『定本 柳田國男集 第五卷 傳説 一目小僧その他 他』 (新裝版)

「吾々の不思議の園は荒れました。一筋の徑は雜草に蔽はれて、もはやプロムナードに適しなくなりました。鏡花先生の殊に愛せられる靑い花のありかゞ、いよいよ不明にならうとしてゐるのであります。これはまことに大いなる人生の疲れでなければなりませぬ。」
(柳田國男 「熊谷彌惣左衞門の話」 より)


『定本 柳田國男集 
第五卷 (新装版)』

傳説 一目小僧その他 木思石語 他 

筑摩書房 
昭和43年10月21日 第1刷発行
537p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 5 (8p):
ステッキをついて(白石凡)/その日(池田弥三郎)/先生と私(戸川安章)/忘れられぬこと二、三(岸哲男)/柳田先生に学んだもの(和歌森太郎)/次回配本 他/図版(モノクロ)4点



本書「あとがき」:

「○「傳説」は、昭和十五年九月、岩波新書の一冊として岩波書店より發行。この本は、昭和十三年、日本民俗學講座第五期に於ける講義の原稿をまとめたものである。
○「一目小僧その他」は、昭和九年七月小山書店發行。(中略)「熊谷彌惣左衞門の話」は、昭和四年七月二十日、朝日新聞社の民衆講座夏期特別講演會「不思議な話の夕」にて講演したものである。」
「○「木思石語」は、昭和十七年十月、三元社より發行。後、昭和二十三年九月、實業之日本社より、柳田國男先生著作集第五冊として再刊、初刊本にあつた「傳説と習俗二」は、「信州隨筆」中の「矢立の木」と重複するので省き、新たに「うつぼと水の神」「旅と傳説について」の二篇を加えた。本書は、この實業之日本社版を用いた。」



全31巻・別巻5巻。正字・正かな。


柳田国男集 五


内容 (初出):

傳説 
 自序
 一~二四

一目小僧その他
 自序
 一目小僧 (大正六年八月、東京日々新聞)(原題、「一目小僧の話」)
 目一つ五郎考 (昭和二年十一月、民族三卷一號)
  多度の龍神
  神蛇一眼の由來
  一つ目と片目
  神片目
  御靈の後裔
  神人目を奉る
  人丸大明神
  三月十八日
  生目八幡
 鹿の耳 (同年同月、中央公論四十二卷十一號)
  神のわざ
  鹿の家
  村の爭ひ
  耳取畷
  生贄の徴
  名馬小耳
  耳塚の由來
  境の殺戮
  耳切團一
  旅の御坊
  山神と琵琶
  盲の效用
  蛇と盲目
 橋姫 (大正七年一月、女學世界十八卷一號)
 隱れ里 (同年二~三月〈十五囘〉、東京日々新聞)(原題、「隱里の話」)
 流され王 (大正九年七月、史林五卷三號)
 魚王行乞譚 (昭和五年一月、改造十二ノ一)
 物言ふ魚 (昭和七年一月、方言と國文學2)
 餅白鳥に化する話 (大正十四年一月一日~十三日、東京朝日新聞)
 ダイダラ坊の足跡 (昭和二年四月、中央公論四十二卷四號)
  巨人來往の衝
  デエラ坊の山作り
  關東のダイダ坊
  百合若と八束脛
  一夜富士の物語
  鬼と大人と
  太郎といふ神の名
  古風土記』の巨人
  大人彌五郎まで
 熊谷彌惣左衞門の話 (昭和四年八月、「變つた實話」)

木思石語
 自序
 木思石語(一) (昭和三年八月、旅と傳説八號)
  傳説と口碑
  口碑の分類
  歌と物語
  説話の元の形
  説話から傳説へ
 木思石語(二) (同年九月、同誌九號)
  旅と傳説
  傳説と縁起
  傳説の第二の特徴
  傳説と神話
 木思石語(三) (同年十月、同誌十號)
  傳説採集の興味
  地方色と時代色
  傳説結成と其材料
  傳説消滅の痕
 木思石語(四) (同年十一月、同誌十一號)
  傳説の分類
  木や石の傳説
  傳説と地名
  傳説と家
  名所と旅
 木思石語(五) (昭和四年三月、同誌二卷三號)
  白米城の傳説
  白米城傳説の實例
 再び白米城の傳説に就いて (同年十月、同誌二卷十號)
 白米城傳説分布表
 傳説と習俗 (昭和五年一月、旅と傳説三卷一號)
  矢立杉の由來
  一鎌篦竹
  惡鬼退治
  遠矢の高名
  矢は境の標
  傳説の二系統
  眠りの衆
 武藏野と水 (昭和六年八月、同誌四卷八號)
 「うつぼ」と水の神 (大正十一年八月、史學一卷四號)
  一 玉手箱の古い思想
  二 鎮魂の祭
  三 御神體入換
  四 猿の皮の靱
 豐前と傳説 (昭和十一年四月十七日、小倉郷土會講演)
 「旅と傳説」について (昭和十九年三月、民間傳承十卷三號)
 
