網野善彦 『日本中世の非農民と天皇』

「そして、こうした非難と賤視、さらには禁圧を一方の世界から加えられつつも、賤視によって心を曇らされることなく、非人たちをも含む「職人」たちの世界は、鎌倉・南北朝期、なお広く独自な世界を保持していたのである。とすれば、一方の世界からの観点のみで、この時期の社会の全体像がとらええないことは、もはや自明のことなのではあるまいか。」
(網野善彦 『日本中世の非農民と天皇』 より)


網野善彦 
『日本中世の非農民と天皇』
 

岩波書店 
1984年2月28日 第1刷発行
1989年7月15日 第8刷発行
xiii 591p 索引29p
A5判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価6,000円(本体5,825円)



本書「まえがき」より:

「本書は、中世の非農民及び天皇をめぐって、これまで発表してきた論文・研究ノートなどの旧稿の一部を中心として、新たに編成し直したものである。
 旧稿の最も古いものは一九五六年にまで遡り、いずれも思いつくままに、また必要に応じてまとめたものであるため、そのままでは全く形が整わず、その後、多少考えの変った点もあるので、第二部第五章二節の本文を除き、すべてに修正・削除・補足を加えてある。また旧稿に対するさまざまな批判については、関連する箇所の注で言及したほか、付論3を付した。序章Ⅰ・Ⅱ1・2・Ⅲ、付論2、第二部第四章、終章Ⅰ・Ⅱは本書を編するに当って新たに書き加えたものである。
 こうして一応、第一部を非農業民と天皇、第二部・第三部を非農業民の存在形態としてまとめてみたが、寄せ集めの弱点は、やはりおおうべくもない。」



網野善彦 日本中世の非農民と天皇


目次:

まえがき

序章
 Ⅰ 津田左右吉と石母田正
 Ⅱ 戦後の中世天皇制論
 Ⅲ 非農業民について

第一部 非農業民と天皇
 第一章 天皇の支配権と供御人・作手
  序
  一 中村直勝の所説をめぐって
  二 蔵人所発給文書について
  三 各種の供御人・作手について
  四 供御人の特質
  五 天皇支配権と供御人
  結
 第二章 中世文書に現われる「古代」の天皇――供御人関係文書を中心に
  序
  一 南北朝期以前について
  二 天皇の伝説化と文書の偽作
  結
 第三章 中世前期の「散所」と給免田――召次・雑色・駕輿丁を中心に
  序
  一 散所召次について
  二 散所雑色について
  三 駕輿丁について
  四 その他の「散所」について
  五 給免田制について
  結
 付論1 「惣官」について
 付論2 蔵人所斤について
 付論3 脇田晴子の所論について

第二部 海民と鵜飼――非農業民の存在形態(上)
 第一章 海民の諸身分とその様相
  序
  一 中世海民の諸身分について
  二 浪人的海民
  三 職人的海民
  四 下人・所従的海民
  五 平民的海民
  結
 第二章 若狭の海民
  一 「浦」の成立
  二 漁場の成立
 第三章 近江の海民
  序
  一 神社と簗漁業について――『近江国野洲川簗漁業史資料』をめぐって
  二 堅田とその湖上特権について――『江州堅田漁業史料』をめぐって
 第四章 宇治川の網代
  一 古代の網代
  二 真木島村君と供祭人
  三 楽人狛氏と真木島長者
 第五章 常陸・下総の海民
  一 中世の霞ヶ浦・北浦
  二 霞ヶ浦四十八津と「御留川」
 第六章 鵜飼と桂女
  序
  一 諸国の鵜飼とその存在形態
  二 桂御厨と桂供御人
  三 桂女
  結

第三部 鋳物師――非農業民の存在形態(下)
 第一章 中世初期の存在形態
  序
  一 燈炉供御人の成立
  二 東大寺鋳物師の成立
  三 燈炉供御人の実態
  結
 第二章 中世中期の存在形態
  序
  一 惣官中原光氏と左方作手の発展
  二 供御人組織の矛盾とその展開
  三 供御人組織の変質
  結
 第三章 偽文書の成立と効用
  序
  一 職人の偽文書
  二 鋳物師の偽文書と真継久直
  三 偽文書と由緒書
  結
 付論4 豊田武の「鋳物師の有する偽文書について」

終章 
 Ⅰ 「職人」について
 付論5 「外財」について
  序
  一 中世後期以降の「ゲザイ」
  二 中世前期における用例
  三 「外財」の語義
  結
 Ⅱ 「社会構成史的次元」と「民族史的次元」について

