川村湊  『補陀落 ― 観音信仰への旅』

川村湊 
『補陀落
― 観音信仰への旅』


作品社 
2003年11月28日 第1刷発行
222p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(税別)
ブックデザイン: 小川惟久



本書「あとがき」より:

「『新潮』誌に、この本の基になった原稿二百枚を寄稿したのは、二〇〇二年の六月だった。それに、ほぼ同じくらいの分量の原稿を書き下ろしたものを付け加えたのが本書である。」
「評論とも紀行ともエッセイとも学術論文ともつかないものを、「観音信仰」について書きたいということばだけでオーケーして下さった、元『新潮』編集長(中略)に感謝したい。」



本文中図版(モノクロ)多数。


川村湊 補陀落


帯文:

「母なる神=
観音の
浄土を
求めて

補陀落は観世音菩薩の
治める浄土。
現世の災厄を逃れて、
また衆生の救済を求めて
帰らぬ旅に出た者達がいた。
那智勝浦から中国舟山列島、
さらに韓国・インドの
古跡を訪ね、歴史に潜む
民衆の悲嘆の夢を探る。」



帯裏:

「自分のためだけに生き、自分のためだけに死ぬ。これが、補陀落の渡海僧たちが、現代にまで遺したメッセージであるように思う。観音菩薩という絶対的な他力に頼ることこそ、絶対的な自力による救済の世界なのであり、それは男たちにとって、岡本かの子のような、「女人」の「観世音ぼさつ」、あるいは「母親観音」に対する、帰依であり、憧憬であり、希求なのである。
本文より」



目次:

第一章 入水(じゅすい)の海
 一 補陀落渡海と宣教師
 二 那智の渚で
第二章 観音のいる岬
 一 足摺岬の龍燈
 二 唐渡りの僧と龍になった女
第三章 をなり神・媽祖(マソ)・シヴァ神
 一 ホタラ島幻想
 二 観音浄土の島
 三 天竺へ
第四章 観音変化(へんげ)相
 一 江戸の観音・浪速の観音
 二 悲母観音の来た道
第五章 近代文学と観音信仰
 一 摩耶(マヤ)とマリア
 二 母観世音菩薩

あとがき
巡行日程および地図
使用テキストおよび参考文献




◆本書より◆


「第一章 入水の海」より:

「補陀落渡海という信仰現象は、いかにも中世的なものだと思われる。戦乱と戦災の巷(ちまた)という現実、価値の紊乱(びんらん)、道義の破壊という精神的な荒廃、革命の挫折と蹉跌(さてつ)感。転形期に、まさに典型的な失意や絶望や諦念が、海上遥かな果てに、ユートピアとしての補陀落浄土を幻視させたのであり、自己を抹殺してしまおうというデスペレートな情熱が、沖へ、沖へと、挫折者たち、絶望者たち、狂信者たちを追い立てていったと思われるのである。
 そうした補陀落渡海の「発心(ほっしん)」の有様を、もっとも印象的に記録しているのは、中世人・鴨長明が筆録したといわれる『発心集』の、次のような話だろう。「ある禅師補陀落山(ふだらくせん)に詣(まう)づること」という題の説話で、無名の発心者の、知られざる信仰の事績が、いかにこの時代に多かったかということを実感させるものである。

  近く讃岐の三位といふ人いまそかりけり。かの乳母(めのと)の男にて、年ごろ往生を願ふ入道ありけり。心に思ひけるやう、この身のあり様、万(よろづ)のこと心に叶はず、もし悪しき病なんど受けて、終り思ふやうならずは、本意とげんこと極めてかたし。病なくて死なんばかりこそ、臨終正念ならめと思ひて、身燈(しんとう)せんと思ふ。

「身燈」とはむろん身を燃やして、灯りとして仏に供養することである。壮烈な捨身行である。だが、鍬を真っ赤になるまでに焼いて、左右の脇に差しはさんでも、焼け焦がれるばかりで燃え上がらない。それで「身燈」をやめることにした。(中略)「補陀落山こそ、この世間(よのなか)のうちにて、この身ながらも詣でぬべき所なれ」と聞いている。では、そこへ行こうと、男は土佐の国へ行き、新しい小舟を一隻作り、朝夕にこれに乗って梶を取る技術を習い覚えた。」

  「北風のたゆみなく吹き強(つよ)りぬらん時は、告げよ」と契りて、その風を待ち得て、かの小船に帆かけて、たゞ一人乗りて、南を指して去りにけり。妻子(めこ)ありけれど、か程に思ひ立ちたることなれば、留(とゞ)むるにかひなし。空しく行きかくれぬる方を見やりてなん、泣き悲しみける。これを時の人、心ざしの至り浅からず、必ず参りぬらんとぞ推(お)し測(はか)りける。