生石傳説 (明治四十四年一月、太陽十七卷一號)
夜啼石の話 (大正四年一月、日本及日本人六四五號)
矢立杉の話 (大正六年一月、黑潮二ノ一)
曾我兄弟の墳墓 (大正四年三月、日本及日本人、春季の擴大號)
傳説の系統及び分類 (明治四十三年十二月、太陽十六卷十六號)
傳説とその蒐集 (昭和四年七月、卓上帖一ノ三)
橋の名と傳説 (昭和十二年十二月、同十三年一月、民間傳承三の四、五)
 コウロギバシ
 シアンバシ
 ササヤキノハシ
 ウタノハシ
 ショウチバシ
 クルカバシ
 オモカゲバシ
 スガタミノハシ
 セイシガハシ
 セイメイバシ
 サトヤバシ
 アサムツノハシ
 ワタウチバシ
 シホトリバシ
 タバコバシ
 シラサギバシ
 ウマコロシバシ
 コマガヘシバシ
 ワカレノハシ
 エンキリバシ
 ナミダバシ
 ジフヤガハシ
 ミダシバシ
 ヒマネキバシ
 
内容細目
あとがき




◆本書より◆


「一目小僧」より:

「さて自分は不滿足ながら今まで竝べた材料だけで、一目小僧の斷案を下すのである。斷案といつても勿論反對御勝手次第の假定説である。
 曰く、一目小僧は多くの「おばけ」と同じく、本據を離れ系統を失つた昔の小さい神である。見た人が次第に少なくなつて、文字通りの一目に畫にかくやうにはなつたが、實は一方の目を潰された神である。大昔いつの代にか、神樣の眷屬にするつもりで、神樣の祭の日に人を殺す風習があつた。恐らくは最初は逃げてもすぐ捉まるやうに、その候補者の片目を潰し足を一本折つておいた。さうして非常にその人を優遇し且つ尊敬した。犠牲者の方でも、死んだら神になるといふ確信がその心を高尚にし、能く神託豫言を宣明することを得たので勢力を生じ、しかも多分は本能のしからしむる所、殺すには及ばぬといふ託宣もしたかも知れぬ。兎に角何時の間にかそれが罷んで、たゞ目を潰す式だけがのこり、(中略)目を一つにする手續もおひおひ無用とする時代は來たが、人以外の動物に向つては大分後代までなほ行はれ、一方にはまた以前の御靈の片目であつたことを永く記憶するので、その神が主神の統御を離れてしまつて、山野道路を漂泊することになると、怖ろしいことこの上なしとせざるを得なかつたのである。」



「鹿の耳」より:

「イケニヘとは活かせておく牲である。早くから神用に指定せられて、或ものは一年、或ものは特殊の必要を生ずるまで、これを世の常の使途から隔離しておくために、その生存には信仰上の意義が出來たのである。諸處の神苑に鹿を養うたのも、恐らくはこれを起源としてゐる。八幡の放生會の如きも、佛者には別種の説明があるが、要するに彼らの教條と牴觸せざる部分だけ、在來の牲祭(にへまつり)の儀式を保存したものであらうと思ふ。
 片目の魚の傳説はこの推測を裏書する。即ち社頭の御手洗の水に住む魚のみが、何等かの特色を以て常用と區別せられたので、實際またかうして一方の目を取つておくのが、昔の單純なる方式でもあつたらしい。耳ある獸の耳を切るといふことは、これに比べるとさらに簡便であり、また牲の生活を妨げることが少なかつた。」

「實際我々の祖先が信じてゐた靈魂の力は、餘程今日とは違つてゐた。例へば味方の靈でも死ねば害をしたと同じく、敵の怨靈も祭りやうによつては利用する途があつた。殊に堺の山や廣野には、むしろ兇暴にして容赦のない亡魂を配置して、不知案内の外來者に襲撃の戈(ほこ)を向けしめようとしたことは、必ずしもよその民族の遠い昔のためしではなかつたのである。人を頼んで川の堤の生柱(いきばしら)に立つてもらひ、後にこれを水の神に祭つたといふ話などは、勿論たゞ話であらうがあちらこちらに殘つてゐる。黑鳥兵衞だ東尋坊だといふ惡漢が、死ぬると直ぐに信心せられたのも、祟るから祭つたのだといふ説明だけでは、まだ合點の行かぬところがある。恐らく人間の體内には神と名づけてよい部分が前からあつて、それがこの上もなく一般の安寧のために、必要なものと信ぜられた結果、時としてはわざわざこれを世俗の生活から、引き離して拜まうとした風習がかつてあつたので、(中略)その豫定があつてこそ始めて生牲といふ語が了解せられる。即ち死の準備の或期間が、人を生きながらの神ともなし得たので、神に供へる鹿の耳切りは必ずしも鹿を以て始まつたる方式でないのかも知れぬ。」

「この疑問に對しては耳切團一の話が、やはり有力なる一つの暗示であつた。自分の想像では生牲の耳を切つて、暫く活かしておく慣習よりも今一つ以前に、わざとその目を抜いて世俗とひき離しておく法則が、一度は行はれてゐたことを意味するのではないかと思ふ。」

「信仰の最も強烈であつた世の中では、神に指定せられて短く生き、永く祀らるゝことを欣幸とした者も多かつた。」



「隱れ里」より:

「椀貸穴を以て龍宮の出張所の如く見た例はまだ幾らもある。」
「けだしこんな淋しい山奧の水溜りにまで、しばしば龍神の美しい姫が來て住まれるといふのは、基く所は地下水といふ天然現象に他ならぬ。天の神が雲風に乘つて去來したまふと同じやうに、水の神は地底の水道をたどつて何處にも現はれたまふものと信じてゐたのである。」

「椀貸の穴が水に接すれば龍宮といひ、野中山陰にあるときは隱里といひ隱れ座頭といつたのは、自分には格別の不一致とも思はれぬ。龍宮も隱里もともに富貴自在の安樂國であつて、たやすく人間の到り得ぬ境であつた。」
「否むしろ龍宮は水中にある一種の隱里に外ならぬ。」










































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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