『定本 柳田國男集 第二卷 雪國の春 秋風帖 他』 (新裝版)

「人の子の心のやみは果も無しつひの光を何に求めむ」
(柳田國男 「豆手帖から」 より)


『定本 柳田國男集 
第二卷 (新装版)』

雪國の春 秋風帖 東國古道記 豆の葉と太陽 他

筑摩書房 
昭和43年7月25日 第1刷発行
486p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉 
地図(二色刷)3葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 2 (8p):
柳田國男君の横顔(長谷川如是閑)/東北の旅(松本信広)/弟子の歓喜(橋浦泰雄)/歌はぬ詩人(中村光夫)/連句の会(中村汀女)/次回配本/図版(モノクロ)4点



全31巻・別巻5巻。正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「雪國の春」は大正九年八月、東京朝日新聞夕刊の「豆手帖」の欄に連載した文章を中心にして、東北地方の旅行記をまとめたものである。初版は岡書院より昭和三年二月刊行。昭和十五年三月創元選書の一冊として出版された。巻末の「東北文學の研究」は第七巻に入れた。
○初版「雪國の春」所收の傳菅江眞澄筆の挿繪二葉は、寫眞版として月報に掲載した。
○「秋風帖」は大正九年十一月、東京朝日新聞に十七囘に亙り連載した遠州・三河地方の紀行文を中心にして、中部地方の旅行記をまとめたものである。初版は梓書房から昭和七年十一月刊行。昭和十五年三月創元選書として刊行。
○「東國古道記」は雜誌「旅」に昭和二十四年一月、二月、三月の三囘に亙り連載。昭和二十七年六月上小郷土研究會(長野縣)より一冊にまとめて刊行された。」
「○「豆の葉と太陽」は昭和十六年一月創元社より刊行。紀行文・旅に關する論文・放送原稿・講演筆記などをまとめたものである。」



本文中地図3点。


柳田国男集 二 01


内容 (初出):

雪國の春
 自序
 雪國の春 (大正十四年一月、婦人の友)
 眞澄遊覽記を讀む (昭和三年一月十六日)
 雪中隨筆 (昭和二年二月、東京朝日新聞)
  新交通
  コタツ時代
  風と光と
  藁蒲團
  センバ式文化
  火の分裂
  炭と家族制度
  火の管理者
  炭燒來る
  夢は新たなり
  折り焚く柴
  舊文明の名殘
 北の野の綠 (昭和二年六月、週刊朝日)
 草木と海と (大正十五年六月、太陽)
  名所崇拜
  紀行文學の弊
  松が多過ぎる
  自由な花
  鳥の極樂
  砂濱の草
  玫瑰の紅
  合歡と椿
  槲の林のこと
  風景を栽ゑる
 豆手帖から (大正九年八月、九月、東京朝日新聞)
  仙臺方言集
  失業者の歸農
  子供の眼
  田地賣立
  狐のわな
  町の大水
  安眠御用心
  古物保存
  改造の歩み
  二十五箇年後
  町を作る人
  蝉鳴く浦
  おかみんの話
  處々の花
  鵜住居の寺
  樺皮の由來
  禮儀作法
  足袋と菓子
  濱の月夜
 淸光館哀史 (大正十五年九月、文藝春秋)
 津輕の旅 (大正七年五月、同人)
 をがさべり(男鹿風景談) (昭和二年六月、東京朝日新聞秋田版)
  山水宿縁
  風景の大小
  半島の一世紀
  海の路絶えたり
  本山眞山の爭ひ
  正月樣の訪問
  二人の山の鬼
  椿の旅
  鹿盛衰記
  雉の聲
  花と日の光
  風景の宗教的起原
  南北の結合
  旅人の種類

秋風帖
 自序
 秋風帖 (大正九年十一月、東京朝日新聞)
  御祭の香
  山から海へ
  武器か護符か
  出來合の文明
  野の火・山の雲
  御恩制度
  狼去狸來
  巣山越え
  屋根の話
  ポンの行方
  馬の仕合吉
  杉平と松平
  還らざりし人
  ブシュマンまで
  茂れ松山
 秋の山のスケッチ (大正十四年十一月、民族)
 向小多良 (大正八年五月、同人)
 木曾より五箇山へ (明治四十二年十一月、文章世界)
 佐渡一巡記 (昭和七年十月、旅と傳説)
 佐渡の海府 (大正九年八月、歴史と地理)
 熊野路の現状 (大正三年二月、郷土研究)
 峠に關する二三の考察 (明治四十三年三月、太陽)
  一 山の彼方
  二 たわ・たを・たをり
  三 昔の峠と今の峠
  四 峠の衰亡
  五 峠の裏と表
  六 峠の趣味

