井筒俊彦 『イスラーム思想史』 (中公文庫)

「私は存在無化をさらに推し進め、無(ライサ)を通して無(ライサ)の中に己れの一切忘却そのものをも忘却し、かくて一切忘却の棄却をも成しとげた。その上で、私は絶対独存性(タウヒード)の境地に至りついた。もはや霊性的智者の目には存在世界の影すらなく、逆に存在世界の中に生存している人々の目には、霊的智者の姿は見えなかった」
(バスターミー)


井筒俊彦 
『イスラーム思想史』
 
中公文庫 い 25 3

中央公論社
1991年2月25日 印刷
1991年3月10日 発行
491p
文庫判 並装 カバー
定価780円(本体757円)



本書は、1975年2月に岩波書店から刊行された『イスラーム思想史』に、「思想」1989年6月号に掲載された「TAT TVAM AI(汝はそれなり)」を併せ収めて文庫化したものであります。


『イスラーム思想史』後記より:

「この本は今度全く新しく筆をとって書いたものではなく、実は昭和十六年(一九四一年)、(中略)興亜全書の中の一巻として私が書いた『アラビア思想史』を改訂したものである。」
「気が付いたかぎりにおいて、明らかな間違いを直し、足りないところを補い、今では通用しなくなった古い見解を新しい見方にかえ、全体的に現代のイスラーム学の水準に近いところまで引き上げようと努力した。」
「原本は二部に分れていて、第一部は神学、第二部は哲学に当てられていた。神秘主義はそこでは独立した題目として全然取扱われていない。これは明らかに大変な欠陥である。」
「幸い原本を書いてから数年後、昭和二十三年(一九四八年)に、光の書房という書店に頼まれて世界哲学講座の第五巻に、宇井伯寿氏の「仏教哲学」、帆足理一郎氏の「基督教概論」と一緒に私は「アラビア哲学」という論文を出した。この論文では初期スーフィズムの割合にまとまった叙述がある。それを取って本書の第二部として、神学と哲学の間に入れた。これもまた出来るかぎり補足訂正したことは勿論である。」



井筒俊彦 イスラーム思想史


カバー裏文:

「砂漠の遊牧民が創出したイスラーム文化、その原点をなす聖典コーラン。何がコーランの思想を生み出したのか。思弁神学、神秘主義、スコラ哲学と、三大思想潮流に分れて発展していく初期イスラームの思想の歴史をそれぞれの思想家を通して解明する。イスラーム哲学史に、イスラーム思想に大きな影響を及ぼしたインド系思想潮流「TAT TVAM ASI(汝はそれなり)」を併録する。」


目次:

イスラーム思想史――神学・神秘主義・哲学
 第一部 イスラーム神学――Kalam
  一 アラビア沙漠の精神とコーラン
  二 イスラーム法学諸派の形成とその基本概念
  三 思弁神学の発生
  四 ムアタズィラ派出現まで
  五 ムアタズィラ派の合理主義
  六 アシュアリーの出現とその思想的意義
  七 イマーム・ル・ハラマインの思弁神学体系
  八 ガザーリーにおける理性と信仰
 第二部 イスラーム神秘主義(スーフィズム)――Tasawwuf
  一 スーフィズムの起源
  二 初期の修道者たち
  三 修業道の理論的反省
  四 神秘主義的思想形成の発端
  五 初期スーフィズム思想の黄金時代
 第三部 スコラ哲学(Falsafah)――東方イスラーム哲学の発展
  一 ギリシャ哲学の移植
  二 最初の哲学者キンディー
  三 「第二の師」ファーラービー
  四 純正同胞会(Ikhwan as-Safa')
  五 イブン・スィーナー(Avicenna)の哲学
  六 ガザーリーの哲学批判
 第四部 スコラ哲学(Falsafah)――西方イスラーム哲学の発展
  一 「孤独の哲人」イブン・バーッジァ(Avempace)
  二 イブン・トファイル(Abubacer)の哲学小説
  三 イブン・ルシド(Averroes)の思想
  四 イブン・アラビーの神秘哲学――西方から東方へ
 後記
 人名索引

TAT TVAM ASI(汝はそれなり)――バーヤジード・バスターミーにおけるペルソナ転換の思想




◆本書より◆


「第一部 イスラーム神学」より:

