石井洋二郎 『パリ ― 都市の記憶を探る』 (ちくま新書)

石井洋二郎 
『パリ
― 都市の記憶を探る』
 
ちくま新書 119 

筑摩書房 
1997年8月20日 第1刷発行
238p
新書判 並装 カバー
定価660円+税
装幀: 間村俊一



本文中図版(モノクロ)多数。


石井洋二郎 パリ 01


カバー文:

「……私たちは17世紀の橋を渡ったかと思えば、5分後には18世紀の広場を横切り、19世紀の駅にたたずんだかと思えば、10分もたたないうちに20世紀の塔にのぼったりもするのであって、空間的移動がこれほどまでにダイナミックな時間的往還をともなう街はめずらしい。……………………………………」


カバーそで文:

「華やかな表情の内側に無数の集合的な記憶を包みこんだ都市、パリ。著者は濃密な象徴性を帯びた都市の身体に直接触れ、その息づかいにひたすら耳を傾けながら、埋もれた記憶を丹念にひとつひとつ掘りおこしていく。そこに立ち現れるのは、重層化した歴史の深みから発するこの都市ならではの稀有な輝きにほかならない。パリの魅力の源泉に迫る一冊!」


目次:

【プロローグ】 象徴空間としてのパリ
 「紋切型」の誘惑
 社会空間と象徴空間

1 門をくぐる
 パリの城壁
 徴税請負人の壁
 祝祭・疫病・犯罪
 パリという巨大な穴
 切開される都市
 無償のアーチ
 聖別の儀式
 戦争と凱旋門

2 橋を渡る
 最古の新橋
 パリの心臓
 『感情教育』とポン=ヌフ
 失意の橋
 橋と彫像
 世紀の橋渡し
 鉄の詩学
 架橋と越境

3 塔にのぼる
 大聖堂の塔
 パリ鳥瞰
 重力と落下
 石の塔から鉄の塔へ
 内部の不在
 交錯する視線
 現代の塔
 欲望の生産装置

4 街路を歩く
 都市の血管
 舗装と下水
 闇から光へ
 明りの時代
 ガス灯と街路の変貌
 番地の政治学
 消滅する痕跡
 固有名詞の戯れ

5 広場を横切る
 群衆の快楽
 歴史の劇場
 牢獄から広場へ
 引き倒された円柱
 見世物としての処刑
 正方形の中庭
 給水塔から共和国へ
 二つの日付

6 地下にもぐる
 もうひとつのパリ
 崩壊する街路
 地下墓地の誕生
 死の帝国
 人骨の回廊
 巨獣のはらわた
 下水道を作った人々
 地下鉄に乗れなかったザジ

7 駅にたたずむ
 時間への配慮
 ターミナルという媒介装置
 駅のポエジー
 神秘への洞窟
 駅舎の美学
 北駅と東駅
 三つの駅の運命
 美術の殿堂

8 墓地を訪ねる
 墓地の変容
 作品としての墓
 虐殺の記憶
 冥界の饗宴
 別れの儀式
 ドレフュスの墓
 殉教者の丘
 ネクロポリスの構造

【エピローグ】 読まれえぬ都市

主要参考文献




◆本書より◆


「橋を渡る」より:

「セーヌ河がパリの中心部をリーヴ・ドロワット(右岸地区)とリーヴ・ゴーシュ(左岸地区)という二つの社会空間に分割していることは、すでに(中略)述べた通りであるが、そうした自然条件を前にして、人々は何世紀にもわたってそのあいだに橋を架ける営みを継続し、両者を交通させようと試みてきた。しかし実際に歩いてみればすぐに実感できる通り、その街並は依然としてだいぶ様相を異にする。両岸はシテ島をはさんで最も離れた部分でもせいぜい四〇〇メートル、河幅の狭い部分ではわずか一〇〇メートルしか隔たっていないのに、差異はむしろきわだつ一方のようにさえ思われるのだ。(中略)両者のあいだには文化的な質の相違が歴然と見られる。(中略)全体としては「右岸/左岸」という図式が、「保守/革新」「古典/前衛」、さらには「ブルジョワ/庶民」「経済/文化」「金銭/芸術」といった一連の二項対立を集約するものとして通用していることは否定できない。
 ところで橋を架けることは本来、隔たった二つの領域の差異を完全に廃棄するとは言わないまでも、ある程度まで平準化することではあるはずだ。何らかの地理的・物理的理由によって分断されて容易には往来できない土地どうしを連結し、それによってヒトやモノの自由な移動と交換可能性を保証すること、そして両者のあいだに存在するかもしれない文化的な落差を埋め、社会的な水位を接近させること――。セーヌの右岸と左岸を結ぶ三二の橋にも、それぞれの時代状況に応じて、多かれ少なかれそうした効果が期待されていたにちがいない。
 だが、生活の諸領域のみならず、集合的心性にいたるまで熾烈な差異化の力学にひたされてきた両岸の社会空間が、橋でつながれたからといってそう簡単に混じりあうはずもない。それどころか、「橋を渡る」という行為は右岸から左岸への、あるいは左岸から右岸への移行をことさら人々に意識させ、かえって両者の距離を先験的・必然的なものとして身体化させるという結果をもたらしさえしたのではないか。架橋することと越境することのあいだには、無限の距離がある。差異の解消に寄与すべき橋が、逆に差異の増殖を助長してしまうというパラドクサルな事態が、ここに生じる。
 しかもパリの橋は、十七・八世紀におけるポン=ヌフがそうであったように、しばしば渡られる(引用者注: 「渡られる」に傍点)よりはその上で立ち止まられる(引用者注: 「立ち止まられる」に傍点)ことによって、両岸の中間地帯に独立した社会空間を成立させてきた。つまりそれらはもろもろの差異を廃棄するどころか、それ自体がひとつの差異として屹立してきたのである。そんな橋にたいして、平準化の装置としての役割を期待するほうが無理というものであろう。むしろこれらの橋は、最終的にはけっして渡られない(引用者注: 「渡られない」に傍点)こと、越境を不可能にすることにその本質があるのであり、そのことが結果的に、都市の風景に微妙で複雑な、しかし観察者の視線を挑発してやまない刺激的な起伏をもたらしているように思われるのだ。」



