網野善彦 『増補 無縁・公界・楽』 (平凡社選書)

「原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の激しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいたったと思われても、それはまた青々とした芽ぶきをみせるのである。(中略)「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収しつくしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。」
(網野善彦 「人類と「無縁」の原理」 より)


網野善彦 
『増補 無縁・公界・楽
― 日本中世の自由と平和』

平凡社選書 58 

平凡社 
1978年6月21日 初版第1刷発行
1987年5月8日 増補版第1刷発行
1988年8月20日 増補版第3刷発行
376p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円



本書「増補に当って」より:

「本書が発刊されてから、早くも九年の年月が経過した。」
「欠陥の多い本書に対して寄せられた批判は多岐にわたり、到底そのすべてにふれることはできないが、補注を付すことによって誤りを正しつつ、できるだけ批判にお答えし、現在の私の考えを補足するとともに、既発表のものの中から本書の主題に関係する若干の文章を補論として加え、あらためて増補版として世に問うこととした。」



網野善彦 無縁 公界 楽


カバー文:

「成立期はもとより、中世全体を通じて、領主の私的な支配の貫徹に抵抗し、その私的な所有下におかれた下人・所従になることを拒否する力が、平民百姓そのものの中に生きつづけていた。私的隷属から、まさしく「無縁」であろうとするこの志向こそ、原始・未開以来の「自由」の流れをくむ人々の否応のない動きであった。」


カバー裏文:

「遍歴漂泊する職人・芸能民・勧進聖など、中世に生きた「遊手浮食の輩」と呼ばれる人々に注目し、歴史の表舞台に登場しないこの無名の人々のとり結ぶ、世俗の人間関係とは「無縁」な関係を追究する。一方で古代社会のアジールまでさかのぼり、他方では現代のなにげない子供の遊びにも影を落す、この「無縁」の原理は、中世の一揆・惣・自治都市の規約のうちに、その自覚的な表現を見ることができる。
「無主」「無縁」の原理を担った人々の力こそ、真に歴史を動かしてきた弱者の力であるという著者の主張は、従来の日本史像の一面性を拒否するとともに、人類共同体のあり方について、すぐれて普遍的な問題を提起する。
発売以来9年、大反響をよび、中世史ブームを巻きおこした問題作に補注・補論を加え、増補決定版とする。」



カバーそで文:

「歴史における「公」は、決してすべてが事実として「幻想」であり、「欺瞞」であるとはいえない。たとえそれが支配者の狡知によって、自らをしばる軛になったとしても、支配者をして否応なしに「公」の形をとらざるをえなくさせた力は、やはり、社会の深部、人民生活そのものの中に生き、そこからわきでてきた力といわなくてはならない。そしてそれは、原始・太古の人民の本源的な「自由」に深い根をもっている。
それだけではない。同じ「公」でも、「公界」が決して「公権力」にならなかったことを考えてみなくてはならない。「無縁(むえん)」「公界(くがい)」「楽(らく)」が、この「自由」の、人民による自覚的・意識的表現であるというのは、その意味からで、そこには、天皇の影もないのである。」



目次:

まえがき
一 「エンガチョ」
二 江戸時代の縁切寺
三 若狭の駈込寺――万徳寺の寺法
四 周防の「無縁所」
五 京の「無縁所」
六 無縁所と氏寺
七 公界所と公界者
八 自治都市
九 一揆と惣
一〇 十楽の津と楽市楽座
一一 無縁・公界・楽
一二 山林
一三 市と宿
一四 墓所と禅律僧・時衆
一五 関渡津泊、橋と勧進上人
一六 倉庫、金融と聖
一七 遍歴する「職人」
一八 女性の無縁性
一九 寺社と「不入」
二〇 「アジール」としての家
二一 「自由」な平民
二二 未開社会のアジール
二三 人類と「無縁」の原理
あとがき

補注
補論
 都市のできる場――中洲・河原・浜
 市の立つ場――平和と自治
 初穂・出挙・関料
 植田信廣氏の「中世前期の「無縁」について」をめぐって
増補に当って
補論初出一覧




◆本書より◆


「無縁・公界・楽」より:

「以上、無縁・公界・楽の場、及び人の特徴をまとめてみたが、このすべての点がそのままに実現されたとすれば、これは驚くべき理想的な世界といわなくてはならない。俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から自由、世俗の争い・戦争に関わりなく平和で、相互に平等な場、あるいは集団。まさしくこれは「理想郷」であり、中国風にいえば「桃源郷」に当る世界とすらいうことができよう。
 もとより、戦国、織豊期の現実はきびしく、このような理想郷がそのまま存在したわけではない。しばしばふれてきたように、俗権力は無縁・公界・楽の場や集団を、極力狭く限定し、枠をはめ、包みこもうとしており、その圧力は、深刻な内部の矛盾をよびおこしていた。それだけではない、こうした世界の一部は体制から排除され、差別の中に閉じこめられようとしていたのである。餓死・野たれ死と、自由な境涯とは、背中合せの現実であった。
 とはいえ、宣教師が堺の町の自由と平和に、驚歎の眼をみはったのも、また厳然たる事実である。さきの諸特徴を現実化し、理想郷をつくり出そうとする強靭な志向は、「有主」の原理の否応のない浸透と、そこに基礎をおく強大な権力の圧力にも屈することなく、自らを必死で貫徹しようとしていた。それは、こうした場を、当時の人々が、「楽」「公界」と名付けたという事実そのものに、端的に現われている。
 「楽」が「十楽」を意味していたことは、前述した通りであるが、「十楽」はもともと仏典の言葉であった。(中略)「十楽」とは、まさしく極楽そのものであり、理想の世界の「楽」であった。」
「「公界」も「十楽」と同じく仏教用語であるが、これはもともと中国の禅院で使われた言葉に源をもっていたのではないかと推測され、(中略)俗界の縁をたち切って修行を行なう場をさしていたように思われる。」
「いかにも、自力の宗教禅宗からでた言葉らしく、「公界」は「楽」に比べて、自立的なきびしさをもった言葉であり、私的な縁の一切を断ち切る強い意志を秘めている。「理想郷」をめざす志向に抑圧を加えようとする力に対し、これを断乎拒否する姿勢を示す表現として「公界」は最も適当だったといえよう。
 とはいえ、「公界往来人」という言葉の示しているように、「公界」には、ある孤独な暗さがつきまとっている。(中略)「無縁」の場合は、「公界」以上に、孤独な印象を与える言葉といえよう。
 もとよりこれも仏教用語であり、「原因、条件、対象のないこと」を意味し、「無縁の慈」といえば、「相手のいかんを問わず、一切平等に救う慈悲心」の意であった。その意味で、これもまた、一つの理想の境地をそこに託した言葉といわなくてはならない。それ故、「楽」「公界」とともに、この語はさきのような場や人のあり方を表現する言葉になりえたのであるが、しかし「公界」「楽」よりもはるかに以前から広く使われたこの言葉は、「縁」という語の多義性に応じて、さまざまな意味をもつようおになり、「貧道無縁」「無縁非人」などの用法にみられる如く、中世前期から、多少とも、貧・飢・賤と結びついた暗いイメージを伴っていた。」
「しかし、これらの仏教語が、日本の民衆生活そのものの底からわきおこってくる、自由・平和・平等の理想への本源的な希求を表現する言葉となりえた、という事実を通じて、われわれは真の意味での仏教の大衆化、日本化の一端を知ることができる。(中略)これこそが日本の社会の中に、脈々と流れる原始以来の無主・無所有の原思想(原無縁)を、精一杯自覚的・積極的にあらわした「日本的」な表現にほかならないことを、われわれは知らなくてはならない。
 こうした積極性は、織豊期から江戸期に入るとともに、これらの言葉自体から急速に失われていく。「楽」は信長、秀吉によって牙を抜かれてとりこまれ、生命力を大規模に浪費させられて、消え去り、「公界」は「苦界」に転化し、「無縁」は「無縁仏」のように淋しく暗い世界にふさわしい言葉になっていく。」



「山林」より:

「私は、中世前期には、山林そのものが――もとよりそのすべてというわけではないが――アジールであり、寺院が駈込寺としての機能をもっているのも、もともとの根源は、山林のアジール性、聖地性に求められる、と考える。」


「市と宿」より:

「実際、信濃の諏訪社の祭礼に、南北朝期、「道々の輩」をはじめ、「白拍子、御子、田楽、呪師、猿楽、乞食、非人、盲聾病痾の類ひ」が「稲麻竹葦」の如く集ったといわれ、鎌倉末期、播磨国蓑寺は、「九品念仏、管弦連歌、田楽、猿楽、呪師、クセ舞ヒ、乞食、非人」が近隣諸国から集り、たちまち大寺が建立された、と伝えられているのである。
 寺社の門前の特質は、このようなところに、鮮やかに現われている。それはやはり、(中略)神仏の支配する「無主」の場であり、「無縁」の原理を潜在させた空間であった。それ故、ここには市が立ち、諸国を往反・遍歴する「無縁」の輩が集ったのである。」



「墓所と禅律僧・時衆」より:

「このように「無縁」であるが故に、禅律僧は宮廷や幕府の奥深くに出入りし、政治に口入することができたのであるが、それだけではない。一四世紀初頭、論敵から「乞食非人」「道路乞者」「放埓」などの激しい非難を浴びながら、山伏厳増は東寺執行の地位に度々補任され、「仏法の怨敵」「邪見放逸不当の法師」と罵倒されつつ、禅僧恵観は伊勢の光明寺を中心に、大きな勢力をもつにいたっている。鎌倉末~南北朝期、禅律僧・時衆など、「無縁」の上人・聖たちの社会的活動は、(中略)きわめて広範かつ活発だった。
 「乞食非人」をも含むこうした世界は、次第にその一部は権力の網の目に組織されつつあったとはいえ、全体としては、なお野性にみちた強力な生命力を、社会のいたるところで発揮し、それを「差別」の中に封じこめようとする動きに、決して圧倒されてはいない。われわれはこのこともあわせて、確認しておかなくてはならない。」



「補注」より:

「自然を人間と対立するものと見て、それを「所有」し、支配・管理することのみに人間の本質を見出し、人間が自然の一部であることを見失ったときに、人間は破滅の道に進まざるをえない、と私は考える。」
「人間がその長い歴史の中で、自然を自らと対立するものとだけ見てきたわけでは決してないことは、さきにものべたように、人間による家、土地の所有が、まずそこを「無所有」とすることによって、はじめてその実現の端緒をとらええた、という事実だけをとってみても、明らかといってよかろう。そのような自然に対する人間の畏敬をこめた謙虚、敬虔な姿勢、自らがその一部であることを否応なしに知らされている時期の人間のあり方が、土地の共有をふくむ共同体的な所有、共同体的な社会関係の根底にあり、「原始の自由」もまた、まさしくそれによって支えられてきた、と私は考える。」
「恐らく哲学の根本に関わるこのような問題について、これはまことに幼稚な議論といわれるであろうが、自らの内なる自然をふくめて、自然を支配しつくそうとする現代における自然科学の異常なまでの発展、それによって人間が自らを滅ぼしうる力を確実に自らの手中にした現在の事態を前にしたとき、われわれは人間の本質について、ただそれが「所有する動物」であるというだけにとどまってはならないことは明らかなのではあるまいか。そしてそうした認識の上に立って、自然と人間との関わり方を人間社会の歴史の中で明らかにしていくことは、われわれにとっての緊急な課題と私は考えている。
 さきに家、土地に対する「所有」のあり方についてふれたが、そこでものべたように、山本幸司氏の表現をかりれば、これは「限定された空間」であり、「開放された空間」―山野河海、道、河原等に対する人間の関わり方は、これとは異質なものがあると考えなくてはならない。(中略)中沢新一氏は、後者を「計量化不能な「なめらかな空間」」として、前者の「仕切られた空間」と区別し、それぞれの「空間」に住み、活動する人間の異質さ、「空間」自体の特質について言及している。
 こうした「開放された」「なめらかな」空間は、実態としても「無所有」であるか、あるいは「限定され」「仕切られた」空間の「所有」と鋭く対立する特質を持つ。そして人間は、山野河海、河原、道などで狩猟・漁撈・採集などを行い、交通、交易等の活動を営むだけでなく、「無所有」の自然―太陽や月、山や海等に即しても、そこに神を見出して、宗教的な関係を相互にとり結んできたのである。
 国家の成立とともに、支配者はさまざまな呪術的、宗教的な手段をも用いつつ、この「空間」をも自らの支配権の下に置き、「領有」しようと試みるが、「無所有」の実態はたえずこれに反逆し、その「空間」は支配者にとって、つねにきわめて危険な「空間」とならざるをえないのである。」



















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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