C. G. ユング 他 『人間と象徴 上』 河合隼雄 監訳

「無意識にたいするわれわれの実際の知識によれば、それは自然の現象であり、自然そのものと同じように少なくとも中性的なものである。無意識は、人間の性質のあらゆる面――つまり、光と闇、美と醜、善と悪、深遠さと愚かさ――を含んでいる。」
(C. G. ユング 「無意識の接近」 より)


C. G. ユング
M.-L. フォン・フランツ/J. L. ヘンダーソン/J. ヤコビー/A. ヤッフェ
『人間と象徴
― 無意識の世界 上』 
河合隼雄 監訳


河出書房新社
1975年9月15日 初版発行
1981年2月25日 14版発行
254p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円
装幀: 森啓



本書「序」(ジョン・フリーマン)より:

「1959年春のある日、イギリス放送局がテレビのために、私にユング博士とインタビューすることをすすめてきた。」
「テレビでユングを見た人のなかに、アルダス出版社の専務取締役のウォルフガング・フォジスがいた。(中略)ユングが自分の人生や仕事や思想について話しているのを見たとき、彼の心にひとつの反省がひらめいた。つまり、フロイトの仕事の概観は西欧の教養あるほとんどの読者にかなり知られているのに、ユングは全然一般大衆に浸透しないままにあり、一般の読者にはむずかしすぎると常に考えられてきたのは、まったく残念なことだというのである。」
「彼は(中略)ユングのもっと重要で基本的な考えのいくつかを言語で表わし、それをやがては専門家でない大人の読者たちが理解でき、興味をもてるものにするように、ユングを説得しようではないかと私に誘いかけてきた。(中略)ユングは彼の庭園で2時間のあいだ、ほとんど中断することなく私の話に耳を傾け――そして、「ノー」といった。(中略)つまり、彼は今までけっして自分の研究を大衆化しようとしたことはなかったし、今それをうまくできるとは思えない、(中略)というのであった。」
「テレビのプログラムは成功と考えられた。そのため、あらゆる階層の人々から、非常に多くの手紙がユングに寄せられてきた。(中略)ユングは(中略)、普通なら彼と接触することなどなかったと思われる人たちから手紙を受けとったことを、非常に嬉しく思った。
 ユングが自分にとって非常に意味のある夢をみたのも、ちょうどこのころであった。(中略)夢のなかで、彼は、(中略)公共の場所に立って多くの人たちに演説をしていた。そして、彼らはユングのいうことを熱中して聞き、それを理解するのだった。
 1~2週間後、フォジスはユングに、(中略)市井の人たちのための新しい本を作るようにと改めて懇請し、ユングはようやく納得したのである。」



下巻「訳者あとがき」より:

「この本は、Carl G. Jung 編の、Man and his Symbols, Aldus Books, 1964 の全訳である。」
「再版にあたって
 本書は、難解なユングの考えをできるかぎり平明に伝えようとするものとして、発刊以来ひろく歓迎されてきた。ただ、大部の書物であるだけに高価で入手が困難という難点があった。そこで今回の再版にあたっては、(中略)2部に分割して再編し、入手容易な形態に変更することになった。」



左開き・横組。本文中図版(モノクロ)多数。


ユング 人間と象徴 01


帯文:

「自己の内面の限りなく広く豊かな世界に導くユング心理学の全容!!」


帯背:

「ユング心理学入門」


帯裏:

「■なだいなだ(作家)
……民俗学や文化人類学の分野で、大きな発展が認められるにつれて、ようやく、ユングは私たちと日常的な結びつきを持つようになり、理解されはじめたが、それには長い時間が必要だった。ユングの象徴の研究は、こうして、詩や絵画の理解に理性的な光をさしいれ、それらの持つ民族的な共感にてがかりを与えはじめている。ユングが、私たちの身近な存在になる時、私たちの人間理解は、確実に一歩を進めたことになるだろう。」



目次:

序 (ジョン・フリーマン)

