E. R. ドッズ 『ギリシァ人と非理性』 岩田靖夫・水野一 共訳

「一体、ギリシァ人は、本当に、人間の経験や行動において非理性的な要素のもつ重さについて、そんなに盲目だったのだろうか。(中略)この問いから、この本が生まれてきたのである。」
(E. R. ドッズ 『ギリシァ人と非理性』 より)


E. R. ドッズ 
『ギリシァ人と非理性』 
岩田靖夫・水野一 共訳


みすず書房 
1972年11月30日 第1刷発行
1986年8月5日 第4刷発行
ix 388p 索引xvi 口絵(モノクロ)2p
A5判 丸背バクラム装上製本 カバー
定価4,500円



The Greeks and the Irrational by E. R. Dodds, University of California Press, Berkeley & Los Angeles, 1951


ドッズ ギリシァ人と非理性 01


カバー裏文:

「ギリシァ文化は、〈理性的精神の勝利〉という、人類の歴史にかつて例を見ない現象の果実であった、と考えられてきた。そこには、原始心性や非理性的なもののはたらく余地はなかった、ともいわれる。
 だが、ギリシァ人は、人間の経験や行動において非理性的な要素がもつ重さについて、盲目だったのだろうか。「すべての人間の精神のなかには、原始心性の抜き難い根が牢固として存続している」(レヴィ・ブリュール)のであるし、「原始心性は、現代人の精神活動を充分見事に描写している」(ニルソン)のであってみれば、ギリシァ精神の歩みを、たんに非神話化・合理化の進展という面からのみとらえることは、もはやできないことではあるまいか。
 ホメロスの時代から紀元3世紀までの厖大な文学的著作の分析を通して、ギリシァ人の宗教的経験における、きわめて重要なしかし従来は知られることの少なかった局面に、著者は新しい光を投げかけている。広い視野と深い洞察に満ちた本書は、ギリシァ古典学の新しい方向を示した画期的名著として知られている。
 宗教学、社会学、人類学、心理学などにおける近年のめざましい成果を援用しつつ古代人の精神世界に迫った本書は、人間の行動の根源を理解することに関心をもつ人々すべてに大きな示唆を与えるであろう。」



目次:

凡例
省略記号一覧表
緒言

第一章 アガメムノンの弁明
第二章 恥の文化から罪の文化へ
第三章 狂気の祝福
第四章 夢の型と文化の型
第五章 ギリシァのシャーマンとピューリタニズムの起源
第六章 古典時代における理性主義とそれに対する反発
第七章 非理性的霊魂と父祖相伝の集積に関するプラトンの見解
第八章 自由の恐怖
付録一 マイナディズム
付録二 降神術

訳者あとがき
索引



ドッズ ギリシァ人と非理性 02



◆本書より◆


「第三章 狂気の祝福」より:

「ホメロスの中には「憑かれる」という観念がない、という説が長い間行なわれてきた。そして、この観念は、最古のギリシァ文化には異質のものだった、という推測が時々行なわれている。しかし、『オデュセイア』の中に、精神病は超自然的な起源に由来するという漠然とした信仰の痕跡を、われわれは発見できるのである。詩人自身はそのことについて何も言っていないが、彼は一、二度そういう信仰の存在を仄めかすような言葉を登場人物に語らせている。メラントーが嘲って、変装したオデュセウスを έκπεπαταγμένος 「良識カラタタキ出サレタ」、すなわち気が狂った、と呼ぶ時、彼女は、おそらく起源においてはダイモーンの介入を意味した句を、用いているのである。もっとも、彼女の口にのぼった時には、極く普通の「一寸気がふれた」というくらいの意味ではあろうが。この場面から少し後で、求婚者の一人がオデュセウスを愚弄し、彼を έπιμαστον άλήτην 「気違イ乞食」と呼ぶ。この έπίμαστος という(έπιμαίομαι に由来する)言葉は、他処には見当らない。そして、その意味は議論されている。しかし、ある古代の学者たちによって与えられている意味、つまり、「触れられた」すなわち「気が狂った」という意味が、もっとも自然であり、また文脈にもっともよく適合する意味である。ここでもまた、超自然的な「接触」が含意されている、と私は思う。」
「これらの文章から見て、精神疾患の原因が超自然的であるという思想は、ホメロスの時代において極くありふれた一般的思想であった、と言っても大体差し支えないであろう。」

