ゲルショム・ショーレム 『カバラとその象徴的表現』 小岸/岡部 訳 (叢書・ウニベルシタス)

ゲルショム・ショーレム 
『カバラとその象徴的表現』 
小岸昭/岡部仁 訳
 
叢書・ウニベルシタス 169 

法政大学出版局 
1985年12月20日 初版第1刷発行
1989年10月5日 第2刷発行
323p 目次1p 索引10p
四六判 丸背クロス装上製本 カバー
定価3,605円(本体3,500円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Gershom Scholem: Zur Kabbala und ihrer Symbolik, Rhein-Verlag, Zürich 1960. の全訳である。ここに収録された五篇の論文は、第二章を除いていずれも最初「エラノス年鑑」に掲載されたものである(一九四九年、一九五〇年、一九五三年、一九五七年)。第二章の論文は、ロンドン大学において英語で講演されたのを後にショーレム自身が独訳し、一九五六年、雑誌「ディオゲネス」一四/一五号に発表したものである。また、本書のまえがきに当たる部分は、エラノス発行の月刊誌「ドゥー」の一九五五年四月号に「あるカバラ研究者の考察」という表題で発表された。」
「訳出にあたっては前半(まえがきと第一章・第二章・第三章)を岡部が、後半(第四章・第五章)を小岸が担当した。」



ショーレム カバラとその象徴的表現


目次:

はじめに

第一章 宗教的権威と神秘主義
第二章 ユダヤ教神秘主義における『トーラー』の意味
第三章 カバラと神話
第四章 カバラ儀礼における伝統と新しき創造
第五章 ゴーレムの表象

原注
訳者あとがき (小岸昭)
索引




◆本書より◆


「宗教的権威と神秘主義」より:

「神秘主義者は、聖典に、また自分の属する宗教の教義と儀式に、新しい象徴的な意味を付与するが――そのような仕事こそがほとんどすべての神秘主義者のおこなってきた業績にほかならず、また宗教史に占める神秘主義者の働きをかなり明らかにしている事柄でもある――、このように彼は、自分の属する伝統のなかに新しい次元、新しい深みを発見する。彼は、おのれ自身の経験を記述しそれについての考えを公式化するために象徴を用いるが、その時じつは――伝統の中身を象徴と見なしながらであれ、新しい象徴によって伝統の中身を解明しようとの試みであれ――再解釈を施すことによって宗教的権威を確証しようと企てているのである。だが、このように象徴の次元を切り開いてゆく行為において、神秘主義者は宗教的権威を変えてゆく。そして、彼の象徴的表現はこの変革のための道具となっている。彼は、うやうやしく崇めあげながら権威のまえにひざまずく。しかし、そのようにひざまずくとはいっても、しばしば大胆に、時には極端なやり方に走ってまでも彼が権威を変えてゆくという事実はほとんどおおい隠せない。」
「神秘主義者は、たいてい自分の考えをなんとか旧来の権威の枠内で唱導しようと力を尽くしていたのだが、その彼らが公然と既定の権威との抗争に走らざるをえなかったのは、自分たちの共同体のなかでとくに強大な打ち倒すことのできない反対勢力と衝突した場合にかぎられる。だが、これがもし彼らのほうで事態を左右しうる情勢にあったのであれば、わざわざ求めもしないそのような抗争は彼らのほうで避けたことだろう。多くの実例からもわかるとおり、彼らがいよいよ過激さをつのらせながら自分自身の理念を解釈しはじめるようになるのは、そのような抗争が完全に彼らの意に反してまでも強いられたときだった。」



「カバラと神話」より:

「私の所見では、歴史上においても、グノーシスの遺産に最古のカバラの伝統を結びつけている糸が、たとえ細い糸だとはいえまちがいなく何本か存在していると思われる。」
「もちろん、以上の点を確認することによって、われわれはいっそう深くカバラの問題性に立ち入ることになる。というのも、グノーシスとは、少なくともそのもっとも基本的なモチーフのいくつかは、(中略)反神話的ユダヤ教に対する反乱だったからである。つまりそれは、時期を経てすでに思想的な装いを凝らしているが、しかしそれだけ集中的に神話を内に孕んだ諸力の爆発だったのである。古典的なラビ的ユダヤ教は、われわれの年代計算でいう二世紀に、この異端形式を一見最終的に根絶したかに思えた。ところが、カバラにおいては、(中略)ほかならぬこのグノーシスの世界観が、ユダヤ一神教の神智学的解釈として突如再出現する。それも、中世ユダヤ教啓蒙主義最盛期の真只中に再出現する。そればかりかこのグノーシスの世界観は、ユダヤ教の中枢部において、自説こそがユダヤ教のもっとも本来的な秘義なのだと主張しうるのである。『ゾーハル』およびイサーク・ルリアの著作においては、つまり正統派の敬虔なカバラ主義者たちにとっては、グノーシス的象徴が、それにまた準グノーシス的象徴も、彼らのユダヤ教信仰世界のもっとも深奥の表現と化している。一神教の思考からは、はてしない努力が積み重ねられながら神話が削ぎ落とされていったわけだが、カバラとは、その最初の原動力からして、そういった脱神話化された一神教世界の内部における神話の蜂起だったのである。となると、換言していえば、カバラ主義者たちというのは、意識上はあくまで肯定してやまない世界に対し、反乱しつつ行動し、生きている者だということになる。当然その結果、底知れぬ両義的な言動が生ずる。」



「カバラ儀礼における伝統と新しき創造」より:

「ここで、儀礼に向かうカバラの態度にとってきわめて重要な、ある決定的な観点に言及しておきたい。諸事物の、その真正な統一にたいする正しい関係の確立というティクーンの肯定的局面に対応する否定的局面があるが、これについてルリアのカバラはベルル(Berur)なる術語を用いて説明している。ベルル(字義どおりには、「選択」を意味している)とは、右の正しい関係を撹乱する契機、すなわち、悪霊(デーモン)的・悪魔(サタン)的なものの諸力、カバラ主義者の用語でいう「裏側の世界」、シトラ・アハラ(sitra achra)の排除を表わしている。ことに儀礼にかんするルリアの理論は、いまやありとあらゆるもののなかに混じりこみ、一切を内部から破壊しようとする「裏側の世界」の駆逐と排除をいっそう推し進めようとする『トーラー』の意図に帰着する。こうした排除は、多くの儀礼が目指す目標である、と一六世紀サフェドのもっとも権威ある律法学者(ラビ)ヨセフ・カロは言う。」
「もちろん、この「裏側の世界」というのは、終末論の視点に立って見ない限りけっして完全に克服しきれるものではなく、また世界が現在置かれているような状態にあってはそうした克服の仕方を望むことさえしてはならないのだ。そういうわけで、『トーラー』のきわめて不透明な儀礼の、ほかならぬいくつかのものにかんする解釈のなかで、すでに『ゾーハル』がつぎのように述べているのもなるほどとうなずける。すなわち、そうした不透明な儀礼がじつは「裏側の世界」の占めるべき正当な場所を提供しており、しかるべき範囲内にこれを封じこめておくが、けっして撲滅するようなことはない、そうした撲滅はメシア到来の世界においてのみ可能である、と。」

「『タルムード』の伝承によれば、悪鬼とは、安息日がめぐってきたので、もはや肉体に相容れられなくなった霊として、金曜日の夕暮れに産み出されたものという。この言い伝えから後世の人々は、だから悪鬼はそれ以来ひとつの肉体を捜し求め、そのため人間にとりつくのだという(中略)結論を引き出したのである。この伝説に、いまひとつ別の観念が加わることになった。アベルが彼の兄によって殺されたあと父アダムが妻ともう交渉をもつまいと決心したのに、女の悪鬼である夢魔がアダムのところにやってきて、その子を孕んだ。したがって、アダムの生殖能力を悪用し邪道にみちびくこうした目合(まぐわい)から生まれてきたのが、ニゲ・ブネ・アダム(Nig'e Bne Adam)、「人間の血筋を引く邪(よこしま)なる霊」と呼ばれる一種の悪霊であったという。(中略)当の『ゾーハル』には、悪鬼たちの女王リリトあるいはその配下に属する悪鬼たちが、女性を相手にしないで行なわれる性行為に人間を誘惑して、生殖とかかわりなく射出される精液によってひとつの肉体を造ろうとするような神話が物語られている。(中略)六世紀のユダヤ人世界で編まれたアラム語の悪魔祓いの呪文集にすでに登場するこれらの夢魔たちは一三世紀末の『ゾーハル』のなかに頻繁に登場し、人間生活と「裏側の世界」との関係を描いてすこぶる重要な役割を演じている。」



「ゴーレムの表象」より:

「なによりもまず、一八〇八年にヤーコプ・グリムがロマン派の「隠者のための新聞」で鮮やかに報告したような、後世のユダヤ教的形式における伝説の像を掲げておきたい。
 「ポーランドのユダヤ人たちは、ある種の祈祷を唱え、いく日間かの断食の行(ぎょう)を成し遂げたあとで、粘土あるいは膠で人形(ひとがた)を造る。そして、この人形に向かって奇蹟をもたらすシェムハムフォラス(神の名)を語りかけると、人形は生命を獲得するはずである。その人形は語ることこそできないが、話されたり命令されたりしたことはかなりの程度理解する。彼らはこの人形をゴーレムと呼び、あらゆる家事労働を行なうひとりの召使に仕立てるのだ。しかし、ゴーレムは家のなかから外に出ることはぜったいに許されない。その額には「真理(エメト)」(emeth)なる文字が記されており、ゴーレムは日ごとに体重を増やして、最初のうちこそ小さかったのに、家じゅうのほかの誰よりもたやすく大きく強くなるのだ。となると、彼らはゴーレムに恐れをなして、最初の文字を消し去ると、「彼は死んだ(メト)」(meth)しか残らないことになって、その結果ゴーレムは瓦解し、ふたたび粘土にもどるのである。それはさておき、かつてある人のゴーレムが恐ろしく大きくなったのに、無頓着にも彼はこれを成長しつづけるのにまかせていたので、ゴーレムの額にもう手が届かなくなってしまった。恐ろしくなって男は、彼の長靴を脱がせてほしいとこの召使に命じた。ゴーレムがしゃがんだすきに、その額に触れるつもりだったのである。はたして事は思惑どおりに運んで、最初の文字はうまい具合に取り除かれはしたが、粘土の塊がどさりとばかりこのユダヤ人のうえに崩れ落ちてきて、彼を押し潰してしまった。」」

「魔術によって造られた人間であるゴーレム像を研究しようとすれば、われわれはどうしても最初の人間たるアダムにかんするユダヤ教の表象のいくつかに立ち返らざるをえない。けだし、そもそもの初めから、ゴーレムの創造がある意味で神によるアダムの創造と張り合う行為であるというのは、火を見るより明らかだからである。」

「アダムは土から取り出され、また土に還ってゆく生けるもの、神の息をはきかけられ生命と言葉を授けられた存在である。アダムは土からできた人間である。」

「ところで、すでに『タルムード』の「アガダー」において、(中略)アダムはその創造のある段階でゴーレムと名づけられているのである。」






























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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