和田博文 他 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』

和田博文・真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 
『パリ・日本人の心象地図 
1867-1945』


藤原書店 
2004年2月25日 初版第1刷発行
379p 口絵(モノクロ)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,200円+税
カバー地図: 矢本正二『巴里通信』(築地書店、1943年)附録より



久生十蘭『十字街』がすきなので本書をよんでみました。本書には久生十蘭はでてこないです。パリ生活の記録を残していないからです。


パリ 日本人の心象地図 01


帯文:

「明治、大正、昭和前期にパリに生きた日本人60余人の住所と、
約100の重要なスポットを手がかりにして、
従来のパリ・イメージを
一新する、全く新しい試み!
写真・図版200点余/地図10枚」



カバーそで文:

「地理学の分野では一般的に、隠喩としての地図を、認識地図と呼んでいる。また、「頭の中の地図」、メンタルマップ、イメージマップという呼称もあるという。本書で私たちは、心象地図という概念を、ほぼ同じ意味で用いる。日本人のパリへの視線を考えるとき、認知(知識)以上に、心象(イメージ)が、大きな問題として浮上するからである。
 本書の大部を占める第Ⅱ部では、日本人の足跡が刻まれたスポット九三ヵ所と、日本人六三人の住所四六ヵ所の、合計一三九ヵ所で、パリの地図を作成した。スポットの選定に際しては、以下の作業を行っている。まず明治・大正・昭和戦前期にパリに渡った、著名な日本人約一〇〇人の、パリ関係の単行本や雑誌発表エッセイから、三行以上の言及があるすべてのスポットを抜き出した。次にその頻度順リストを作り、頻度が高いスポットと、頻度が低くても重要なスポットを、合計九三ヵ所選んでいる。日本人住所は原則として、第二次世界大戦以前にパリ関係の著書を刊行した日本人で、住所が番地まで判明した者を取り上げた。同一スポットや同一人物で、複数の住所が明らかな場合には、適当な住所一ヵ所を選んでいる。
 一三九ヵ所のスポットと日本人住所は、八つのエリアに分けた。各エリアの冒頭に、スポットと日本人住所を記入した地図を掲載し、エリアの特徴を概説している。エリアが先験的に存在していたのではない。スポットと日本人住所の分布が、結果としてエリアを作り上げた。自ずからここには、日本人の心象地図・パリが、浮き彫りになっているはずである。」



目次:

プロローグ パリ・日本人の心象地図 1867-1945

Ⅰ パリの日本人社会と都市の記憶
 1 パリの日本人社会
  パリの日本人社会
  日本大使館
  日本人会
  日本人商店
  日本人共同体の閉鎖性と同一性
 2 パリのネットワーク――『巴里週報』
  『巴里週報』の誕生
  日本人会・日本大使館からの知らせ
  読者の声――投書・消息より
  上海事変以降の『巴里週報』
 3 パリの日仏文化交流
  パリ万国博と川上一座
  武林文子の興行
  花子と雪洲
  音楽家たちのパリ修業
  文化交流今昔
 4 日本人画家のパリ
  パリという美術修業の場
  オテル住いとアトリエ相互訪問
  カフェとレストランでの交流
 5 ソルボンヌで学んだ日本の知識人
  仏文学研究の泰斗たち
  それぞれの留学事情と自己発見
  孤独の心境と透徹したフランス理解
 6 追憶のパリ――『巴里』『アミ・ド・パリ』
  巴里会の「ビユルタン」
  〈シツクな社交機関〉として
  東京にパリを探す 
  巴里会の変質