Ⅰ 無意識の接近 (カール・G. ユング/訳: 河合隼雄)
 夢の重要性
 無意識の過去と未来
 夢の機能
 夢の分析
 タイプの問題
 夢象徴における元型
 人間のたましい
 象徴の役割
 断絶の治癒

Ⅱ 古代神話と現代人 (ジョセフ・L. ヘンダーソン/訳: 樋口和彦)
 永遠の象徴
 英雄と英雄をつくるもの
 イニシエーションの元型
 美女と野獣
 オルフェウスと人の子
 超越の象徴





◆本書より◆


「無意識の接近」(ユング)より:

「無意識の部分は、一時的に不明確になった考えや印象やイメージの重なりから成り立っており、それは失われたものであるにもかかわらず、われわれの意識的な心に影響を与え続けている。」
「忘れられた考えは、存在を止めたのではない。それらは、意志によって再生されることはできないけれども、潜在的な状態――ちょうど、再生閾を少し越えたあたり――では存在しており、そこから、時を問わず、自然発生的にふたたび出てくることがあり得る。往々にして、それは外見的には完全な忘却のように見える数年間の後に現われることもある。」
「ある教授がひとりの学生と会話に熱中しながら田舎道を歩いていたとき、急に、彼は幼児期の思いがけない記憶の流れによって考えが妨げられるのに気がついた。彼は、このような注意の乱れを説明することができなかった。そのとき話されていたことは、その記憶には何らの関係もなかった。思い返してみると、彼の心に幼児期の記憶が湧き上ってきたのは、彼が農場を通りすぎていたときであった。そこで、教授はその空想が始まったと思われる地点まで戻ってみようと学生に言った。そこへ行くと、鵞鳥の臭いがした。教授はただちに、自分の記憶の流れを誘い出したのは、この臭いであったと気づいた。
 彼は若かったころ、鵞鳥の飼ってある農場に住んでいた。その特有の臭いは忘れられてはいたが持続的な印象を残していたのである。散歩の途中で農場を通り過ぎたときに、彼は鵞鳥の臭いを潜在的に認め、その無意識的な知覚が、長く忘れていた彼の幼児期の経験を思い起こさせたのだ。」

「“忘れる”ことは、われわれにとっては実のところ正常なことであり、必要なことである。つまり、われわれの意識の心に新しい印象や観念のための余地を残すからである。このことが起こらないと、われわれの経験したことのすべてが意識閾の上に留まることになり、われわれの心は、途方もなく混乱してしまうだろう。」

「意識的な内容が、無意識のなかに消え去るのと同じように、新しい内容――それは、今まで一度も意識化されなかったもの――が、無意識から生じることがある。(中略)無意識がたんに過去のものの倉庫ではなくて、未来の心的な状況や考えの可能性にも満ちているということの発見が、私を心理学にたいする私自身の新しい接近法へと導いていった。」

「夢はときとして何らかの事態が実際に起こるずっと前に、その場面を示すこともできる。これは何も奇蹟だとか、予言の一形態である必要はない。人生における数々の危険は長い無意識的な歴史をもっている。(中略)われわれが意識的にわかりかねることがらは、しばしば無意識によって感知される。無意識はその情報を、夢を通じて伝えることができるのである。」

「私は文明社会の発展の結果獲得した大きい利益を否定するものではない。しかし、このような利益は、莫大な損失を代価として得られたもので、その損失の大きさはほとんど測りがたいものがある。私が原始人と文明人の状態の比較をした目的のひとつは、これらの損得のバランスを示すためであった。
 原始人は、自分自身を“制御する”ことを学んだ“合理的”で近代的なその子孫たちよりはるかに本能によって支配されている。この文明化の過程において、われわれはその意識を人間の心の深い本能的な層からますます分離させ、そして、ついには心理現象の身体的基礎からさえも分離させるにいたった。幸いにも、われわれはこの基本的、本能的な層を失ってしまってはいない。それらは、夢の形をとってのみ、われわれに示されるのではあるが、無意識の一部として残っている。」