「しかしそれに先だってアシュアリー学派の裡に何時となく発達した一種の自然哲学、Atomistic Kalam として世に有名な原子論的世界観に一言触れて置く必要を感じる。」
「さて今、我々が論じようとしている原子論者達に従えば、我々の住む感性的な世界は一瞬一瞬に来っては去り行く偶有(物の本質そのものに属さず、その物に外から偶然的に生起する性質――'arad 複数 a'rad)の連続からなる変化の世界である。全て変化には基体が無くてはならぬ。この基体を実体(Jawhar 複数 jawahir)という。ところが、この実体もまた不変ではない。それは可変的である。可変的ならば無始の過去から存在する永遠的なものではあり得ない。何故なら永遠的なものは変化しないはずであるから。」
「こうして実在は実体と偶有との二範疇から成り立っている。その他の我々が普通に独立した何かと考えているものは、実在の独立な範疇ではなくて、偶有の一つに過ぎなかったり、またはそれらの関係に過ぎない。即ち思惟の中に存在するのみで客観的には何も無いのである。例えば通常物質は客観的に存在するように思われているが、実は可能性等と同じく思惟の中にのみ在る。また、時間は種々な物の同時存在の形に過ぎない。
 さて実在の二範疇の一である偶有はその数が極めて多く、無限に存在すると言う人もある。がとにかく、どんな偶有も何かしらの実体の中以外には存在し得ず、また自分以外の偶有の中にも存在しない。普遍的なものは決して個物に宿ることができない。
 このように実在を構成するのは実体と偶有の二つだけで、その外には何ものも実在せず、しかも偶有は必ずいずれかの実体に帰属しその中にのみ存在するものである以上、結局真に独立して存在するのは実体だけということになる。そしてそれらの、実体の間には互いにそれらを結び付けるものが何もないのである。全ての実体はそれぞれ完全に独立して各々が離れ離れに立っている。こういう視点から見た実体を人は「原子」(al-jawhar al-fard)と名づけた。
 それらの実体は、それ自身としては非空間的(la makana)であるが、必ず位置(haiyiz)を占めている。そして一定の位置を占めることによって間接的に一定の空間を領するのである。こうして空間は延長のない単位の集合によって構成される。そして、これらの単位の間に運動がある以上、どうしてもそこに何等かの間隙があると見なければならぬ。原子は相互間に間隙を保ちつつ存在するが、互いに働き合うということはない。つまり世界は非連続的な一集塊であって、その集塊を構成する部分間に相互の働きは無いのである。ただこの真空の間隙においてそれら原子の運動がある。すなわち無数の原子が真空の中に浮遊しつつ集合したり離散したりしているのである。そして幾つかの原子がたまたま一つのところに集合して相ならぶとき、そこに「物」の形態が生じる。かくてこの原子論的世界においてはアリストテレスの「生成」(γένεσις)と「潰滅」(φθορά)の代りに「集合」と「離散」が支配する。
 こうして、イスラームの原子論者においては、数も時間も空間も運動も全ては非連続的な、延長を有たぬ原子に分散して考えられるに至った。故に時間は多くの個々の「今」の連続であって、二瞬間の間には必ず空隙があり、運動もまた多くの個々の状態の連続であって、各状態間には必ず休止が介在する。俗に速い運動とか遅い運動とか言うが、本当は皆同一の速度である。ただ、遅いと称される運動には休止点が沢山あるだけである。それでは、この二つの点の間に介在する空隙、二つの瞬間の間に在る空隙は如何にして乗り越えられるか。彼らのように考える以上、運動があり、時間の進行があるためには、どうしてもそこに飛躍を予想せざるを得ない。運動とは一つの点から他の点へ空間上に飛躍して行くことである。時間とは一瞬から一瞬へと飛躍して行くことである。
 更に実体と偶有との関係についても、或る人々は、偶有は各瞬間毎に消え失せるが実体は永続すると主張したが、大多数の者は、実体も空間上の点に過ぎぬ故、時間的にも一瞬しか存在しない。故にこの意味では実体も偶有と何等区別はないとした。そしてここに彼ら一流の創造論の基礎があった。彼らによれば、神は瞬間毎にこの世界を新しく創造しているのである。あらゆる出来事、全てこの世に起ることは悉く一つ一つの特殊な神の創造的行為である。故に現にこの瞬間に我々の眼の前にある世界は、一瞬前の世界の状態と何等本質的な関係が無いのである。この世界は一つの世界が続いて発展して行くかのように見えるが、実は刻々に新しく創造される無数の世界が次々と連続し重なって行くに過ぎない。このように、先行するものと、後に来るものとは互いに独立した全く別個のものであるから、自然界に因果律なるものは絶対に存在しない。先行者が後に来るものの原因となるということはあり得ない。この世では、よく偶然に二つの出来事が続いて起るため、AがBを惹起したように見え、人はこれを因果と名づけるのであるが、本当はAとBとの間には何等の必然性も無いのである。自然界に起ることには必然性(darurah)は無い、全て習慣('adah)に過ぎぬ。すなわち彼らの考えでは、いわゆる Notwendigkeit は完全に否定されて Gewohnheit しか残されないのである。また、Gewohnheit なればこそ、奇蹟と称するものが起り得るのである。すなわち、神が通常の習慣的な状態を変えようと欲すれば、確実無比の如く見えていた自然法則を一挙にして破壊し去るようなことが容易に生起する。奇蹟(mu'jizah)とは習慣の中絶(kharq al-'adah)である。いや、更に正確に言えば始めから奇蹟とか超自然とかいうものはあり得ないのである、なぜなら自然法則とか因果律とかいうものがもともと存在しないのであるから。
 このような自然観が、ヒュームによって代表されるイギリス経験論と類似するところが極めて多いことは誰でもすぐ気づくところであるが、西欧の哲学においてはその結論がいわゆる認識批判論の誘因の一となったのと違って、イスラームにおいては一方においてギリシャ系スコラ哲学者達の徹底した原子論反駁となり、それがまた連続的実在観の確立をうながすことになると共に、同時に他面神秘主義的気運を激成する強力な原因の一つとなった。この後者に関しては、単に原子論ばかりでなく、より一般に思弁的神学全体について言えることであるが、敬虔な信仰心がどうしてもこのような合理主義的な神の見方では満足できなくなったのである。これらの神学的議論の中に、人々は神の全能、神の創造を論じながらも、神が遥か彼方に遠ざかって行くのを感じないではいられなかった。人々は、もっと直接に自分を神の温い愛の中に包含してくれるようなものを渇望し始めた。こうして、思弁的論証法の価値を極度に制限し、無限な神の愛への直接の参入を説く神秘主義的要素がガザーリー(al-Ghazali 西洋哲学にいわゆる Algazel)の手によって、正統派神学の中に導き入れられるに至るのである。」