あとがき
収録及び関係論文
索引
 事項索引
 地名索引




◆本書より◆


「序章 Ⅲ 非農業民について」より:

「ここで非農業民というのは、農業以外の生業に主として携わり、山野河海、市・津・泊、道などの場を生活の舞台としている人々、海民・山民をはじめ、商工民・芸能民等々をさしている。」

「農業民と非農業民の区別は、ごく自然に考えただけでも明らかといえるが、この両者の差異はより根本的には、山野河海、市・津・泊、道等々の場に対する関わり方の違いに求めるべきである。」

「それはまた「有主」と「無主」の対立の一面ももっていた。文字通り「無主」の山野河海が前近代には、まだまだ広大であったことは認められてよかろう。本来、耕地のひらかれた大地についてもいえることであるが、「山や川はだれのものでもない」という見方は、庶民の中に深く根づいた思想とみなくてはならない。そして市・津・泊や道・辻も、より意識的に「無主」「無縁」と性格づけられた場であった。」

「現在の人類の直面している状況からみて、生産力の発展こそが人類進歩の根本とする見方が、そのままでは通らなくなっていることは、公害あるいは「核」の問題一つをとってみても、もはや明白といってよい。(中略)山野河海はもとより、耕地の広がる大地そのものの汚染と荒廃は、「生産力の発達」とともに、確実に進行しつつあり、それは日本列島に生活する人類――「日本民族」のみならず地球上の人類の生活の根底を脅かしつつあるのである。人類の真の意味での「進歩」、発展とはいかなることなのかが、いまや正面から問われているのであり、人間の叡智のすべてを注ぐことなしに、この危機を突破することはできないであろう。そしてこの課題に応えうる新たな思想は、これまで衰え滅びゆくものとして捨てて顧りみられなかった人々の生活そのものの中に生きる知恵をもくみつくさなくては、創出することはできない、と私は考える。」



「第1部 第1章 天皇の支配権と供御人・作手」より:

「偽文書をそれとして直ちにすて去ることなく、その作為された理由、それがよって立っている根拠にまで遡ってその作成の動機を明らかにしなくてはならぬという、(中略)主張は、全く正当であり、すぐれて学問的な観点ということができる。」


「第1部 第3章 中世前期の「散所」と給免田」より:

「そして、こうした非難と賤視、さらには禁圧を一方の世界から加えられつつも、賤視によって心を曇らされることなく、非人たちをも含む「職人」たちの世界は、鎌倉・南北朝期、なお広く独自な世界を保持していたのである。とすれば、一方の世界からの観点のみで、この時期の社会の全体像がとらええないことは、もはや自明のことなのではあるまいか。」


「第2部 第1章 海民の諸身分とその様相」より:

「そのような状況の中で、海民に関心を持ちつづけた人も決していなかったわけではないが、その開拓者の一人に、生物・人類・考古等の諸学から経済学にいたる広い視野の下で、漁業史を解明することに一生を捧げ、一九六九年、物故した羽原又吉をまずあげることは、異論の余地ないことであろう。広汎な調査と豊富な文献を基礎に進められた氏の研究は二本の太い柱に支えられていた。その一は、日本の漁業の根底に「海人族」を想定する点、他は、漁民の共同体の占取する漁場を、その「総有」と主張する点である。十冊に及ぶ大著のなかで、羽原はこの二つの主張をたえず強く押し出したのであった。この主張に対しては、すでに種々の批判が加えられている。」
「たしかに羽原の主張を、これらの批判をのりこえてそのままの形で承認することは困難であろう。しかしこの主張が、二つながら、その基底に、農業民のつくりなす世界と異なる海民独自の世界を考え、その生産と生活に則した法則を探究しようとする強烈な意欲をひめていたこと、この観点が日本民族史を明らかにするうえに絶対必要なものであるとする確信にねざすものであったことを思いおこしてみる必要があろう。そしてそれは海民の世界を通して、アイヌ民族、さらに朝鮮・中国から南アジアにまでおよぶ世界を、ひろく視野のうちにいれていたのである。(中略)私はこの観点を、依然として正当な、継承されるべき貴重なものと考える。」

「農民はいつでも村落に子々孫々定住しているもの、ときめこむことは、それ自体支配者の志向に影響された、とくに近世以降の農民のあり方に基づいてつくり出された、観念の産物なのではなかろうか。まして海民にそれをあてはめようとすることは、不自然というほかない。すべてがそうであったというつもりは決してないが、「逃亡」は移動であり、「浮浪」は移動途上の状態を示す、被支配者にとってはあたりまえな日常生活の一齣である場合が、南北朝期以前にはまだひろくありえたのではなかろうか。」



