『定本 柳田國男集 第四卷 遠野物語 山の人生 他』 (新裝版)

「昔の精神錯亂と今日の發狂との著しい相異は、實は本人に對する周圍の者の態度に在る。我々の先祖たちは、寧ろ怜悧にして且つ空想の豐かなる兒童が時々變になつて、凡人の知らぬ世界を見て來てくれることを望んだのである。即ち澤山の神隱しの不可思議を、説かぬ前から信じようとして居たのである。」
(柳田國男 「山の人生」 より)


『定本 柳田國男集 
第四卷 (新裝版)』 

遠野物語 山の人生 史料としての傳説 妖怪談義 他

筑摩書房 
昭和43年9月21日 第1刷発行
508p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 4 (8p):
柳田國男先生の思いで池上隆祐)/入門のあとさき(石塚尊俊)/柳田先生と一米人(磯貝勇)/片葉の葦(大森義憲)/『山の人生』回想(亀田純一郎)/次回配本/図版(モノクロ)2点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」:

「○「遠野物語」は、明治四十三年六月、聚精堂より初版刊行。昭和十年七月、再版覺書を附して、郷土研究社より増補版が出版された。(中略)本書は初版本を原本とし、再版覺書は、他の卷にまわした。「遠野物語拾遺」は、先生の執筆されたものではないので省いた。
○「山の人生」は、大正十五年十一月、郷土研究社第二叢書の一冊として同社より刊行。更に昭和二十二年五月、實業之日本社より、柳田國男先生著作集の第一冊として出版されている。(中略)本書は、實業之日本社版を原本とした。」
「○「史料としての傳説」は、昭和三十二年十月、村山書店より刊行。「うつぼと水の神」は、定本柳田國男集第五卷所收「木思石語」の中に收められているので省いた。尚「序」及び「木地屋の話(座談會)」も省いた。
○「妖怪談義」は、昭和三十一年十二月、修道社より、現代選書九として刊行。」



本文中図4点。


柳田国男集 四


内容 (初出):

遠野物語 

山の人生
 自序
 山の人生 (大正十四年一月~八月、アサヒグラフ四卷二號~五卷七號)
  一 山に埋もれたる人生ある事
  二 人間必ずしも住家を持たざる事
  三 凡人遁世の事
  四 稀に再び山より還る者ある事
  五 女人の山に入る者多き事
  六 山の神に嫁入すと謂ふ事
  七 町にも不思議なる迷子ありし事
  八 今も少年の往々にして神に隱さるゝ事
  九 神隱しに遭ひ易き氣質あるかと思ふ事
  一〇 小兒の言に由つて幽界を知らんとせし事
  一一 仙人出現の理由を研究すべき事
  一二 大和尚に化けて廻國せし狸の事
  一三 神隱しに奇異なる約束ありし事
  一四 殊に若き女の屡〃隱されし事
  一五 生きて居るかと思ふ場合多かりし事
  一六 深山の婚姻の事
  一七 鬼の子の里にも産れし事
  一八 學問は未だ此不思議を解釋し得ざる事
  一九 山の神を女性とする例多き事
  二〇 深山に小兒を見るといふ事
  二一 山姥を妖怪なりとも考へ難き事
  二二 山女多くは人を懷かしがる事
  二三 山男にも人に近づかんとする者ある事
  二四 骨折仕事に山男を傭ひし事
  二五 米の飯を無暗に欲しがる事
  二六 山男が町に出で來りし事
  二七 山人の通路の事
  二八 三尺ばかりの大草履の事
  二九 巨人の足跡を崇敬せし事
  三〇 是は日本文化史の未解決の問題なる事
 山人考 (大正六年、日本歴史地理學會大會講演手稿)

史料としての傳説
 史料としての傳説 (大正十四年五月、史學四卷二號)
 杓子と俗信 (大正七年九月、土俗と傳説一卷二號)
  一 高輪のオシャモジ横町
  二 杓子を納める社
  三 社寺と杓子
  四 二所の杓子町
  五 くつめき御免
 おたま杓子 (大正七年十月、土俗と傳説一卷三號)
  一 杓子を持つ神
  二 女房と杓子
  三 杓子を靈物とする思想
  四 杓子の魔力
 杓子・柄杓及び瓢箪 (大正七年十一月、土俗と傳説一卷四號)
  一 杓子の進化
  二 飯の進化と杓子
  三 杓は即ち「ひさこ」
  四 杓に付ての俗信
  五 採物の比佐古
 比丘尼石の話 (大正十二年五月、史學二卷三號)
  一 次第
  二 石の枕
  三 關のをば石
  四 姥石と二つ石
  五 姥石の怪
  六 姥捨山
  七 石になつたといふ女性
  八 姥石と女人結界
  九 姥登山の同行者
  一〇 名僧と老女
  一一 都藍尼と役行者

