グスタフ・マイリンク 『ゴーレム』 今村孝 訳 (河出海外小説選)

「わたしが渇望するのは授かるものなんです。努力して得られるものは、わたしにはどうでもいい、塵みたいに無価値なものですわ。」
(グスタフ・マイリンク 『ゴーレム』 より)


グスタフ・マイリンク 
『ゴーレム』 
今村孝 訳
 
河出海外小説選 22 

河出書房新社
1978年7月10日 初版印刷
1978年7月15日 初版発行
376p
四六判 仮フランス装 ビニールカバー
定価1,300円
装幀: 平野甲賀
表紙画: 加納光於



本書「解説」より:

「本書はグスタフ・マイリンクの代表的長篇小説(ロマーン)『ゴーレム』(Gustav Meyrink: Der Golem, 1915)の全訳である。」
「本訳書は、最初「モダン・クラシック」叢書の一冊として一九七三年四月に出版された。今度「河出海外小説選」の一冊として再版されるにあたって、誤植を訂正したほか、字句と割注の一、二を改め、解説文の約三分の一を削除した。」



カバラ=グノーシス主義的「人造人間としての私」小説。そういう意味でマイリンクは早く来すぎたP・K・ディックだといってよいです。


マイリンク ゴーレム


帯文:

「ユダヤ密教粘土人形ゴーレムのヴィジョンをプラハのゲットーを舞台に描く! 夢と現実の混淆する異色幻想小説の古典!」


帯背:

「蘇えるゴーレム伝説」


内容:

ゴーレム

解説 (訳者)




◆本書より◆


「月の光がベッドの裾をこうこうと照らし、まるでそこに大きな、澄んだ、平らな石があるかのように見えている。」
「ぼくは眠っても醒めてもいない。そしてなかば夢見ごこちのぼくの心のなかを、いつか直接に体験したり読んだり聞いたりしたものが、そのさまざまな色彩や明度のいくつもの流れが、ひとつに混じりあって流れていく。
 ベッドに入るまで、ぼくはブッダ・ゴータマの伝記を読んでいた。その文章がさまざまに調子を変えながら、くりかえし最初のところからぼくの感覚を通り過ぎていく。
 「一羽の烏が、一片の脂肪に見えている石のところに飛んでいった。そして、ひょっとするとこれは御馳走かもしれない、と考えた。だがそれが御馳走でないのを知ると、烏は飛び去った。石に近づいたこの烏のように、ぼくらは――ぼくら試しみる者は――苦行者ゴータマのもとを、かれに興味を失うと立ち去っていく」
 一片の脂肪に見えていた石のイメージが、ぼくの脳裏で巨大なものに広がる。
 ぼくは涸(か)れた河床を歩いている。そしてなめらかないくつかの小石を拾いあげる。
 きらきら輝く粉末の混じった灰青色の小石たち。ぼくはそれらにいくどもいくども思いをめぐらすのだが、それらをどうしたものか、かいもく見当がつかない。――そして子供のつくった不恰好なまだらのイモリがそのまま石化したかのような、硫黄色の斑(ふ)の入った黒い小石たち。
 ぼくはそれらを遠くに投げようとする。しかし、そのたびごとに小石はぼくの手からこぼれ落ちて、ぼくはそれらを視野のそとに追いやることができない。
 これまでのぼくの生活のなかでなんらかの役割りをもったすべての石が、ぼくのまわりに浮かびあがろうとしている。
 なかには、砂のなかから明るみに這い出ようと鈍重にあがいているものもある、――まるで潮が戻りはじめたときの大きなスレート色のイチョウガニのように。――それらはぼくになにか途方もなく大切なことを言わなければならないので、ぼくの視線を必死に引き寄せようとしているかのようだ。
 そのほかの石は――疲れきって――ふたたび自分の穴に悄然とずり落ち、もの言うことをあきらめる。
 
 ときどきぼくは、このなかば夢見ごこちの薄暗がりから浮上して、ほんのしばらくのあいだ、ふくらんだ毛布の裾をこうこうと照らし、まるでそこに大きな、澄んだ、平らな石があるかのように見えている月光を眺める。そして消えていこうとするぼくの意識の背後をあらためてまさぐり、ぼくの心を苦しめているあの石を不安な気持ちでさぐりつづける、――記憶の瓦礫のどこかにひそんで一片の脂肪に見えているあの石を。」

