網野善彦 『異形の王権』 (イメージ・リーディング叢書)

「このように、鎌倉末・南北朝期には、悪党・悪僧的、非人的な武力として、飛礫はサイ棒・走木などとともに歴史の本舞台で縦横に飛んでいたのである。それは(中略)一揆・打ちこわしの飛礫につながるゲリラ的な武器であった。そして、近世の百姓たちが非人の衣裳を身につけ、非人的な武器である飛礫をもって一揆したことに、われわれは注目しておかなくてはならない。被抑圧身分である非人の姿をし、礫をその手に握ったとき、彼等は人の意志をこえた力を自らのうちに感じとり、それを抑圧者に向って打ったのではなかろうか。」
(網野善彦 「中世の飛礫について」 より)


網野善彦 
『異形の王権』
 
イメージ・リーディング叢書

平凡社 
1986年8月18日 初版第1刷
1992年11月25日 初版第12刷
217p 口絵(カラー)4p
A5判 並装 カバー
定価2,100円(本体2,039円)
装幀: 菊地信義



本書「あとがき」より:

「本書は、南北朝の動乱を境としておこった、日本列島の社会の大きな転換の諸相をめぐって、すでに発表したいくつかの小論に修正、補足を加え、一編の新稿を付してまとめたものである。」


二段組。本文中図版(モノクロ)多数。


網野善彦 異形の王権 01


目次 (初出):

第一部 異形の風景
 摺衣と婆娑羅――『標注 洛中洛外屏風 上杉本』によせて (「文学」第52巻3号 1984年3月)
 童形・鹿杖・門前――再刊『絵引』によせて (『新版絵巻物による日本常民生活絵引』解説 1984年8月)
 扇の骨の間から見る (「民具マンスリー」第17巻3号 1984年6月)

第二部 異形の力
 蓑笠と柿帷――一揆の衣裳 (「is」特別号「色」 1982年6月)
 飛礫覚書 (『日本思想体系』第21巻「中世政治社会思想」上 月報 1972年12月)
 中世の飛礫について (「民衆史研究」第23号 1982年11月)

第三部 異形の王権――後醍醐・文観・兼光 (新稿)

あとがき

所蔵一覧
初出一覧



網野善彦 異形の王権 03



◆本書より◆


「蓑笠と柿帷」より:

「元文四年(一七三九)、美作国勝北郡で「非人騒動」といわれた百姓一揆がおこっている。困窮した百姓たちが大挙して富家を襲い、飯米を要求したのであるが、そのさい二、三百人に及ぶ百姓たちは、みな、「古笠、古みのを着し、荷俵をせなにおひ、俵の内に牛のつな一筋づゝ」を入れていた。この服装は「非人拵」――非人の姿だったのであり、百姓たちは自ら「我らは当日の凌もならざる非人どもにて候」と名のり、一人につき一斗の米の貸与を求めている。この百姓たちが「天狗状」といわれる廻文によっておのずと集まり、取鎮めようとした庄屋たちに「石礫」を打って悪口し、追い払ったことも興味深いが、なにより、一揆した百姓たちが蓑・笠をつけ、俵を背負い、非人の姿をして行動をおこした事実に、ここでは注目しなくてはならない。」

「「無縁」の人々の衣裳、しかもすでに抑圧され、差別される人々の服装を自ら意識して、一斉に身につけることによって、百姓や馬借はその行動の「自由」と、抑圧者と闘う不退の決意を自覚的に表明したのではあるまいか。それが江戸時代を通じて、まさしく「一揆の衣裳」として普遍化していくところに、私は近代社会の地底に脈々として進行する「無縁」の思想の自覚化の過程を見出すことができると思うのである。」

「かつて日本の社会をゆるがした自由民権運動(中略)は、まさしく「蓑笠を楯に……莚旗を立て……」というスローガンの下に、全国に燎原の火のごとくひろがっていった。」
「恐らくは、象徴的な意味において、失うものはなに一つ持たぬ抑圧された非人・乞食の衣裳を自ら身につけることによって、不退転の決意をもって権力と立向うことを、このスローガンを通じて、民権家たちは人々にひろくよびかけたのであろう。もしも民権家がそこまで意識していなかったとしても、このスローガン自体が、民衆にそうした心をよびさますものをもっていたのではなかろうか。
 日本の社会と民俗の中から生れた、自覚的な「無縁」の思想の萌芽を、私はそこにはっきりと見ることができると思う。民権運動からわれわれのうけつぐべき最も大切なものの一つが、そこに姿をみせているのではなかろうか。」