「狂人は、たとえ忌避されたとしても、同時にまた、畏怖にも等しい敬意をもて遇せられた(実際、ギリシァでは、今でもそうである)。なぜなら、彼らは超自然的な世界と接触していたからであり、時には普通の人間に与えられていない力を振うことができたからである。狂気に堕ちたアイアスは、「人間のだれも教えたことのないような、ダイモーンの不吉な言葉」を語るのである。狂乱状態のオイディプースは、ダイモーンに導かれて、イオカステーの屍が彼を待ちうける場所に至るのである。プラトンは、『ティマイオス』の中で、超自然的な力の出現に好都合な条件の一つとして病気を挙げているが、その理由は上記のようなわけである。」

「ヘロドトスの伝えるところでは、リュキアのパタラにおいては――此処は、ある人々によってはアポロンの出生地と考えられており、また、確実に初期の時代におけるアポロン祭儀の中心地であったのだが、このパタラにおいては――、女予言者は、神との神秘的合一をとげるために、夜寺院の中に閉じ込められたのである。ちょうど、カッサンドラがそうであったように、明らかに、彼女はアポロンの霊媒であると同時に花嫁である、と考えられたのである。そして、ピューティアーは本来そういう者であった、とクックとラッテは推測している。このことは、充分明白に、パタラにおける脱魂的予言の存在を指示している。」
「私の結論としては、予言的狂気は、ギリシァでは、少なくともアポロンの宗教と同じくらい古い、ということである。いや、もっと古いかもしれない。ギリシァ人は、予言(μάντις)と狂気(μαίνομαι)とを結びつけたのだが、この結合が正当なものだとすれば(中略)予言と狂気のこの観念連合はインド・ヨーロッパ的観念の基幹に属しているわけである。」
「デルフォイにおいては、明らかにその神託の大部分において、アポロンは、テオクリュメノスの場合のような幻視に頼らず、根本的な文字通りの意味における「神がかり」に頼っていた。すなわち、ピューティアーは神がかり(entheos, plena deo)になった。神は、彼女に入り込み、彼女の発声器官を恰も自分自身のもののように使用した。それは、現代の霊媒術においていわゆる「支配霊」が為すのと、全く同様である。デルフォイにおけるアポロンの託宣は、つねに一人称で述べられ、決して三人称で述べられることはないが、その理由はここにある。」
「予言的神がかりは、公式の神託にだけ限られていたわけではない。単に、カッサンドラ、バキス、シビュラなどの伝説的人物だけが神がかりの状態で予言したと信じられていたのではない。プラトンは、しばしば、同時代の見馴れたタイプの人として、霊感をうけた予言者に言及している。とくに、ある種の私的霊媒術が、古典時代において、またずっと後になっても、「腹話者」、後には「ピュートーン」の名で知られる人々によって、実行されていた。(中略)その一人であるエウリュクレスとかいう男は、アリストファネスとプラトンの両者によって言及されているほど、有名だった。しかし、われわれの持っている直接の情報は、わずかに次のことに尽きる。すなわち、彼らは自分自身の中に第二の声をもっており、その声は、彼らと対話を行ない、未来を予言し、ダイモーンの発する声だと信ぜられていた、ということである。彼らは、しばしば想定されているように、現代人の言う意味での腹話術師では、確実にない。プルタルコスの中の或る言及が示唆するところから見れば、ダイモーンの声――多分嗄れた「腹声」――が、彼らの唇を通して語るのが、聞えたらしい。これに対し、プラトンの或る注解者は、恰もその声が単なる内面的警告であるかの如くに、書いている。しかし、単に腹話術を斥けるばかりでなく、むしろ脱魂を強く示唆する一つの証拠を、学者たちは見落している。すなわち、ヒッポクラテス学派の古い臨床例集『エピデミエ』によると、胸を病む人の荒い息遣いは、「腹話者と呼ばれる女性」の息遣いになぞらえられている。腹話術は音をたてるような呼吸はしない。これに対し、現代の「脱魂霊媒」もしばしば鼾をかくような息遣いをするのである。」
「プルタルコスからわれわれが知るところでは、ピューティアーの脱魂的心理状態はいつも同じような具合だったわけではなく、また、時には、現代の交霊会においてもそういうことが起るように、ものごとがひどく悪く進行することがあった。彼は、その当時起ったあるピューティアーの出来事を伝えている。彼女は、うっ屈状態で、いやいやながら、脱魂に入っていった。予言は凶であった。最初から、彼女は、恰も苦悩にうち拉がれたかのように、嗄れた声で語り、「無言の悪霊」に充たされているかのように見えた。遂に、彼女は、絶叫しながら扉の方へ突進し、大地に倒れた。これを見て、そこに居る者はみな、神託を解釈する司祭さえもが、恐怖のあまり逃げ去ったのである。彼らが彼女を抱き起しに戻って来た時、彼らは彼女が正気に帰っているのを発見した。しかし、彼女は数日の中にこの世を去ったのである。」

