湯浅泰雄 『ユングとヨーロッパ精神』

「さて錬金術について考える場合、われわれはまず、錬金術師の生き方に注目する必要がある。社会的偏見の下におかれていた彼らは、教会や大学に近づくことを許されず、また一般市民の生活からもへだてられた環境の中で生きなければならなかった。しかし彼らは、そういう外的強制によるばかりでなく、彼ら自身のいだく世界観的理由からも、社会から隔絶した孤独な環境の中にみずから身をおくことをえらんだのである。ユングは、「錬金術師たちは断乎たる孤独人 solitaries であった」と言っている。」
(湯浅泰雄 『ユングとヨーロッパ精神』 より)


湯浅泰雄 
『ユングとヨーロッパ精神』


人文書院
1979年6月20日 初版第1刷発行
1990年2月25日 初版第6刷発行
302p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,854円(本体1,800円)
装幀: 松味利郎



本書「あとがき」より:

「本書は、西洋精神史に関するC・G・ユングの諸研究のうち、錬金術と近代以降の精神史の問題を中心にして、ヨーロッパ精神の伝統的構造について考察したものである。」


本文中図20点。


湯浅泰雄 ユングとヨーロッパ精神 01


目次:

序論 西洋精神史における伝統と近代
 一 深層心理学のキリスト教批判
  哲学と科学の間
  近代化とキリスト教
  ニーチェ
  フロイト
  フロム対ウェーバー
 二 ヨーロッパ精神史への新しい視点
  精神分析学の誕生とユダヤ人の運命
  フロイトとユングの訣別が意味するもの
  深層心理学と精神史研究

第一章 錬金術の運命
 一 西洋精神史の異端的底層流
  『心理学と錬金術』
  近代科学史と錬金術
  偏見の源流はどこにあったか
  堕落天使の業
  異端の烙印
 二 錬金術の心理学的意義
  錬金術師の生の様式
  「崇高なる黄金」とは何か
  物質変成の過程と第一質料
  変成体験の哲学的解釈
  性的二元論
  エロス原理の浄化
 三 中世精神史における錬金術
  サクラメントと錬金術
  事効論と人効論
  聖母崇拝と錬金術
  近代精神史への新しい視点

第二章 深層の近代精神史
 一 ルネサンスと宗教改革
  中世ヨーロッパの精神構造
  アリストテレス主義と新プラトン主義
  法王庁のジレンマ
  人文主義と錬金術
  新プラトン主義と近世科学
  異端的民衆運動の弾圧
 二 サクラメントの心理学と「呪術の追放」
  『ミサにおける変換の象徴』
  ミサの宗教心理学的意味
  ミサにおける神と人間
  儀礼の人間存在論的意味
  呪術の追放とは何か
 三 近代的自我意識の哲学と深層心理学
  近代精神史の逆説
  トマスの二世界論からデカルトの心身二元論へ
  カントの霊魂論批判
  ヘーゲルにおける理性の自己神化
  ニーチェの戦い

第三章 現代ヨーロッパの危機
 一 ヨーロッパ精神世界の破局
  『現代史に寄せて』
  ナチズムの心理学
  現代史におけるドイツの運命
 二 ヨーロッパ精神への問い
  ヨーロッパの罪責
  現代ヨーロッパの課題

結び 深層心理学が目指すもの
  ヨーロッパとアジア
  現代日本の思想状況


あとがき



湯浅泰雄 ユングとヨーロッパ精神 02



◆本書より◆


「西洋精神史における伝統と近代」より:

「精神史研究者としてユングが特に関心を抱いた対象は、古代のグノーシス主義、錬金術、そしてキリスト教神秘主義などの流れである。これらの思想は、西洋の精神史では、正統キリスト教を中心とする表面流から排除され、常に異端視されつづけてきた底層流である。つまり、フロイトが異教徒ユダヤ人の眼でキリスト教的ヨーロッパの裏面を見たとするならば、ユングは、キリスト教世界の底辺に住む異端者の眼でヨーロッパ精神の底にあるものを見ようとした、と言ってもいい。ただし「異端者」というのは正統ヨーロッパの側から与えられた規定であって、異端者自身は、主観的には敬虔なキリスト教徒であったのである。
 端的に言えばフロイトとユングは――そしてマルクスも――心理学者のいういわゆる「境界人」 marginal man であった。「境界人」とは、異質な二つの価値世界の境界に立ち、その分裂に悩む人間である。そのため、境界人はしばしば意識過剰におちいり、自己自身のあり方に対する反省と模索を余儀なくされる。その情念が反転して外の世界に向けられるときには、しばしば怨恨や反抗の感情があらわれる。フロイトとマルクスが、ユダヤ=キリスト教的ヨーロッパの伝統全体に対してさしむけた不信感と抗議はそこから生れている。しかし、ユングにとって反抗の道をえらぶことは許されない。彼の「内なる声」は、そうではない、その道を行ってはならぬ、と言うからである。キリスト教的ヨーロッパの本質を、遠く古代にさかのぼってその隠された内側から探求せねばならないという彼の決意はここから生れてくるのである。」

「ユングは、深層心理学を現代に始めて現われた新しい学問分野とみる考え方につよく反対する。(中略)人間の魂の深層にある謎について問いかけるという仕事は、おそらく人間にとって運命的に課せられた問いなのであって、古来多くの人びとがとりくんできた仕事にちがいない。深層心理学者は、そういう先人の歴史を受けついでいる後輩にすぎないのである。錬金術師はそういう先輩の一人である。ユングが精神史研究を重視する理由はそこにある。」



「錬金術の運命」より:

「元来ユングがグノーシス研究に着手した目的は、文献学的立場に立つ精神史研究にあったわけではない。そうではなくて、無意識に関する自分や患者の体験について「歴史的な予示の事実」を見出すためであった。言いかえれば、過去の精神史の中に、自分と類似した体験をもち、また思考した思想が存在したのではないかという問いが、彼の研究の出発点であった。なぜならユングにとっては、自分が独断への道を歩んでいないことを確認し、「他の人びともまたもっているような普遍的経験として示すことに成功するときにのみ、私は外界との接触を見出せるであろう」と考えられたからである。
 ユングは、錬金術においてはじめて、自分は「私の無意識の心理学の歴史上の相対物にめぐり合った」と言っている。先にふれたように、彼の錬金術解釈に確信を与えたのは、東洋思想との出会いであった。一九二七年に、リヒァルト・ヴィルヘルムが道教の瞑想法の経典『太乙金華宗旨』(訳名・黄金の華の秘密)を翻訳し、ユングに対して注釈を書くように求めてきた。ユングは、この書物との出会いを「私の孤独を破った最初の出来事」であったと言っている。」

「さて錬金術について考える場合、われわれはまず、錬金術師の生き方に注目する必要がある。社会的偏見の下におかれていた彼らは、教会や大学に近づくことを許されず、また一般市民の生活からもへだてられた環境の中で生きなければならなかった。しかし彼らは、そういう外的強制によるばかりでなく、彼ら自身のいだく世界観的理由からも、社会から隔絶した孤独な環境の中にみずから身をおくことをえらんだのである。ユングは、「錬金術師たちは断乎たる孤独人 solitaries であった」と言っている。彼らは弟子をもつことは滅多になかったし、秘密結社のようなものもなかった。ユングが調べたところでは、錬金術師の結社と認められるものは、ゾシモスが言及している紀元三世紀のポイマンドレス Poimandres という団体と、十八世紀にあらわれたプロテスタントの神秘主義的秘密結社「薔薇十字会(ローゼンクロイツェル)しかない。この最初期と最後期の例外を除けば、錬金術師たちは常に、仲間を求めることもなく、黙々と孤独に堪えて、彼らの実験室でひとりはたらきつづけたのである。」
「中世アラビアの錬金術師として有名なゲベル Geber (ジャビール・イブン・ハイヤーン)も「われわれは、自分ひとりで探求した術は自分ひとりに伝えるだけで、他の何者にも伝えない」と言っている。」
「このように、錬金術師たちはみずからの意志によって孤独への道をえらんだ。彼らの実験室の中には、語るべき相手は、自然の中に隠れた神しかなかった。自然の造化の中に隠された秘密に参入するためには、そのような孤独にたえることが必要であったからである。」
「錬金術師は本来、砂漠の隠者のごとく、ただ一人で生き、神と対話すべく定められた運命を背負っているのである。」

