『世界の名著 続 2 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』 (責任編集: 田中美知太郎)

「「あるがままの自己を意志すること」を抜きにして、彼を把握することはできない。彼は自己自身と和合していて、自己であることを意志し、自己が意志するものとして現にある。意志と自己とが一つなのである。」
(プロティノス 「一なる者の自由と意志について」 より)


『世界の名著 続 2 
プロティノス 
ポルピュリオス 
プロクロス』 

責任編集: 田中美知太郎

中央公論社 
昭和51年1月15日 初版印刷
昭和51年1月25日 初版発行
686p 
口絵(カラー/モノクロ)2葉
17.6×12.8cm 
丸背クロス装上製本 貼函
本体ビニールカバー
函プラカバー
定価1,800円
装幀: 中林洋子

付録 14 (12p):
神秘思想の源流(対談: 西谷啓治・田中美知太郎)/責任編集者・訳者紹介/次回(最終回)配本/写真図版(モノクロ)5点



本書「新プラトン主義の成立と展開」より:

「プロティノス、ポルピュリオス、プロクロス三人の哲学者の著書のうちから、適当と思われるものを選んで、ここに一書をあみ、いわゆる新プラトン派哲学の一斑を的確に知ってもらうよすがにもしたいというのが、わたしたち訳者の願いである。」
「本巻には、プロティノスの『エネアデス』全五十四篇のうちから、十一篇を選んで収録した。」



二段組。図版(モノクロ)。


プロティノス ポルピュリオス プロクロス 01


帯裏文:

「プラトン解釈に新紀元を画したプロティノスとその継承者ポルピュリオス、プロクロスの代表作を精緻な訳と注釈で収録する。思想的混迷が続くなかで人間存在が鋭く問われているとき、新プラトン派哲学のもっている言語道断の真骨頂というべきものは、まさに現代の課題に応えるものである。」


目次:

口絵
 ティヴォリのエステ邸庭園よりローマ市街を望む。
 プロティノス

新プラトン主義の成立と展開 
 新プラトン派の哲学について (田中美知太郎)
 プロティノスの生涯 (水地宗明)
 ポルピュリオスの生涯 (同)
 プロクロスの生涯 (同)
 プロティノスの哲学 (同)
 『神学綱要』とプロクロスの哲学 (同)

ポルピュリオス
 プロティノスの一生と彼の著作の順序について (水地宗明 訳)

プロティノス 〈エネアデス〉
 善なるもの一なるもの (田中美知太郎 訳)
 三つの原理的なものについて (田中美知太郎 訳)
 幸福について (田之頭安彦 訳)
 悪とは何か、そしてどこから生ずるのか (田之頭安彦 訳)
 徳について (田之頭安彦 訳)
 美について (田之頭安彦 訳)
 エロスについて (田之頭安彦 訳)
 自然、観照、一者について (田之頭安彦 訳)
 英知的な美について (水地宗明 訳)
 グノーシス派に対して (水地宗明 訳)
 一なる者の自由と意志について (水地宗明 訳)
 『エネアデス』要約 (水地宗明)

ポルピュリオス
 イサゴーゲー (水地宗明 訳)

プロクロス
 神学綱要 (田之頭安彦 訳)

訳注
年譜
索引



プロティノス ポルピュリオス プロクロス 02



◆本書より◆


「プロティノス伝」より:

「われわれの時代に現われた哲学者プロティノスは、自分が肉体をまとっていることを恥じている様子であった。そしてこのような気持ちから彼は、自分の先祖(種族)についても両親についても生国についても、語ることを肯(がえ)んじなかったのである。また彼は肖像画家や彫刻家の前に座ることをはなはだしく軽蔑していて、(あるときなど)アメリオスに向かって、後者が彼(プロティノス)の肖像画を描かせることの許可を求めたときに、こう言ったほどであった。「なるほど。自然がわれわれにまとわせた模像(肉体)を背負っているだけではまだ足りないで、もっと長持ちのする模像の模像を、まるでそれが何か眺めるに値するものであるかのように、自分の後に残すことを私が承知すべきだと、君は言うわけなのだね」
 このように彼が拒絶して、この目的のために座ることを承知しなかったので、そこでアメリオスは、その当時生存した画家たちのうちで第一人者であったカルテリオスという人を友人にもっていたので、この人を(プロティノスの)授業に出席させて――それというのも希望者はだれでも授業に通うことができたのである――長時間注視することによって、視覚から受ける印象をしだいにより鮮明なものとしていくことに慣れさせたのである。そしてそのあとで(カルテリオスが)記憶に留められた映像に基づいて(プロティノスの)肖像を描き、アメリオスも手伝ってその画を似つかわしく修正して、かくしてカルテリオスの才能が、当のプロティノスの知らぬまに、彼にそっくりの肖像画をでき上がらせたという次第であった。」

「さて彼がまさに逝去しようとして――エウストキオスがわれわれに語ったところによると――エウストキオスはプテオリに住んでいて、彼(プロティノス)のもとに到着するのが遅れたので、「君をまだ待っていたのだ」と彼は言って、それから「われわれの内にある神的なものを、万有の内なる神的なもののもとへ上昇(帰還)させるよう、今自分は努めているのだ」と言い、一匹の蛇が彼の横たわっていた寝台の下をくぐって壁にあいていた穴に姿を隠したときに、息を引き取った。」

「自称哲学者たちの一人にアレクサンドリア出身のオリュンピオスという、僅かの間アンモニオスの弟子であった者が、(中略)彼(プロティノス)に対して軽蔑的な態度をとっていた。またこの男が彼を攻撃する悪辣(あくらつ)さは非常なもので、魔術を用いて星からの有害な力が彼をおそうように企てたほどであった。ところがその企て(力)が反転して自分自身に向かってくることに気づいたので、友人たちに向かってこう言った。プロティノスの魂の力は偉大であって、自分に向けられた攻撃力を逆に害しようと企てている者に向かって打ち返すことができるほどであると。事実プロティノスの方でもオリュンピオスの攻撃を知覚したのである。そしてこう言った。そのとき彼(プロティノス)の身体は、肢体が互いに押し合いへし合いして、ぎゅっと口を引きしめられた巾着(金入れ袋)同然に痙攣(けいれん)したのであると。他方オリュンピオスは、プロティノスを害するよりは、むしろ自分自身が害を受ける危険にたびたびおちいったので、その企てを中止した。」

「さて授業においては、彼は話すことに堪能であったし、適切なもの(問題の核心)を発見し理解する力は比類なくすぐれていたが、ことばづかいではいくつか誤りを犯した。例えば「アナミムネースケタイ」(彼は思い出す)と言わないで、「アナムネーミスケタイ」とか、その他いくつかのまちがったことばを口にしたし、書くときにもそのままで通した。」



「自然、観照、一者について」より:

「さて、このようにして人びとは、実践というまわり道をしながら、ふたたび観照のもとに戻ってくることになった。すなわち、魂はロゴスなのであるから、人びとが魂の中で把握するものは、沈黙したロゴス以外の何ものでもないのである。そして、このロゴスは沈黙の度合が多ければ多いほど、魂の奥深くに横たわり、これを満たす度合も多くなるのである。すなわち、この時の魂はロゴスに満たされているから、平静な状態を保ち、何も求めようとはしないのであって、このような状態のもとでの観照は、すでにその対象を得ているとの信念から、魂の奥深く静かに横たわっているのである。
 そして、この信念が明確であればあるほど、観照も単一化の傾向を深めて静かになり(中略)認識の主体は、対象を明確に認知すればするほど、これとの一体化の傾向を強めていくのである。(中略)だから、われわれは、このロゴスを魂の外に求めるようなことをしてはならない。学ぶ者の魂がこれと一体となり、「このロゴスは、もともと自分に固有なものだ」ということを、認めるようにしむけなければならないのである。」