「ギリシァの社会は、アルカイク時代に非常な緊張状態に落ち込んだが、デルフォイがなかったならば、ほとんどこの緊張に堪えることはできなかったであろう。人間の無知と人間の不安定さの自覚から来る押しつぶされるような感じ、神の妬みへの恐怖、汚れへの恐怖――これらのものの累積した重荷は、このように全知の神的な助言者が与え得る保証なしには、堪え得なかったであろう。神的な助言者は、一見世界は混沌としているが、混沌の背後には知と目的があるのだ、と保証するのである。(中略)ギリシァ人は神託を信じた。しかし、それは、彼らが迷信深い愚者であったからではなく、彼らが神託を信じないではやってゆけなかったからである。そして、ヘレニズム時代になってデルフォイの重要性が衰えた時、その主な理由は、私が思うには、(中略)人間がより懐疑的になったということではなく、むしろ、その当時人々が宗教的保証の他の形に頼りうるようになった、ということなのである。」
「もし私が初期のディオニューソス的祭儀を正しく理解しているとすれば、それの社会的な機能は、心理学的な意味で、本質的に浄化的であった。この祭儀は、個人から、伝染性の非理性的衝動を解放し、これを取り除いた。この非理性的衝動は、せき止められ抑圧されると、他の諸文化の中に見られるように、舞踏病やそれに類似した集団ヒステリー現象へと爆発するのである。この祭儀は、この衝動に祭儀的な発散を与えることにより、それを鎮静したのである。もしそうであるとすれば、アルカイク時代において、ディオニューソスはアポロンと同じく、社会的必然性であった。それぞれの神は、独自の方式で、罪の文化の特徴である諸々の不安を癒すべく働いたのである。アポロンは安全を約束した。「人間としての分際を弁えなさい。父があなたに告げるように行為しなさい。そうすれば、あなたは明日安全に過ごせるでしょう。」ディオニューソスは自由を差し出した。「差別を忘れなさい。そうすれば、あなたは合一を発見するでしょう。信徒の群(θίασος)に加わりなさい。そうすれば、あなたは今日幸福になるでしょう。」ディオニューソスは本質的に喜悦の神であった。(中略)そして、ディオニューソスの喜びは、すべての人に開かれていた。その中には、古い氏族文化から閉め出されていた自由な平民もおれば、奴隷さえも居た。これに対し、アポロンは、(中略)いつも最良の社会の中で動いていた。だが、ディオニューソスは、いつの時代でも、民衆の神(δημοτικός)だったのである。
 ディオニューソスの与える喜びは、非常な広範囲にわたった。それは、脂を塗った革袋の上でジグを踊る野暮な田舎者の単純な快楽から、バッカスの祭の恍惚境において生肉を食う礼拝にまでわたった。この両極において、また、この両極の中間に位するあらゆる段階において、ディオニューソスは「解放者」リューシオスであった――この神は、非常に単純な方法で、あるいはそれほど単純ではない他の方法で、しばしの間、人に自分自身であることを忘れさせ、それによって人を解放するのである。これが、私が思うに、彼がアルカイク時代に歓迎された主な秘密であった。すなわち、この時代における人生は、しばしば、そこから逃げ去りたいようなものであったが、そればかりではなく、もっと限定して言えば、現代的な意味における個人がこの時代に初めて古い家族的連帯性から離脱し始め、個人的責任という不慣れな重荷を負い難きものと感じだしていたのである。ディオニューソスは、この重荷を取り除くことができた。なぜなら、ディオニューソスは、魔術的幻想の主であったからだ。彼は、舟板から葡萄を生えさせることができ、一般に信徒をして現実には存在しないような世界を幻視させえたのである。ヘロドトスの中のスキュティア人が述べているように、「ディオニューソスは人々を狂乱の振舞いへと導く。」――これは、「自制心を失わせること」から、「神がかりになること」までの、あらゆることを意味し得たのである。彼の祭儀の目的は、脱我、エクスタシスであった――これはまた、「一時的に自分でなくなること」から、人格の深い改変に至るまでの、あらゆることを意味し得たのである。そして、エクスタシスの心理的な機能は、責任を放棄しようとする衝動を満足させ、解放することであった。この衝動は、われわれすべての中に存在し、ある社会的条件の下では抵抗し難い熱望となり得るものである。」