東國古道記
 はしがき
 人生と古道
 浪合の昔の物語
 加賀樣の隱し路
 信州北部を横ぎる路
 道志の谷と足柄路
 信州から出て來る路
 奇談の流行
 秋葉と遠山道
 諏訪の神領として
 熊谷家傳記
 天龍川峽谷への交通
 浪合記の色々の異本
 靈の語を信じて
 地方信仰の變遷
 津島天王と東國
 遠江と信濃との連絡
 甲州との交通
 中世以前の旅行組織
 江戸以前の東國

豆の葉と太陽
 自序
 豆の葉と太陽 (昭和五年九月、東北の旅)
 海に沿ひて行く (大正十四年八月、行樂)
 空から見た東北 (昭和四年九月、文藝春秋)
 勢至堂峠 (大正五年九月、讀賣新聞)
 椿は春の木(放送) (昭和三年一月三日)
 白山茶花 (昭和十三年十二月、俳句研究)
 熈譚小篇 (昭和十三年六月、新風土、昭和十五年二月、季節)
  柿の枯枝
  蓮華躑躅
  黄金の小枝
 並木の話(舊作) (明治四十四年十二月、法學新報)
 美しき村 (昭和十五年十一月)
 春を樂しむ術 (大正十五年四月十日、東京朝日新聞)
 武藏野雜談 (大正三年四月、六月、九月、大正五年十二月、郷土研究)
  一 半鐘の栽培
  二 野の色々
  三 江戸の鹿
  四 街道ばた
 武藏野の昔 (大正八年七月、大正九年六月、登高行)
 游秦野記 (大正二年十二月、郷土研究)
 箱根の宿(舊作) (明治四十年九月、斯民)
 秋風の吹く頃に (昭和九年十月、山)
 四國の旅(通信) (昭和十年二月、ことひら)
 隱岐より還りて(談話) (昭和八年十一月、島根評論)
 島 (昭和九年四月、島)
 川 (昭和十一年八月、東陽)
 風景の成長(談話) (昭和八年一月、塔)
 旅人の爲に(講演) (昭和九年五月四日)

旅中小景 (大正十三年四月~五月、アサヒグラフ)
丹波市記 (大正五年五月、郷土研究)
樺太紀行 (昭和三十三年七月、心)
 はしがき
 九月九日~十月二日
遊海島記 (原題「伊勢の海」 明治三十五年、太陽)
 遊海島記
 附記(旅行略暦)

内容細目
あとがき



柳田国男集 二 02



◆本書より◆


『雪國の春』所収「豆手帖から」より「狐のわな」:

「「なアに、あの木は皆胡桃ではがアせん。此邊でカツの木と謂ふ木でがす。燃すとぱちぱちとはねる木でがす。
 「櫻はもう見られなくなりました。元は此山などは、春になると花で押しけへすやうでがした。今の人たちは花の咲くまで、おがらせて置かないから分りません。
 「獸かね。當節はもう不足でがす。なんにー、鹿なんか五十年も前から居りません。元は狢が出て豆を食つて困りました。狗を飼つて居て、よく噛み殺させたものでがす。
 「其内に狗が年イ取つて、齒が役ウせぬやうになつてしまひました。横濱のアベ商店に賣つてるとつて、機械を買つて來て使つて居たのでがす。なんにー、三寸くれエの、眞中に圓いかねが有つて、ちよいと片つぽの足をのつけると、かたりと落ちるやうになつた、虎挾みと謂つたやうなものでがした。ベイコク製だと謂つて居りやした。十年も使つてゝて何と、此春しよう分(引用者注: 「しよう」に傍点)を受けて、御上さ取上げられてしまひやした。
 「惡いこつたと知つて居れば、匿すのは造作も無かつたのでがす。二月に其機械で狐を二匹捕つて、すぐに町さ持つてつて賣りました。さうすると飯野川の警察から喚びに來たから、何だかと思つて往つて見ると、罰金を五十圓出せばよし、金が出ねエなら五十日來て稼げと言ひます。
 「子供に金エ遣はせるでもねエ。おれもまアだ達者だ。往て稼いで來べいと申しやしたら、今まで一ぺんも牢に入つたことも無い爺樣に、七十にもなつてそんなことをさせたくねエから心配すんなと申しやしてね、持つて來て五十兩出してくれやした。
 「一どきに持てくに及ばねエ。切つて出してもいゝのだと、教へてくれた人もありましたが面倒くせエから皆出して來やした。さうか持つて來たか、そんだらをら裁判所さ屆けてやるべつて、よく顏を知つてる巡査さんが、書付を書いてくれまして、機械と五十圓とですんだのでがす。
 「あんなよく出來た機械は、もう無いだらうつて言ひます。法律が有るなら仕方が無い。只一ぺんは知らせてくれゝばいゝのに、惜いことをしました。
 「斯んな一軒屋に住んでるもんで世間を知んねエ。わし等ア別に此澤を開きに入つた者ぢや無いのでがす。二十年も奉公して居た旦那の家の桑畠が、元から爰にござりました。つまり桑の番人でがす。倅どもはそちこち出てしまふ。外に行く處も無い。婆樣が居なくなつたから、末の娘に飯を炊かせてエともつて、婿をめつけたのでがす。
 「さうでがす。喧嘩をしても仲裁に來てくれる隣が無いから、うつかり喧嘩アしられません。ハハハ。
 「是でも路端に近いので、時々人が寄つて來ます。あんたのやうな忘れ物をした人もあれば自轉車が毀れて困つた衆などが來てね。鐵槌は無いかだの、釘抜を貸せのと言ひます。中には空氣ポンプは無いかなんて謂ふ者が度々有りますからそんなに入用な物なら、おれは乘り樣も知んねエが、一挺買つておくがいゝとつて、置いてありますよ。
 「雷樣が急に鳴り出すと、きつと誰か驅け込んで來ます。雨が歇みさうにも無いと、傘を貸すこともあります。
 「なアに、大抵は通るのは知つた人ばかりだ。一ぺんだけ一昨年、だまくらかして持つてつた人があります。飯野川のよく行く店の若え衆だと言ひました。買つたばかりの傘だが、まだ其頃は安かつた。夫れでもあんまり久しく屆けて來ねエ。町さ出た序に廻つて貰つて來べいとつて、おら自分で行つて見ました。さうするとさう云ふ人は居ねエつて言ひましてね、全く店の名をかたつたのでがした。遠方の者だらうと云ふこつてす。おれは此年まで、石卷までもめつたに出ねエ者だが、おれの馬鹿なことはよつぽど遠くまで聞こえてるといつて、家で笑つて居たことでがす。」



同「二十五箇年後」より:

「唐桑濱の宿と云ふ部落では、家の數が四十戸足らずの中、只の一戸だけ殘つて他は悉くあの海嘯で潰れた。その殘つたと云ふ家でも床の上に四尺あがり、時の間にさつと引いて、浮く程の物は總て持つて行つて了つた。其上に男の兒を一人亡くした。八つに爲る誠におとなしい子だつたさうである。道の傍に店を出して居る婆さんの處へ泊りに往つて、明日は何處とかへ御參りに行くのだから、戻つて居るやうにと迎へに遣つたが、おら詣りたうなござんすと言つて遂に永遠に還つて來なかつた。」
「時刻はちやうど舊五月五日の、月がおはいりやつたばかりだつた。怖ろしい大雨ではあつたが、其でも節句の晩なので、人の家に往つて飲む者が多く、醉ひ倒れて還られぬ爲に助かつたのも有れば、其爲に助からなかつた者もあつた。總體に何を不幸の原因とも決めてしまふことが出來なかつた。例へば山の麓に押潰されて居た家で、馬まで無事であつたのもある。二階に子供を寢させて置いて湯に入つて居た母親が、風呂桶のまゝ海に流されて裸で命を全うし、三日目に屋根を破つて入つて見ると、其兒が疵も無く活きて居たと云ふやうな珍らしい話もある。」



「旅中小景」より:

「人力車などはもう駄目であらう。文字から言つても「自」の字のつく車の方が、取つて代りさうに思はれる。それにしても誠に短い歴史であつた。
 成田街道の松原などでは、手拭をかぶつた「おかみさん」が、人力を曳いて居たのをよく記憶して居る。これを感心なものだなどと譽めて居た時代もあつた。
 士族の子弟の學問の嫌ひなのが、車夫をして居る地方も多かつた。雲助よりはずつと品位が有るやうに考へられて居た。散らし髪におはぐろを附けて、追剥ぎを威壓するのを誇りとした勇者もあつた。
 天竺德兵衞や自來也の繪を彩色で描いた人力車が、國道縣道を飛びまはつたのも、今は昔の花やかな夢だ。田舎の少年は立て場に集つて、取り取りに此繪を鑑賞したものであつた。
 それが無地の漆塗りにかはつてからも、暫くの間は珍しかつた。車の後から近づいて行くと、自分の顏や形が蜘蛛男のやうに平たく映る。」












































































































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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