Ⅱ 日本人のパリ都市空間
 1 エッフェル塔とパッシー
  エリアの特徴/地図
  エッフェル塔
  アンヴァリッド(廃兵院)
  オトゥイユ競馬場
  岡本かの子・岡本一平
  キク・ヤマタ
  ギメ美術館
  薩摩治郎八
  芹沢光治良
  高浜虚子
  近藤浩一路
  トロカデロ広場
  ブーローニュの森
  牡丹屋(日本料理店)
  ミラボー橋
  柳沢健
  ロダン美術館
  ロンシャン競馬場
 2 凱旋門からルーヴルへ
  エリアの特徴/地図
  有島生馬・小宮豊隆
  ヴァンドーム広場
  エスカルゴ(レストラン)
  凱旋門
  久米正雄・藤原義江
  グラン・パレ(歴史的建造物)
  コメディ・フランセーズ座(劇場)
  コンコルド広場
  サラ・ベルナール座(劇場)
  シャトレ劇場
  シャンゼリゼ座(劇場)
  シャンゼリゼ通り
  武林文子
  チュイルリー公園
  中央市場
  日本人会
  ときわ(日本料理店)
  日本大使館
  プチ・パレ美術館
  深尾須磨子
  プリュニエ(レストラン)
  マドレーヌ寺院
  満鉄事務所
  三木清
  モンソー公園
  ルーヴル美術館
 3 モンマルトル
  エリアの特徴/地図
  サクレ・クール寺院
  北駅
  シャ・ノワール(カフェ)
  諏訪旅館
  バル・タバラン(踊り場)
  東駅
  ムーラン・ド・ラ・ギャレット(踊り場)
  ムーラン・ルージュ(ミュージックホール)
  モンマルトル墓地
  与謝野寛・晶子
  ラパン・アジル(バー)
 4 オペラ座界隈
  エリアの特徴/地図
  美しい牝鶏(娼館)
  オペラ・コミック座(劇場)
  オペラ座(劇場)
  カフェ・アメリカン
  カジノ・ド・パリ(ミュージックホール)
  カフェ・ド・ラ・ペ
  ギャルリー・ラファイエット(デパート)
  コンセルヴァトワール(コンサート会場)
  フォリー・ベルジェール(ミュージックホール)
  サン・ラザール駅
  プランタン(デパート)
 5 カルチェ・ラタン
  エリアの特徴/地図
  エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)
  カヴォ・デ・ズブリエット(酒場)
  クリュニー美術館
  小牧近江
  コレージュ・ド・フランス(大学)
  ソルボンヌ(大学)
  コントルスカルプ広場
  田辺孝次
  ノートルダム大聖堂
  永井荷風・石井柏亭・巌谷小波
  パンテオン(教会)
  トゥール・ダルジャン(レストラン)
  不二(日本料理店)
  モルグ(死体収容所)
  モベール広場
  吉屋信子
 6 リュクサンブール公園とサン・ジェルマン・デ・プレ
  エリアの特徴/地図
  アカデミー・ジュリアン(研究所)
  アリアンス・フランセーズ(語学学校)
  岩村透
  ヴュー・コロンビエ座(劇場)
  オデオン座(劇場)
  カフェ・ヴォルテール
  カルメ(修道院)
  木下杢太郎
  グランド・ショーミエール(研究所)
  コンセール・ルージュ(音楽堂)
  西園寺公望
  サン・ジェルマン・デ・プレ教会
  サン・シュルピス教会
  武林無想庵
  蕗谷虹児
  ドゥ・マゴ(カフェ)
  ボン・マルシェ(デパート)
  正宗白鳥
  柳亮
  リュクサンブール公園
  リュクサンブール美術館
 7 モンパルナス
  エリアの特徴/地図
  石黒敬七
  海老原喜之助
  岡本太郎
  荻須高徳
  金子光晴・森三千代
  カタコンブ(地下墓地)
  河上肇
  クーポール(カフェ)
  岸田國士
  クローズリー・デ・リラ(カフェ)
  黒田清輝
  小松清
  小山敬三・坂本繁二郎・林倭衛・児島虎次郎
  佐伯祐三
  ジョッキー(ナイトクラブ)
  島崎藤村
  高村光太郎
  ダンフェール・ロシュロー広場
  ドーム(カフェ)
  林芙美子
  藤田嗣治・岡鹿之助
  モンパルナス墓地
  山本鼎・正宗得三郎・戸田海笛
  横光利一
  福沢一郎・高畠達四郎・中山巍
  ラ・サンテ監獄
  ロトンド(カフェ)
 8 日本館付近とその他の地域
  エリアの特徴/地図
  岩田豊雄(獅子文六)
  ヴァンセンヌの森
  ヴィクトール・ユゴー記念館
  辻潤・竹中郁・小磯良平
  西條八十
  バスティーユ広場
  ペール・ラシェーズ墓地
  松尾邦之助
  パリ国際大学都市日本館
  モンスーリ公園

