『ユング自伝 2』 ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳

「しかしながら、耳ざわりに感じられるかもしれないが、われわれは場合によっては、一般に知られている道徳的善を避け、自分の倫理的決定が要求するならば、悪と思われていることをなす自由をもっていなければならない。換言すると、われわれは対立するもののどちらにも、善にも悪にも屈服してはならないと再言したい。」
(『ユング自伝』 より)


『ユング自伝
― 思い出・夢・思想 2』 
ヤッフェ編 
河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳


みすず書房
1973年5月10日 第1刷発行
1991年9月10日 第18刷発行
276p 「ユングの著作」viii 
口絵(モノクロ)i 図版(モノクロ)6p
著者・編者・訳者略歴1p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,472円(本体2,400円)



第一巻「訳者あとがき」より:

「一応、訳の分担は、はしがき、六・七・十一・十二章、および付録、語彙、を河合、一・二・三・四・五章を出井、八・九・十章を藤繩が担当したが、お互いに訳語や訳文を検討しあって、仕事を仕上げていった。飜訳権の関係で、訳は英訳本の Memories, Dreams, Reflections by C. G. Jung. Recorded and Edited by Aniela Jaffé, Pantheon Books, 1963, によったが、常に、Rascher Verlag, Zürich から出版された原文(Erinnerungen, Träume, Gedanken von C. G. Jung)を参照した。
 なお原文は一冊の本であるが、出版の都合で、訳書ではこれを二巻に分け、六章までを第一巻、それ以下を第二巻として出版することにした。」



ユング自伝 03


カバー裏文:

「Ⅱ巻は「研究」「塔」「旅」「幻像」「死後の生命」「晩年の思想」の6章と付録の5篇とから成る。各章ともにユングの内面世界の雰囲気や、心というものが深遠な現実であったひとつの体験の思い出が生き生きと多彩に伝えられている。
 その最も重要な著作の生成過程を概観する「研究」の章で彼は次のように語る。
 「私の仕事についてここに述べた展望は、ここに語りつつあるすべてのことと同じくひとつの即興詩である。それは一瞬の間に生れたものだ。私の仕事を知っている人はこれから益されるところがあろうし、また私の考えを調べる必要性を感じさせられる人もあろう。私の生涯は私の為したことであり、私の学問的研究である。両者は互いに分離することのできないものだ。研究は私の内的発展の表現である……」と。
 1923年にユングはボーリンゲンの水辺に念願の円型家屋を構えた。これは1955年に完成された形になるが、ここでの内的体験の記録が「塔」であり、時間・空間を超えたヴィジョンの世界が展開される。
 「晩年の思想」においては、長年の間にユングの心中に徐々に形成されていった人と神話の意味についての内省が語られる。
 付録には、訣別前後当時のフロイトからユングへの手紙などのほか、本書で初めて公表される「死者への七つの語らい」が収められる。これは1913年から1917年の間にユングの内面に形成される印象を伝えたもので、後年の彼の思想の研究に貴重な書となるものである。」



目次:

VII 研究
VIII 塔
IX 旅
X 幻像(ヴィジョン)
XI 死後の生命
XII 晩年の思想
追想

付録
 I フロイトからユングへの手紙
 II アメリカからエンマ・ユングへの手紙(一九〇九)
 III 北アフリカからエンマ・ユングへの手紙(一九二〇)
 IV リヒアルト・ヴィルヘルム
 V 死者への七つの語らい

語彙
ユングの著作



ユング自伝 04



◆本書より◆


「研究」より:

