海野弘 『世紀末の街角』 (中公新書)

海野弘 
『世紀末の街角』
 
中公新書 620 

中央公論社 
昭和56年8月15日 印刷
昭和56年8月25日 発行
203p 目次4p 「初出掲載誌」1p 
新書判 並装 ビニールカバー
定価420円
装幀: 白井晟一



本書「あとがき」より:

「Ⅰの「パリ」では、「私」が一九〇〇年のパリ万国博を見物してまわるという設定にした。Ⅱの「ロンドン」を書く時、初めの「私」を押し通すかどうか迷った。(中略)全部「私」にすべきだろうか。いや、全体をひとつの人称にそろえるより、むしろ各章をそれぞれちがう人称にしてしまって、その多様なカレイドスコープのような視点の集合のうちに世紀末の都市を浮かびあがらせたらどうだろうか。いろんな人の目で、世紀末の街角を見ていくのだ。」
「新書という啓蒙的な場で、フィクションとノンフィクションの境い目にたわむれるこのような実験を、試みていいのかどうか迷ったのであるが、思いきって(中略)自由に書いてみることにした。」



本文中図版(モノクロ)多数。


海野弘 世紀末の街角 01


帯文:

「アールヌーヴォーの花咲く古き良き時代の七つの都市への旅」


帯裏文:

「今日、西欧世紀末のデザインは、ファッション、室内装飾、工芸品などに目覚しい影響を与えている。アールヌーヴォーの芸術は美術館や画廊のなかの美術ではなく、ポスターから地下鉄の飾り金具にいたる街の芸術であった。この視点から一九〇〇年のパリ、ロンドン、グラスゴー、ウィーン、ミュンヘン、ミラノ、ペテルブルグ、七都市へのタイムトラベルを試みて、読者をアールヌーヴォーの夢に包まれた都市空間へいざなう架空旅行記。」


目次:

Ⅰ パリ
  パリ万国博覧会への招待
  地下のパリ、夜のパリ
  都市ゲリラのパリ

Ⅱ ロンドン
  ピカデリー・サーカスの夜
  シャーロック・ホームズの都市空間
  ビアズリーの街、モリスの街
 郊外への旅――レッド・ハウス訪問
  喜びにあふれた装飾の館
  幻の乙女たち

Ⅲ グラスゴー
  ミス・クランストンの喫茶店
  丘の上の家
  グラスゴー美術学校

Ⅳ ウィーン
  ブラームスの子守唄
  オットー・ワグナーの都市改造
  聖なる春
  知られざるクリムト
  標題音楽と絶対音楽
 音楽への旅――マーラーと世紀末
  ベートーヴェンの部屋
  トリスタンのイメージ
  楽譜と文様

Ⅴ ミュンヘン
  アール・ヌーヴォーの影
  ミュンヘンの街角から
  男の都市、女の都市
 郊外への旅――白樺 春 メルヒェン
  ヴォルプスヴェーデの白樺
  春の乙女たち
  メルヒェンの別れ

Ⅵ ミラノ
  ミラノ・ラプソディ
  リバティ・スタイル
  アール・ヌーヴォーから未来派へ

Ⅶ ペテルブルグ
  影の都市
  劇場の都市
  さらばペテルブルグ

あとがき



海野弘 世紀末の街角 02



◆本書より◆


「パリ」より:

「博覧会には芝居や踊りもたくさん出演している。ビネ門を入ってすぐの、グラン・パレやプチ・パレとセーヌ河にはさまれた、いわゆるクール・ラ・レン(王妃の散歩道)には芝居小屋が出ている。そのなかでいちばん風変わりなのがロイ・フラーの劇場だ。そこをのぞいて見ることにしよう。ロイ・フラーぐらいこの博覧会にふさわしいダンサーはいないだろう。彼女は電気の光の魔術によって生まれたダンサーなのだ。彼女は長い布をひるがえして踊り、それに電気照明を投射して幻影的な効果をつくりだし、世紀末の人々を魅惑した。
 ロイ・フラーがいかにも世紀末的であるのは、芸術的神秘と科学の進歩が、少しの疑いもなく一致していることだ。一八九八年にキュリー夫妻が闇のなかで光る放射性物質ラジウムを発見した時、ロイ・フラーはすぐにこれを自分の踊りに利用しようと思いついた。彼女はキュリー夫人に手紙を書き、ラジウム・ドレスをつくってくれと頼んだ。それを着て踊れば、闇のなかで不思議な光の軌跡が描けるだろうと思ったのである。キュリー夫人はそれが無理だという丁重な返事を書いたそうであるが、このロイ・フラーはなんとも積極的な女性ではないか。こんな大胆な女性がでてくるのも、やっぱり〈世紀末〉なのかもしれない、と私は思った。」

「パリの世紀末はベルエポックだっただけでなく、ボンブ・エポック(爆弾の季節)でもあったことを忘れてはならないだろう。クリシーのあたりはアナーキストの巣窟であった。世紀末には、パリにはおびただしいアナーキストのグループがあった。ル・ドラポー・ノワール(黒旗団)、ラ・ジュネス・アンチパトリオティク・ド・ベルヴィル(ベルヴィルの若き反愛国主義者)、ラ・レボルト・デ・トラヴァユール(労働者の反抗)、ラ・ダイナマイト、レ・クール・ド・シェーネ(犬の心臓)などであった。」
「一八九〇年代に西ヨーロッパではテロリズムの嵐が吹き荒れ、パリのあちこちで爆弾が破裂した。都市ゲリラが跳梁するもう一つのパリ、地下のパリがあることをそれは語っていた。」
「一八九三年にはオーギュスト・ヴァイヤンの事件があった。彼はアルジェリアで働いていた貧しい労働者で、この社会に激しいうらみを抱いていた。彼はコンコルド橋を左岸に渡ったところにある議会を悪政の象徴として選び、釘をつめた爆弾を投げこんだ。けが人がでたが、死者はなかった。自分も負傷して入院し、そこで自白したヴァイヤンは、騒がせるのが目的で、殺す気はなかった、と述べた。しかし、見せしめのために、彼は死刑になった。「ブルジョア社会に死を、アナーキーよ永遠に!」と彼は叫んで処刑された。」



「ミュンヘン」より:

「世紀末は平面の表現が、三次元であるかに見せようとするだまし絵であることをやめて、平面であることの面白さ、独自さを発見した時代であった。世紀末はグラフィックの時代、つまり平面と線の時代であった。線というのは反自然的なものだ。三次元の自然には輪郭線はない。だから線による表現は自然から写されたものではないのだ。線は見えないものを平面において見えるものとするのだ。」



Loie Fuller (1902)
Directed by Segundo de Chomón


























































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