〔附〕 在パリ日本人年表 1867-1945

〈資料〉
 パリ全図
 パリ/フランス在留日本人数(一九〇七年~一九四〇年)
 パリ在住区別日本人数割合(一九二三年~一九四四年)
 フランス在留日本人の出生・死亡・婚姻・離婚数(一九一九年~一九四四年)
 一九三〇年前後のパリの、日本関係公的機関・銀行・会社・商店等地図
 『巴里週報』オリンピツク水泳号(第二五六号)

あとがき
人名索引



パリ 日本人の心象地図 02



◆本書より◆


「プロローグ」(和田博文)より:

「異郷で亡くなる日本人のなかには、故国への手掛りが、皆無の者も含まれていた。一九四〇年七月八日付公文書(中略)は、曲芸人の安藤源次郎について、こう記している。一八六七年生まれの安藤は、一八九四年二月にイタリア人興行師コメリーの曲芸団に加わり、アメリカ・南米・スペインを経て、フランスで生活するようになった。ここ数年は健康を害し、老齢のために失業して、生活に困窮していたが、六月二日に病死する。同棲中のスペイン人女性が世話をしていたが、貧しいので、日本人会で埋葬費を支払って、共同墓地に埋葬した。日本の家族に関しては一切不明であると。
 安藤の場合はそれでも、死を看取ってくれる親しい人がいた。畑林玉一の死亡について、一九二八年四月一七日付公文書(中略)はこう伝えている。パリ市外の学校で「労役夫」として働いていた彼は、病気を患って解雇される。貯蓄もなく生活に窮して、大使館に相談してきた。医師の診断では肺結核のためすでに重態で、三月三〇日に病院で亡くなる。知友はなく、大使館の負担で、パリ郊外の共同墓地に埋葬した。正式なパスポートは所持していない。着古した衣類以外には、遺留品もないと。畑林のように、大使館に駆け込む余裕がない日本人もいた。一九四一年七月一五日付公文書(中略)によれば、高橋美吉は二年前の四月一日に、リール県の精神病院で死去している。身寄りもなく、大使館から病院への問い合せで、初めて確認されたのである。
 彼らに共通しているのは、日本に経済的な後ろ盾がなかったことだろう。」
「貧困や病気に直面して客死した日本人の、パリの心象地図は、日本で消費された「花の都」イメージや、「芸術の都」イメージと、大きく隔たっていただろう。また安定した収入を背景に、高級住宅街のパッシー地区で暮らした日本人の、心象地図とも異なっていたはずである。無名画家の井田亀彦は、フランスのシャンパーニュ村で、一九二七年六月九日に自殺する。同年一一月二日付公文書(中略)によれば、遺留品はわずかに、洋画一五枚、未完成の洋画一五枚、小鞄一個、化粧道具一組、洋服一着、雨外套一着、洋画用品数種だけだった。前年三月からの未払い下宿代八三四〇フランの請求が、大使館に届いているから、食い詰めて、進退きわまったのだろう。井田家は破産寸前で、借金を支払える状態ではなかった。一九二八年二月二二日付公文書(中略)は、他家に嫁いだ姉も、夫が恩給暮らしで、支払い能力はないと報告している。
 ところが六月二五日に、姉から警視総監に、自分が借金を分納したいという「願書」が提出された。実はその間の三月二三日に、一通の公文書(中略)が送られている。そこには井田の日記帳が見つかったので、本人の遺言により、姉のもとに送ると書いてある。井田にとって姉は、最後の言葉を伝えたい相手だったのだろう。画家としての志を抱きながら、挫折を余儀なくされた青年の、パリの心象地図が、日記帳には記されていたはずである。(中略)井田の心象地図を、確認するすべはもはやない。しかし分納したいという「願書」は、日記帳を読んだ姉の、今は亡き弟に対する、精一杯の応答だったような気がする。」