「中世の飛礫について」より:

「このように、鎌倉末・南北朝期には、悪党・悪僧的、非人的な武力として、飛礫はサイ棒・走木などとともに歴史の本舞台で縦横に飛んでいたのである。それは後年、戦国大名に組織され、その武力として駆使された飛礫よりも、むしろ一揆・打ちこわしの飛礫につながるゲリラ的な武器であった。そして、近世の百姓たちが非人の衣裳を身につけ、非人的な武器である飛礫をもって一揆したことに、われわれは注目しておかなくてはならない。被抑圧身分である非人の姿をし、礫をその手に握ったとき、彼等は人の意志をこえた力を自らのうちに感じとり、それを抑圧者に向って打ったのではなかろうか。」


「異形の王権」より:

「極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然―セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた、ということもできるのではなかろうか。たしかに後醍醐は「異類異形」の人々の中心たるにふさわしい天皇であったといえよう。
 しかし非人の軍事力としての動員とこうした祈祷、「異類」の僧正への傾倒と「異形の輩」の内裏への出入。このような「異形」の王権はなぜここに現出したのか。この時期、非人はなお差別の枠に押しこめられ、「周縁」に追いやられ切ってはいない、と私は考えるが、その方向に向う力は強く働いていた。「性」についても、(中略)われわれはそれを暗闇に押しこめようとする動きが著しくなっていたことを知ることができるが、反面、そうした動向に対する野性的な反発も、またきわめて強力であった。後醍醐はそうした反発力を王権の強化のために最大限に利用し、社会と人間の奥底にひそむ力を表にひき出すことによってその立場を保とうとしたのである。」

「古代以来、少くとも鎌倉期までの天皇に多少ともうかがわれた「聖なる存在」としての実質は南北朝動乱を通じてほとんど失われ、大きく変質したといってよかろう。そして後醍醐によって実現された「異形の王権」の倒壊がその決定的な契機であったことは間違いない。」
「こうした「聖なるもの」―天皇・神仏の権威の低落は、それに結びつき、その「奴婢」となることを通して、自ら平民と区別された「聖」なる集団としての特権を保持していた供御人、神人、寄人などの立場に、甚大な影響を与えたことはいうまでもない。」
「それ故、多くの商工民、芸能民はそれぞれに世俗的な権力――将軍、守護大名、戦国大名などにそれまでの特権の保証を求める一方、(中略)分化してきた職能を通して実利を追求し、富の力によって「有徳」になる道をひらいていった。自治的な都市はこうした人々によって形成されていく。
 しかしその職能の性質から、天皇・神仏の「聖性」に依存するところより大きく、このような実利の道に進みえなかった一部の芸能民、海民、さらには非人、河原者などの場合、職能自体の「穢」との関わりなども加わって、ここに決定的な社会的賤視の下に置かれることとなった。「聖なる異人」としての平民との区別は、差別に転化し、「異類異形」は差別語として定着する。まさしくこれは、聖から賤への転換にほかならない。遊女についても同様なことがいいうる。鎌倉期までは「公庭」に所属するものとして、また神仏に仕える女性として、天皇家・貴族との婚姻も普通のことであった遊女は、南北朝期以降、社会的な賤視の下にさらされはじめる。(中略)遊女もまた、ここに聖から賤に転落したのである。
 やがて江戸時代にかけて、こうした賤視、差別は体制化・固定化され、被差別部落。遊郭として場所的にも固定されていくことになるが、さほど遠からぬ過去において、実際に天皇・神仏に直属していた事実の記憶は、これらの被差別民や遊女をはじめ、鋳物師、木地屋、薬売などの商工民、当道等々の芸能民の心中に強く刻印されており、伝説化した天皇や神仏と、その職能、出自との関わりを物語る、説教節などの芸能の作品をはじめ、さまざまな由緒書、縁起、偽文書として、こうした人々の世界に生きつづけ、社会に無視し難い影響を与えていった。後醍醐の執念をうけつぎ、「聖地」吉野に細々とその命脈を保った南朝の天皇が、伝説の世界にしばしば登場するのも、この動きと無関係ではあるまい。」



網野義彦 異形の王権 02

































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本