「第二部 イスラーム神秘主義」より:

「ズィクルとは「唱名」の意であって、(中略)絶えず休みなく神の聖名を呼び、いわば「ただ念仏して」というように、無念無想の瞑想三昧に没入することである。元来、イスラームの正統的宗教法の規定するところによれば普通の信者は全て一日五回定時の礼拝を行わねばならぬことになっているが、初期の修行者達はこのような儀式的外形的礼拝だけではあきたらず、(中略)昼夜を分たず神の名を唱え続けなければならないとした。」
「もう一つの要素であるタワックルとは「依存」を意味し、どのような宗教においても重要な要素として認められるところの絶対者(神)に対する帰依、従順の態度を極端にまで推し進めたもの、すなわち絶対受動的寂静主義の極限である。これはさきのズィクルが典礼的要素であるに反して、倫理的要素であり、特にこの第一期の修業道の顕著な徴標である。彼らの信じるところによれば、神の道に奉仕する者は、自己の個人的利害関係に対しては絶対完全な無関心を守り、全てにおいてありとあらゆる人間側からの率先的行動を差控え、ひたすら神の定めに依存しなければならない。この原理にもとづき、彼らは「明日」をありと思わず、「昨日」を顧みることなく、ただその日その日を神の導きのままに暮し、あらゆる商売、職業に従事しないことは勿論、日々の糧を他に乞い求めることすらせず、病にかかっても薬をとらず、自己を恰も湯灌者の両手の間にある死体のように神の御手にうち委せることを理想とした。」