パリ 日本人の心象地図 03


「モルグ」(和田桂子)より:

「モルグは大革命以前にはグラン・シャトレ(Grand-Châtelet 最高裁判所)に設置されていた。一区と四区にまたがる今のシャトレ広場である。溺死したり殺されたりした人の死体が無造作に横たえられていたという。グラン・シャトレの取り壊しに伴ってモルグは一八〇四年一五区のマルシェ・ナフ(Marché-Neuf)に移転した。かつて魚や野菜の市がたったところだが、古くからの屠殺場もあった。ここがモルグに改装された。死体洗浄の部屋、解剖の部屋のほかに死体掲示場もあった。一八六四年に、モルグは四区のケ・ド・ラルシュヴェシェ(quai de l'Archevêché 大司教埠頭)に再び移転する。ノートルダム大聖堂の裏手である。
 辰野隆(たつのゆたか)はパリの雨の日のセーヌ河岸を思い出してこう書いた。「ベルナルデーヌの街から河岸に出て、橋を渡ると、左には黒いノートル・ダムが高く聳え、右には低い死体収容所が蟠(わだかま)っている」(『え・びやん』白水社、一九三三年)。(中略)ここではガラス窓ごしに誰でも死体を見ることがでいるようになっていた。見せ物にしようというわけではない。死体を民衆に公表して、もの言わぬ死者の身元を早く判別しようというねらいである。
 パリを訪れた巌谷小波は、一九〇〇年八月三〇日に久保田米斎に連れられてこのモルグを見学し、こう書き残している。

   午前米斎君の案内で、巴里随一の古寺院、ノウトルダムを見物し、それから其の後の、変死人掲示場を見た。これは仏蘭西の探偵小説には、よく引合に出る所なので、即ち変死人の素性の解らぬものを、薬剤の作用で腐らぬ様にして、其まゝ諸人に見せる所である。
 此日は珍らしくも大入りで、男女の死体が七八個あつた。それが何れも変死当時の有様で、硝子越しに列べてあるのだから、随分気味のよくないものだが、さて又『恐い物見たし』で、見物人は押合ふ許り、尤もあまり残酷な死体は、正物の代りに写真が出してあつたが、鼻を剥ぎ、髪毛を抜き取り、其上手足を切り放した死骸などは、たとひ写真で見ても、余等の様な気の弱いものは、戦慄をせずには居られない。聞けばその写真は疾うから此処に掲げられて、大金の懸賞で、その解死人を探して居るのだが、未だに手掛りが無いとやら。これが其中解つたら、又面白い探偵実話が出来やう」(『小波洋行土産 下巻』博文堂、一九〇三年)。

 見せ物にする意図はなかったと書いたが、小波の記述を見るかぎりでは、恐いもの見たさの群衆の心理をある程度は意識していたと考えられる。小波の説明に「薬剤の作用で腐らぬ様にして」とあるのを、大塚要が「これは薬剤の作用に非ず冷蔵庫の一種にて冷却したる空気の作用に御座候」と訂正した(『小波洋行土産 下巻』)。一八八一年から、モルグでは冷蔵装置を利用していたようである。」




こちらもご参照下さい:

河盛好蔵 『藤村のパリ』 (新潮文庫)
江口雄輔 『久生十蘭』
『定本 久生十蘭全集 8』
堀切直人 『浅草 大正篇』



































































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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