「観照が自然から魂へ、そして魂から知性へと上位の段階に移行するにつれて、観照と観照をおこなうものとの関係もますます緊密化し結びつきを強めていく。そして、賢者の魂の段階で、認識の客体は主体と同一化の方向をたどり(中略)知性の段階にいたると、いまや明らかに認識の主体と客体は一体となるのである。」



「グノーシス派に対して」より:

「しかしおそらく彼らは、自分たちの論は、(人々が)肉体を遠くから憎悪して、これを忌避するようにしむけるが、他方われわれのがわの論は、魂を肉体に執着させるものだ、と主張することであろう。
 だがこの主張は、次のようなたとえ話に類するものであろう。二人の人間が同じ一軒の美しい家に住んでいる。一人は家のできぐあいと建築者を非難しながら、にもかかわらずそこに住み続けているが、もう一人は非難しないで、むしろ建築者が技術を尽くして建てたのだと言って、自分がもう家を必要としない所へ向かって立ち去るその時が来るまで、待っているのである。そして前者は、自分が「壁が生命のない石や木からできていて、この家はわれわれの真実の住まいには程遠い」と主張するすべを知っているという理由から、自分の方がより賢くて、よりいっそう喜んで(この家から)出て行けるのだと信じるが、しかし実は彼は、自分がやむをえないことを堪え忍ぶことができないという一点でのみ後者にまさっているのだということを、悟っていないのである。ただし彼が、内心ではひそかに石の美しさを愛(め)で楽しみながら、不満そうに装っているのならば別である。」



「一なる者の自由と意志について」より:

「「あるがままの自己を意志すること」を抜きにして、彼を把握(理解)することはできない。彼は自己自身と和合していて、自己であることを意志し、自己が意志するものとして現にある。意志と自己とが一つなのである。」
「自分が現にそれであるもの以外の何をいったい彼が欲するだろうか。というのは、自分の意志どおりのものになることを彼が望み、そして自分の本性を違ったものに転ぜしめることが彼に可能だと仮定しても、何か他のものになることを彼は望みもしないであろうし、また自分が現にあるようなものであるのは必然(強制)によってであるとして、露ほども自己を非難することはないであろう。彼の本性は、彼自身がつねに欲した、また現に欲しているとおりのものなのであるから。なぜなら、善なる者の本性は真実に自己への意志なのである。彼は、誘惑されたのでも、自己の本性に引きずられたのでもなくて、自己を選択した。というのは、彼が他者に向かって引っぱられようにも、他者は存在すらしていなかったのである。」
「ところで、意志することが彼自身から出るとすると、彼であることもまた彼自身から出ることが、必然である。したがってこの論は、彼が彼自身を創造したのであることを発見したわけだ。(中略)したがって彼は、偶然に生じたものではなくて、彼自身が望んだとおりのものなのである。」

「彼が現にそれであるところのものであるのは、彼自身によってなのである。そして彼は自己の方向へ、自己の内部へ向いている。それは彼がこの意味でも、外部あるいは他者の方向へではなく、彼全体がすっかり彼の方へ向けられているためである。」

「彼自身はしかし、自己自身から存在し、もはや維持も分有も必要とせず、自己によって一切である。否、むしろ彼は何ものでもなく、自己のためには一切を必要としない。
 かくてもし君が彼を言表し、あるいは表象しようと欲するならば、他の一切を除き去れ。一切を除き去って、彼のみを残したならば、もはや何を付加しようかなどと探求するな。むしろ君の思考の内で、君がまだ何か彼から取り除いていないものがありはしないか心配せよ。それというのは君もまた、あるものを――それについてはもはや他の事物を述べることも考えることも許されないような、あるものを――把捉することができるのである。このものは超上に位置していて、このものだけが真実に自由である。なぜなら、このものは自己自身にすら隷属せず、単に彼自身であり、真に彼自身であるが、その他のものは、それぞれが自己であるとともに他者なのであるから。」



プロティノス ポルピュリオス プロクロス 03



こちらもご参照下さい:

プロチノス 『善なるもの一なるもの 他一篇』 田中美知太郎 訳 (岩波文庫)




























































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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