「地獄の苦しみをへて隠れた秘宝を得るというテーマは、先にも言ったように古代の英雄神話に多くみられるものである。ユングの影響を受けた神話学者ノイマンは、英雄神話には三つのテーマ、すなわち(1)夜の海の航海 night sea journey (2)龍とのたたかい dragon fight (3)秘宝 hidden treasure の獲得が、共通の核心として見出されるという。夜の海の航海とは、海底・地下・洞窟・森・孤島・山中といった危険な領域に入ることである。「龍」は世界の英雄神話に多様な形で現われる怪物(大蛇、大魚、レヴィアタン、ケンタウルス等)を指す。英雄と怪物のたたかいは、意識が無意識領域からの力とたたかっている状況を示している。そして秘宝は、宝石、美女、王位、霊薬、死からの再生などである。錬金術師の場合、それは第一質料であり、賢者の石としての黄金である。」



「深層の近代精神史」より:

「キリストの受難は、神が受肉して、人間と同じ身体と血を有する存在となったために起り得たことである。神が人間性をまとい、受難と死と復活を通じて自己自身に還帰するということは、深層心理学的見地からいえば次のことを意味する。すなわち、肉的身体と結ばれた人間本性の暗黒領域の底には至高なる光がかくれており、その光は現実にこの闇の世界の中に降り、そこで悩んでいる者、鎖につながれている者を救済し、永遠の光の世界へとみちびこうとして、常にはたらきかけている。その光の領域は、われわれの生命が生れてきた源泉であり、われわれの魂はそこへ帰ることによって、真の自己自身を見出すのである。」

「中世までのキリスト教はその正統的論理を民衆の底辺まで貫徹させることなく、ヨーロッパ的人間の心の奥底にひそむ異教的魂を黙認し、それを馴化してゆく寛大さと智恵を心得ていた。しかし宗教改革時代の熱狂は、その寛大さを論理的不徹底として否定した。こうして「呪術の園」を追放した近代人は、非合理なるものの力を否定するとともに、イエスの隣人愛の教えをも見失ってしまった。その結果、宗教的情熱はヨーロッパ的人間の魂から涸渇し、衰弱していったのであった。要するに、十八世紀以降の世俗化は、キリスト教精神の衰退から生れたものではない。逆に、キリスト教精神の徹底がヨーロッパ的人間の魂の世俗化を余儀なくし、その結果が宗教的精神の衰弱と涸渇になってあらわれたのである。
 心理学的にみれば、この事態は次のような過程を意味している。日常的意識の次元との交流の道をふさがれた無意識領域の力は、くらい情念となって蓄積し、どこかに現われようとする。しかし宗教的儀礼形式はその価値を否定され、あるいは空洞化されているために、そこで情念が宥和される道はすべて閉ざされている。したがって無意識領域からつき上げてくるくらい情念の力は、休みない禁欲的労働(資本主義化)に没頭することによって発散させるか、戦争と革命と階級闘争という暴力的形態をとって解放させる外はない。西欧近代の精神史は、表面からみれば人間性と理性的自我意識の勝利を意味するけれども、裏面からみれば、暗黒の情念の理性に対する復讐の歴史なのである。」

