内田善美 『星の時計の Liddell ①』 (全三冊)

「彼女はいわば
その魂をもって
夢に
帰化(きか)した
そういうことさ」

(内田善美 『星の時計の Liddell』 より)


内田善美
『星の時計の Liddell ①』
 

集英社 
1985年9月10日 第1刷発行
193p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価880円


「first published in BOUQUET June issue 1982 - September issue 1982」



カラー口絵(折込)1葉、巻頭カラー4p。


内田義美 星の時計01 01


帯文:

「少女漫画に新たな神話が誕生
旅から戻ったウラジーミルの目にうつったのは、はるかな夢(まぼろし)に囚われた男・ヒューの奇妙な生活だった…」



内田義美 星の時計01 02


口絵イラスト。


目次:

星の時計のLiddell ①

あとがき お茶にしましょ モモタロさん (内田善美)
私的内田善美論 浪漫の色はセピア色 (倉持功)
作品リスト/単行本リスト



内田善美 星の時計01 04



◆本書より◆


「幽霊になった男の話を
しようと思う

だが
どこから語りだそう」

「彼の夢から語ろう

そう…
夢から――」



内田善美 星の時計01 03


ウィーン生まれのパリ育ち、大金持ちの子息で世界中を旅してまわるロシア人ウラジーミル・ミハルコフ(ウラジーミルはウラジーミル・ナボコフにちなんだ命名であろうとおもわれます。ミハルコフは映画監督のニキータ・ミハルコフからでしょうか。ウラジーミルは時間(歴史)や空間(地理)の概念にとらわれない、ノマド的人物(世界放浪者=傍観者)です)は、二年ぶりで「風の街」シカゴに戻ってきました。そこには大学の同窓生であったヒュー・V(ビックス)・バイダーベック(ちなみにいうと1920年代に活躍したビックス・バイダーベックというジャズ・コルネット奏者がいます)が暮らしています。


「彼は
この街で
十年近くを
生活し

時折
夢をみていた」



二年間音信不通だったウラジーミルですが、ヒューはまるで昨日別れたかのように、あたりまえのように彼の帰還を受け入れます。


「どうせ

ヒユーなんか
この店に入って

いつものカウンターに
あなたのその顔をみて
ニヤッとしただけなのよ

「元気そうだ」も
「どこに行ってた?」も

そんなことの一つも
口にしないで
その席に座ったに
ちがいないんだから」



そうコメントするのは元女優で服飾デザイナーのヴィ・ウィズバーン。彼女は二人の知り合いです。ヒューはエディトリアル・デザインの仕事をしています(ちなみに助手の名前は「ロアルド・ダール」です)。

ウラジーミルはヒューの家に泊まりこみます。ヒューは「睡眠時無呼吸症候群」で、息をしていない間に夢をみているようです。


内田善美 星の時計01 05


「夢を…
みていた

同じ夢だ」

「家の夢さ」

「ぼんやり
目ざめると
そこは
小さな屋根裏部屋で

出窓から
もれるような青白い
かすかな空の明るさで
それとわかる

いくつか
階段をおりると
突然広いフロアがひらけ

左手に大広間
黒いガラスごしに
黒々とした林と
湖が見える

ただ空はもうすぐ
朝なのだろう
天空(てんくう)の月が透明になって
空の碧(あお)に染まりそうだ」

「なぜ

こんなに
同じ夢ばかり
みるのだろう」



ここで、大学で心理学を学んだコミック専門店「コミック・キングダム」の店主リチャード・ロイドが登場します(リチャード・ロイドといえばテレヴィジョンのギタリストと同姓同名ですが、見た目は神経学者のオリヴァー・サックスに似ています)、彼はウラジーミルの知人であり、ヒューはリチャードのサークル仲間のパーティに招待され、そこで日本人女性の「葉月」、バスケット青年ジョン・ピーター・トゥーイ(1920年代ニューヨークの社交サークル「アルゴンキン・ラウンド・テーブル」の中心メンバーと同姓同名です)、私立探偵、ジャズマンらと知り合います。

そして話題はヒューの夢のことに。


葉月: 「恋してるのかもね」

ヒュー: 「…え?」

葉月: 「その“家”が
あなたに恋してるのかも
しれない

私の国の古い歌にある

朝髪の思い乱れてかくばかり なねが恋(こ)うれぞ
夢にみえける

相手が
想いをかけているから
その人が
自分の夢の中に
現われる

そんなふうに
歌われてるの」



そして言霊とか日本人の脳とかについて、登場人物たちがウッディ・アレンの映画のように長々と議論しあうのですが、はしょります。


内田善美 星の時計01 06


ヒュー: 「ただ…
ふとね
思っただけさ

あの夢を

夢をみているのは
あの“家”なのじゃ
ないかと――

魅かれているのは
俺だ…

きっと
俺の方なんだ」

「たとえば
洞穴(どうけつ)
空にかかる巨樹(セコイア)
深い森

嵐の前の雲の流れ
さざ波もたたない沼

たとえば
真夜中の我が家
窓ガラスごしの闇

幽霊屋敷
鏡の迷路(ミラー・ハウス)

