メルシエ 『十八世紀パリ生活誌 (下)』 原宏 編訳 (岩波文庫)

メルシエ 
『十八世紀パリ生活誌
― タブロー・ド・パリ (下)』 
原宏 編訳
 
岩波文庫 青/33-455-2 

岩波文庫 
1989年7月17日 第1刷発行
386p
文庫判 並装 カバー
定価620円(本体602円)



Louis-Sébastien Mercier: Le tableau de Paris
本文中図版(モノクロ)多数。全二冊。


メルシエ 十八世紀パリ生活誌 03


カバー文:

「珍味佳肴に目を輝かせる美食家の飽食ぶり、場末のいかがわしい酒場にたむろする乞食の集団、そしてまた繁文縟礼をこととする役人たち……。「私はこの本を足で書きあげた」と自負するメルシエの言葉どおり、あらゆる場所あらゆる階層に踏みこんでゆく彼の筆は、パリをおおう不平等、奢侈、悪徳、頽廃、貧困をあばきだす。」


目次:

地図

序文

〈Ⅳ〉 食の世界
 食通
 中央市場(レ・アル)
 菓子屋・焼肉屋
 牡蠣(かき)
 茸(きのこ)
 海の魚
 四旬節(カレーム)中の肉料理
 万年鍋
 ラ・ヴァレー川岸
 定期市(マルシェ)
 食卓
 食事の時間
 アイスクリーム
 ポンス
 カフェ
 カフェのボーイ
 ラ・クールティーユ界隈
 相席安食堂(ターブル・ドート)
 特殊な稼業
 いかがわしい酒場
 ぞっとするような料理
 臓物屋
 酔っぱらい
 喫煙酒場(タバジー)
 月曜日

〈Ⅴ〉 モードと文化
 モードを売る女たち
 帽子
 徒歩で行く
 お作法の先生
 イギリスかぶれの馬鹿者
 髪型
 付け毛
 小犬
 黒人の子供
 一七六二年四月三日の勅令
 ステッキ
 女性のご機嫌とりはもうごめん
 接吻・抱擁
 戸口での記帳
 外国人
 話し好き
 人をかつぐこと
 プラトリエール通り
 情報屋
 英語
 古本屋
 最近の火災
 劇場警備隊
 座席に坐った平土間の観客
 貼り紙
 ビラ貼り人
 小学校(プティット・エコール)
 学寮(パンション)
 寄宿学校(コレージュ)等々
 解剖学
 パリの街頭で負傷すると……
 市立病院(オテル・ディユー)
 経験医
 特効薬の効能書
 アルベール殿下の浴場

〈Ⅵ〉 司法・警察・税金
 裁判所
 商事裁判所
 民事代官屋敷
 代訴人・執達吏
 公証人
 法律学校
 町役人
 封印
 競売物件評価執達吏
 破産
 債務者
 週期限の金貸し
 タンプル修道院
 家賃を払え
 引越し
 警視総監
 警察署長
 警察関係者
 夜警隊
 角灯巡警
 火災・消防
 一斉検挙
 押収
 牢獄
 暗黒の地下牢
 一七五七年一月五日
 嘆きの歌
 グレーヴ広場
 新しい市壁
 ブルトンヴィリエ館
 税関吏
 税関
 市門
 人頭税(キャピタシヨン)
 人頭税督促駐屯兵
 小口販売
 塩運び人足
   *
 わが足

訳注
付録
 (一) 度量衡・貨幣単位
 (二) 移動祝祭日
解説



メルシエ 十八世紀パリ生活誌 04



◆本書より◆


「徒歩で行く」より:

「徒歩で行くということは、まもなく卑しいことと考えられるようになるだろう。にもかかわらず、あらゆる分野の天才人はみな徒歩で行く。馬車には才子が乗っている。しかし天才は歩いている。」
「ところで、馬車はけわしい出世への道をすすむ男なら、誰もがたどり着きたいと願う目標なのだ。幸運の第一歩として、軽快二輪馬車(キャブリオレ)を確保し、御者も自分でやる。第二歩は、ふたり乗りの箱馬車(クーペ)の番で、第三歩としては主人(あるじ)として豪華四輪馬車(キャロッス)、それから最後に奥様にも豪華四輪馬車(キャロッス)を、といった具合である。
 財産が増えてくると、息子も自分の「軽快二輪馬車(キャブリオレ)」を持つようになる。その家の執事も軽快二輪馬車(キャブリオレ)を持ち、給仕頭も市場に軽快二輪馬車(キャブリオレ)で行く。やがて料理人も自分のを持つようになるだろう。そしてそういう軽快二輪馬車(キャブリオレ)がことごとく極悪非道な馬車となり、(中略)まるで悪魔のように歩道のない街路を走り廻る。
 医者になってまっ先にすることは、豪華四輪馬車(キャロッス)を手に入れることである。」



「プラトリエール通り」より:

「ジャン=ジャック・ルソーはその著作の中で、ジュネーヴの湖の美しい景色や、いくつもの森、湖、林、岩山、山岳などについてかなり数多く語っている。その景観が彼の魂に力強く語りかけていたのである。ルソーの想像力がやすらぎを感じるのは、もっぱら牧場や水や森や、その生命力を秘めた人里離れた風景を前にしたときのみであった。それなのに、ルソーはほとんど六十歳近くになってから、パリのプラトリエール通りに越してきた、つまり選(よ)りに選ってもっとも騒がしく、もっとも住み心地が悪く、もっとも人通りの激しい、そして悪所の中でももっとも腐敗した通りに越してきたのだ。」
「私は、プラトリエール通りに、彼をたずねたことがある。そして『エミール』の著者を前にして、この著名な作家が脳の病に侵されているのを見たとき、どんなに深い苦悩に浸されたことか! ルソーが幻の敵のこと、彼個人に対する万人の陰謀のことについて私に話すのを聞いたとき、私はため息が出た。目に同情の涙がたまり、そっと自分に言い聞かせた、「何ということか、あれほどおれが賛美してきたこの人は、狂気なのか!」 そのとき初めて私の心をかすめた悲しい洞察が、彼の死後発表の作品によって裏づけられることになろうとは、そのときの私は知るよしもなかったが、それらの作品は軽卒に公刊されたものであり、他の作品の名誉をそこなうことは間違いない。
 そう、ジャン=ジャック・ルソーは、あまりにも強烈な想像力に動かされ、彼自身も自覚していなかった自尊心でいっぱいになっていたので、自分の周囲に巧妙な敵の同盟がはりめぐらされていると思いこんでいた。その敵どものさしがねで、靴みがきが彼の靴をみがくのを拒否したり、乞食が彼の与えた施しを投げ捨てたり、傷痍軍人が彼に挨拶するのを拒んだりするというのであった。自分はどこへ行っても後をつけられ、言動はすべてスパイされていると固く信じていた。また無数の密偵が、監視の目を、ヨーロッパじゅうに熱心に光らせ、あるいはプロシャ王の心に、あるいは近所の果物売りの女の心に、自分の悪口を言ってまわっている、だから近所の果物売りの女がサラダ菜や梨の値段をまけてくれるのも、ただただ彼を卑しめるためにほかならない、と固く信じていた。このような彼に私は会ったのである。(中略)ジャン=ジャック・ルソーは私生活において、気違いじみた妄想に侵されていたが、外見が依然としてもの静かで、平静のままであっただけに、妄想はいっそう癒しがたいものであった。」



「貼り紙」より:

「毎日朝早く、三大劇場でその夜上演される作品が掲示される。環状並木道(ブールヴァール)や大市(フォワール)の劇場もおなじようにする。おなじ列に、『アタリー』と『洗濯屋の家のジャノ』とが並び、『カストルとポリュックス』と『いたずらっ子の踊り』とが並んでいる。つまりあらゆる趣味を満足させるだけのものがあるのだ。」
「誰にも信じられないだろうが、芝居見物に行きもしないのに貼り紙を読み、どんな作品が上演されるのか知っているのを、見にいかないことの慰めにしているような貧しい人々が大勢いるのである。そういう人々は、貼り紙を無断借用して、寝ころびながらそれを読み、上演を見た気持になる。
 貼り紙は、警視総監の許可なしには、何ひとつ掲示することはできない。もし犬だとか、腕輪とかを紛失したら、司法官のサインをもらいに行かねばならない。
 もっとも、サインはいつでもすぐもらえるし、白紙委任状局があって、迷子になったスパニエル犬やおうむや、紛失したマフやステッキなどの発見を助けてくれることも事実である。」
「その貼り紙は、次の日にははがされて、他の貼り紙に場所をゆずる。もし貼る人がはがさなかったら、街路は、貼り紙が聖俗あわせてごたまぜに重なりあった結果、一種の厚紙のようなもので延々とふさがれてしまうに違いない。そこにまざりあっているのは、「教書、大道薬売りの広告、高等法院の法廷の判決、それらを取り消す国務顧問会議の宣告、差押え判決の出された財産、死後の競売と最高入札者への落札、証言命令書、迷い犬、シャトレー裁判所の宣告文、信心深き魂へのいましめ、人形劇、説教師、聖体顕示、竜騎兵連隊、霊魂論、弾力性のある包帯」等々といったようなものであるが、要するに公衆が目にはするが読むことはなく、むき出しの壁を隠すことにしか役に立たないさまざまな紙の山ができるのだ。」



「ビラ貼り人」より:

「ビラ貼り人は、無頓着の象徴だ。聖なるものも、俗なるものも、裁判に関するものも、死刑判決も、迷い犬のビラも、おなじ顔つきで貼りつける。自分が壁に貼りつけているものは、司法官の認可以外、決して読みはしない。司法官の名前さえ見れば、自分自身に対する判決文でも貼りつけることだろう。
 三十年間コメディー・フランセーズやオペラ座のポスターを貼りながら、そこには一歩も足を踏み入れたことがないという者もいる。道路の方に向かって、文字を掲げたとき、まっすぐになってさえいれば、さも満足そうに眺めてから立ち去る。」



「解剖学」より:

「寄宿学校(コレージュ)で教師が自然学の一年間の授業を、実験という名の蛮行でしめくくるのを見て、私はいつも嫌悪の念をおぼえてきたものだ。生きた犬の四本の足を動けなくしておいて、苦痛のうめき声にもお構いなく、体に解剖刀を突き刺し、腸(はらわた)を切り開く。教師はぴくぴく動く心臓をいじってみせる。残酷さは学問につきものなのであろうか?」
「解剖学者は、(中略)墓掘り人たちと取引きを結んでおかなければならない。そんなふうにしてやっと死体が手に入るのだ。学生たちは金がないと、夜、墓地の塀を乗り越えて、前日安置され、埋葬された遺体を盗み出し、屍衣をはぎ取る。棺桶をばらばらにし、死者の墓をあばいたあとで、死体をふたつに折り曲げ、背い籠に入れて解剖学者のところに運びこむ。それから死体が切り刻まれ、解剖されてしまうと、解剖学者にはもうその死体をもとの場所にもどすすべがない。そこで死体の切れはしを、川の中だろうと、どぶの中であろうと、便所の中だろうと、どこでもかまわず投げ捨て、まき散らす。人間の骨は、人に食べられた動物の骨とまざりあう。それで、堆肥の山の中に、人体の残骸が発見されることもまれではない。」




こちらもご参照下さい:

メルシエ 『十八世紀パリ生活誌 (上)』 原宏 編訳 (岩波文庫)























































































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分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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