「私は数年にわたって、ひとつの主題を夢に見つづけた。その夢では、私はいつも、自分の家に、今までそんな場所があるとは知らなかった部分を“発見する”。ときとしてその部分は、もうずっと以前に死んでしまった両親が住んでいる部屋であり、驚くべきことに、私の父はそこに、魚の比較解剖学研究の実験室をもっていたり、私の母は、幽霊のような客のためにホテルを経営したりしている。客用の別館は、長く忘れられている古い歴史的な建物であったが、私が相続した財産のひとつである。そこには、興味をそそる古い家具があり、この一連の夢の最後のころでは、自分には未知の本がある古い図書室を見つけ出した。最後の夢において、私はとうとうひとつの本を開け、そのなかに最もすばらしい象徴的な絵を見いだした。目覚めたときに、私の心臓は興奮して動機を打っていた。
 この一連の夢の最後の夢をみる前に、私は古文書専門の本屋に中世の錬金術の古典的な編集本のひとつを注文していた。私は本のなかの引用を見て、それが初期のビザンチン時代の錬金術に関連があるかもしれないと思い、調べてみたいと思っていた。あの未知の本の夢を見てから数週間して小包みが本屋から届いた。そのなかには、16世紀の羊皮紙の本が入っていた。その本には、すばらしい象徴的な絵があり、それは私が夢のなかでみた象徴をすぐに思い出させるものであった。錬金術の法則を再発見することが、心理学のパイオニアとして自分の仕事の重要な部分となったので、繰り返し生じた私の夢の主題は容易に理解することができる。もちろん、夢のなかの家は、自分の人格とその意識的な興味の範囲の象徴であり、知られざる別館は、私の意識がまだ知らなかった興味をそそる研究の新領域の予想を表わしている。」

「個人こそが唯一の現実である。その個人から離れて人類という抽象的な観念へ向かえば向かうほど、われわれは失敗におちいりやすくなる。(中略)しかし、正しい見通しに立って物事を見るためには、われわれは、現在のみならず過去においての人間についても知らねばならない。そのために、神話や象徴の理解が本質的に重要なものとなるのである。」

「われわれが他人の夢の象徴を解釈しようと努力する上で、自分の理解の避けがたいギャップを投影――すなわち、分析家が見たり考えたりすることは、被分析者も同じように見たり考えたりしているという単純な仮定――によって埋めるという傾向のために、ほとんどいつも障害を受ける。この種の誤りのもとを克服するために、私は夢一般に関する理論的なすべての仮定――夢が何らかの意味で、意味を持つという仮定をのぞいて――を排除して、その個々の夢の流れから離れないことが重要であることを、常に主張してきた。」

「われわれは(中略)、ある夢のなかに、個人的ではないものとか、あるいは、夢を見た人の個人的な経験からひき出すことのできないような要素がしばしば生じるという事実を、考慮に入れなければならない。それらの要素は、(中略)フロイトが“古代の残存物”と呼んだものである――これは、その存在を個人自身の生活からは何ら説明することができない心の形態で、原初的で、古くから受け継いだ遺伝的な人間の心の形態であるように見える。
 人間の身体が、長い進化的な歴史を背景に持っている器官の博物館をなしているように、心も同様な方法で構成されていると期待すべきであろう。心は、心の存在している身体がそうであるように、歴史なしに生みだされるわけがない。ここで“歴史”というのは、心がつくりあげられる上において、言語や他の文化的な伝統をとおしてその過去に意識的に参照することを意味しているのではない。私は、人間の心がまだ動物に近かったような古い時代の人間における、生物学的、先史的、無意識的な心の発達について述べているのである。
 この非常に古い心が、われわれの心の基礎を形作っている。それはちょうどわれわれの身体が、哺乳類の一般的な解剖学的パターンに基礎をもっているのと同様である。熟練した解剖学者や生物学者の目は、われわれの身体内に原初的なパターンの多数の痕跡を見つける。経験を積んだ心の研究者は、同様に、近代人の夢のイメージと原始人の作り出したもの、夢の“普遍的なイメージ”と神話的なモチーフのあいだに類似性を見つけ出すことができる。」
「“古代の残存物”を、私は“元型”とか“原始心像”と呼んでいるが、それについての私の見解は、夢や神話に関する心理学の十分な知識を持たない人たちによって、常に批判されてきた。“元型”という用語は、しばしば、ある明確な神話的なイメージとかモチーフを示すものとして、誤解をされている。しかし、それらは、意識的な表象にすぎないのである。そのような変化しやすい表象が遺伝されると考えるのは、まったくばかげている。
 元型というものは、そのようなモチーフの表象を形作る傾向である。その表象は、基本的なパターンを失うことなく、細部においては、よく変わり得るものである。」