「ユングの見方に従えば、中世までのヨーロッパ世界は、キリスト教思想の外衣の底に太古以来の原始的民衆信仰の雑多な要素をつつみこんだ世界であった。ヨーロッパのキリスト教とは元来、そういう異端的民衆信仰の幾重にも重なりあった地層の上に生長した大木のようなものだったのである。民衆信仰が神々・天使・精霊・悪魔などを人格化し実体化してきた態度は、深層心理学的にみれば、無意識領域の諸力が自我意識や理性の統制に従わない自立的作用として存在しているのを認める態度に外ならない。宗教儀礼は、人間がそういうおそるべき自立的作用の力にとらえられ、ふりまわされる危険を防ぎ、無意識の力と宥和してゆくための手段だったのである。神々とは人間がつくり出した観念にすぎないとする意見は、理性の越権行為である。なぜなら、神々に関する経験は無意識の深層心理的領域から発動してくる大きな自律的力を人格的に体験しつつとらえたものであるから、意識の判断とは何の関係もない存在だからである。近代人は、われわれに向ってくる力に対して、それは外からきたものであるか、それとも内からきたものであるかと問う。そして外からきた力は現実的な存在であるが、内からきた力は“単なる幻覚”であって真に存在するものではないと考える。そこに近代的自我と理性の傲慢がある。
 このような近代的理性の自己神化と絶対化の道を、その極点まで登りつめたのがヘーゲルである。」

「キリスト教の神と近代的理性の自己神化によって世界から追放されたデモンの声は、一人の奇異な予言者の形をとってヨーロッパに帰ってきた。」
「ニーチェは、自分のおかれた歴史的位置をこうのべている。「私以前には心理学というものはまだ全く存在しなかった。――この領域で最初の人であるということは、一つの呪いであるかもしれない。いずれにせよ、これは一つの運命だ。……人間に対する嘔吐、これが私の危険なのだ。」ここでいう「心理学」を、われわれは「深層心理学」の意味におきかえてよいであろう。この心理学は、肉体の底に埋もれた暗黒の情念を暴露することによって、人間性が「不潔なる川」であるという恐るべき真実を開いてみせる。フロイトとユングが切りひらいた茨の道は、このニーチェの孤独な戦いを受けつぐものであったのである。」



「深層心理学が目指すもの」より:

「皮肉な見方をすれば、現代日本は異常なまでに道徳的言論のあふれている社会である。「社会正義」とか「民衆の正義の怒り」といった観念が、これほどひろく社会の底辺まで浸透した時代は史上かつてなかったであろう。」

「「人間は理性的存在である」という命題は、個人については一面の真実である。しかし、集団に関しては明らかに嘘である。「権力は悪である」というのは一面の真実である。しかし、「民衆は善である」というのは全くの嘘である。心理学的にみれば、これらの命題は、ヨーロッパ近代がつくり出した幻想的虚構にすぎない。権力者であれ無名の民衆であれ、人間はすべて悪の「影」を負った存在なのであり、すべての人間は、彼自身の魂の中に統計的犯罪者の心の一部分を有しているのである。現代の社会は、そのような人間本性のくらい真実を「人間性(ヒューマニティ)」という耳ざわりのよい言葉で蔽い隠し、道徳的論理によって他者への怨恨や憎悪を正当化しつつある時代であるともいえる。その当然の結果として、人心は徐々に荒廃し、くらい情念のエネルギーは日々社会の底層に蓄積されつつあるように感じられる。(中略)われわれが真に克服しなくてはならないのは、外なる敵ではなく、実はこの「人間性の尊厳」とか「人間的正義」といった近代的理念なのである。(中略)われわれが眼を向けなくてはならないのは、われわれ自身の魂の内なる「影」の領域である。ニーチェのいう、人間性に対する「大いなる軽蔑」とは、影なき魂はあり得ないという人間性の真実を直視する精神である。」

「深層心理学が切りひらいた道は、甚だ狭く、細い。そしてその道は、はるかに遠い。それは個人の神経症の治療といった、まことにささやかな仕事から出発する。それは、ひとりひとりの人間が自己自身の心の内面をのぞきこみ、己れの「影」を克服してゆくことが、現代の危機に対処するための道であると主張する。そのようなことで、社会や国家や世界を動かすような力となり得るのか。(中略)しかし深層心理学は、ひとりひとりの人間の心を改造してゆくというこの迂遠な道より外に、そしてその困難な道を歩む人間が一人でも多くなることより外に、われわれ人類社会が危機から真に救済される道はあり得ない、と答えなければならない。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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