ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 秋山さと子/入江良平 訳

「異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。(中略)この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。」
(ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 より)


ハンス・ヨナス 
『グノーシスの宗教
― 異邦の神の福音とキリスト教の端緒』 
秋山さと子/入江良平 訳


人文書院 
1986年11月30日 初版第1刷発行
1990年9月30日 初版第4刷発行
486p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,944円(本体4,800円)



本書「訳者後記」より:

「本書は Hans Jonas: The Gnostic Religion. The Message of the Alien God and the Beginnings of Christianity, 2nd. rev. ed., Boston, 1964 の全訳である。」


ヨナス グノーシスの宗教


目次:

謝辞
序文
第二版への序文
第三刷に際しての注記(一九七〇年)

 第一章 序論――ヘレニズムにおける東方と西方
  a 西方の役割
  b 東方の役割
第一部 グノーシスの文学――主要教義、象徴言語
 第二章 グノーシスの意味とグノーシス運動の広がり
  a 時代の精神的風土
  b 「グノーシス主義」という名称
  c グノーシス主義の起源
  d グノーシス的「知識」の本質
  e 資料の概観
  f グノーシス主義の基本信条の概要
 第三章 グノーシス的イメージとその象徴言語
  a 異邦のもの(エーリアン)
  b 「彼方」、「外」、「この世」、「他の世界」
  c 諸世界、アイオーン
  d 宇宙での居住と余所者の滞留
  e 「光」と「闇」、「命」と「死」
  f 「混合」、「散乱」、「一」、「多」
  g 「転落」、「沈下」、「捕囚」
  h 遺棄、恐怖、郷愁
  i 麻痺、眠り、酩酊
  j 世界の騒音
  k 「外からの呼び声」
  l 「異邦の人」
  m 呼び声の内容
  n 呼び声への応答
  o グノーシス的アレゴリー
  第三章付録 マンダ教語彙
第二部 グノーシス主義の諸体系
 第四章 シモン・マグス
 第五章 『真珠の歌』
  a テクスト
  b 注釈
 第六章 世界を創造した天使たち。マルキオーンの福音
  a 世界を創造した天使たち
  b マルキオーンの福音
 第七章 ヘルメス・トリスメギストスのポイマンドレース
  a テクスト
  b 注釈
 第八章 ヴァレンティノス派の思弁
  a ヴァレンティノス派の思弁的原理
  b 体系
  第八章への補遺1――諸元素のなかの火の位置
  第八章への補遺2――『ヨハネのアポクリュフォン』の体系
 第九章 マニによる創造、世界史、そして救済
  a マニの方法。彼の召命
  b 体系
  c グノーシス思弁――二類型の再論
第三部 グノーシス主義と古典精神
 第十章 コスモスのギリシア的評価とグノーシス的評価
  a 「コスモス」の観念とそのなかにおける人間の地位
  b 宿命と星たち
 第十一章 ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂
  a 徳の観念――グノーシス主義におけるその欠如
  b グノーシス的道徳
  c グノーシス的心理学
  d 結び――知られざる神
 第十二章 グノーシス主義の領域における最近の発見
  Ⅰ ケノポスキオン文庫について
  Ⅱ 真理の福音
  第十二章への付記
 第十三章 エピローグ――グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム

訳者あとがき (秋山さと子)
訳者後記 (入江良平)
参考文献・文献補遺
固有名詞索引




◆本書より◆


「グノーシス的イメージとその象徴言語」より:

「「光の諸世界より来た大いなる第一の異邦の〈命〉、一切の業(わざ)の上に立つ至高のものの名において」――これはマンダ教文献に典型的な冒頭の句である。「異邦の」は「〈命〉」に常に付与される属性である。「命」はその本性からしてこの世にたいし異邦のものであり、状況によっては異邦のものとしてこの世のなかにある。」
「異邦の〈命〉という概念は、グノーシス言語の中で人が出会うきわめて印象的な言語象徴の一つであり、人間の言語の歴史全体の中でも以前には見られなかったものである。グノーシス文献全体を通じて、これと等価な表現は種々存在する。たとえば、マルキオーンには「〈異邦の神〉」ないし「〈異邦の者〉」、「〈他者〉」、「〈知られざる者〉」、「〈名を持たぬ者〉」、「〈隠れたる者〉」などの概念があるし、キリスト教的グノーシス文献の多くには「知られざる〈父〉」という概念がある。哲学でこれに対応するのは、新プラトン主義思想における「絶対的超越者」だ。しかし、それを神ないし至高の存在の属性とする神学的用法を別にしたとしても、「異邦の」という語(およびその等価語)には根源的人間経験の表現としての象徴的な意味がある。そしてその根底にある経験に関してとりわけ示唆的なのは「異邦の命」という組合せである。
 異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。このとき彼は「家の息子」となる。これもまた異邦のものの運命の一部である。この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。これまで述べたことはすべて異邦性のこうむる「苦難」の側面に属している。だがこの異邦性をその出自の面から見るならば、これは同時に卓越のしるしでもある。それは力と秘められた命との源泉である。それは環境によっては知られず、窮極的には傷つけられることもない。というのも、この世の被造物はそれを把握しえないからだ。異邦的なるものの優越性はこの世にあってすら――たとえ秘かにであっても――彼を他のものとは区別しているが、その故郷ではこれが明らかな栄光となる。そしてその故郷はここの世の外にある。かくのごときが異邦的なるものの身分である。したがってそれは遠きにあるもの、到達しえぬものであり、その余所者性(ストレンジネス)〔ここのものでないこと〕はまさにその光輝を意味する。したがって窮極において異邦のものとは、完全に超越的なもの、「彼方のもの」である。つまりそれはまさに神の卓越せる属性をもつものなのだ。」

「放逐された者の原型、神により地上の「逃亡者にして放浪者」〔『創世記』四・一四〕に定められた者であるカインがプネウマの象徴へと昇格され、キリストに連なる系統の名誉ある地位をあたえられる。これはもちろん深い伝統に根づいた価値観にたいする意図的挑戦である。この選択は「もう一方の」側、すなわち伝統が忌み嫌うものの側に与しようとする異端の一つの方法であって、たんなる感傷的な判官びいきではなく、まして思弁的自由に淫するといったことではなくて、それよりずっと深い意義をもっている。(中略)おそらくこのような事例において問題なのは(中略)論争の一形式だと考えるべきかもしれない。いいかえれば、原典の解釈ではなく、その「偏向的」な書き換えなのだ。実際、このような場合グノーシス派が原典の正しい意味を取り出したと主張することはめったになかった――つまり「正しい」という語がその著者の意図した意味と解されるかぎりにおいては。なぜなら、聖書の著者とは、直接的であれ間接的であれ、彼らの大いなる敵対者、暗愚なる創造神に他ならないからである。」
「みずからカイン派を称したグノーシス宗派もあるが(中略)、カインの像そのものは、いま述べた方法の機能をもっとも顕著に示す一例というにすぎない。あらゆる時代にわたってこのような否定的人物を網羅した系列を構成することにより、歴史全体の反逆的解釈が成立し、これが意識的に公認の歴史に対立せしめられる。カインに味方するという立場は、聖書における「否認された人々」すべてに一貫して拡大される。」



「ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂」より:

「放埓主義にかわるものは禁欲主義である。この二つの行動の型は対立的であるが、グノーシス派の場合それらは同一の根から生まれており、同一の根本主張によって支えられていた。一方は過剰によって、他方は禁欲によって、それぞれ自然への忠誠を拒絶する。両者はともに世俗的規範の外側で生きるのだ。濫用による自由と不使用による自由とは、その無差別性において等価であり、同一の非宇宙主義の異なったあり方にすぎない。放埓主義は形而上学的反抗のもっとも傲慢な表現であり、その挑発的態度そのものが、世界への極度の軽蔑を意味する。世界は危険や苦難としてさえも相手にするに値しないのである。他方、禁欲主義は世界の腐食的な力を認める。それは世界に汚染される危険を真剣に受けとり、したがってその動機となるのは軽蔑よりもむしろ恐怖である。」


































































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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