「そのとき青銅の巨像(コロス)のように大きな、一糸まとわぬ女が引きずられるようにしてやってきた。
 その女は一瞬ぼくのまえに立ち止まり、ぼくのほうに身をかがめた。
 彼女のまつげは途方もなく長く、ぼくの背丈ほどもあった。彼女は黙って左手の脈搏を指さした。
 それは地震のように搏っていた。彼女のなかに全世界の生命が宿っている、とぼくは思った。
 遠くに狂乱の列が現われた。
 その列のなかに、からみあっている一組の男女がいた。ぼくは、もう遠くからそのふたりを眺めていた。列は唸りをあげながら近づいてきた。
 そしていまぼくのすぐ目のまえで、歓喜した人々の群れがたからかに歌声を響かせている。ぼくの目は、もつれあったあのふたりを探した。
 だがふたりは大きなひとつの人体に変容していた。半陰陽が――ヘルマフロディートが――螺鈿(らでん)の王座に坐っているのだった。」

「ぼくはよく夢のなかで、これらの建物の幽霊じみた営みをそっとうかがっている。そしてこれらの建物がこの裏町の、隠れたほんとの主人であり、その生命と感情とを人間に貸しては回収しているのを(中略)知って、恐怖と驚愕をおぼえるのだ。
 ぼくは、この家並みに影法師のように住む不思議な人々を心のなかに思い描いた。――母親から生まれたのではなく――その考えることやすることを見ていると、なにか木切れか土くれからでたらめにつくられたかのように思われるその不思議な生きものたちがぼくのまえを通り過ぎていく。――すると、あのよく見る夢のなかには仄暗い真実がひめられているのだという思いが、これまで以上に強く確信されてくるのだった。」

「「ゴーレムのことをなにか知ってるなんて言えるものはどこにもおらんよ」とツヴァックが答えて肩をすくめた、「いつもは伝説だってことにされてるが、ある日突然ゴーレムってのがほんとにいると思われるような出来事がこの裏町辺に起こるんだな。(中略)ところでだ、ことの起こりは十七世紀にさかのぼると言われてる。カバラのいまでは散逸してしもうた規定書に従って、ある牧師(ラビーナ)が、下男にして教会堂の鐘をつかせたり、いろんな雑用をさせるつもりで人造人間を――つまりゴーレムをだな――こしらえたと言うんだ。
 ところがまともな人間ができずに、そいつには鈍重な、半分痴呆の、植物みたいな生命しか宿らんかったんだな。しかもその生命も昼間だけのもんで、そいつの歯のうしろに貼った護符の力で宇宙の星の、あいてるエネルギーを借りてたんだそうだ。
 ある晩のこと、その牧師(ラビーナ)が夜の祈りのまえにゴーレムの口から護符をはずすのを忘れたら、ゴーレムのやつ急に狂暴になって、裏町の暗闇を狂いまわり、出くわすものを片っぱしから叩きつぶした。
 しまいに牧師(ラビーナ)が体当りして、やっと護符をはがしたんだそうだ。
 そしたらそいつはいのちをなくしてぶっ倒れてしまい、あとに残ったのは小人(こびと)のかたちをした土くれだけだったそうだ。いまでもその土くれはアルトノイ教会に展示されてるけど」
 「そのおなじ牧師(ラビーナ)が、皇帝に城に招かれて、呪文で死者の幻影を呼び出して、みんなに見せた、ということも言われてますね」とプローコプが口をはさんだ、「現代の学者は、幻燈を使ったんだと言ってますが」
 「そうだろうとも。説明するからには現代の人間を納得させんならんからな。だけどばかげた話さ」ツヴァックはたじろぐことなく話しつづけた――「幻燈だなんて! そんな子供だましのぺてんなら、一生そういうものに没頭してたルドルフ皇帝がひと目で見破らんかったはずはなかろうに!
 ゴーレム伝説がほんとはなんだったか、それはわしも知らんさ。だけど死ぬことのできんなにかがこのあたりに出没していて、ゴーレム伝説がそれに関係があることはたしかだと思うな。」」
「「ひょっとしたらそいつはしょっちゅうわしらのあいだにいるのに、わしらがいつもは気がつかんだけのことかもしれん。」」
「「そいつはひょっとしたら、心の産物のようなものにすぎんかもしれん、ただ心の内側に意識されんだけのことで。――そいつはちょうど姿かたちのないものから一定不変の法則に従って結晶が育ってくるみたいにして生じてくるんじゃないかな。
 はっきりしたことはだれにもわからん。
 むし暑い日に電圧が耐えられんとこまであがっていって、しまいにぱっと稲妻になって放電するみたいにだな、このゲットーの空気中にいつまでも変質せん想念が徐々に鬱積していって突然ぱっと放電するんだとは考えられんかね?――つまりそれはわしらの夢の意識をぱっと明るみに連れ出すような魂の放電で、それが自然界じゃ稲妻を生むみたいに――ここじゃ幽霊を生むんじゃないかな。だからその幽霊は、貌つきも歩きかたも、態度も、そのなにもかもが、もしわしらがそんなかたちをした秘密の言葉を正しく読みとることができさえしたら、人間の心をあやまりなく開示してる象徴(シンボル)なんじゃないかな?」」