「私は、ある教授が突然幻像(ヴィジョン)を見て、自分は気違いではないかと思ってやってきた事例を生き生きと思い出す。その教授は、まったく恐慌状態で私のところへやってきた。私はただ、400年前の本を棚から取り、彼のその幻像(ヴィジョン)をそのまま描写している古い木版画を彼に示した。そして、“あなたは自分が気違いだと思う理由は全然ありません”と言った。“あなたのそのような幻像(ヴィジョン)は、400年も前から知られているものです”。そこで彼は、気が抜けたように坐ったが、ふたたび正常にかえった。
 自分自身、精神科医である人が、非常に重要な事例を、私のところにもたらしてきた。10歳になる娘さんから、クリスマス・プレゼントとして受け取ったという小さいノートを、彼はある日、私のところへ持ってきた。そのノートには、彼女が8歳のときに見た一連の夢がすべて書かれていた。それらは、私が今まで見たなかで最も奇妙な一連の夢であった。(中略)その夢は子どもらしいものではあったが、非常に無気味で、父親にはその起源をまったく理解することができないようなイメージに満ちていた。ここに、夢における相関連した主題を示す。

  1. “魔物”すなわち多数の角を持つヘビのような怪物が、他の動物を殺して呑み込んでしまう。しかし、神様が、実際、4人の別々の神様だったが、4隅からやってきて、すべての死んだ動物を生き返らせる。
  2. 天国へ上って行くと、そこでは異教徒の踊りの儀式が行なわれている最中である。そして、地獄へ下りて行くと、天使たちが善行を行なっている最中である。
  3. 小さい動物の群れが、夢を見ているこの子を脅かす。動物たちはものすごい大きさになり、そのうちの1匹はこの少女を呑みこむ。
  4. 1匹の小さなねずみのなかに、毛虫、ヘビ、魚、そして最後に人間がはいりこんでいく。こうして、ねずみは人間になる。これは、人類の起源に関する4つの段階を示しているものである。
  5. 1滴の水が、顕微鏡で見ているように見える。少女は、その1滴の水に木の枝が詰まっているのを見る。このことは世界の起源を示しているものである。
  6. 悪い少年がひとかたまりの土を持っていて、通りがかりの人たちに見境いなしに投げつける。こうして、そこを通る人たちは全部悪くなる。
  7. 酒に酔っぱらった女の人が水のなかに落ち込み、よくなって正気になって出てくる。
  8. アメリカでの光景であるが、たくさんの人が蟻に襲われて、群がる蟻の上を転げまわっている。この少女は、恐慌状態で川へ落ちこんで行く。
  9. 月面に砂漠があって、そこではこの少女はあまりにも深く土のなかに沈んでいったので、とうとう地獄に達してしまう。
  10. この夢では、少女は、光りかがやく球の幻像(ヴィジョン)を見る。彼女がそれに触れると、蒸気がそこから発散する。男がやってきて彼女を殺す。
  11. この少女は、自分が非常に危険な病気になっている夢を見る。突然、小鳥が彼女の皮膚からとび出して、彼女をすっぽりとおおってしまう。
  12. 蚊の群れが太陽をかげらせ、月をかげらせ、ひとつだけを残してすべての星をかげらせてしまう。その残ったひとつの星が夢を見ている少女の上に落ちてくる。」