「聖女ラービアはイスラーム神秘主義に「愛」の語彙を与えた最初の人として世に知られている。彼女は昼夜を分たぬ熱烈な祈りの時、神を呼ぶに「我が歓喜」「我が希望」「我がいのち」「恋しい人」というような表現を使い、常に神を憶い神に恋い焦れて夜も殆ど睡眠をとることをせず、暁前僅か一、二時間だけを、坐席に端然と正座したまま休息に当てたといわれている。 ガザーリーの伝えるところによれば、彼女は夜毎に室を出てただ独り屋上に坐し、東のかた遥かな蒼穹を拝して声を上げ「わが主よ、星は大空に燦めき、人々の眼は深い睡に閉され、地上の王者等もその邸宅の門をとざし、全ての恋する若者は己が愛する乙女とただ二人で居ります。私もここにこうしてあなたとただ二人だけで居ります」と祈るのを常としたという。このような傾向はやがて文学に深刻な影響を与え、抒情詩人達は神と人との愛の関係をそのまま地上の男女の愛恋の関係に移し、神に対する霊魂の愛を、この世のものと思われぬ優婉な乙女に対する美しい青年の切ない恋に譬えて歌うという、神聖といえば神聖、地上的といえば極めて地上的な、一種独特な官能的詩境を展開するのであって、この官能性、と言うより肉感性の世界こそ、後世のイスラーム文学わけてもペルシャ詩歌の一大特徴となるのである。」
「これとほぼ時を同じくして、エジプトに傑出した一人のスーフィーが現われて、神秘主義の理論化の方向に巨大な一歩を劃した。これがズン・ヌーンである。彼もまた神秘道における「愛」の重要性を認め、脱自冥合の法悦にまで人を導き登るものは、修道者の胸のうちに奔騰する「愛」の火焰のみであると説き、このような愛を芳醇な美酒の盃に譬えた。周知の通り、神秘主義的愛を酒になぞらえることは後世ペルシャのスーフィズム抒情詩人の間に最も弘く用いられた比喩であるが、(中略)この比喩を最初に確立した人は恐らくズン・ヌーンであると思われる。」



「第三部 スコラ哲学――東方イスラーム哲学の発展」より:

「哲学者としてのアヴィセンナが終始最大の関心を寄せたものは「存在」の問題であった。存在と存在者――これこそアヴィセンナの全哲学の中核である。
 存在を存在として、或は存在者を存在者である限りにおいて(maujud min haith huwa maujud――ラテン哲学の ens quâ ens――すなわち一切のものを「机」として、「花」として、「神として」等ではなく純粋にただ「在るもの」として)研究する学問を形而上学という。「存在」こそは形而上学の対象である。形而上学は存在を主題的に取扱う。しかし、存在は定義することができない。存在者は、その「存在するもの」という名によって説明するよりほかに、説明しようがない。なぜなら、存在こそ全て他のものを説明する根源であり、それ自身に対する説明というものはないからである。しかし説明はできないが、それがどういうものであるかということは直接に、何等他のものの力によることなしに我々の心裡に確立されている。存在こそは実に我々の意識にとって本源的なものである。そしてそれが最も端的な形で現われるのは「我の存在」(anniyah)の場合である。「我」の存在は何人もこれを疑うことができぬ。それは魂の直観によって把握される。
 「存在」の比較を絶する特殊性、その本源的性格、それが直観によって一挙に把握されそしてそれ以外に把握の途がないということに関聯して、それを「我」の存在性という一つの極限的形態において明らかにするために、アヴィセンナは、全く架空の条件の下に置かれた一個の人間を仮想した。これが後に西欧の中世哲学界に紹介されて屡〃論題となった「空中浮遊人間」説である。今、仮に或る人間が一度に而も完全な形で創造されたとして見よう。但し彼の両眼は覆れていて、外のものを何一つ見ることが出来ないとする。しかも彼は始めから空中に、あるいは、真空中に浮遊して居るので体には空気の抵抗すら感じない。彼の四肢は互いに離れていて、決して触れ合わない。この時、彼が自己について反省し始め、果して自分は確実に存在しているのだろうかと自問して見るとしよう。彼がこの問にたいして与える答については全く疑問の余地がない。彼は考えるであろう――「我」は確かに存在している、と。彼には未だ三次元の意識は無いが、自分が存在しているという意識だけはある。未だ手も足も、内臓も心臓も頭脳も、また如何なる外物も存在することを確認するには至らないのに、彼は自分が存在することだけは絶対確実なこととして肯定する。つまり自分の四肢の存在すら知らないのに、既に自分の「我」の存在を識っているのである。
 眼は覆れて外物を見ることができず、(中略)体には空気の抵抗すら感じることのない人が、自分を反省する時ただちに知るものが自分の存在であるとアヴィセンナは言う。存在の観念ができ上るには、感性的経験を必要とするという説は絶対に認めることができない。それは、全く他の何物をも必要としない本源的な直観知である。この点においてアヴィセンナはジルソンも指摘した通り、「私は自分が全然身体をもたないと仮想することは出来るが、それだからといって自分が存在しないとは絶対に仮想できない」と説くデカルトの先駆者であり、また存在の絶対的本源性を彼がこのように実存的な形で把握していたことは哲学史的に非常に興味がある。」



