根井浄 『観音浄土に船出した人びと ― 熊野と補陀落渡海』 (歴史文化ライブラリー)

根井浄 
『観音浄土に船出した人びと
― 熊野と補陀落渡海』
 
歴史文化ライブラリー 250 

吉川弘文館
2008年(平成20)3月1日 第1刷発行
229p
四六判 並装 カバー
定価1,700円+税
装幀: 清水良洋・河村誠



本書「あとがき」より:

「本書は日本宗教史の謎といわれる補陀落渡海について整理したものである。平成十一年に上梓した『補陀落渡海史』を見直し、新しい項目を設けて書いてみた。」


本文中図版(モノクロ)28点。


根井浄 観音浄土に船出した人びと


カバー裏文:

「補陀落(ふだらく)渡海とは何か。
観音菩薩が住む
南方の浄土=補陀落世界を目指し、
現身(うつしみ)を舟形の棺に納めて
大海原(おおうなばら)に船出した人びとがいた。
宣教師の記録や絵画史料、渡海船の構造から、
「南方往生」と補陀落渡海の
世界観を解き明かす。



目次:

補陀落渡海――プロローグ
  井上靖の『補陀落渡海記』
  金光坊の補陀落渡海
  金光坊の亡霊ヨロリ
  補陀落世界
  補陀落渡海と熊野

熊野への旅
 蟻の熊野詣
  熊野三山
  熊野の参詣道
  熊野詣の準備
  熊野詣の病者
  梛の葉
  御幸人の連署
  濡れ藁沓の入堂
  道中作法の謂
  熊野詣の掟
  無遮の精神
  熊野詣の情感
 平維盛の入水往生
  平維盛の周辺
  『平家物語』の維盛
  山成島と金島
  「金に成る」島
  平維盛の生存説
  補陀落往生
 熊野の補陀落渡海
  覚宗が見た補陀落渡海
  頼長の感慨
  万里小路冬房の補陀落渡海
  渡海時期の疑問
  『実隆公記』の記事
  万里小路家の伝奏職
  補陀落渡海者の上人号

補陀落渡海した人びと
 補陀洛山寺の渡海上人
  補陀洛山寺の本尊伝承
  拾得された観音像
  高野山の教算
  『熊野年代記古写』の渡海上人
  『本願中出入証跡之写別帳』(壱)の渡海記事
 智定坊の補陀落渡海
  下河辺六郎行秀の補陀落渡海
  智定坊の失態
  下野国の巻き狩り
  下河辺六郎行秀の系譜
  小山朝政の勲功
  流鏑馬の故実
  北条泰時書状
  『徒然草』の教訓
  西行の弓術口伝
  弓術の研修
  鎌倉武士団の故実
  智定坊の武士精神
 実勝坊の補陀落渡海
  湯浅氏と明恵上人
  『四座講談縁起』の由来
  実勝坊の補陀落渡海
  湯浅氏の系図
  『星尾寺縁起』に見える実勝坊
  実勝坊と智定坊の補陀落渡海
  明恵周辺の補陀落信仰
  明恵と実勝坊
 日秀上人の補陀落渡海
  日秀上人の生涯
  日秀上人の出自
  日秀上人の那智出帆説
  景轍玄蘇の『八嶋の記』
  日秀上人の沖縄漂着
  補陀落浄土としての金武
  波上山権現護国寺と日秀上人
  金剛嶺経塚
  沖縄の滞在期間
  薩摩国に移る
  屋久島に渡る
  日秀上人書状
  三光院の建立
  日秀上人の入定
  日秀上人の情報
  入定室の内部構造
  日秀上人の入寂
  仏師としての日秀
  日秀仏の特徴
  日秀上人の遺品
  日秀を救った鮑
  日秀上人の遍歴
 高海上人の補陀落渡海
  『那珂湊補陀落渡海記』
  作者恵範
  常陸国の六地蔵寺
  高海上人の風貌
  補陀落渡海船の建造
  補陀落渡海船の出帆
  那珂川を下る
  仮屋の道場
  高海上人の出自
  東西二人の補陀落渡海

