中村元 『現代語訳 大乗仏典 5 『華厳経』『楞伽経』』

「それは差別があるということを前提にして、無差別なるものを追求しているということです。」
「「天神のことばで、竜のことばで、神霊・鬼霊・人間のことばで、
世間の人々にどれだけのことばがあろうと、そのすべてのことばで、私は理法を説く。」」

(中村元 『現代語訳 大乗仏典 5 『華厳経』『楞伽経』』 より)


中村元 
『現代語訳 大乗仏典 5 
『華厳経』『楞伽経』』


東京書籍 
2003年11月13日 第1刷発行
2005年1月17日 第2刷発行
257p 口絵i 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円(税別)
装幀: 東京書籍AD 金子裕



華厳経をよみたいのですが、ないので、しかたがないので本書をよんでみました。
本書は華厳経と楞伽経についての概説と、さわりの部分の漢訳書き下し文(とその敷衍的解説)を収録した本ですが、大部のお経のうちのほんの一部分しか取り上げられていないので、たいへん物足りないです。付録論文では華厳経とプロティノス、エックハルト、ライプニッツの思想の共通性が指摘されています。


中村元 華厳経


目次:

はしがき

第1章 真理の世界――『華厳経』(一)
 『華厳経』と東大寺の大仏
 『華厳経』のなりたち
 法界縁起の説
 世界成立の所以
 真理の世界から見た現実のすがた
 荘厳された世界
 遍満する仏の法身

第2章 菩薩行の強調――『華厳経』(二)
 初発心時に正覚を成ず
 唯心偈――一切は心から現れる
 心の修養、自利即利他
 懺悔の実践

第3章 善財童子の求道――『華厳経』(三)
 一 善財童子が道を求める
 長者の子、善財童子
 菩薩の道を問う
 遊女の教え
 二 〈さとりを求める心〉
  『往生要集』にみる「入法界品」
  発菩提心の勧め
 三 晋訳『華厳経』のめざすもの――六十巻本の末尾の偈
  普賢菩薩の説く教え
  諸仏の徳を讃える
  仏の三業を讃える
  尽きることのない仏の徳
 四 「普賢菩薩行願讃」――四十巻本の末尾の偈
  日本仏教への影響
  諸仏を 敬礼し、この世にとどまることを願う
  修行の完成をめざす
  三世の劫の海を渡る
  すばらしい行いの完成
  普賢の願をとなえる
  十種の広大な願い

第4章 唯心の実践――『楞伽経』
 禅宗への影響
 ラーヴァナによる仏の勧請
 諸識の根本にあるアーラヤ識
 七種の本性を説く
 無影像すなわち如来蔵の門
 四種のしかたで真理を観ずる
 自証の法と本住の法
 殺生、食肉を禁ず

付録
 特論 人類の思想史の流れにおける『華厳経』
  縁起の思想
  十二因縁説の比較
  インドにおける華厳教学の基礎
  西洋の哲学への影響
  中国の儒学思想による改変

あとがき (堀内伸二)




◆本書より◆


「第1章 真理の世界――『華厳経』(一)」より:

「一切(いっさい)の世界海(せかいかい)は、世界海(せかいかい)の塵(じん)の数(かず)の因縁(いんねん)有(あ)りて具(そな)わるが故(ゆえ)に成(じょう)ず。已(すで)に成(じょう)じ、今(いま)成(じょう)じ、当(まさ)に成(じょう)ずべし。所謂(いわゆる)(すなわち)、如来(にょらい)の神力(じんりき)の故(ゆえ)に。法(ほう)が応(まさ)に是(かく)の如(ごと)くなるべきが故(ゆえ)に。衆生(しゅじょう)の行業(ぎょうごう)の故(ゆえ)に。一切(いっさい)の菩薩(ぼさつ)が応(まさ)に無上道(むじょうどう)を得(う)べきが故(ゆえ)に。」
「すべての世界の海は、無数に多くの因縁によって成り立っている。すべては因縁によってすでに成立しており、現在成立しつつあり、また未来も成立するであろう。ここにいう因縁とは次のことをさしている。それは仏の神通力である。またものごとはすべてありのままであるということである。また衆生の行為や宿業(しゅくごう)である。またすべての菩薩は究極のさとりを得る可能性を有しているということである。」

「一一(いちいち)の微塵(みじん)の中(なか)に、仏国海(ぶっこくかい)が安住(あんじゅう)し、仏雲(ぶつうん)遍(あまね)く護念(ごねん)し、弥綸(みりん)して一切(いっさい)を覆(おお)う。
一(ひと)つの微塵(みじん)の中(なか)に於(おい)て、仏(ぶつ)は自在力(じざいりき)を現(げん)じ、一切微塵(いっさいみじん)の中(うち)に、神変(じんぺん)することも亦(また)是(かく)の如(ごと)し。
諸仏(しょぶつ)及(およ)び神力(じんりき)は、盧舎那(るしゃな)の示現(じげん)したもうなり。」
「世界海では、いちいちの小さな塵の中に仏の国土が安定しており、いちいちの塵の中から仏の雲が湧(わ)きおこってあまねく一切をおおい包み、一切を護(まも)り念じている。一つの小さな塵の中に仏の自在力が活動しており、その他の一切の塵の中においても諸仏が神変を示しているが、それらはすべてヴァイローチャナ仏の示現である、というのです。 
 一つ一つの小さな塵の中に偉大な仏の国がふくまれている、ということをここでいっています。塵ということばはサンスクリット語の原文では「アヌ(anu)」「パラマーヌ(paramanu)」ということばが使われ、これはひじょうに微小なものをいいます。インド人は総じて抽象的なことばを使うのが好きですから、「ひじょうに微細なもの」という言い方をします。ところが中国では、なんでも具象的な表現をする傾向にあります。そこで「塵」ということばを使ったわけです。サンスクリット語の「アヌ」または「パラマーヌ」は、インドの自然科学的思考では原子のことをいうので、西洋の学者はこれを「アトム(atom)」と訳しています。そのアトムの中に偉大な世界がある、極小の中に無限大を指示する、ということをここでいっているわけです。」