「五世紀までに、コリュバンテスは狂気の処置のための特殊な祭儀を開発していた。」
「(一)、まず最初に、われわれは、コリュバンテス風の治療と古いディオニューソス風の治療との間にある本質的な類似性に、注目することができよう。この両者とも、伝染性の「オルギア的」音楽を伴った伝染性の「オルギア的」ダンスによって、カタルシスを行なう、と称した。この音楽は、笛と太鼓で演奏されたフリュギア風の調べであった。この二つの祭儀は、同種の心理的タイプの人々に訴えかけ、同種の心理反応を惹起した、と推測することは妥当なように思われる。」
「(二)、コリュバンテスが癒すと称した病気は、「ある病的な精神状態から生ずる恐怖感もしくは不安感(δείματα)」である、とプラトンは言っている。(中略)プラトンは、『イオン』の中でこう言っている。「コリュバンテス的狂乱状態にある人々は、一つの調べに対してだけ鋭い耳を持っている。その調べは、彼らにとり憑いている神に属する調べであり、彼らは、この調べに対して自由に身振りと言葉によって応答するが、他のすべての調べを無視するのである。」(中略)第二の見解に立てば、コリュバンテスの祭儀は、病気の診断のために導入された宗教音楽の種々のタイプを、含んでいたに違いない。しかし、いずれにしても、この文章の示すところでは、診断は音楽に対する病人の反応に基づいていた、ということである。」
「(三)、(中略)プラトンのなにげない言葉が暗示するところでは、ソクラテスは個人的にコリュバンテスの祭儀に参加していたらしい。(中略)プラトンもアリストテレスも、明らかに、それを少なくとも公衆衛生の有効な手段と見なしている。それは祭儀の参与者に対して良い効果をもつ、とかれらは信じている。そして、実際、ヘレニズム・ローマ時代に、聖職者ではない人々によって類似の方法がある種の精神障害の治療に用いられたらしい。ある形式の音楽によるカタルシスは、四世紀に、おそらくはもっと以前から、ピタゴラス学徒によって実行されていた。(中略)テオフラストスは、プラトンと同様に、不安状態に対して音楽は良い効果をもつ、と信じた。前一世紀には、アスクレピアデスというローマで流行の医者が精神病患者を「和音」(シュムフォーニィアー)によって治療した、という記事がみられる。また、アントニヌス帝の時代に、ソラーヌスは、うつ病や今日ヒステリーと呼ばれている精神病の治療に、当時フルート音楽が一つの方法として用いられた、と言っている。このようにして、古くからの魔術・宗教的カタルシスは、遂にその宗教的脈絡から引き離され、非宗教的精神医学の領域に適用されることになった。精神医学は、ヒポクラテス学派の医者たちがたずさわった純粋に物理的な治療を補うものとして、登場したのである。
 最後に残ったのは、プラトンの「神的な」狂気の三番目のタイプである。プラトンは、このタイプを「ムーサによる把捉(カトコーケー)」と定義し、もっとも優れた詩を創作するためには不可欠のもの、と宣言している。」
「恍惚状態で詩作する「熱狂した」詩人という観念は、五世紀より以前に遡って確めることができないように思われる。もちろん、それは五世紀より古いであろう。プラトンは、それを、昔からの言い伝え(παλαιος μυθος)と言っている。私自身は、それをディオニューソス宗教運動の副産物であると、考えたい。この宗教は、異常な精神状態の価値を、単に知識への通路としてのみならず、それ自身のために強調する、という一面をもっていたからである。しかし、われわれの知る限りで、詩的脱魂について語った最初の人は、デモクリトスである。彼は、もっとも精美なる詩は「神ガカリト聖ナル息吹キヲモッテ」 μετ' ενθουσιασμου, και ιερου πνευματος 創作されたものである、と主張し、狂気なくして人が偉大な詩人たりうることを、否定した。」



「第四章 夢の型と文化の型」より:

「人間は、(中略)二つの世界に住むという奇妙な特権をもっている。彼は、毎日、二つの異なった種類の経験を交る交るに享受する。この二つの経験は、ギリシァ語では ὕπαρ 〔うつつ〕と ὄναρ 〔夢〕だが、これらは夫々にそれ自身の限界をもっている。そして、一方が他方より一層有意義であると考えるための明白な理由を、人間はもっていない。目覚めた世界は、堅実さと連続性というある優越点をもっているが、他面、この世界における社会的行動の可能性は、おそろしく制約されている。この世界では、普通、われわれは隣人に出遭うだけである。これに対して、夢の世界は、遠い所に居る友人や、死んだ友人や、神々とさえ交わる機会を、どれほど儚くても、与えてくれるのである。于h通の人間が、時間・空間という無礼で不可解な束縛を逃れるのは、ただ、夢という経験においてだけである。(中略)今日でもなお、多くの未開人は、あるタイプの夢経験に、目覚めた生活の経験と、種類は異なっても同等の妥当性を、帰しているのである。このような単純さは、十九世紀の宣教師から、憐憫の笑いを誘った。しかし、われわれの時代が発見したところでは、未開人たちは、大体において、宣教師たちよりも真理により近かったのである。夢は、現在明らかになったところでは、いずれにしても非常に有意味である。」
「ホメロスの詩人は、夢を描写するに際してほとんど、見られたものを恰も「客観的事実」であるかのように、扱っている。夢は、普通、睡眠中の男や女を一人の夢-人物が訪問する、という形をとる(ホメロスにおいては、夢(oneiros)という言葉そのものが、ほとんど常に、夢-人物を意味し、夢-経験を意味しない)。この夢-人物は、神、亡霊、以前から在る夢の使者、夫々の場合に特に創造された「幻」(eidolon)などの姿を、とることができる。しかし、夢-人物がそれらのどれであっても、それは空間中に客観的に存在し、夢を見ている人とは独立なのである。それは鍵穴から入り込む(ホメロスの寝室には、窓も煙突もない)。それは、口上を伝えるために、ベッドの頭のところに腰を落ち着ける。そして、用事が済むと、それは同じ道を通って退くのである。その間、夢を見ている人は、ほとんど全く、受動的である。」
「客観的かつ視覚的な夢は、単に文学的伝統の中にばかりではなく、民衆の想像力の中に、恰も深く根を張ってしまっているかの如くである。そして、この結論は、次のことによって、或る程度、強化されるのである、つまり、神話や敬虔な伝説の中には、ある種の夢が現われるのだが、その夢は、背後に物質的なしるしを残すことによって、己の客観性を証明するのである。それは、現代の心霊術者なら、「アポール」と呼びたがるところのものである。もっともよく知られた例は、ピンダロスの中にあるベレロフォーンの夢で、そこでは、残されたものは黄金の馬勒であった。」

「熱烈に希求された「神的な」夢を、惹起するために、多くの社会では、いくつかの技術が用いられてきたし、今でも用いられている。それらの技術の中には、隔離、祈祷、断食、自分で手足の指をつめること、聖なる獣の皮の上に眠ること、あるいは何か他の聖なる物に接触しつつ眠ること、そして最後に、聖なる場所で眠ること、あるいは、これらの中のいくつかの組合せ、などがある。(中略)古代世界では、これらの手段の中で、主に、聖なる場所で眠ることが、行なわれた。」
「聖なる場所での睡眠〔参籠〕は、エジプトにおいては、少なくとも紀元前十五世紀以来、行なわれてきた。(中略)ギリシァで、最初に、われわれがこの行事に出会う際には、これは、普通、女神大地の祭儀および死者の祭儀と結びついている。これらの祭儀は、ギリシァ以前のものである様相を、十二分に帯びている。伝説の語るところによれば、おそらくこれは真実であろうと思われるが、デルフォイにおける大地の神託は、もともとは、夢の神託であった。歴史時代に入れば、夢のお告げを求める参籠は、死者や大地のダイモーン達を祀る神殿において、また、死者の国への入口と見なされていた大地の割れ目において、行なわれていた(necyomanteia)。」
「ヘリコン山でムーサの女神たちが自分に語りかけた、とヘシオドスは言っているが、これは比喩や詩的装飾ではなく、実際の体験を文学的な言葉で表現しようとする試みなのである。(中略)また、マラトンの戦いの直前に、フィリッピデスが牧神パーンに遭遇し、彼のお告げでアテナイにパーンの祭儀が設立されるに至った、ということを、われわれは歴史的事実と受けとって差し支えないだろう。(中略)これらはみな淋しい山中で起っている。(中略)探険家、登山家、飛行士などは、今日でも、ときどき奇妙な体験をもつことがある。たとえば、南極でシャクルトンと彼の仲間たちにつきまとった妖怪は、一つの有名な例である。また、古代ギリシァの一人の医者は、実際、こういう病的状態について、次のように言っている。「もしひとが淋しい道を旅行しながら、幻影によって恐怖に襲われるならば」、彼がこういう病的状態に陥っても不思議ではない。この関連で、われわれが心に留めておくべきことは、ギリシァの地形である。すなわち、ギリシァの大部分は、過去においても現在においても、荒涼とした淋しい山岳の広大なひろがりによって分け隔てられた、小さな分散した居住地の集った国なのである。(中略)この孤独の及ぼす心理的影響は、過小評価されてはならない。」




































































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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