「ぼくは以前から重苦しい不安に苦しめられていた。――なにかを奪い去られてしまったとでもいうような、ぼくがこれまでの生涯のうちの、あるかなり長い道のりを、夢遊病者のように深淵の崖っぷちを歩いてきたとでもいうような、そんな漠然とした不安に苦しめられてきた。」

「書物の文字を目で読むだけではなく、文字から感じとること――そしてまた本能が言葉なしにささやくことをぼくに翻訳してくれる通訳をぼく自身の内部につくること、そこに、ぼくがぼく自身の内部と鮮明な言語で意志疎通するための鍵があることを、ぼくは理解した。」

「「言い伝えによると、あるとき三人の男が暗闇の国におりていって、ひとりは発狂し、ひとりはめくらになり、残りのひとり、ラビのベン・アキバだけが無事に帰ってきて、そして、自分自身に出会った、と言ったそうです。」」

「「期待?」ぼくはけげんな顔でたずねた。
 「奇蹟の期待ですわ。ご存知ないのですか? ほんとに? それじゃ、あなたはとてもとても貧しいかたですわ。――期待することを知っているのはごく少数の人間だけなのね!? 実際また、そのためにわたしは外出もせず、だれともおつきあいしないんですわ。わたしだって昔何人かの友達がありましたけど――もちろんわたしとおなじユダヤの女の子ですけど――だけどわたしたちなにを話してもいつもすれちがいでしたの。彼女たちはわたしの言うことを理解しないし、わたしには彼女たちの言うことがわかりませんでしたの。わたしが奇蹟のことを話すと、みんな最初わたしが冗談を言ってるのだろうと思い、そしてわたしがしんけんなのに気がつくと、(中略)みんなわたしを気ちがいだと思おうとしましたの。だけど一方で、わたし頭はかなり柔軟なほうで、ヘブライ語もアラメア語も知っていてタルグーミムやミドゥラーシムを読めたりしたものですから、そんなことどうでもいいことなのですけど、そのために彼女たち、わたしのことを気ちがいだと言うわけにもまいりませんでしたの。で、けっきょく彼女たち、なんにも言い表わしてない言葉を見つけたんです。みんなしてわたしのことを『変人』って呼んだのです。
 聖書やそのほかの神聖な書物のなかでわたしにとって大切なのは――本質的なことは――奇蹟で、ただ奇蹟そのものだけで、奇蹟にたっするための隠れた道でしかない道徳や倫理の命令じゃないってことをみんなにわからせようとしたら――そしたら彼女たち陳腐なきまり文句でしか応酬することができませんでしたわ。(中略)みんな『奇蹟』という言葉を聞いただけで不愉快そうな顔をして、足もとの地面が消えていきそうって言ったんです。
 まるで足もとの地面が消えてなくなることより、もっとすばらしいことがなにかあるみたいに!
 世界はわたしたちに思念のうちで破壊されるためにあるんだって、わたしいつか父がそう言うのを聞いたことがあります、――そのとき、そのときはじめて人生がはじまるのだって。――父が『人生』という言葉でなにを言っていたのかは知りませんが、わたしがある日まるで眠りから醒めるように『目醒める』ことがあるだろうってことはときどき感じるのです。それがどんな状態になることなのか、想像できないのですけど。そしてそうなるまえにかならず奇蹟が起こるにちがいないと、いつもそう思っていますの。」」