「われわれが無意識と呼んでいるものは、根源的な心の一部を形作っている原始的な特性を保存しているように思われる。夢の象徴が常に関連を持つのはそのような特性であり、無意識は、心が発展するにつれて離れていったすべての古いことがら――幻覚、空想、古代的な思考形態、基本的な本能など――を取り返そうと、さがし求めているかのようである。
 このことは、人々が無意識的なことがらが近づくときに、抵抗やときには恐怖をさえしばしば経験することを説明している。(中略)それらは、相当のエネルギーを持っているので、しばしばたんなる不快感以上のものとなる。それらは真の恐怖を引き起こすことができる。抑圧されればされるほど、それらは全人格のなかに、神経症という形態をとって広がっていく。」
「胎児としての発達の経過が、有史以前のことを繰り返すように、心もまた一連の有史以前の段階を通じて発展してくる。夢のおもな仕事は、幼児期の世界のみならず最も原始的な本能の水準にまでおりて、一種の有史以前の“回想”をもたらすことである。」
「その“根源的な心”は、人間の進化の段階が胎児の身体のなかにあるのと同様に、幼児のなかにかなり存在し、今もなお働いている。前に私が示したような、自分の夢をプレゼントとして父親に与えた子どものすばらしい夢を思い起こすならば、読者は私が意味していることについて、適切な考えを持たれることと思う。」
「このような種類のイメージは、非常にヌミノスで、したがって非常に重要である。成人においてそのような回想が再現するならば、ある場合には、重い心理的な障害を引き起こし、また他の人にとっては、奇蹟的な治癒や宗教的な回心を引き起こすことができる。しばしば、それらは長いあいだ失われていた生命力をもたらし、人間の生活に目的を与え、豊かにするものである。」

「われわれの知能は自然を支配する新しい世界を作り出し、その新世界にすさまじい機械を大量に送りこんだ。機械は疑いもなく非常に有益なものであるので、われわれは、機械を取り払ってしまうとか、あるいは、機械にわれわれが従属してしまうなどという可能性を考えてもみない。人間は科学的、発見的な精神の冒険に満ちた煽動にしたがうこととか、あるいは自分のなした素晴らしい仕事のゆえに、自らを賛美するということをせざるを得ない。同様に、人間の天才は、前よりいっそう危険となるような発明をする、無気味な傾向を示している。というのは、それは大規模な自殺の、よりすぐれた手だてを示しているからである。」
「自然にたいするわれわれの誇り高き支配にもかかわらず、われわれはなお自然の犠牲者である。というのは、われわれは、自分自身の性質(nature)を制御することを学んでさえいないからである。徐々にではあるが、われわれが災難を招きつつあるということは避けられないようである。
 われわれが助けを求めて祈れる神は、もはや存在しない。世界の偉大な宗教は貧血症にかかっている。というのは、助けとなる力は、森や川や山や動物から逃げ去ってしまい、神=人は無意識の地下の世界へ消え去ってしまったからである。かくてわれわれは宗教を、それが過去の遺物にうずもれた恥ずべき生活を導くものとしてばかにしてしまっている。われわれの現在の生活は理性の女神によって支配されており、それはわれわれの最大にして、最も悲劇的な幻想である。理性に助けられて、われわれは“自然を征服”したと思いこんでいるのである。」
「何らかの変化がどこかで生じねばならないとすれば、それは、変化を体験し、それを持ち続けようとする個々の人である。変化は実際、個人によって始められねばならない。」




こちらもご参照下さい:

C. G. ユング 他 『人間と象徴 ― 無意識の世界 下』 河合隼雄 監訳















































































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本