒にその棟瓦のところを見上げると、其処には実に器用な鏝細工で立つ浪が彫ってあった。ウムこりゃ旨(うま)いものだと古泉さんが云う。捲き返した浪がしらの工合は、古泉さんの云う、旨いもんだどころではないのである。
 旦那、何か縄か紐は有りませんかね、序(ついで)だ、おまけとして鉢前のところをこしらえて上げますよ、手水場(ちょうずば)の水を流すところだ、どうせ請負い仕事で、兄貴はそんな事まではしますまいからね、この棟瓦のところだって飾りなしのつもりだったんだ。それからほかに竹が一本入るんだ、ちょいと場所のところを見て下さい、極(きま)っちゃ居るもんだが。
と、便所のある奥の方へ古泉さんを連れて行った。私も蹤(つ)いて行って見ると、やがて其の男は古泉さんの持って来た竹へ縄を縛り付けて、鉢前になるところへ其の竹を突きさすと、それを中心にして、くるりと縄の端(はし)で円を書いた。それからセメントを持って来て、せっせと鏝を動かし始めた。実に手早く器用なものだ。暫く見て居たが、私は古泉さんと又玄関の方へ帰って来た。二人で面白い男だと云って居るところへ、もう仕事の片付いた土こねの爺さんがやって来た。そうして棟瓦のところの鏝細工を見上げながら、
 相変らず新さん旨エもんだな。
と云った。
 ありゃどんな人なんだい。
と古泉さんが訊くと、親爺は、
 親方の弟でサ、道楽もんでネ、仕事はよく怠けるが腕は好いんですよ、ちょうこくやでサ。
と云う。その彫刻屋が分らないので古泉さんが聞き返すと、よく天井や壁に漆喰(しっく)い細工で彫り物がしてある、あれを遣(や)る職人で、好い金を取るのだが、みんな使ってしまうのだと云う。お負け仕事の手洗い水を流す鉢前の仕事も直(じ)き済んで、親方の弟というのも帰って行き、土こねの爺さんも鍬を洗って帰ってしまった。古泉さんは笑いながら
 変った男ですね、然し職人にはよくああ云う気風のがあるもんです。そうかと思うとあの爺さんなんか、手間取人足(てまどりにんそく)で、一日親方の小言ばかり喰って居て。――
と言う。私は又その親方の方を思い出して
 何処の世界にも不思議に親方と云う、人の上に立って人を動かしたりあたまをはねたりする、妙な才能を持って居る者があるんですね。
と言うと、古泉さんは
 まあ私なんか、やっぱりあの土こねの爺さんの口ですね――
と自嘲めいた事を云った。私も笑いながら
 然し幾ら儲かっても親方の方に廻るのは嫌だナ、それよく落語家が昔の職人の話をする時、出て来るじゃありませんか、俺っちは死んでも親方なんて者にはならないって、変な威張(いば)り方をする、何時も素寒貧(すかんぴん)の職人が――
 二人は急に一緒に笑い出した。そうして今帰って行った親方の弟と云うのを思い出した。私は親方になるのも土こねになるのも御免だが、あの怠け者だと云う、親方の弟の方の職人なら面白かろうと思った。そうして、贅沢な草履と白足袋とを眼に浮べた。沈みかけた夕陽が、其の棟瓦の下の飾りの鏝細工を薄く照らして居た。
 それから十年あまり経って、今度の戦災に近くの私の家は焼けたが、不思議と古泉さんのところは残った。先達(せんだっ)て古泉さんを尋ねて、色々話の末、棟瓦のところの飾りに水に因(ちな)む物を付けるのは、火事の呪(まじな)いだという事から、あの新さん名人に違いないと云う笑い話になった。帰ってから、ふと此の文章を書いて見る気になった。」



「逸題」より:

「嘗てある人から、都会の街の特色はどんなところにあるのだ、と聞かれたことがあった。どう答えていいのか分らないので、裏通りや横丁に美しい所があり、露地や抜け裏に面白い所がある、と答えておいた。」

「浅草も、横丁や露地や抜け裏の多い街である。然しそれらの露地から露地を伝(つた)って歩くことは、今の公園を根城にして居る浮浪児には敵(かな)わない。それでも昔、三社(さんじゃ)さまわきの露地を抜けて、馬道(うまみち)の横丁から横丁を待乳山(まっちやま)に出て、帰りにその頃盛んにやって居た宮戸座(みやとざ)の方へ戻って来た時は、連れの者もいささか苦笑いして居たようであった。そこへ戻って来たのは、トンネル長屋とかいう近くの、謂わば此のあたりの陋巷の中に、「あとしき餅」と此の辺の人の言葉遣いを其のまま看板に書いて、上手に焼いた堅餅に佳い醤油をつけたのを売る店、それを探しに来たのであった。」