「無限に微小なるもののうちに無限に大きなものが存在している、そうして一切の事物は相互に連関しあって成立している、と説くのが『華厳経』の究極の趣旨だといわれています。この趣旨をいろいろの表現や語句を用いて説明しているのです。」

「世界海(せかいかい)には世界海(せかいかい)の微塵(みじん)に等(ひと)しき〈劫(こう)に住(じゅう)すること〉有(あ)り。所謂(いわゆる)(すなわち)仏刹海(ぶつせっかい)は、或(あるい)は数(かぞ)うべからざる劫(こう)に住(じゅう)し、或(あるい)は数(かぞ)うべき劫(こう)に住(じゅう)す。是(かく)の如(ごと)き等(とう)の世界海(せかいかい)の微塵(みじん)の数(かず)の〈劫(こう)に住(じゅう)すること〉有(あ)り。」
「現在の時点において空間的視点から考えると、一つの小さなものの中に無数にひろい諸世界がふくまれているように、時間的にも現在の諸世界のうちに過去および未来にわたる無限に長い世界がふくまれているのです。劫というとほうもない長い時期に有限数を乗じたものであることもあるが、無限数を乗じたものであることもあるというのです。とほうもないことを考えています。」



「第2章 菩薩行の強調――『華厳経』(二)」より:

「心(こころ)は工(たく)みなる画師(がし)の如(ごと)く、種種(しゅじゅ)の五陰(ごおん)(注: 五蘊(ごうん)ともいう。個人存在を構成する五つの要素。色・受・想・行・識の五つ。)を画(えが)き、一切世界(いっさいせかい)の中(うち)に、法(ほう)として造(つく)らざるもの無(な)し。」
「心は巧みな絵師のようなものであって、種々の五陰(ごおん)を描き、いかなるものでも心に基づいて現れます。」



「第4章 唯心の実践――『楞伽経』」より:

「『楞伽経』は禅宗に大きな影響を及ぼしたという点で、わが国はもちろんのこと、東アジア諸国で重要な意義をもっている経典です。
 そのもとの名前は『ランカーヴァターラ・スートラ』(Lankavatara-sutra)といいますが、「ランカー(Lanka)」を音写して「楞伽」という漢字をあてたのです。「ランカー」とはセイロン島、今日のスリランカの国のことです。スリランカの「ランカ」にあたります。」
「アヴァターラ(avatara)」とは、この場合は下(くだ)って入るという意味です。また「化身」の意味にもなります。ですからこの経典は、釈尊がスリランカの島に赴いて、教えを垂れてくださった、ということになっています。」

「そのときに羅婆那夜叉王(らばなやしゃおう)は仏(ほとけ)の神力(じんりき)によりて、仏(ほとけ)の言音(ごんおん)(音声(おんじょう)を聞(き)き、はるかに如来(にょらい)の竜宮(りゅうぐう)より出(い)でて、梵(ぼん)〔天(てん)・帝(たい)〕釈(しゃく)、護世(ごせ)の天(てん)、〔および〕竜(ちゅう)〔等(とう)〕に囲遶(いにょう)せられたまい、海(うみ)の波浪(はろう)を見(み)そなわして、その衆会(しゅうえ)には蔵識(ぞうしき)の大海(だいかい)に境界(きょうがい)の風(かぜ)が動(うご)き転識(てんじき)の浪(なみ)が起(お)こるを観(かん)〔察(ざつ)〕したまい、歓喜(かんぎ)の心(こころ)を発(おこ)し、その城中(じょうちゅう)において、声高(こうじょう)に唱(とな)えて言(いわ)く、「我(われ)は、まさに仏(ぶつ)〔所(しょ)〕に詣(もう)で、請(しょう)じてこの城(しろ)に入(い)り、我(われ)および諸天(しょてん)世人(せじん)をして〔無明(むみょう)〕長夜(ちょうや)の中(うち)において、大饒益(だいにょうやく)を得(え)せしむべし」と。」
「スリランカは島ですから、海の波がたっています。それを見て、集った人々には、蔵識(人間の根本にある精神)という大海に境界(認識対象)の風が吹くと、転識(現にはたらいている識別作用)が波のようにおこってくる、つまり海に風が吹くと波がおこるが波という実体はない、人の心も蔵識という海に知覚の対象という風が吹いて前七識の波が現れるのだ、と観察したわけです。
 ラーヴァナは喜んで城の中で声高に唱えて言いました。「ああ、私はこれから仏さまのところへお参りして、お願いして、この城の中へ入っていただいて、そして私は、無明の闇に閉ざされているわれわれの迷い、そのなかにある我およびもろもろの神々や世の人々をして、大いなる利益を得られるようにさせてやろう」と。」

「『楞伽経』のなかではいろいろの教えを説いていますから、どれが中心思想であるかということは、なかなか決定しがたいのですが、如来蔵思想は、たしかに重要な中心思想の一つです。
 如来蔵という観念は、大乗仏教がかなり発展してから出現したものです。人間の本性は清浄であるが、汚れをふくんでいる現象世界がどうして成立するのか、ということを説明するためにもち出された観念です。われわれの本体は仏性であり、如来そのものであるが、それが妄分別の汚れのうちに蔵(かく)されているというのです。」
「如来蔵の思想とは、われわれの本性は清らかなもので、仏と同じである。それが迷いに包まれているのであって、本来は如来を隠れた母胎として蔵している、というものです。」























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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