「TAT TVAM ASI(汝はそれなり)」より:

「Tat tvam asi (「汝はそれなり」)は、ウパニシャッドの宗教的・哲学的思想の精髄(エッセンス)を一文に収約したものとされ、特にヴェーダーンタ哲学の伝統では「大文章(マハーヴァーキャ)」(=根本命題)と称され、古来インド系思想の特徴ある基礎観念として絶大な働きをなしてきたものである。「汝はそれなり」。「汝(トヴァム)」とは個我、すなわち個的人間の主体性の中心軸、いわゆるアートマンのことであり、「それ(タット)」とは全存在世界の根源的リアリティ、万有の形而上的最高原理、いわゆるブラフマンのこと。要するに、「汝はそれなり」とは、アートマンとブラフマンの一致、すなわち、個的人間の主体性は、その存在の極処において、全宇宙の究極的根底である絶対者、ブラフマン、と完全に一致するということを意味する。
 アートマンとブラフマンの一致とか合一とか言っても、実は両者は元来一体なのであって、ただ普通の人間の場合はまったく自覚されていないだけのこと。それがある時、突然自覚される。その自覚の生起を一つの出来事、ある特別な意識的事態の現成として表現するために、合一とか一致とかいう言葉を使うのである。個別的人間実存の中核は、実は(悟ってみれば)全存在世界に遍満する宇宙的絶対実在そのものにほかならなかった、ということの主体的覚知の瞬間を、「汝はそれなり」という命題で収約的に示すのだ。」

「私が小論で考究しようと考えている主題は、インド哲学史一般における、あるいはヴェーダーンタ哲学思想の史的展開における、アートマン・ブラフマン観念そのものではなくて、それがイスラームの思想圏内に導入された場合、そこにどのような特異な問題をひき起すことになったかという非常に限定された主題である。」