「私は、まもなく、分析心理学がはなはだ珍らしい方法で錬金術に符合することを見出した。錬金術師の経験は、ある意味では、私の経験であり、彼らの世界は私の世界であった。これは勿論、重大な発見であった。すなわち、私の無意識の心理学の歴史上の相対物にめぐり会ったのである。錬金術との対比の可能性と、グノーシスにまでさかのぼる不断の知識の鎖は、私の心理学に骨子を与えた。これらの古いテキストを熟読した時、何もかもが、すなわち、私の集めた空想の心像や経験的な要素、そしてそれから引き出した結論が位置づけられた。」
「錬金術についての私の仕事を、私はゲーテとの内的関連のしるしとみなしている。ゲーテの秘密は、彼が世紀を越えてつづいて来た元型的変容の過程にとらえられていたことであった。彼は『ファウスト』を大いなる業、あるいは神の業とみなしていた。彼はファウストを自分の「本業」と呼んだ。そして彼の全生涯はこのドラマの骨組みの中で演じられた。このように、彼の中に生き、そして活動していたものは、生きた実体であり、超個人的過程であり、元型世界の大いなる夢であった。
 私自身も、同様の夢にとりつかれて、十一の時から始まった私の本業をもつことになった。私の生涯は一つの理念、一つの目標で充たされ、貫かれていた。すなわち、パーソナリティの秘密の奥深く分け入ることである。すべてのことは、この中心点から説明がつくし、私の仕事は、全部この一つのテーマに関連している。」



「塔」より:

「学問的研究をつづけているうちに、私はしだいに自分の空想とか無意識の内容を、確実な基礎の上に立てることができるようになった。しかし、言葉や論文では本当に十分ではないと思われ、なにかもっと他のものを必要とした。私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかれば、石に信仰告白をしなければならなくなっていた。このような事情が「塔」の、つまりボーリンゲンに私自身のために建てた家屋のはじまりである。」
「最初から塔は、私にとって成熟の場所――つまり私が過去、現在そうであり、未来にそうなるであろうものになりうる、母の胎内、あるいは母の像と思えた。それは私が石の中で再び生れかわるかのような感じを与えた。このようにして、塔は個性化の過程を具現するもの、青銅よりも永続的な記念すべき場所であった。」
「ボーリンゲンでは、私は自分の本来的な生をいき、もっとも深く私自身であった。ここでは、いわば私は「母の太古の息子」であった。これは錬金術の巧みな表現である。というのは、私が子どものときに経験した「故老」、「太古の人」は、これまでも常に存在しこれからも存在しつづけるであろう No 2 の人格だからである。それは時間の外に存在し、母性的無意識の子なのである。」
「時には、まるで私は風景のなかにも、事物のなかにまでも拡散していって、私自身がすべての樹々に宿り、波しぶきにも、雲にも、そして行き来する動物たちにも、また季節の移りかわりにも、私自身が生きているように感じることがあった。塔のなかにはなに一つとして十年の歳月を経ぬものはなく、また私とのつながりをもたないものはなかった。そこではすべてのものが、私との歴史を共有し、その場所はひき籠りのための無空間的な世界なのである。」

「一九五〇年に私は、塔が私にとってなにを意味しているのか表わすために、石で記念碑のようなものを作った。」
「私は(中略)その碑にギリシア語で書いた。訳すと、
  時間は子供だ――子供のように遊ぶ――(中略)それは子供たちの王国。これがテレスフォロス、宇宙の暗闇をさまよい、星のように深淵から輝く。テレスフォロスは太陽にいたる門を、夢の国への道をさししめす。

 こういった言葉が――つぎつぎと――私が石をきざんでいるあいだに浮かんできた。
 湖に面した第三の面には、ラテン語の詩文で、その石自身に語らせることにしたが、それは多少とも錬金術からの引用である。訳しておくと、

  私は孤児で、ただひとり、それでも私はどこにでも存在している。私はひとり、しかし、自分自身に相反している。私は若く、同時に老人である。父も母も、私は知らない。それは、私が魚のようにうみの深みからつり上げられねばならなかったから、あるいは天から白い石のように落ちてくるべきであったから。私は森や山のなかをさまようが、しかし人の魂のもっとも内奥にかくれている。私は万人のために死にはするが、それでも私は永劫の輪廻にわずらわされない。」



「旅」より:

「二度目のアメリカ旅行のとき、私はアメリカの友人たちとグループをくんで、ニュー・メキシコのインディアンたち、つまり建設された都市プエブロを訪ねて行った。しかし、「都市(シティー)」という言葉は強すぎるのであって、彼らが建設したのは、実際には村落(ビレッジ)にすぎなかった。(中略)そこではじめて、私は非ヨーロッパ人、つまり白人でない人と話をする機会に恵まれた。彼はタウス・プエブロスの村長で、四・五十歳の間の、知的な男であった。名前をオチウェイ・ビアノ(山の湖の意)といった。」
「オチウェイ・ビアノは「見てごらん、白人がいかに残酷に見えることか」といい、「彼らの唇は薄く、鼻は鋭く、その顔は深いしわでゆがんでいる。眼は硬直して見つめており、白人たちはいつもなにかを求めている。なにを求めているのだろう。白人たちはいつもなにかを欲望している。いつも落着かず、じっとしていない。われわれインディアンには、彼らの欲しがっているものが分らない。われわれは彼ら白人を理解しない。彼らは気が狂っているのだと思う」といった。
 どうして白人たちがすべて狂気なのか、私は尋ねた。
 「彼らは頭で考えるといっている」と、彼は答えた。
 私は驚いて、「もちろんそうだ。君たちインディアンはなにで考えるのか」と反問した。
 「ここで考える」と彼は心臓を指した。
 私は長時間、瞑想にふけった。私の生涯のはじめに、誰かが私に対して、真の白人像を描いてくれたのだと、私には思えた。(中略)このインディアンがわれわれの弱点を衝き、われわれには見えなくなっている真実を明らかにしてくれた。」
「自分たちの宗教について、プエブロ-インディアンは話したがらないが、ことアメリカ人たちとの関係におよぶと、非常に熱心に力をこめて喋り合うということが分った。山の湖氏(オチウェイ・ビアノ)は、「アメリカ人たちはどうしてわれわれを、放っておいてくれないのだろうか。どうしてわれわれの踊りを禁止したりしたいのだろう。われわれの若者をキバ(宗教的儀式の場)に連れて行ったり、われらの宗教を教えたりするために、学校を休ませようとすると、アメリカ人たちといざこざが起こるのはどうしてだろう。われわれはアメリカ人のためにならんようなことは、なに一つしていないのに」と言った。しばらく言葉が途切れて、彼は話を続けた。「アメリカ人たちはわれらの宗教を根絶したがっているのだ。どうしてうっちゃっておいてくれないのだろう。われわれのやっていることは、われわれだけのためではなくて、アメリカ人たちのためにだってなることだ。そう、世界全体のためにやっていることだ。このおかげを蒙らないものは誰もいない。」
 彼の興奮ぶりから、私は彼があきらかに、自分の宗教のなにか核心的なものに言及していることが分った。そこで私は尋ねてみた。「では、あなたは、あなたがたの宗教でやっていることが、全世界に役立っていると考えるのか。」彼はたいそう威勢よく、「もちろんだ。われわれがそうしなければ、世界はどうなるか分らない」と答えた。そして大仰な身振りで太陽を指さした。」
「「つまり、われわれは世界の屋根に住んでいる人間なのだ。われわれは父なる太陽の息子たち。そしてわれらの宗教によって、われわれは毎日、われらの父が天空を横切る手伝いをしている。それはわれわれのためばかりでなく、全世界のためなんだ。もしわれわれがわれらの宗教行事を守らなかったら、十年やそこらで、太陽はもう昇らなくなるだろう。そうすると、もう永久に夜が続くにちがいない」とオチウェイ・ビアノが言った。
 そのとき、私は一人一人のインディアンにみられる、静かなたたずまいと「気品」のようなものが、なにに由来するのか分った。それは太陽の息子であるということから生じてくる。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父なる太陽の、つまり生命全体の保護者の、日毎の出没を助けているからである。もしわれわれ自身の自己弁明、つまりわれわれの理性が形成する生活の意味と、インディアンの生活の意味とを比べていると、われわれの生の貧しさを意識せずにはおれない。(中略)知識はわれわれを豊かにはしない。知識は、かつてわれわれが故郷としていた神秘の世界から、われわれをますます遠ざけてゆく。」




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『ユング自伝 1』 ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳






















































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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