渡辺淳 『パリの世紀末 ― スペクタクルへの招待』 (中公新書)

渡辺淳 
『パリの世紀末
― スペクタクルへの招待』
 
中公新書 720 

中央公論社 
昭和59年2月15日 印刷
昭和59年2月25日 発行
200p 「まえがき」iii 目次3p
新書判 並装 ビニールカバー
定価480円
装幀: 白井晟一



本書「まえがき」より:

「各種の試合や格闘技、それに花火などの催し物を筆頭に、舞踏やパントマイム、サーカス、寄席、音楽会などから演劇、映画、近くはテレビなどにわたり、一定時間、視・聴覚、とくに視覚に差し出される人為的な動く事象、この現象の全体が総称して英・仏語など西洋語で《スペクタクル》と呼ばれている。」
「《スペクタクル》はまた試合などのように結果の予測できないものと、作る、あるいは催す側には結果のわかっているものとの二つに大別される。(中略)ここで取り上げるのは後者の方、なかでも演劇的あるいは映画的スペクタクル、すなわち舞台とスクリーンのドラマという二種のフィクションである。しかも、それを(日本語の《芸能》も含めて広義の)《芸術》がらみであつかい、さらには(《風俗》を踏まえながら)《文化》の脈絡に入れて問題としたいわけなのである。そうすると、当然のように本書では、たとえば娯楽と芸術、風俗と文化のかかわりや、記録から娯楽・芸術へ、感覚から思考への移り行きなど、さまざまの興味深いラディカルな案件が一種具体的・原型的に俎上に載せられることになる。」



本文中図版(モノクロ)多数。


渡辺淳 パリの世紀末 01


帯文:

「いま新たな世紀末を迎えてフランス文化爛熟期の歴史を探る」


帯裏文:

「アール・ヌーヴォーの装飾が花咲いたパリの街角では、どのような視・聴覚芸術が催されていたのか。現代シャンソンの創始者イヴェット・ギルベール、一世の名女優サラ・ベルナールの活躍、アントワーヌやリュネ=ボーによる演劇の革新、「シラノ」の大人気と「ユビュ王」のスキャンダル、そして、映画の誕生。本書はこれまでほとんど紹介されなかった世紀末のスペクタクルの華麗なステージへ写真とポスターをまじえつつ読者を道案内する。」


目次:

まえがき

プロローグ 科学・技術実用化の嵐のなかで
 十九世紀文化の中心都市
 ドレフュス事件の顛末
 《ベル・エポック》の前半期
 オスマンの都市計画とエッフェル塔の建設
 現代文化の祖型としてのパリの世紀末

第一章 大衆芸能(スペクタクル・ポピュレール)の全盛
 劇場の中心街《グラン・ブルヴァール》
 《ブルヴァール演劇》の隆盛
 劇評家サルセーのことなど
 日本に親しみ薄いオージエ
 デュマ・フィスと『椿姫』
 職人風の多作家サルドゥー
 先駆者ラビッシュ
 ヴォードヴィルの新時代を開いたフェドー
 《オペレッタ》の退潮
 《カフェ・コンセール》の盛況
 花形歌手ギルベール
 キャバレ《シャ・ノワール》
 《フォリ=ベルジェール》、そして文学カフェ

第二章 舞台上の《聖なる怪物》たち
 座頭(俳優)制度の発達
 ロマン派演劇のスターたち
 ムネ=シュリとサラ・ベルナールの登場
 サラ・ベルナールの全盛時代、そして晩年
 サラ・ベルナールのライバルたち

第三章 舞台の革新――現代演劇の起点
 既成演劇の批判者としてのアントワーヌとリュネ=ポー
 自然主義、象徴主義文学の潮流と演劇
 マイニンゲン公一座の活動
 アントワーヌの演劇サークル修業時代
 アントワーヌの《自由劇場》旗挙げ公演
 《自由劇場》の十年間の活動の遺したもの
 北欧翻訳劇の積極的上演
 《自由劇場》以後
 ポール・フォールの《芸術座》
 象徴派のダンディ、リュネ=ポーの登場
 メーテルリンクとジャリ
 視覚的舞台づくりと音楽の利用
 ワーグナー音楽の圧倒的影響
 世紀末演劇革新の意味

第四章 二つの事件――『シラノ』と『ユビュ王』
 コクラン演ずるシラノの大成功
 『シラノ・ド・ベルジュラック』成功の原因
 ロマン派最後の一回性の名花
 ジャリの『ユビュ王』初演
 ジャリの経歴と『ユビュ王』の由来
 スキャンダルになった『ユビュ王』初演
 『ユビュ王』の今日的意味

第五章 《シネマトグラーフ》から《シネマ》へ
 リュミエール兄弟の名づけた《シネマトグラーフ》
 世界最初の常設館《シネマトグラーフ・リュミエール》の誕生
 現代 映画(シネマ)の祖型
 《シネマトグラーフ》とその前史
 カメラマンとしてのナダール父子とゾラ
 映画(シネマ)の初心・原点――《シネマトグラーフ》
 映画(シネマ)の魔術師メリエス

エピローグ 二つの世紀末のアナロジー
 二十世紀の新しい展開
 十九世紀末のみずみずしい教訓

あとがき
『パリの世紀末』略年表
世紀末のパリ市街要図
主要参考文献



渡辺淳 パリの世紀末 02



◆本書より◆


「文化社会学者のジャン・デュヴィニョーも指摘するように「象徴主義の姿勢は自然主義に対立しているかに見えるが、実は自然主義と相関関係にある」(『スペクタクルと社会』一九七〇年)し、これはアントワーヌとリュネ=ポーとのあいだについても同様だったのである。この点、アントワーヌとリュネ=ポー両人がともに――むろん対し方に違いはあったにせよ――同時代の北欧の新作家イプセン(一八二八~一九〇六年)に大変惚れ込み、それぞれが最優先のレパートリイに掲げていたことは、いまひとつのデータとして大変示唆に富む。
 つまり、「自然主義の時代はまた象徴主義の時代だった」(ミシェル・リウール『ドラマ――ディドロからイオネスコへ』一九七三年)のであり、それらふたつの流派(エコール)はよかれあしかれアマチュア精神にもとづいて真実の再建に、敵対しつつも演劇的に手を携えて活動していたのである。ちょっとむし返すようだが、ここでもうひとつ、こうした混淆ないし補完状況の証左としてゾラとマラルメの関係のことにふれておこう。それが、一般に考えられてきた以上に事実は友好的だったということである。それは、とりわけ両人の往復書簡が明らかにしている通りだが、ことにマラルメは、晩年を除いてゾラを高く評価している。そして、こうした事実からさらに広げてジャック・ロビシェが「象徴主義と自然主義は方法の違いにもかかわらず、探求の姿勢と、伝統から離れて新しいものをつくろうという意欲を共有した」と述べているのはうなずける。」

























































































































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