補陀落渡海の遺跡
 四国の補陀落渡海
  室戸岬の補陀落渡海伝承
  賀登上人
  足摺岬の賀登上人
  『とはずがたり』の渡海説話
  渡海説話の背景
  『蹉跎山縁起』
  理一上人の補陀落渡海
  足摺りの地名伝承
 九州の補陀落渡海
  弘円上人の補陀落渡海
  土船の渡海船
  繁根木八幡宮と寿福寺
  夢賢上人の補陀落渡海碑
  下野国の行者
  日光山の補陀落信仰
  舜夢上人の補陀落渡海
  日新寺末の維雲菴
  維雲菴の遺跡
  赤面法印の入水往生
 日本海の補陀落渡海
  嘉慶の塔
  出雲大社と出雲聖人
  重善上人の補陀落渡海
  国人層の結縁

宣教師が見た補陀落渡海
 外国文献の補陀落渡海
  日本の補陀落渡海
  『日本諸事要録』
  『東方伝道史』
  フロイス『日本史』
  『日葡辞書』
  シュールハンマー「山伏」
  モンタヌス『日本誌』
 宣教師たちの書簡
  アルカソバ書簡
  トルレスの情報
  ビレラ書簡
  山伏の補陀落渡海
  もう一つのビレラ書簡
  和泉国堺の補陀落渡海
  フロイス書簡
  伊予国堀江の補陀落渡海
  日常の補陀落渡海
  八人の集団入水
  某パードレ書簡
  筑前国博多沖の入水
  追従する人びと
 キリスト教の伝来と補陀落渡海
  キリスト教の伝来と雲仙修験
  祐海上人の補陀落渡海
  和泉国の林昌寺
  雲仙岳と四国の霊場
  有馬晴信の寺社破壊
  雲仙岳の惨状
  雲仙岳の補陀落信仰

補陀落渡海の絵画
 那智参詣曼荼羅
  社寺参詣曼荼羅
  那智参詣曼荼羅
  補陀落渡海の図
  那智参詣曼荼羅の原像
  法燈国師覚心
  『紀州由良鷲峰開山法燈円明国師之縁起』
  『法燈国師縁起』の意訳
  補陀落渡海図の萌芽
 補陀落渡海図の絵解き
  『法燈国師縁起』の成立過程
  絵解きの内本
  興国寺に立ち寄る熊野参詣者
  補陀落山の絵を見る
  熊野道者対象の絵解き
 補陀落渡海船の構造
  補陀落渡海船の名称
  補陀落渡海船の仕掛け
  那智参詣曼荼羅に見える渡海船
  補陀落渡海船の宗教的意味
  補陀落渡海船と修験道
  三船三様の渡海船
  補陀落渡海船と入定
  補陀落渡海船の帆文字
  葬場における四門
  戦国武将の葬送と四門
  島津忠良の往生の企て

青海原への憧憬――エピローグ
  熊野の色彩と生命感
  胎内からの南方往生
  末世観の深化と補陀落渡海
  動き出す熊野の人びと

あとがき




◆本書より◆


「補陀洛山寺の渡海上人」より:

「注目されるのは、浜の宮補陀洛山寺の本尊が海上から拾い上げられた観音仏であり、これが補陀落世界から湧出、漂着した小像であったとする点である。すなわち、海上から寄り来る仏であった。」


「日秀上人の補陀落渡海」より:

「日秀は補陀落渡海と入定の二つの捨身(しゃしん)行を実践した僧であった。」

「日秀の入定室は方一間であり、定中に石座を敷き、中の四壁を塗り籠めて「四十九院」が造られていた。四十九院とは、四門(しもん)と呼ばれる四つの鳥居を連結する忌垣(塔婆)である。要するに四十九本の塔婆であった。四門と四十九院は、後述するように補陀落渡海船にも組まれた。つまり、入定室と補陀落渡海船の内部構造は同一視されていたことが理解できる。」