「バスターミーとインド哲学との親密な関係については、バスターミー自身の興味深い証言がある。(中略)それによると、ごく平凡で、非常に敬虔な信者だったバスターミーは、ある時、一人のインド人と知り合いになり、その人の手引きで、突然、劇烈なスーフィズムの道に踏みこんで行った、ということになる。(中略)「私はアブー・アリー・シンディーという人物と親しくつきあうことになった。私は彼にイスラームの律法の規定する宗教上の義務を教え、そのお返しに彼は私に聖なる独一性の意義を教え、かつ最高の形而上的真理を教えてくれた」と。」
「「形而上的真理」(haqa'iq)というのが、具体的にどんな思想を指すのか明言されてはいないが、(中略)おそらくアートマン・ブラフマンの合一を中心点とするウパニシャッド・ヴェーダーンタ系の哲学にサーンキャ・ヨーガ的色彩を加味したものであったろうと思われる。しかしここで最も重要なことは、バスターミーがこのインド人から習ったという聖なる「独一性」(tauhid)という概念である。「タウヒード」といえば、イスラームでは、これはもう誰でも知っている「アッラーの他に神はない」(la ilaha illa Allah)という、アッラーの絶対的唯一性、独存性、の宣言。(中略)とにかくこの意味での「タウヒード」なら誰に教えて貰うまでもない。」
「ここでいう「タウヒード」は、だから、こんな意味での「タウヒード」ではなくて、その頃スーフィーたちの間で(中略)流行し、非常に人気のあったインドのサーンキャ哲学特有の「独一」「独存」概念、kaivalyam であったのだろうと想像されるのである。」
「「カイヴァリャム」はサーンキャ哲学をサーンキャ哲学たらしめる最重要な鍵概念であって、プルシャ(pu-rusa 「神我」「霊我」)のプラクリティ(prakrti 「原質」)からの完全離脱、純粋独存の自覚を意味する。要するに個々の人間の霊性的本質が、肉体をはじめとする一切の質料性のしがらみを脱却して、完全独存的モナドとしての自己本来の絶対性に復帰すること。このサーンキャ的独存観念がイスラームに導入されて、スーフィズム独自の主体性哲学の形成に絶大な働きをすることになるのだ。」
「現実の人間的実存は、肉体との結合の故に、物質的世界に由来するありとあらゆる属性を帯びている、そういういわば外的覆いを一枚一枚(バスターミーの言葉で言えば、あたかも蛇がその皮を脱ぎ捨てていくように)剥ぎ取っていく――それを術語で tajrid (「剥ぎ取り」)というのだが――そしてついに最後の一枚をも脱ぎ捨てて全裸状態、つまり絶対純粋の状態、になりきる時、それを「タウヒード」の状態というのである。バスターミーのよく引用される有名な言葉にこういうのがある。「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、私は私自身のからを脱ぎ捨てた。そして私は私自身を眺めてみた。どうだろう、驚いたことに、私はまさに彼だった(ana huwa)」。ヴェーダーンタ哲学のアートマン・ブラフマンの一致・合一がこういう形で表現されているのである。」

「バスターミーは、意識構造的に浮き沈みの著しく烈しい人物であった。到るところで彼は言行上の自己矛盾を犯す。今Aと言ったかと思うと、すぐ次にそれを真正面から否定するような言葉Bを吐く。AとBとは、多くの場合、正反対の発言であって、両者の間に論理の糸が全く通っていない。」
「同じ一つの事柄について、彼が全く相矛盾する二つの発言(A・B)をしている場合、我々はそれを彼の意識の階層的浮動性を説明原理として理解しなければならない。すなわち互いに矛盾する二つの発言(A・B)は、違う二つの意識レベルから発出するものと考えるべきなのである。」
「今日の心理分析の言葉で表現するなら、バスターミーに限らずその頃のスーフィーは原則的に躁鬱症だったと言われるであろう。そういうスーフィーたちの社会の中でもバスターミーは人々の語りぐさになるほど内的浮き沈みの極度に劇しい人物だった。躁と鬱――それを二つの極として、その周囲に、互いに矛盾し鋭く対立する二つの意識レベルが成立し、それが彼の内的存在性を引き裂くのだ。一方の端から他方の端へ、彼の心は行きつ戻りつし、その度ごとに相矛盾する言行の源となる。しかもこれら二つの意識レベルのあいだには、一種のバランスの取れた中間的精神状態があって、それがまた第三の意識レベルとして独立に機能する。」
「互いに対立して、同時成立することのあり得ないこれら二つの意識レベル(内的境位)、その一方を bast(バスト)、他方を qabd(カブド)という。(中略)字義どおりには、「カブド」は抑えこみ、抑制、収縮、収斂、などを意味し、「バスト」は拡がり、拡散、放散、を意味する。バストからカブドへ、カブドからバストへ、心の異常な昂揚と極端な落ち込みの間を、スーフィーの意識は常に劇しくゆれ動く。」
「宗教的感受性の異常な鋭さ、不安な実存。彼の言行を伝えるテクストには、しばしば haja という語が使われる。「ハージャ」とは、突然精神的平衡が破れて、異様な興奮状態に入ること。ほんのちょっとした他人の言葉や行動、ふとした出来事、たまたま目にした風景などが、たやすく彼を抑えきれない興奮の坩堝に投げこむのだ。(中略)彼は、当然のことながら、まるで別人になってしまう。これと正反対のカブド(「落ちこみ」の場合も、やはり極端なことが起る。
 「落ちこみ」状態におけるバスターミーがどんな様子だったかについて、一三年間彼に師事した門弟の一人にこんな証言がある。「一三年も私は彼のそばにいたが、そのあいだ私は彼がものを言うのを耳にしたことがなかった。たいてい彼は頭を膝の上に落して坐ったまま。ふと頭をもたげて嗚呼(ああ)! とひと声洩らしたかと思うと、また頭をかかえこんでしまう。そんな状態がずっと続いていた」、と。」