「独り行く」より:

「私も段々年を積むに随い、色々の知識を求めて、甚だ億劫にはしながらも、なお幾らか遠い国々土地々々を歩いて見た。名勝史蹟数多く経廻(へめぐ)って、勿論様々の深い印象は受けたが、正直に云うと、沁々(しみじみ)と胸ふかく感じたのは、それ程人の言い騒がぬ土地であり、場所であり、物であった。更に一歩を進めて言えば、人物に就いても同じことが云われる。まことに人の性情というものは、何とも致し方のないものである。好みが違えば、自然人(ひと)と行を共にすることが出来ない。若い時から大方独りで歩いて居た。独りで歩くということは、不思議に連れの出来ることであり、友の出来ることでもある。寂寥の無いところに詩も無く愛も無い。沁々と物を味うために、噛みしめて見るために、私は独りで行く。賑かな都会にもおちついた味のある場所がある。其処を歩いて見よう。」


「白子の宿――独り行く、二」より:

「川は、みな曲りくねって流れている。道も本来は曲りくねっていたものであった。それを近年、広いまっすぐな新国道とか改正道路とかいうものが出来て、或は旧い道の一部を削り、或は又その全部をさえ消し去ってしまった。走るのには便利であるが、歩いての面白みは全く無くなってしまったのである。」


「日本文学に於ける詩精神と散文精神の交流」より:

「近松巣林子が室町文学の余流に過ぎなかった古浄瑠璃から蝉脱して、深い世相の洞察と人情の機微を穿(うが)つ現実凝視の心を持ちながら、而もなお遊蕩の児、情癡の婦を美化し理想化した精神、この両者の交流こそ其の作物を不朽にして居る所以であろう。西鶴は恐しきまでの現実凝視があって、時には読む者をして面を背けしめさえするものがあり、人も西鶴を説けば先ずそれを第一に言う事であるが、その晩年に残した「置土産」に至っては、読者をして他の諸篇に見る事を得ぬ興味を覚えさせる。此の書五巻、描かれたところのものは、総べて粋が身を食う浮世の果ての侘びしい人々の上ではあるが、描かれた男も女も、昔の栄耀と全盛とを一場の夢として今の貧窶を少しも苦とはして居ない。したい三昧し尽した後のせん方なしと言おうより、謂わば此の道の行き詰めた理想郷、そう言っては言葉が悪いが、一種安心の境地に遊んで居る趣がある。溝に落ちた子を着換えも無くて裸身のままに寝かせても、其の心は昔に比べて衰えては居ない男。宮詣りの産着が無くて、神祭りにこしらえた子供細工の具足(ぐそく)着せての春日詣(かすがもうで)でも、敢て世に恥じる心のない男。京からはるばる憧れて下った武蔵野のゆかりの小紫が、よその情けに引き抜かれた後の口惜しさに、京から持参の三千両、一角残らず使い捨てた後は、せめての心ゆかせに、其の女の踏んだ揚屋町(あげやまち)の真砂子(まさご)を金龍山の真土(まつち)に交ぜて、薄雲、高尾の姿を造る土いじりの人形細工に隠れる男。恋も遊びもつまりは愚癡迷妄の境ではあろうが、その迷いに徹し其の愚に安住した人々を描いて居る。これを読む我々は、同じ人の他の諸作に見える厳しさから解放され、限りなき詩境に遊ぶ思いがする。「人には棒ふり虫同然に思はれ」という章の餌(え)さし町の裏家の描写なども、取り立てて言う程のところもなく深く引き入れられるものである。ひたぶるに現実を描きぬく、これはえらい事でもあり恐しい事でもあるが、文芸はただそれだけのものであるべきではない。恐しいまでの現実の中に詩を見出す、いな詩を見出すのではなくて、詩もまた厳しい現実中の一事象として存する事を見出して描かれた時こそ、人は始めてほっとするのである。」

「現実とは狭い小さい世界を意味して居ない。詩と夢と空想とみな総べて其の中に在る現実である。こういう考え方はまた相異なる二つの物を一つにしようとする考え方である。」





























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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