たとえば
アンドロメダまでの距離」

ウラジーミル: 「裏庭の
李(スモモ)の木の根元に
埋めた
秘密の箱だな」

ヒュー: 「俺は
ナナカマドだった

そう
あの頃(引用者注: 「あの頃」に傍点)

そんなものを
体験した時の
精神の
あの得もいえぬ
不安定さ

生とか死とか
神とか宇宙(コスモス)とか
恐怖 幸福 興奮
時空(じくう) 魔性 次元……とか

当時
持っている言葉の
すべてを使っても

あの感触に
追いつきはしなかったろ


中でも
一番
俺が好きだったのは

“気配”だ

大気や
水や樹木

光や闇
空間

そいつらが
隠し持っている
あの奇妙な
“気配”さ

もっと
いってしまえば
水や石や…気体や…
この空間を占める物質を
つくりあげている分子

酸素や水素や炭素…
無限(すべて)を満たしている
原子
さらに素粒子

そして

さらに
向こう(引用者注: 「向こう」に傍点)だ

そう
そんなものの
向こうにある(引用者注: 「ある」に傍点)
何かさ

今の次元に住む
我々には直接
見ることも
触れることもできない
あまりに遠い(引用者注: 「遠い」に傍点)世界だが
確実に
俺たちの
すべてを満たし
とりまいている

俺たちが
ときたま
思いもかけず
触れてしまったり
踏みこんで
しまったりした

あのチャーミングで
眩惑的(げんわくてき)に不可解な世界の
体験は

そんな何かを
一瞬
感じとってしまっているのに
ちがいない

そう
“何か”の気配だな
あの時(引用者注: 「あの時」に傍点)
いつだって
形のない
何かわけのわからないものの
気配が
そこ(「引用者注: 「そこ」に傍点)にひそんでいたろ?

それに反応する

俺の心臓
俺の精神
俺の細胞

あれに
似ている

ひそんでいるんだ(引用者注: 「ひそんでいるんだ」に傍点)」

ウラジーミル(心の声): 「あの家に――
あの夢に――」



内田善美 星の時計01 07


そしてリチャードのコミック店。ウラジーミルはリチャードが探している稀覯本が父親の蔵書にあったので持ってきてあげたのでした。


リチャード: 「僕の知ってる
女性だが

もっとも
直接
話したことは
ないがね

口をきかんのでね

子供の頃から
よく同じ夢を
みたんだそうだ」

その女性: 「いいの
ここ(引用者注: 「ここ」に傍点)でこんな生活を
するかわりに

ちゃーんと
神さまが
生まれた時に
私に素敵なプレゼントを
くださったわ

私は自分の中に
魔法の国をもってるの
あの国が
いつだって私を
幸福(ハッピー)にしてくれる」

リチャード: 「それは
ずいぶん
きれいな夢だったらしい

そこ(引用者注: 「そこ」に傍点)では
彼女は
彼女ではなく(引用者注: 「彼女ではなく」に傍点)

何かもっと
ちがう生命体
なのだそうだ

両親はすでになく
兄弟との
電話一本のやりとりもない

あいさつをする程度の
友人は
かぞえきれないほど
いたけど

昼さえ
陽の当たらない
大都会の裏街で
三十三歳まで独り暮らし

三十頃から
いつも歌うように
いってたそうだ」

女性: 「ずーっと
眠って
暮らせたらいいわね
ここ(引用者注: 「ここ」に傍点)は
お金が
いりすぎるわ
お金のために
生きてるみたい

死んだら…
死んだら
ずっと
眠っていられるのかな…」

リチャード: 「そして
薬を飲んだ――

彼女は
死ねると思ったろうが

実際
致死量に
足りるような
催眠剤の量じゃなかった

その上
発見が早くて

胃の洗滌(せんじょう)も
すぐに出来た

そのまま
安静にしていれば
翌日には
すっかり良くなって

働くことさえ
できるだろうと
誰もが
安心していた

だが
彼女は目覚めなかった

翌日も
次の日も

その
次の日も

今年 四十五
いや 四十六歳になると
思ったが……

今も
ミズーリの
州立医療センターで
眠りつづけている

そして
夢をみている」

「彼女は
いわば

その魂をもって

夢に
帰化(きか)した

そういうことさ」

「実に…
この魂の力

この魂の柔軟(しなやか)さ

それは
“精神の異常”とは
別の次元のものだ」

「たとえば
ある状況では
正常と考えられる
精神状態が

別の状況では
異常と
とられる

今の我々が考えれば
異常な時代とか
社会・文化があるとする

そこに
正常な精神をもった
人間が死活する
彼はギャップに
精神を病むかもしれない

その人間をはたして
精神異常と呼べるか?