「先ず考えに入れておかなくてはならないのは、宗教としてのイスラームは、スーフィズムも含めて、常に神と人間との実存的上下関係を中心軸とするということだ。全存在世界の一方の極に神があり、これと対面する他方の極に人がある。両者のペルソナ的相互関係のダイナミクスに、イスラームという宗教の信仰の全てが懸かっている。」
「オーソドックスの宗教的世界像においては、神は絶対的超越者。天上の神と地上の人間とのあいだを無限の距離が分離する。ここには神の側の超越と支配、人間の側の服従と隷属あるのみ。神と人とが合一するとか融合するとかいうことはあり得ない。これに対して、バスターミーに限らずスーフィズム全体が、そもそもの発端から、これとは全く逆の方向への精神的運動としてイスラームの中に生起した。
 勿論、スーフィズムにおいても、神と人とのあいだの原初的関係は、同じく両者の完全な相互離間であるが、スーフィズムの根本的立場または性向としては、両者間の距離を次第に縮めて行き、両者の乖離を除去して行って、最後には神と人とのあいだに一点のへだたりもないというところまで到達しようとする。つまり(中略)この無限に遠い超越神を、人が無限に近い内在神として、逆説的に、己れの心の中に自覚しようとする。言い換えると、窮極的には、神が直接に人であり、人がそのまま神であるという境位に至ろうとする。これが俗に「神人合一の境」(unio mystica)という用語の意味である。」

「このような霊性的体験の高みにおいて、神と人とのあいだの我・汝関係の境界線はゆらぎ、流動化して、どちらがどちらなのか不分明になる。だから、この境位での神・人「対話」において、神はバスターミーに向って「まことに汝は我である」(Inna-ka ana)と言い、「我こそ汝、汝こそ我」(Ana anta wa-anta ana)と言う。これに応えてバスターミーの側では、「我こそ汝」と言う。勿論、「我」バスターミーは「汝」神だ、ということ。しかしバスターミー自身はこれでは満足しない。なぜなら、人と神との本来的同一性を表現するこの命題でも、なお主語と述語、「我」、「汝」とが、文法的形式の上で区別されているからである。
 かくて、この境位でのバスターミーの発言は、ついに Ana ana となり Anta anta という形になってしまう。アラビア語のシンタクスとしては、Ana ana は「我は我である」という独立の命題、Anta anta は「汝は汝である」というトートロジカルな命題であり得る。しかし本当はこれは「我! 我!」「汝! 汝!」という叫びとして理解する方が真実に近いであろうと思う。もうここまで来ては、「我! 我!」「汝! 汝!」としか言いようがないのだ。」
「いずれにもせよ、このような人称代名詞の秩序組織の乱れの源は、「我」という第一人称の指示するものが、今話題となっている境位では、神的一人称の主体性と人間実存の一人称の主体性とのあいだを揺れ動いて定まらないからである。「我」という語を口にしながら、バスターミーは、すぐそれを追いかけるように「だがそこにはバスターミーは不在である」とか「しかしそこには私はいないのだ」などと言う。つまり、ここで語っているパロールの主体は神そのものであってバスターミーではない、この一人称は神的一人称だ、というのである。
 人間的一人称から神的一人称へのこの微妙な移りを、次の引用文が明瞭に描き出す。バスターミー自身の言葉。「(神を求めて)私は現世を離脱し、神威性(jabarut)の領域に入っていった。私は純粋霊性(malakut)の海底深く潜り、神性の垂れ幕の向う側に進み入った。ところが、私がようやく高御座(たかみくら)まで辿りついてみると、どうだろう、驚いたことに高御座は空(から)だったではないか。私はそのままその上に身を投げ下ろして叫んだ、主よ、何処に汝を求めたらよろしいのでしょうか、と。すると、幕が巻き上げられて、私は見たのだ、私が私であることを。そう、私、私だった」。「私が私であること」(Inni ana)、この「我」は、人間的主体性から神的主体性に移る境界線上にある。今まさに人間的一人称が神的一人称に転成しようとしている。人・神ペルソナ転換の微妙な分岐線――接合線といってもいい――を、この引用文は実によく示している。」