妖怪談義
 自序
 妖怪談義 (昭和十一年三月、日本評論十一卷三號)
 かはたれ時 (昭和五年十一月、ごぎよう九卷十一號)
 妖怪古意――言語と民俗との關係 (昭和九年四月、國語研究二卷四號)
 おばけの聲 (昭和六年八月、家庭朝日一卷六號)
 幻覺の實驗 (昭和十一年四月、旅と傳説九卷四號)
 川童の話 (大正三年五月、郷土研究二卷三號)
 川童の渡り (昭和九年十月、野鳥一卷六號)
 川童祭懷古 (昭和十一年六月、東京朝日新聞)
 盆過ぎメドチ談 (昭和七年十月十九日、二十二日、二十五日、奧南新報)
 小豆洗ひ (大正五年五月、郷土研究四卷二號)
 呼名の怪 (大正五年一月、郷土研究三卷十號)
 團三郎の秘密 (昭和九年六月、東北の旅九卷六號)
 狐の難産と産婆 (昭和三年九月、民族三卷六號)
 ひだる神のこと (大正十四年十一月、民族一卷一號)
 ザシキワラシ(一) (大正八年十月)
 ザシキワラシ(二) (大正三年八月、郷土研究二卷六號)
 己が命の早使ひ (明治四十四年十二月、新小説十六卷十二號)
 山姥奇聞 (大正十五年六月、週刊朝日)
 入らず山 (昭和六年八月、週刊朝日)
 山人の市に通ふこと (大正三年八月、郷土研究二卷六號)
 山男の家庭 (大正四年三月、郷土研究三卷一號)
 狒々 (大正六年三月、郷土研究四卷十二號)
 山の神のチンコロ (大正三年六月、郷土研究二卷四號)
 大人彌五郎 (大正六年一月、郷土研究四卷十號)
 ぢんだら沼記事 (昭和十三年十二月、讃岐民俗一號)
  ぢんだら沼記事
  附 大太法師傳説四種
 一つ目小僧 (大正六年三月、郷土研究四卷十二號)
 一眼一足の怪 (大正五年十一月、郷土研究四卷八號)
 片足神 (大正五年十二月、郷土研究四卷九號)
 天狗の話 (明治四十二年三月、珍世界三號)
 妖怪名彙 (昭和十三年六月~十月、同十四年三月、民間傳承三卷十號~十二號、四卷一號、二號、六號)
  シヅカモチ
  タタミタタキ
  タヌキバヤシ
  アヅキトギ
  センダクキツネ
  ソロバンバウズ
  コナキヂヂ
  カヒフキバウ
  コクウダイコ
  カハツヅミ
  ヤマバヤシ
  タケキリダヌキ
  テングナメシ
  ソラキガヘシ
  フルソマ
  オラビソウケ
  ヨブコ
  ヤマノコゾウ
  イシナゲンジヨ
  シバカキ
  スナカケババ
  スナマキダヌキ
  コソコソイハ
  オクリスズメ
  オクリイヌ
  ムカヘイヌ
  オクリイタチ
  ベトベトサン
  ビシヤガツク
  スネコスリ
  アシマガリ
  ヤカンザカ
  テンコロコロバシ
  ツチコロビ
  ヨコヅチヘビ
  ツトヘビ
  タンタンコロリン
  キシンボウ
  ツルベオトシ
  フクロサゲ
  ヤカンヅル
  アブラスマシ
  サガリ
  ヌリカベ
  イツタンモメン
  ノブスマ
  シロバウズ
  タカバウズ
  シダイダカ
  ノリコシ
  オヒガカリ
  ノビアガリ
  ミアゲニフダウ
  ニフダウバウズ
  ソデヒキコゾウ
  オイテケボリ
  オツパシヨイシ
  シヤクシイハ
  ヒトリマ
  ヒヲカセ
  ミノムシ
  キツネタイマツ
  テンピ
  トビモノ
  ワタリビシヤク
  トウジ
  ゴツタイビ
  イゲボ
  ケチビ
  ヰネンビ
  タクラウビ
  ジヤンジヤンビ
  バウズビ
  アブラバウ
  ゴンゴロウビ
  ヲサビ
  カネノカミノヒ
  ヤギヤウサン
  クビナシウマ