「あいかわらず部屋のなかに、じっとなにかをうかがっている身の毛のよだつ気配が――水の流れのようにたえまなく、隙間なく漂っていた。
 ぼくの全感覚がいたずらに緊張し、身構えていた。ぼくはこの緊張を耐えきれそうもなかった。――部屋いっぱいに、ぼくには見えない目が――ぼくにはつかまえられない、漫然とぶらついている手が、ひしめいていた。
 「これは、他のなにものからでもなく恐怖そのものから生まれ出てくる恐怖、なにものとしても把握しえぬなにものかが感じさせる、ひたすらぼくらの意気を沮喪させる恐怖、かたちをもたず、想念の境界を食いやぶってくる、なにものでもないなにものかの怖ろしさなのだ」ぼくは漠然とそう思った。」
「ぼくのまえに奇妙なものが立っていて――たぶんぼくがここに坐ったときからそこに立っていたのだろう――そして手をさしのべている、ということが徐々にわかってくる。
 ずんぐりした人間ぐらいの大きさの、肩幅の広い、灰色のなにものかが、螺旋状にねじれた、節くれだった白い木の杖を突いて立っている。
 頭があるはずのところには、ぼんやりとした暗闇から、霧の球が見分けられるだけだ。
 びゃくだんと濡れたスレートの臭いが、その幽霊からどんよりと臭ってくる。」

「「それはそうと、クラインザイテの白い家のことに戻りますけど、とっても興味ぶかいことですね。つまり古い伝説にね、あの高みの錬金術師の裏町に、霧がかかってるときしか見えない家が一軒立ってるって言われてるんです。そのときだって、『幸運児』にしか見えないのだけど。その家は『最後の灯の塀』って呼ばれてるんだけど、昼間のぼってみると、そこには大きな灰色の石がひとつあるだけなんです、――そのうしろは切り立った断崖で、ヒルシュグラーベンに深く落ちこんでるんです。」」
「「で、その石のしたには莫大な財宝が埋められてるって言われてるんです。プラハの最初の基礎をおいたと言われてる『アジアの兄弟』という結社が、建物の礎石としてその石をおいたんだそうで、その建物にはいつか世のおわりに、ひとりの人が――もっと正確に言えばヘルマフロディートが――つまり男と女とからできた人間が住むことになるって言われてるんです。」」

「「ベッドにひとりの若い女の子が眠ってました。――それとも仮死状態だったのかもしれません。――そばにひとりの男が立って、女の子の額に手をおいてました」」

「「あなたは、あなたの意識に催眠療法をくわえられ、長いあいだ青少年時代の記憶を喪失していたとおっしゃいましたね」とかれは話しつづけた、「それは、『霊の国の蛇』に噛まれたあらゆる人間の目印――傷跡(スチグマ)――なのです。野生の木に継ぎ枝がされるように、わたしたちもふたつの生が継ぎ重ねられることなしには、覚醒の奇蹟は起こりえないように思います。ふつうは死によって継ぎ枝され、生から分かたれるのですが、ここではそれが記憶の喪失によって――ときにはたんに突然の内部の転回によって、生ずるわけです。
 わたしのばあいは、なんの外的原因もなさそうなのに、二十一歳の年に、ある朝目を醒ますと人が変わっていたのです。そのときまで大切だったものが、急にどうでもよいものになっていたのです。つまり生が、(中略)愚かしいものに思われ、現実味を失ったのです。そして夢が確実性を、――反論の余地のない、説得力をもった確実性をえたのです。よろしいでしょうか、説得力をもった、実在の確実性をえたのです。そして昼間の生が夢となったのです。
 すべての人間は、もし鍵をもつなら、そうなることができるのです。そしてその鍵は、人が自分の『自己の姿』を、いわば自分の皮膚を睡眠中に自覚することに、ただそのことにのみあるのです。」」




こちらもご参照下さい:

ゲルショム・ショーレム 『カバラとその象徴的表現』 小岸・岡部 訳 (叢書・ウニベルシタス)
































































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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