 この説話の主人公の場合は、その信仰心というより、「身燈」を試みたり、渡海のために操船の技術を習い覚えようとしたりするその実行力の方に感心してしまうのだが、補陀落浄土を目指しての渡海も、この時代(十一世紀末から十三世紀初めか)には、井上靖の「補陀落渡海記」に描かれたような陰惨な残酷物語とはなっておらず、健康的な、そして単純でありながら、強固な信心に支えられた修行の一つであるということが確信される。」

「補陀落渡海とキリシタンの殉教とで、本質的な意味で一つだけ違うところを挙げてみれば、補陀落渡海には、キリスト教のもっとも根源的な教えである「自己犠牲=Self-sacrifice」という観念がないところだろう。キリスト教(キリシタンの教え)が日本にもたらしたものは、一つにはこの「自己犠牲」という考え方があったと思う。」
「こうしたキリスト教(キリシタン)的な「自己犠牲」の精神がもっとも発揮され、発揚されたのは、近代日本とキリスト教国との戦争、すなわち第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)の末期における日本軍の「特攻精神」による神風特別攻撃隊などの場合であっただろう。」
「近代日本の為政者たちは、孜々(しし)としてこうした「自己犠牲」の精神に富む、忠良なる皇国臣民を学校、軍隊、職場、地域共同体の制度や規則を通じて育成し、養成しようとしたのである。」

「キリシタンの殉教にあって、補陀落渡海にないもの。それは誰かの身代わりや、ある観念や信念に殉じるために献身する、自分の身を犠牲にするという考え方や感じ方であって、そういう意味では補陀落渡海は、きわめて小乗的な往生の形でしかないのである。『発心集』の入道心のすがすがしさや、少々牽強付会に聞こえるかもしれないが、中上健次の「補陀落」の主人公の「ぼく」のアン・モラルでドライな振る舞いも、こうした過剰な観念に殉ずるというキリスト教的な「自己犠牲」の精神といったものが見当たらないことによるものと思われる。」

「井上靖の小説は、(中略)「近代的」な不信仰と世俗化に泥(なず)んでいるキライがある。そこには「近代人の心理」のようなものはあっても、中世人の、心理や自我といった病に冒されることのない、単純で、力強い信仰の力に対する信頼はない。
 というより、一人の人間の死に何らかの意味や意義を見出そうとする、日本においてはきわめて近代的な「死」の観念に、主人公の金光坊は囚われているような気がするのだ。」
「だが、「有意味」の死というものこそ、中世以降の近世、近代の迷妄にほかならないのではないか。
 近代人ならぬ中世人にとって、「見るべきほどのものは見つ」といって、ざんぶと海に沈んだ『平家物語』の武将のような単純さやわかりやすさが彼らの身上であって、世間や社会の思惑に「心理」的に対応する金光坊のような「近代人」的な意識の持ち主は、そう多かったとは思われない。(中略)補陀落渡海は、その一身の往生を願うだけのものであり、そこに「自己犠牲」といった観念、何らかのおおやけ(公)の理念に殉じたり、自己を抹殺する(犠牲にする)ことが、普遍的な価値の擁護につながったり、観念に意味や意義を与えたりするようなものではなかった。」



「第二章 観音のいる岬」より:

「それにしても、韓国の観音霊場としての洛山寺が、日本の観音霊場の紀三井寺や金剛福寺や青岸渡寺などと、なぜにこうも似通った立地条件、同じような信仰の寺院としての共通性を持っているのだろうか。観世音菩薩のいる岬は、日本だけ、あるいは韓国だけに限らない、中国にも、台湾にも、ベトナムにもある。海に向かって観音の浄土である補陀落を望む。(中略)そこから簡単に身を投げ捨ててもよいと思われるような美しい風景。もちろん、それはニヒリズムやデカダンスなどを意味するものではない。生と死がどこかでつながり、生死の二元論では割り切れないような時間の止まった世界が広がる。補陀落世界は、そうした時間と空間の果ての世界であると思われるのだ。」