「地下にもぐる」より:

「当時の下水道を語るにあたっては、やはりユゴーの『レ・ミゼラブル』を引き合いに出さないわけにはいくまい。この大長編小説中、「巨獣のはらわた」と題された第五部第二章は、パリを一匹の巨大な怪物(リヴァイアサン)に、下水道をその内臓に見立てたうえで、大詰めも近い物語の筋書からは独立してこの衛生設備の発展過程や社会的意義をめぐる作者の薀蓄をえんえんと披瀝した、全編でも特異な位置を占める一節である。確かに不要な汚水や泥をセーヌ河に吐き出す曲りくねった管の集合が、都市の排泄という文字通りに生理的な機能をになっているという意味で、水の怪獣リヴァイアサンの「はらわた」になぞらえられるのはきわめて納得のいくレトリックであろう。この章には数々の示唆に富んだ記述が見られるが、その中からほんの一例を挙げれば――

   人間の歴史は下水の歴史の中に反映している。罪人の死体をさらす溝はローマを物語っていた。パリの下水道は古代から恐ろしいものであった。それは墓であり、隠れ家であった。犯罪、知力、社会的抗議、信仰の自由、思想、窃盗、人間の法律が追及するか追及したすべてのものが、この穴に隠れた。十四世紀のパリの暴徒、十五世紀の外套泥棒、十六世紀のユグノー、十七世紀のモラン見神派、十八世紀の火責めの強盗。百年前には、夜、その中から短刀が飛び出して人を刺し、危険を感じたスリがその中にもぐりこみ、森に洞窟があるように、パリには下水道があった。

 パリの下水道が果たしてきた社会的機能をみごとに集約した一節だが、奇しくもここには「墓」と「隠れ家」という二つのキーワードが見られ、私たちがすでに訪れたカタコンベとのあいだに緊密なアナロジーを成立させている。じっさい、主人公のジャン・ヴァルジャンはまさに官憲の手を逃れて、「人間の法律が追及するか追及したすべてのもの」の避難所であるこの穴蔵に身を隠すわけだし、死の予感の充満した下水道は、このあと繰り返し墓の比喩を用いて描写されている。両者は切り離すことのできない概念上のカップルとして、地下空間にまつわる典型的な表象体系を構成するのだ。また同じ引用で、下水道が古くから盗賊たちのアジトであり動物たちの墓場でもあった「森の洞窟」になぞらえられていることにも注目しよう。物語の特権的な場のひとつであり、しばしば地下の暗黒にもつながるこの空洞のイメージを通して、泥にまみれた下水道は一転してひとつの神話的空間へと変貌するのである。都市を衛生化する文明の装置が、逆に都市文明のアンチテーゼとしての闇を出現させるというパラドクスが、ここには見られる。
 ところで「隠れ家」である以上、そこには他者のまなざしの存在が前提されているわけだが、それは多くの場合、民衆の統御しがたいエネルギーを抑圧し去勢しようとする権力のそれにほかならない。人間は本質的にすべてが明るみにさらされることを拒否する存在であり、法の介入をしりぞける「後ろ暗さ」の領域を必ず確保しようとするものだ。国家の投げかける視線に隅々まで照らし出された社会は、対象の輪郭を否応なく画定し、あいまいなものの存在を許容しないという意味で、いかがわしさを必要とする者にとってはきわめて息苦しい明るさに満ちた世界である。そこでは空間の有限性が容赦なく露呈してしまう。ところが密封された閉鎖空間であるはずの地下世界は、光を徹底的に排除することで、逆にすべてが混沌たる無限のうちに解き放たれる可能性を秘めている。「地上/地下」という分節は、それゆえすぐれて社会的な分節なのであり、時の宗教的権威や政治的権力と対立する異端の存在が支配的秩序から排斥されて「地下にもぐる」のは、いつの世にも単なるメタファーではありえない現象なのである。」



「墓地を訪ねる」より:

「最後にひとつ、日本人にはなじみの少ないアラン・カルデックという人物の墓を訪ねておこう。交霊術の創始者で『霊の書』の著者であるこの十九世紀の神秘思想家は、同じ区画に眠るサラ・ベルナールやイヴ・モンタンを尻目に、意外にもペール=ラシェーズ墓地で最も多くの人々を引き寄せている。墓はこの人物にふさわしくドルメン型の霊廟でひときわ異彩を放ち、ショパンの墓以上に花が絶えない。この墓地に眠る多数の著名人たちは、あたかも彼の主催のもとで冥界の饗宴を開いているかのようである。」



こちらもご参照下さい:

『ロートレアモン全集』 石井洋二郎 訳
出口裕弘 『帝政パリと詩人たち』
メルシエ 『十八世紀パリ生活誌 (上)』 原宏 編訳 (岩波文庫)





















































































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Author:ひとでなしの猫
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