郡司正勝 『地芝居と民俗』 (民俗民芸双書)

「その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。」
(郡司正勝 「演劇とフォークロワ」 より)


郡司正勝 
『地芝居と民俗』
 
民俗民芸双書 58 

岩崎美術社
1971年2月5日 第1刷発行
1972年3月22日 第2刷発行
273p 口絵(モノクロ)8p
B6判 角背紙装上製本 貼函
定価1,300円



本書「あとがき」より:

「幼少のころ、芝居好きの祖父につれられてみた地芝居は、札幌の薄野口にあった大黒座であった。ちょうど廓の入口近くにあり、そこには、地付きの役者がいて、旅役者を迎えては一座を仕組んで、いろいろな芝居をみせてくれた。
 祖父は、大きな声で、屋号を呼んだ。花道のスッポンから出てきた、地役者の座頭は、切穴を覗きこんだ子供のわたしに、思いがけず、扇子で顔をかくしていながら、赤い舌をぺろりと出してみせた。そのときの驚きは、いまもって胸が痛むほどだ。芝居を憎む心と、その魅力にいちどにとり憑かれたといっていい。」
「各地の探訪に歩きまわっているうちに、しばしば、目の前で消滅してゆく地芝居にいくたびか遭遇した。(中略)そのたびごとに、身を切られるように感じたものである。
 小さなノートに書き止めてきた、雑駁な見聞記ではあるが、そうした記憶を、かぶきの底辺を支えてきた民衆の心のなかに、その伝播と共感を考えるための資料の一端として、ここにまとめておく機会が与えられた。
 そこで、その発想とでもいうべき、風流の精神と、地狂言の周辺を考えてみたものを、第一部とし、地方を歩って出会った地芝居の記録を、第二部として纏めてみた。」



郡司正勝 地芝居と民俗 01


目次:

第一部 民俗と芝居
 芸能の発想と文学
 演劇とフォークロワ
 かぶきの地方流伝
 地芝居の特質
 地狂言の呪術性
    ○
 旅芝居
 俄について
 茶番狂言について
 照葉狂言

第二部 地芝居探訪
 烏山の「山揚げ」祭
 栗山の地狂言
 牧かぶき
 群馬の地芝居
 伊能かぶき
 秩父の屋台芝居
 奥多摩の舞台
 伊豆の舞台
 長野禰津村の舞台
 長浜の曳山かぶき
 小松の曳山芝居
 虫生の舞台
 小豆島のかぶき
 金丸座見聞記
 金丸座後追
 香川町の祇園座
 伊根の屋台舟かぶき
 興居島の船踊
 切山かぶき
 隠岐島の地芝居

あとがき



郡司正勝 地芝居と民俗 02



◆本書より◆


「芸能の発想と文学」より:

「俳諧が、もと和歌の本歌取りから転じて、その主体性を主張したのは、見立を、働きとして、その自主性を高揚したからによる。俳諧は、談林を通って、はじめて独立宣言することができたのだとみれば、それは「見立」という働きによってであるはずであった。」
「それは、風情にあるのではなくて、意外性の驚きの働きにあったはずである。「目のさめたる作意」が、すなわち「新しさ」であり、見立てなのである。俳諧は、文学的であるよりは、より芸能的であるのは、芭蕉のいうごとく、「文台を下ろせば、すなわち反古」という、その発想尊重の精神にある。こうして江戸文学は、芸能の下に、隷属するか、またはその芸能性において、江戸文学としての特色を主張し、あるいは獲得するのだといいたい。
 さらに、一歩進めて、
  わざと天地をさかさまに云なし、直なる物を無理にまがらし、一句の妙体をたてじ、月日を下部(しもべ)の仕物(つかえもの)にし、太神宮を紙屑買にたとへ、天満神を傾城になし、天の逆鉾を摺少木にし、帝王に犬の馬痢をなめさせ。(『破邪顕正』)
ということになれば、さらに、神聖を犯す「おかし」としての領域に、一歩進めることになる。「もどき」には、もと、本意に逆らうの意がある。かぶきの殿様が「予が意をもどくか」というとき、そこには一種の反逆精神を指摘したことになる。
 「おかし」も「もどき」も、滑稽、笑い、二の次の精神に隠れた反抗精神を含むものだといっていい。」