「第2部 第6章 鵜飼と桂女」より:

「しかしこれまでのべてきたように、この桂女の遊行の真の淵源は、室町期をこえてはるかに古く遡りうる。それは鮎鮨を入れた桶を、白布を巻いた頭上にいただいて諸国を経廻した鵜飼の女性――桂供御人、桂贄人のかわりはてた姿だったのである。もとよりこのような室町期以降の桂女の果した役割に、鵜飼そのものにまつわる一種呪術的な性格の残影を見出すことはできよう。権門に寿詞を捧げる桂女に、鮎を神や天皇に贄として捧げた遠古の素朴な彼女たちの姿を読みとることも、また不可能ではない。そして、神功皇后にその起源を求める由緒書の奥底には、かつて天皇に近侍していた時代の鵜飼の記憶がひそんでいるとも考えられよう。
 しかし鎌倉期、悪党と結んで庁下部を追い、ときに院に群参して、摂政の背後から高声で訴訟をした、あのたくましい桂女の姿はもはやここにはない。」

「鵜飼と桂女が大きな変貌をとげた時期――それは南北朝内乱期であった。その変貌の背景に、鵜飼の全分業体系内での位置の低下、それ自体のもつ呪術的意味の稀薄化があったことについては前にのべた。もとよりこれは日本の社会の否応のない発展がもたらした事態であり、近世以降の日本がそこにひらけてくることはいうまでもない。しかしこの発展が、里人に打殺される鵜飼、遊女・女郎として特殊視――賤視される桂女をうみ出し、これらの人々を差別する社会構造を決定的につくりだした一面をもつことも、決して見落すべきではなかろう。
 しかもこの変貌が、鵜飼の贄=供御をうけとっていた天皇、彼等の特権を保証していた天皇の支配権の決定的な弱化と深く関連していることも、間違いない事実であろう。その意味で差別の問題はそのまま天皇制の問題に直結する。室町期以降の鵜飼と桂女の姿の対極には、政治的実権を失った天皇が存在するのである。
 これまで近世の差別・賤視を、直ちに古代にまでひきあげ、すべての山海民・商工民を賤民的な角度から考えようとする見方が、かなり広く行われてきた。しかしそれでは、日本の民族的な構成そのものに大きな歴史的変化があり、それが社会的分業のあり方の転換と結びついている事実を、結局は見落してしまうことになろう。それはある意味では、天皇の存在を日本民族固有のものとする見方と表裏をなすとすらいってよかろう。
 実際、鎌倉期までの鵜飼は決して単純に賤視されてなどいない。その一部は供御人・神人として特権をもっていたのであり、女性もまた、たくましくも堂々と生きているのである。たしかに殺生と結びついたその生業が彼等自身を苦しめ、またそれを生業とせざるをえない彼等に対して、一種の畏怖を覚えた人々があったことは事実であろう。巨視的にみてそれが後年の差別・賤視につながることは考えられるとはいえ、この時期までは差別・賤視の観点ではとらええない問題がたしかに存在しているのである。」



「序章 Ⅱ 戦後の中世天皇論」の「注」より:

「そして、現代にいたるまでの天皇の存続というこの事実を、歯がみをする無念さをもって認めることなしには、「日本民族」といわれてきたわれわれ日本人の集団が、実態はいかに薄っぺらな結びつきしかもってこなかったかを自覚することは不可能であるし、戦死者に対する鎮魂を、いまなお靖国神社に対する「参拝」の形で行事化するような動き、天皇の死を「没」あるいは「なくなる」といわせるような教科書検定の横行を本当の意味で克服することはできないであろう。それとともに、『看聞日記』をそれが歴史的名辞であるとして『看聞御記』(引用者注: 「御」に傍点)としてしまう迂闊さ――あえていえば鈍感さを払拭することもできないと思う。かくいう私自身、佐藤進一の厳しい指摘によってこのことにはじめて思いいたったのであり、『花園天皇日記』を『花園天皇宸記』(引用者注: 「宸」に傍点)と記したことのあるのを、深く恥じている。この鈍感さを持ちつづけるならば、それが歴史的用語であることを理由に、天皇の「没」をさらに「崩御」にかえさせる動きに、真に抵抗することはできないと私は考える。
 もとより、侵略を「進出」にかえさせる検定をともかくも許してしまったことにも、さきの「日本民族」の底の浅さからくる恥知らずな一面が端的に現われているので、もしも、さきの事実の持つ苦渋を本当に呑みこむ決意を固めることがおくれるならば、われわれは何度でも世界の諸民族の人々から「恥知らず」といわれることは疑いない、と私は思う。」

























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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