もっと
確実なことは

疾病(しっぺい)しなくても
彼がその社会から
「異常者」という
さまざまな
レッテルをはられ
はじき出されるだろう
ということだ

絶対多数が
肯定する状況が
常に正しく
真理に近いとは

誰も
確信をもって
いえやしない」

「そういう
“異端”の人間の
話が

この本に
集められてるのさ」

ウラジーミル(心の声): 「魅かれて…
魅かれて…

囚われる
…のか?

囚われるのか――

はるかな夢(まぼろし)に――」



「夢」と書いて「まぼろし」と読む。
このような特異なルビのふりかたは、本書の特徴の一つであります。
それはそれとして、悲惨な現実から逃れて、生きたまま「ここ」ではない「魔法の国」へ行ってしまった女性と、現状になにひとつ「不満」はないのに、夢の中の世界、「今の次元に住む我々には直接見ることも触れることもできないあまりに遠い世界」を、みずからの「DNA」に促されるように志向するヒューと。

ぞくぞく(わくわく)する展開になってきました。

いかにして「夢に帰化する」か、先走っていってしまえば、それがこの作品の中心テーマなのであります。


内田善美 星の時計01 08


この薔薇に囲まれた美少女は誰かというと、ヒューの夢のなかに出てくる謎の少女「リデル」です。
「リデル」はもちろん、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』のモデルになったアリス・プレザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell)の「リデル」ですが、彼女はヒューに名前を尋ねられて「リドル」と答えます。リドル(Riddle=謎)はリデル(Liddell)の語呂合わせです。
薔薇の幽霊のような彼女は、ヒューに「幽霊さん」と呼びかけます。

ついでにいうと、内田氏が「ゲイルズバーグ・ストーリーズ」の一連の作品によってオマージュを捧げてきたジャック・フィニイの短篇集『ゲイルズバーグの春を愛す』は、本作を味読する上で必読の基本文献でありまして、収録作「愛の手紙」の、過去に実在した未知の人物との、時間の壁を越えてのコミュニケーション(それじたいはたとえばロバート・ネイサンの小説で映画にもなった『ジェニーの肖像』のテーマでもあるわけですが)のほか、ヒューの夢に出てくるヴィクトリア朝ふうの家(「クルーエット夫妻の家」)のモチーフや、ここではない世界への脱出(「独房ファンタジア」)のテーマなどが本歌取りされているのであります。


内田善美 星の時計01 09


ウラジーミルの実家の図書室です。本棚に本がたくさん詰まっている絵や写真をみるとわたしはたいへん嬉しくなる性質があるようです。内田氏や諸星大二郎氏のまんがを愛読するのも作中に本棚が出てくるからだといってもよいです。思えば当時、清原なつの氏や吉野朔美氏(ご冥福を祈ります)のまんがを愛読したのも本がたくさん出てくるからでした。

ちなみにウラジーミルの実家の図書係の名前は「アレクサンダー・タルコフスキー」です。


ウラジーミル: 「書物は罪悪だと
いったのは
誰だったろうね?」

図書係: 「神さまかも
しれませんね」

ウラジーミル: 「なるほどねー

いわば
僕が読んでる本(の)
なんか
“神さま”に
近づこうとする
人間たちの
試行錯誤の記録と
How to ものだな」



内田善美 星の時計01 10


本を読みつつ寝てしまったウラジーミルの夢のなかに葉月が登場します。


葉月: 「ねえ
ミスター
ミハルコフ

“神さま”は
人間が死んでも
お悲しみにならないわ
みーんな死んでしまっても
悲しくなんてないのよ

人間が死んで
悲しいのは
人間だけよ」



内田善美 星の時計01 11


ウラジーミル(心の声): 「この男の
感情の有り様(よう)が

私には
理解できない

 彼の目の中で
 凍(い)てついた青い星と
 南国(トロピクス)の海が交錯する

ただ

彼の横顔は
すでに
人間のそれではなかった」

ヴィ: 「ヒューは
私たちとは
ちがう(引用者注: 「ちがう」に傍点)人間よ

もし彼が
誰かを求めるようなことが
あったとしても

それは
私たち(引用者注: 「私たち」に傍点)じゃ
ないわ

同類よ

彼が 真(しん)に
うけいれるのは
彼と同類の
人間だけよ」

ウラジーミル: 「しかし
あれは夢だ

あの少女(バラ)は
幻影(まぼろし)にすぎない

…だが
夢だからこそ…

まぼろしだからこそ
人は怖れるのだ」




こちらもご参照下さい:

内田善美 『星の時計の Liddell ②』
ジャック・フィニイ 『ゲイルズバーグの春を愛す』 福島正実 訳
エリアーデ 『ホーニヒベルガー博士の秘密』 直野敦・住谷春也 共訳 (福武文庫)
川村湊  『補陀落 ― 観音信仰への旅』






















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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