「風流が、これらの今来(いまき)の神の祭りのために、新しい趣向をこらして、さかんになるのは、やはり、新しい力と働きを具体化して求められたからである。新しさは、疫神を押えるための、もう一つの荒々しい力にほかならない。祭りの趣向は新しいほどその祭りの実力を発揮することになる。それは古い力では、押えきれぬ現代の要請ということになる。古来のしきたり、権威にとっては、そこに一種の破壊行為と意志をみることになる。施政者側が、しきりに、風流の禁を行なったのは当然であろう。
 南北朝から近世初頭にかけて、この新しい精神が、しばしば旧社会制度の秩序の破壊をしめすものとしてあらわれてくるのが、「婆沙羅」の精神である。バサラ風流は、まず行為としてあらわれる。『太平記』にあらわれるバサラの大将として、佐々木道誉などの行為を指したが、それが異形、異風というかたちで、風流と結んだのが、バサラ風流である。」
「その異風体を、おもしろきとみる精神が、やがて、かぶきを生み出す基盤となるので、(中略)出雲の阿国の異風は、大衆の憧れの的となる。」



「演劇とフォークロワ」より:

「江戸時代に、願人坊主という街頭の乞食坊主があった。(中略)代参、代詣、代侍、代垢離(ごり)などを、引き受けて、代りに、願人となる者の謂である。すたすた坊主などという裸形の者も、代垢離姿の願人である。つまり、人の罪業、穢れなどを引き受けて、わずかな賽銭をうけて願参りをする坊主のことである。それらは社会の秩序の外にあった。坊主という賤民世捨人である。賤民世捨人といえば、中世の能役者ももと阿弥号をもつ僧形の世捨人であり、猿楽法師であった。かぶき俳優こそは、僧籍などではないが、士農工商の四階級の認められた社会制度外の人間、つまり制外人(にんがいにん)であって、社会の埒外におかれている地位はおなじなのである。
 その俳優は、社会人の罪業・悪徳・穢れを一身に引き受ける役を舞台で演じたのである。かぶきは、まず、「念仏踊」からはじまった。殺される役、斬られる役、幽霊の役、悔恨と懺悔を、「物語」や「くどき」で表現するのが、そのクライマックスであった。見物は、それゆえに自分らの世の姿をみ、浄化されるのである。
 生きながら社会の埒外にはみ出されて、死を語り、死霊となって冥府の有様をみせるというのが、能の本質であり、浄るりも、かぶきも、そうした伝承をうけつがないわけはなかった。慰みも浄化も娯楽も、それらの代替りがあってこそ、自分たちのものとなるのである。
 生きているうちに立てる墓、塔婆を、寿塔(じゅとう)というそうであるが、死の病いにあるとき、死んだものとしてこの寿塔を立て、いったんこの世から、みずから葬って、生きのびる方法である。だれがいつ考え出したものであるかしらぬが、民俗としてこの国に残っている。(中略)これは一種の生まれ替りの思想から出たものだといっていい。いったん死んだことにして生まれ替るのである。そのためには、一度世を捨てねばならない。重い病いを得たときに、出家するのもおなじことで、この世を捨てることによって生きのびる方法であった。
 その代役を、舞台で勤めるのが俳優の本質にあった。俳優が忌み嫌われる面と、めでたい二様の面があるのはそれである。もと、巫覡(ふげき)より出て、生き身の憑坐(よりしろ)となった点にその本質がある。心中、殺人、犯罪などで死んだ人物を、舞台に招きよせ、みずから憑坐となって、その因果の業を、語り、くどく技術が俳優であったとすれば、世話物は、というより、劇は、そこから出発し、その底流にそれが、つねに流れていることになる。「曽根崎心中」のお初が、観音めぐりからはじまるのは招魂された俳優の肉体を借りて冥府からこの世に呼び出される道行振りであったとみたい。舞台は、この世ならぬ神聖な場所であるから、ここに現われた、生霊・死霊・神仏は拝まれたので、尊敬と罪悪の捨て場とみた蔑視は、俳優の両面であったのである。」



「俄について」より:

「「俄」という芸能は、もとにわかに仕組んだ、つまり即興劇の謂で、今日の流行語でハプニングというのに当るかとおもわれる。
 したがって、本来の一回切りの、二度とはやれないというのが、その本質であろう。演劇のもっとも本質的な、もしくは初原的な要素だといっていい。演劇は、その俄性の上で成立している芸術である。」
「さて、ハプニングは、かならずといっていいように、喜劇性と諷刺性をもつことを忘れてはならない。」

「ある祭日に、にわかに雷鳴し、たちまちに晴れ上ったとき、鬼に扮したものが太鼓を背負い、毎戸ごとに廻ってきて、腰をかがめながら、「ただ今は、さぞおやかましうございましたでしょう」と挨拶してゆくのなど、典型的な流し俄であり、まったくその日と、その事態でなくては通じない俄の本質をうかがうに足るものである。」




















































































































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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