「真の自己の探求、インド哲学的に言うならアートマンの真相の探求。それは単に真の自己の認識という知識の問題ではない。バスターミーにとって、それは自分が真の自分になること、でなければならなかった。(中略)だが、そういう形での自己探求が、どんなに困難なことであるか、バスターミーは知りぬいていた。
 「ある時、ズ・ン・ヌーンの門弟がバスターミーに逢いにやって来た。『誰を探しておいでか』とバスターミーが問う。『バスターミーを探しております』と男が答える。バスターミーは言った、『ねえ、君、バスターミーは、これでもう四〇年もバスターミーを探し続けているのだよ』。男は帰ってズ・ン・ヌーンにそのことを報告した。それを聞いてズ・ン・ヌーンは(興奮のあまり)気を失った」。」
「バスターミーの、長年にわたる自己探求は、意外にも自己否定、「我」の無化に終る。「我」意識の完全喪失。バスターミーという「我」はどこにもいなかったのだ、と彼は知る。「ある人が彼に呼びかけた。『バスターミー!』彼は言った。『バスターミーとは誰のことかね。一体、誰がバスターミーの知り合いなのだ。バスターミー自身が、こんなに探しても全然見つからないというのに』と」。
「自己探求の末に自己を失う。真の「我」の発見は、実は「我」の非有の発見だったのだ。しかし、「我」の非有の発見は、バスターミーにとって、神の有との出逢いにほかならなかった。家の中には神だけしかいない。天地一杯の神。「ある人がバスターミーの家の扉をノックする。『誰にご用?』『バスターミーにお目にかかりたいのですが』。その人にバスターミーは言う。『お引きとり下さい。お気の毒だが、この家の中には神だけしかいない』と」。」
「こうして真の自己を求め、「我」の探求に乗り出したバスターミーは、途中で、自己を探求することではなく、かえって自己の消去をこそ求めるべきであったのだと悟る。」
「バスターミーにとって、神探求の裏側であるこの自己忘失は、具体的には、彼自身の側での主体的意志の放棄という形を取って現われる。少くとも、意志・意欲の完全放棄がそれに向っての第一歩をなす。己れの側からの積極的、意欲的動きを一切しないこと。」
「だいいち、神を求めたりすることになんの意味があろう。神は始めから「汝と共にあった」のだ。人々は神を求めてメッカ巡礼に出掛けていく。バスターミー自身も、何回もメッカ巡礼を行った。その途中で、「バスターミーよ、何処へ行くのだ」と尋ねる何者かの声が聞えてくる。「メッカへ」と彼は答える。その時、その不思議な声の主がこう言った、「バスターミーよ、お前は神をバスタームの里に残して来たのではないか」。それを聞いて、私は自分のやっていることがいかに愚かしいことであったかと悟った、と彼は言っている。」

「「(天空を飛ぶ)私の目の下に、突如として、無(ライシーヤ)の曠野が現われた。この曠野の上を飛び続けること一〇年、ついに私は無(ライサ)から無(ライサ)を通って無(ライサ)に至った。すると私の眼前に、一切忘却(=一切棄却(タドイー)、tadyi')の領域が現われてきた。そして私は一切忘却の只中に全てを忘却した。私は存在無化をさらに推し進め、無(ライサ)を通して無(ライサ)の中に己れの一切忘却そのものをも忘却し、かくて一切忘却の棄却をも成しとげた。その上で、私は絶対独存性(タウヒード)の境地に至りついた。もはや霊性的智者〔=バスターミー自身〕の目には存在世界の影すらなく、逆に存在世界の中に生存している人々の目には、霊的智者の姿は見えなかった」。」




こちらもご参照下さい:

アッタール 『イスラーム神秘主義聖者列伝』 (藤井守男 訳)































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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