山神とヲコゼ(壹) (明治四十三年十月、學生文藝一卷二號)
山神とヲコゼ(貳) (明治四十四年、人類學雜誌二七卷一號)
山人外傳資料(山男山女山丈山姥山童山姫の話) (大正二年三月、四月、八月、九月、大正六年二月、郷土研究一卷一號、二號、六號、七號、四卷十一號)
「イタカ」及び「サンカ」 (明治四十四年九月、十一月、明治四十五年二月、人類學雜誌二七卷六號、八號、二八卷二號)
山民の生活 (明治四十二年十一月、山岳四卷三號)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『山の人生』「一 山に埋もれたる人生ある事」より:

「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景氣であつた年に、西美濃の山の中で炭を燒く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫り殺したことがあつた。
 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あつた。そこへどうした事情であつたか、同じ歳くらゐの小娘を貰つて來て、山の炭燒小屋で一緒に育てゝ居た。其子たちの名前はもう私も忘れてしまつた。何としても炭は賣れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかつた。最後の日にも空手で戻つて來て、飢ゑきつて居る小さい者の顏を見るのがつらさに、すつと小屋の奧へ入つて晝寢をしてしまつた。
 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさして居た。秋の末の事であつたと謂ふ。二人の子供がその日當りの處にしやがんで、頻りに何かして居るので、傍へ行つて見たら一生懸命に仕事に使ふ大きな斧を磨いて居た。阿爺(おとう)、此でわしたちを殺して呉れと謂つたさうである。さうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寢たさうである。それを見るとくらくらとして、前後の考も無く二人の首を打落してしまつた。それで自分は死ぬことが出來なくて、やがて捕へられて牢に入れられた。
 此親爺がもう六十近くなつてから、特赦を受けて世中へ出て來たのである。さうして其からどうなつたか、すぐに又分らなくなつてしまつた。私は仔細あつて只一度、此一件書類を讀んで見たことがあるが、今は既にあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持の底で蝕ばみ朽ちつゝあるであらう。」
「我々が空想で描いて見る世界よりも、隱れた現實の方が遙かに物深い。又我々をして考へしめる。」



同「二 人間必ずしも住家を持たざる事」より:

「默つて山へ入つて還つて來なかつた人間の數も、中々少ないものでは無いやうである。」


同「三 凡人遁世の事」より:

「此話は山方石之助君から十數年前に聽いた。山に住む者の無口になり、一見無愛想になつてしまふことは、多くの人が知つて居る。必ずしも世を憤つて去つた者で無くとも、木曾の山奧で岩魚(いはな)を釣つて居る親爺でも、たまたま里の人に出くはしても何の好奇心も無く見向きもせずに路を横ぎつて行くことがある。」

「何の賴む所も無い弱い人間の、たゞ如何にしても以前の群と共に居られぬ者には、死ぬか今一つは山に入るといふ方法しかなかつた。從つて生活の全く單調であつた前代の田舎には、存外に跡の少しも殘らぬ遁世が多かつた筈で、後世の我々にこそ是は珍しいが、實は昔は普通の生存の一樣式であつたと思ふ。
 それだけならよいが、人には尚是といふ理由がなくてふらふらと山に入つて行く癖のやうなものがあつた。少なくとも今日の學問と推理だけでは説明することの出來ぬ人間の消滅、殊には此世の執着の多さうな若い人たちが、突如として山野に紛れ込んでしまつて、何をしてゐるかも知れなくなることがあつた。自分がこの小さな書物で説いて見たいと思ふのは主として斯うした方面の出來事である。」



同「五 女人の山に入る者多き事」より:

「天野信景翁の鹽尻には、尾州小木(こき)村の百姓の妻の、産後に發狂して山に入り、十八年を經て後一たび戻つて來た者が有つたことを傳へて居る。裸形にして只腰のまはりに、草の葉を纏うて居たとある。山姥の話の通りであるが、而も當時の事實譚であつた。
 此女も或獵人に逢つて、身の上話をしたと云ふ。飢を感ずるまゝに始めは蟲を捕つて喰つて居たが、それでは事足らぬやうに覺えて、後には狐や狸、見るに隨ひ引裂いて食とし、次第に力附いて、寒いとも物ほしいとも思はぬやうになつたと語る。」
「明治の末頃にも、作州那岐山(なきのせん)の麓、日本原(につぽかうげ)の廣戸の瀧を中心として、處々に山姫が出沒すると云ふ評判が高かつた。裸にして腰のまはりだけに襤褸を引纏ひ、髪の毛は赤く眼は靑くして光つて居た。或時も人里近くに現れ、木こりの小屋を覗いて居る處を見つかり、終にそこの人夫どもに打殺された。然るにそれをよく調べて見ると、附近の村の女であつて、ずつと以前に發狂して、家出をしてしまつた者であることが分つた。」

「佐々木喜善君の報告に、今から三年ばかり前、陸中上閉伊郡附馬牛(つくもうし)村の山中で三十歳前後の一人の女が、殆と裸體に近い服裝に樹の皮などを纏ひ附けて、うろついて居たのを村の男が見つけた。どこかの炭燒小屋からでも持つて來たものか此邊でワッパビツと名づける山辨當の大きな曲げ物を携へ、其中に色々の蟲類を入れて居て、あるきながらむしやむしやと食べて居たと謂ふ。遠野の警察署へ連れて來たが、やはり平氣で蛙などを食つて居るので係員も閉口した。(中略)聽いて見ると和賀郡小山田村の者で七年前に家出をして山に入つたといふことがわかつた。」



同「六 山の神に嫁入すと謂ふ事」より:

「羽後の田代嶽に驅け込んだと云ふ北秋田の村の娘は、其前から口癖のやうに、山の神樣の處へお嫁入りするのだと、謂つて居たさうである。古來多くの新米の山姥、即ち是から自分の述べたいと思ふ山中の狂女の中には、何か今尚不明なる原因から、斯ういふ錯覺を起して、欣然として自ら進んで、斯んな生活に入つた者が多かつたらしいのである。
 さうすると我々が三輪式神話の殘影と見て居る龍婚蛇婚の國々の話の中にも、存外に起原の近世なるものが無いとは言はれぬ。例へば上州の榛名湖に於ては、美しい奧方は強ひて供の者を歸して、しづしづと水の底に入つて往つたと傳へ、美濃の夜叉ヶ池の夜叉御前は、父母の泣いて留めるのも聽かず、あたら十六の花嫁姿で、獨り深山の水の神にとついだと謂つて居る。古い昔の信仰の影響か、又は神話が本來斯くの如くにして、發生すべきものであつたのか、兎に角に我民族の是が一つの不思議なる癖であつた。」



同「九 神隱しに遭ひ易き氣質あるかと思ふ事」より:

「神に隱されるやうな子供には、何か其前から他の兒童と、稍〃ちがつた氣質が有るか否か。(中略)私は有ると思つて居る。さうして私自身なども、隱され易い方の子供であつたかと考へる。」

「あまり小さい時の事だから他人の話の樣な感じがする。四歳の春に弟が生れて、自然に母の愛情注意も元ほどで無く、其上に所謂蟲氣があつて機嫌の惡い子供であつたらしい。其年の秋のかゝりでは無かつたかと思ふ。小さな繪本を貰つて寢ながら看て居たが、頻りに母に向つて神戸には叔母さんが有るかと尋ねたさうである。實は無いのだけれども他の事に氣を取られて、母はいゝ加減な返事をして居たものと見える。其内に晝寢をしてしまつたから安心して目を放すと、暫くして往つて見たらもう居なかつた。但し心配をしたのは三時間か四時間で、未だ鉦太鼓の騷ぎには及ばぬうちに、幸ひに近所の農夫が連れて戻つてくれた。縣道を南に向いて一人で行くのを見て、どこの兒だらうかと謂つた人も二三人はあつたさうだが、正式に迷子として發見せられたのは、家から二十何町離れた松林の道傍であつた。(中略)どこへ行くつもりかと尋ねたら、神戸の叔母さんの處へと答へたさうだが、自分の今幽かに記憶して居るのは、抱かれて戻つて來る途の一つ二つの光景だけで、其他は悉く後日に母や隣人から聽いた話である。」



同「一一 仙人出現の理由を研究すべき事」より:

「昔の精神錯亂と今日の發狂との著しい相異は、實は本人に對する周圍の者の態度に在る。我々の先祖たちは、寧ろ怜悧にして且つ空想の豐かなる兒童が時々變になつて、凡人の知らぬ世界を見て來てくれることを望んだのである。即ち澤山の神隱しの不可思議を、説かぬ前から信じようとして居たのである。」


同「一四 殊に若き女の屡〃隱されし事」より:

「或農家の娘物に隱されて永く求むれども見えず、今は死んだ者とあきらめて居ると、ふと或日田の掛稻の陰に、此女の來て立つて居るのを見た人があつた。其時は併しもう餘程氣が荒くなつて居て、普通の少女の樣では無かつた。さうして又忽ち走り去つて、終に再び還つて來なかつたと謂つて居る。」


同「一七 鬼の子の里にも産れし事」より:

「鬼子の最も怖ろしい例としては、明應七年の昔、京の東山の獅子が谷と云ふ村の話が、奇異雜談集の中に詳しく報ぜられて居る。(中略)其大要のみを擧げると、此家の女房三度まで異物を分娩し四番目に産んだのがこの鬼子であつた。生れ落ちたとき大きさ三歳子の如く、やがてそこらを走りあるく故に、父追掛けて取すくめ膝の下に押付けて見れば、色赤きこと朱の如く、兩眼の他に額に尚一つの目あり、口廣く耳に及び、上に齒二つ下に齒二つ生えて居た。父嫡子を喚びて横槌を持つて來いといふと、鬼子之を聞いて父が手に咬みつくのを、其槌を以て頻りに打つて殺してしまつた。人集まりて之を見ること限り無しとある。その死骸は西の大路眞如堂の南、山際の崖の下に深く埋めた。ところが其翌日田舎の者が三人、梯子をかたげて此下を通り、崖の土の少しうごもてるを見て、土龍鼠(むぐらもち)が居ると謂つて朸(あふこ)のさきで突いて見ると、ひよつくりと其鬼子が出た。三人大いに驚いて此は聞及んだ獅子が谷の鬼子だ。只早く殺すがよいと、朸を揮うて頻に打ち、終に之を叩き殺した。それを慘酷な話だが、繩を附けて京の町まで曳いて來ると途中多くの石に當つたけれども、皮膚強くして少しも破れずとまで書いてある。」
「何故に親が大急ぎで、牙の生えた赤子を殺戮せねばならなかつたかは、實は必ずしも明瞭では無い。家の外聞とか恥とか謂ふのも條理に合はなかつた。(中略)然らば活かして置いて何が惡いかと尋ねて見ると、是亦格別の事は無かつたのである。」
「部曲が對立して爭鬪して止まなかつた時代には、所謂鬼の子は即ち神の子で、それ故にこそ今も諸國の古塚を發くと、往々にして無名の八掬脛(やつかはぎ)や長髓彦(ながすねひこ)の骨が現れ、若くは現れたと語り傳へて尊信して居るのである。
 沖繩の遺老説傳には次のやうな話がある。昔宮古島川滿(かはま)の邑に、天仁屋大司(あめにやおほつかさ)といふ天の神女、邑の東隅なる宮森に來り寓し、遂に目利眞按司(めりまあんじ)に嫁して三女一男を生む。夫死して妻のみ孤兒を養ふに、第三女眞嘉那志(まかなし)十三歳、忽ち懷胎して十三月にして一男を坐下す。頭には雙角を生じ眼は環(たまき)を懸くるが如く、手足は鷹の足に似たり。容貌人の形に非ず。故に之を名づけて目利眞角嘉和良(めりまつのかわら)と謂ふ。年十四歳の時、祖母天仁屋及び母眞嘉那志に相隨ひて、倶に白雲に乘りて天に升る。後年屡〃目利眞山に出現して、靈驗を示す。邑人尊信して神嶽と爲すと。ツカサは巫女を意味し又多くは神の名であつた。カワラは沖繩の按司と同じく、亦頭目のことである。先島の神人には角を名に着くものが他にもある。即ち神の子であり、後又神に隱されたる公けの記録が、彼島だけには是ほど儼然として傳はつて居るのである。殺すといふことは少なくとも、古代一般の風習では無かつた。」



「妖怪談義」より:

「夕をオホマガドキだのガマガドキだのと名づけて、惡い刻限と認めて居た感じは、町では既に久しく亡びて居る。私は田舎に生れ、又永い間郊外の淋しい部落に住んで居る爲に、まだ少しばかりこの心持を覺えて居る。古い日本語で黄昏をカハタレと謂ひ、もしくはタソガレドキと謂つて居たのは、ともに「彼は誰」「誰ぞ彼」の固定した形であつて、それも唯單なる言葉の面白味以上に、元は化け物に對する警戒の意を含んで居たやうに思ふ。現在の地方語には、これを推測せしめる色々の稱呼がある。例へば甲州の西八代で晩方をマジマジゴロ、三河の北設樂でメソメソジブン、その他ウソウソとかケソケソとか謂つて居るのは、何れも人顏のはつきりせぬことを意味し、同時に人に逢つても言葉も掛けず、所謂知らん顏をして行かうとする者にも、これに近い形容詞を用ゐて居る。歌や語り物に使はれる「夕まぐれ」のマグレなども、心持は同じであらう。今でも關東ではヒグレマグレ、對馬の北部にはマグレヒグレといふ語がある。東北地方で黄昏をオモアンドキと謂ふのも、やはりアマノジャクが出てあるく時刻だといふから、「思はぬ時」の義であつたらしく考へられる。
 村では氣をつけて見るとかういふ時刻に、特に互ひに挨拶といふものを念入れて、出來る限り明確に、相手の誰であるかを知らうとする。狹い部落の間ならば、物ごし肩つきでも大抵はすぐに判る筈だが、それでも夕闇が次第に深くなると、さうだと思ふが人ちがひかも知れぬといふ、氣になる場合が隨分ある。最も露骨なのが何吉かと呼んで見たり、又はちがつてもよい積りで、丁寧に「お晩でございます」と謂つたりする。それもしないのはもう疑はれて居るので、即ち所謂うさん臭いやつである。だからこの樣な時刻に里を過ぎなければならぬ他所者は、見られる爲に提灯を掲げてあるく。(中略)見馴れぬ風體で火も無しにあるくといふのは、化け物でなくともよくない者にきまつて居る。さう取られても致し方の無い所に、旅の夕のかなしさといふものは始まつて居る。」
「だから黄昏に途を行く者が、互ひに聲を掛けるのは竝の禮儀のみで無かつた。言はゞ自分が化け物でないことを、證明する鑑札も同然であつた。佐賀地方の古風な人たちは、人を呼ぶときは必ずモシモシと謂つて、モシとたゝ一言いふだけでは、相手も答へをしてくれなかつた。狐ぢやないかと疑はれぬためである。沖繩でも以前は三度呼ばれる迄は、返事をしてはならぬといふ、甚だ非社交的なる俗信があつた。二度までは化け物でも呼び得るからと言つたが、無論これは夜分だけの話であらう。加賀の小松附近では、ガメといふ水中の怪物が、時々小童に化けて出ることがある。誰だと聲を掛けてウワヤと返事をすうrのは、きつとそのガメであつて、足音もくしやくしやと聞えるといふ。能登でも河獺は二十歳前後の娘や、碁盤縞の着物を着た子供に化けて來る。誰だと聲かけて人ならばオラヤと答へるが、アラヤと答へるのは彼奴である。(中略)美濃の武儀郡でも狸が今晩はと謂つて戸を開けたりすることがあるが、誰ぢやと聲かけるとオネダと答へるさうだ。オレダといふことが出來ぬので、化けの皮が露はれるのである。土佐の幡多郡でも、狸には誰ぢやときくと必ずウラヂャガと答へるといふ。即ちオラとは謂ひ得ないのである。(中略)從つて己をウラと謂ふ地方の人々は、うつかり土佐の幡多郡へは行けなかつた。」

「親たちが日暮に子供の外に遊んで居るのを、氣にすることは非常なものであつた。子供も臆病なのから順々に、まだ蝙蝠も飛び出さぬうちから、家の近くへ近くへと戻つて來るし、さうで無くとも心の内では、御飯だよと捜しに來られるのを待つてゐる。さういふ中に僅かばかり、誰も呼びに來ぬ兒がまじつて居た。
   親の無い兒は入日を拜む
   おやは入日のまん中に
といふ子守唄があるが、奉公に來た者でなくとも、何か家の樣子で飯時にも自分の方から、そろそろ還つて行かねばならぬ兒はあつた。かういふのが屡〃神隱しに遭つたのである。」





こちらもご参照下さい:

柳田国男 『遠野物語』 (新潮文庫)
ジャック・デリダ 『シボレート』 飯吉・小林・守中 訳 (岩波モダンクラシックス)
































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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