「「明恵上人夢記」によると、明恵はある日、こんな夢を見た。唐から渡ってきた唐女の形の茶埦(ちゃわん)があり、それが日本に来たことを嘆いていると聞いた。涙を流し、嘆いている女の人形に、「糸惜(いとほ)しくすべし」といって慰めた。「曲問(ごくもん)之人にてやおはしますらむに、其の事無益(むやく)に候」というのに対し、「此の国には随分に大聖人之思(おぼ)え有りて、諸人、我を崇むる也。然れば糸惜しくせむ」というと、女の人形は喜び、たちまち生身の女人となった。明恵は彼女を仏事に連れて行った。すると人が「此の女、蛇と通ぜる也」といった。私(明恵)はこのことばを聞いて「蛇と婚(ま)ぎ会ふに非ず、只、此の女人又蛇身有る也」と思う。人がさらに「此の女人は蛇を兼したる也」といったところで目が覚めた。「案じて曰はく、此善妙也。云はく、善妙は龍人にして又蛇身有り。又茶埦なるは石身也」(『明恵上人集』)というのが、明恵の自註である。
 舶来の陶器人形と明恵との恋。ファンタジックにいえば、そういう夢の話だが、この人形は義湘への愛のために龍身となった善妙である。明恵上人が義湘に自らを擬したのは、その善妙との関わり合いにおいてだった。男女の恋愛感情を昇華して、その愛情を法悦にまで高めた善妙。その愛情に溺れることも、無下(むげ)に斥けることもせずに、龍身となるほどの怨念を華厳の教えの護法の情熱へと転化させた義湘の感化力。生涯不犯(ふぼん)を貫き、童貞だったと伝えられる明恵上人高弁の、その「女性」に対する「多感」さが、「糸惜し」さが、女人渇仰ともいえる義湘と善妙の物語のなかに含まれる「女人済度」のテーマを選ばせたといえるかもしれない。」



「第三章 をなり神・・媽祖・シヴァ神」より:

「唐の時代(西暦八六三年とされる)に慧鍔(えがく)(慧萼とも)という日本人僧が中国に修行にやって来た。仏教聖地として当時から有名な五台山に登り、そこで彼は熱心に経を読み、参禅したのだが、大殿后院に安置してあった木彫りの観世音菩薩像を見て、その美しさ、神々しさに感歎した。慧鍔のあまりの感歎ぶりを見て、そこの方丈は、彼にその観音像を与えようといった。慧鍔は喜び、日本へ持ち帰って寺を建立することにした。彼は、(中略)帰国の船出をした。船が普陀山の海にさしかかると、急に大風が吹き、船は大揺れに揺れた。そのため、慧鍔の乗った船は、普陀山の浦に帆を下ろし、碇(いかり)を下ろさねばならなかった。翌日、再び出航したが、今度は白い煙霧が行く手を阻んだ。左に走れば左に、右に走れば右に、煙霧はからかうように船の行く手を遮ったが、それ以外の方角では青く晴れ渡った海だった。奇異に思った慧鍔が、船を普陀山の浦に戻らせて停泊すると、煙霧はたちどころに消えた。
 三日目、船はやはり航行することができなかった。風と波が船の進路を遮り、慧鍔が読経し、念仏してそれを静めると、今度は鉄の蓮の花が海面いっぱいに浮かんで船の動きを閉ざしてしまうのだった。慧鍔はここで、船に乗せた観音像がもしかしたら日本へ行くことを拒んでいるのではないかということに気が付いた。そこで観音像に告げて曰く、どこでもお好きなところに寺院を建て、そこで供養いたしましょう、と。たちまち、一匹の鉄牛が海中からあらわれ出て、鉄の蓮を食べ、船は普陀山に戻る。慧鍔は観音像を普陀山の上に運び、地元の漁民たちの助力を得て、その海を見下ろす風光明媚な地に小さな庵室を建て、そこに観音像を安置し、朝夕に拝礼した。人々はその観音を“行かざるの観音(不肯去(ふこうきょ)観音)”と呼ぶようになった。」
「現在の不肯去観音の建物は、一九八〇年に新しく、不肯去観音院の旧跡と伝えられてきた場所に建てられたものだ。」
「実際に、慧鍔が“恋い焦がれた”観音像がどんなものであったのかはわかっていない。(中略)しかし、昔そこに素朴な木造の観音菩薩があり、中国を離れて日本へ行くことを拒んだという伝説があった。私にはそれだけで十分だと思われる。(中略)木製や銅製の観音像に“恋する”人間の物語は、『今昔物語集』をはじめとして少なくないが、異国の観音の美しさに魅惑され、日本に帰国せず、一生をその観音像とともに、この観音浄土に過ごした日本僧の慧鍔こそ、私には、観音信徒として、もっとも純粋な信仰に生きた人間だったと思われる。」




こちらもご参照下さい:

川村湊 『言霊と他界』
根井浄 『観音浄土に船出した人びと ― 熊野と補陀落渡海』 (歴史文化ライブラリー)
















































































































































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Author:ひとでなしの猫
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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