『定本 柳田國男集 第一卷 海上の道 海南小記 他』 (新裝版)

「今でも第二の世界は私たちのあこがれであり、それが何處にも無いと聽いて、悲しみ力を落す者はまだ多い。たゞそこへ行き又は戻つて來る通路が、はつきりとして居らぬ爲に、迷はざるを得なかつたのである。」
(柳田國男 「鼠の淨土」 より)


『定本 柳田國男集 
第一卷 (新裝版)』

海上の道 海南小記 島の人生 他

筑摩書房 
昭和43年6月25日 第1刷発行
541p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
別丁地図(2色刷)9葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 1 (8p):
柳田先生と沖繩(比嘉春潮)/柳田先生と播磨(西谷勝也)/想いだすまま(宮良当壮)/無方法の方法(吉本隆明)/縁(池田勉)/次回配本/図版(モノクロ)2点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「海上の道」は、昭和三十六年七月、筑摩書房より發行。」
「○「海南小記」は、大正十四年四月、大岡山書店から初版刊行。後昭和十五年四月、創元社から、創元選書44として刊行。(中略)本書は創元選書版を使用した。」
「○「島の人生」は、昭和二十六年九月、創元社より發行。」



本文中図1点。


柳田国男集 一 01


内容 (初出):

海上の道
 海上の道 (昭和二十七年十月~十二月、心五卷十號~十二號)
 海神宮考 (昭和二十五年十一月、民族學研究十五卷二號)
  緒言
  一 昔話の島嶼型
  二 類似と差異
  三 龍宮と常世國
  四 ニルヤと根屋
  五 儀來河内
  六 龍宮譚の分類
  七 動物報恩型
  八 花賣柴苅型
  九 海彦山彦
  一〇 神童と神女
  一一 寄木親の昔話
  一二 ニルヤから來るもの
  一三 火と稻の傳承
  一四 遠島の使
  一五 海神信仰の展開
  一六 新神出現
  一七 ニラ人アマミ人
  一八 天孫氏説起源
  一九 ニルヤと根の國
  二〇 根國思想の變遷
  二一 東方淨土觀
 みろくの船 (昭和二十六年十月、心復刊一號)
  一 未來佛の信仰
  二 踊歌の流傳
  三 彌勒二年丁卯
  四 鹿島の事ふれ
  五 路頭託宣
  六 彌勒御船
 根の國の話 (昭和三十年九月、心八卷九號)
  一 亡き人に逢へる島
  二 根の國と常世の國
  三 比較の學問の夜明け
  四 形容詞の發生
  五 地名の起原の不明なもの
  六 國語の成長期
  七 稻の種子を携へて
  八 穗落し神の傳説
  九 氏族と信仰の對立
  一〇 世持神と世持役
  一一 古見の島の盛衰
  一二 宮古島との關係
  終りに
 鼠の淨土 (昭和三十五年十月、傳承文化一號)
 寶貝のこと (昭和二十五年十月、文化沖縄二卷七號)
 人とズズダマ (昭和二十七年、自然と文化第三號)
 稻の産屋 (昭和二十八年十一月、新嘗の研究第一輯)
  發端
  にひなめといふ日本語
  ニホの名の起り
  稻積方式の特色
  産屋をニブ
  島々の一致
  シラといふ語の分布
  稻と白山神
  朝野二つの祭式
  祭と幣帛の贈進
  世に傳はらぬ舊儀
  國々の相嘗祭
  稻實公の任務
  年俵と種俵
  アエノコトの要點
  齋忌の期間
  霜月粥と鹽
  民間新嘗の殘留
 知りたいと思ふ事二三 (昭和二十六年七月、民間傳承十五卷七號)
  一 寄物のこと
  二 海豚參詣のこと
  三 子安神と子安貝のこと
  四 みろく船のこと
  五 鼠の島のこと
  六 黑モジといふ木のこと
  七 小豆を食べる日のこと
  八 霜月祭のこと