「外国文献の補陀落渡海」より:

「バリニャーノの『日本諸事要録』(一五八三年)第三章に、「日本人の宗教と諸宗派」と題した次のような一節がある。
  彼等(日本人)は多くの迷信を有している。彼等の中には、あるいは聖人の名称を得るため、あるいは彼等が空想しているある天国に行くために、大げさな儀式によって、生きたまま海中に身を投じて溺死する者もいるし、また生きたまま地中に埋葬される者もいる。
 右に見える本文で、バリニャーノが「彼等が空想しているある天国に行くために、大げさな儀式によって、生きたまま海中に身を投じて溺死する者もいる」と書いているのは、まさしく補陀落渡海にほかならない。並記するように「生きたまま地中に埋葬される者もいる」とあるのは、修験山伏たちの土中入定(にゅうじょう)を指した記述であろう。」



「宣教師たちの書簡」より:

「伊予国堀江でおこなわれた補陀落渡海は、男性六人と女性二人の集団入水であった。彼らは数日前から街々を歩いて喜捨を求め、阿弥陀の西方浄土に往生することを待ち切れず、より間近に現存すると認識されていた補陀落浄土での再生を求めたのだという。実行にあたり、彼らは人びとから受けた金銭を袖に入れ、多くの人びとに見送られ、新しい一艘の船に乗り込んで海岸を出た。彼らの身体には、頸・腕・足に大きい石が縛り付けられていたという。(中略)やがて彼らは沖合に押し進み、ここで別船に乗っていた親者や友人と訣別することになる。そして、彼らはさらに沖合に出て、一人ひとり深い海に投身したのである。
 追従していた人びとは、ただちに補陀落渡海船に火を付けた。そして、海岸に接して記念の小堂を建てたという。堂には「小さな棒に紙の小旗を附けて屋上に立て、各人のため一本の柱を建て、これに多くの文字を記し」たとあるから、日本の葬送儀礼に見られる天蓋(てんがい)・四本幡(しほんはた)・五色幡(ごしきはた)がかけられ、塔婆(とうば)が建てられたのであろう。さらに松を植え、堂内では渡海した彼らを供養するために読経をおこない、その後も人びとは常にこの堂に参拝するのだという。」
「フロイスはこのような堀江における補陀落渡海を聞きつけ、一五六五年に書簡をしたため、京の都からイエズス会の同志に送ったのである。フロイスは、書簡の末尾に海中に身を投げた者の中に長い鎌を手に携えた者があり、また、自分から海に入水するのではなく、船に大きな穴を穿ち、この栓を抜いて船もろともに海底に沈む方法があると付け加えている。」



「補陀落渡海船の構造」より:

「補陀落渡海船に造られた四門と四十九院は、右に見てきたような葬儀や葬具の中世的形態を残している。そして、補陀落渡海船そのものが墓所や棺台(ひつぎだい)と同一視されていた。熊野地方で補陀落渡海船を「こつふね」(骨船)と呼んだ、というのも通常の船ではなかったことを表している。したがって、補陀落渡海船は実質的に遺体を入れる棺の機能を持っていた、といわねばならない。」


「青海原への憧憬」より:

  「一、うみはひろいな おおきいな
  つきがのぼるし 日がしずむ
  二、うみはおおなみ あおいなみ
  ゆれてどこまで つづくやら
  三、うみにおふねを うかばして
  いってみたいな よそのくに
 林柳波作詞・井上武士作曲の「うみ」の歌詞である。(中略)日本の美しい歌であり、想い出の唱歌であり、誰もが郷愁をいだく歌であろう。
 「うみにおふねを、うかばして、いってみたいな、よそのくに」。平安期の人びとも、このように思っていた。「よそのくに」。それは「ふだらく」と呼ばれた理想郷であった。」




こちらもご参照下さい:

川村湊  『補陀落 ― 観音信仰への旅』
和田博文 他 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』
内田善美 『星の時計の Liddell ①』







































































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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