海南小記 
 自序
 海南小記 (大正十年三月~五月、朝日新聞)
  一 からいも地帶
  二 穗門の二夜
  三 海ゆかば
  四 ひじりの家
  五 水煙る川のほとり
  六 地の島
  七 佐多へ行く路
  八 いれずみの南北
  九 三太郎坂
  一〇 今何時ですか
  一一 阿室の女夫松
  一二 國頭の土
  一三 遠く來る神
  一四 山原船
  一五 猪垣の此方
  一六 舊城の花
  一七 豆腐の話
  一八 七度の解放
  一九 小さな誤解
  二〇 久高の屁
  二一 干瀨の人生
  二二 島布と粟
  二三 蘆刈と竈神
  二四 はかり石
  二五 赤蜂鬼虎
  二六 宮良橋
  二七 二色人
  二八 龜恩を知る
  二九 南波照間
 與那國の女たち (大正十年四月、太陽二十七卷四號)(原題、「與那國噺」)
 南の島の淸水 (大正十年五月、國粹二卷五號)
 炭燒小五郎が事
 阿遲摩佐の島
 附記

島の人生
 自序
 高麗島の傳説 (昭和八年五月、嶋一卷一號)
 八丈島流人帳 (昭和八年七月、嶋一卷三號)
 靑ヶ島還住記 (昭和八年八月~十月、嶋一卷四號~六號)
 島々の話(その一) (明治四十二年五月、太陽十五卷六號)(原題、「島々の物語」)
  一 島の數
  二 島の數の異動
  三 港と島
  四 島の樣々の異動
 島々の話(その二) (明治四十三年四月、太陽十六卷五號)(原題、「島々の物語」)
  一 島の名
  二 島と山と
  三 島の果物
 島々の話(その三) (大正三年十二月、郷土研究二卷十號)(原題、「島の入會」)
 島々の話(その四) (大正十三年八月、太陽三十卷十號)(原題、「島の人生」)
 島の歴史と藝術 (昭和三年六月、民俗藝術一卷六號)
 島の三大旅行家 (昭和九年四月、島昭和九年前期)
 水上大學のことなど (昭和二十四年二月、近畿民俗學會々報一號)
 日本の島々 (昭和二十六年四月、民間傳承十五卷四號)

海女部史のエチュウド (大正十五年五月、文藝春秋四卷五號)
 一 始めて見た海
 二 海無き國と云ふこと
 三 濱千鳥を羨む
瀬戸内海の海人 (大正十四年十一月、民族一卷一號)
瀬戸内海の島々 (昭和二年五月、民族二卷四號)
 安藝大崎上島下島
 備中北木島
伊豆大島の話 (昭和二年五月、民族二卷四號)
海上文化――東京高等商船學校講演 (昭和十五年五月、海洋四八四號)

内容細目
あとがき



柳田国男集 一 02



◆本書より◆


「海上の道」より:

「後期佛教の西方淨土とは對立して、對岸大陸には夙くから、東方を憧憬する民間信仰が普及して居た。いはゆる扶桑傳説は即ち是で、多分は太陽の海を離るゝ光景の美しさ貴とさから、導かれたものの如く私たちは推測して居る。秦の徐福が童男女三百人をつれて、仙藥を求めて東方の島に渡つたといふことは世に知られ、我邦でも熊野の新宮がその居住地であつたとか、或は八丈島の人の始めが彼等では無かつたらうかとか、いふ類の雜説が色々と發生して居るけれども、それは何れもあちらの記録を讀んでから後に、考へ出したことだからちつとも當てにならない。ともかくも本國に於ては永遠に行方知れずであり、この遠征によつて彼我の交通が、開けたことにはなつて居ないのである。」
「それからなほ一つ、是まで注意した人は無いやうだけれども、徐福が數百人の男女の未婚者を引連れて、船出をしたといふことには意味があつたと思ふ。もしも仙藥を採つて直ぐに還つて來る航海だつたら、そんな手足纏ひを同船する必要は少しも無く、同時に他意あることを疑はれもしたであらう。それを堂々とあの大一行を以て出征したといふのは、是も後世の開發團のやうに、行つて其土地に根を張らうといふ本式の移民事業か、少なくともさういふふれこみを以て、親々を承知させたものと、世間では解して居たのであらう。」



「海神宮考」より:

「手短かに私の心づいたことを述べて置くと、その一つはニライ又はニルヤといふ單語の由來を尋ねることである。沖繩本当なども多分同じだらうが、ニーラには「非常に遠い」といふやうな語感が有ると、先島方面の人は謂つて居る。たとへば掘井の底の水面が、深い處で幽かに光り、容易につるべの屆きさうにも無いのを形容して、ニーラサといふやうな表現があるといふ。それで私はこの語尾のR子音は、もと形容詞化の爲の添附であつて、一語の要部はニー即ち「根」に在るのではないかとも想像して居る。根といふ語の用途は、植物のそれには限らず、又それの第二次の應用とも言へない。殊に沖繩では其範圍がこちらよりも弘く、村々の本家に該當するものを根所(ニードゥクル)、その他根神根人根家などといふ言葉が、信仰と結び付いただけに、近頃になるまで盛んに行はれて居た。おもろには又根國根の島といふ語が屡〃見え、それは主として本國もしくは故郷の島といふ意味をもち、本島の一部をもさういつた例があり、又もつと小さな一つ一つの島を、根の島と呼んだこともある。(中略)とにかくに日本上代史の根國とは、語は同じでも感じは全く異なつて居るが、(中略)根が本源であり又基底であつたことだけは、雙方に通じてほゞ誤りが無いやうである。」


「鼠の淨土」より:

「つまりは普通の野鼠家鼠も、海を渡つて島々に移動したものがあるのである。」

「ともかくも鼠が海を渡つて行くのには、たつた一ぴきだけでは冒險をしなかつたやうである。前にも言つて置いた瀬戸内海の西部、伊豫の黑島の鼠の話といふのは、古今著聞集の卷二十に記録せられて、古い話であるが作りごとでは無かつたと思ふ。場處もどの邊といふことが土地の人にはよくわかつて居る。矢野ノ保といふ莊園のうちで、人里より一里ばかり離れた所だとある。安貞の頃(一二二七)、桂はざまの大工といふ網人、網を曳かうとして窺ひありく時、この黑島のほとりの磯の水面がおびたゞしく光るのを、魚とばかり思つて引いたところ、それが悉く鼠だつた。鼠は濱に引上げられて皆ちりぢりに遁げうせ、島にはそれ以來鼠滿ち滿ちて畠の物を喰ひ失ひ、耕作が出來なくなつたといふ話。つまりは命がけで海を渡らうとして居た鼠の群を、物のまちがひとはいひながらも、介抱してつれ込んだことになつたのである。」
「本州の北端では津輕領の某浦に、延寶七年(一六七九)の四月、浦人磯山の頂に登つて海上を見渡し、おびたゞしく鰯の寄るやうに見えたので、漁船を催して網を下げ、引揚げて見たところが、下腹の白く頭と背通りの赤い鼠億々無量、網にかゝつてあがるとあつて、(中略)大きな網だからもう中止することが出來なかつたものと見える。」

「所謂ニライカナイが海上の淨土、遠く水平線の外に在る不思議の世界の名であつたことは、現在殘り傳はつて居る色々の資料によつて、もう大よそは確かめ得られるのだが、(中略)こゝではたゞ問題の島(引用者注: 奄美大島)の鼠が、最初はやはりこのニライカナイから渡つて來たものと、昔の人たちには考へられて居たらしい、といふことだけを述べて置きたい。」



「高麗島の傳説」より:

「現在は既に何でも無い只の水面であつて、恐らくは最も精密なる海圖だけに、ほのかに其痕跡を留めて居るのみであらうが、沖松浦(おきまつら)の漁民等は、今でも其場處を高麗瀨、もしくは高麗曾根と稱してよく記憶して居る。ちやうど下五島の三井樂(みゐらく)の濱から、眞北に十里餘りも出た沖といふことで、そこでも此高麗瀨の昔語りを、聽いて居らぬ船子は無いといふ話である。」
「高麗島は世に稀なる富裕の島だつたといふ話である。島の人たちは、此荒海のとなかに於て、優れたる陶器を製して生計を立てゝ居た。それが世上に傳はつて高麗燒と稱せらるゝ、と思つて居た人が附近の島々には多かつた。(中略)島の沈んだ跡の高麗瀨に往つて見ると、今でも數限り無い昔の陶器の破片がぐわらぐわらと底波にゆられる音が、手に取るやうに聞えると謂ふのみか、稀には又漁夫の延繩(はへなは)にかゝつて、引上げたといふ話さへ殘つて居る。」

「島が沈んで跡は漫々たる蒼海になつたといふ感動のみが、改めて永く國人の胸に印せられて居るのである。」



柳田国男集 一 03






















































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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