『定本 柳田國男集 第七卷 物語と語り物 笑の本願 他』 (新裝版)

「愚か者に對する我々の態度は、必ずしも常に殘忍では無かつた。北國の或海岸には、白痴を非常に大事にする村があつた。」
(柳田國男 「笑の文學の起原」 より)


『定本 柳田國男集 
第七卷 (新裝版)』

物語と語り物 笑の本願 不幸なる藝術 他

筑摩書房 
昭和43年12月20日 第1刷発行
501p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉 
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 7 (8p):
紅梅(伊原宇三郎)/柳田先生と社会学(喜多野清一)/狼の眉毛(富本一枝)/カラスの悲劇(花田清輝)/柳田先生と私(岩崎敏夫)/次回配本/図版(モノクロ)2点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「物語と語り物」は、昭和二十一年十月、角川書店より發行。」
「○「笑の本願」は、昭和二十一年一月養德社より發行。」
「○「不幸なる藝術」は、昭和二十八年六月筑摩書房より發行。論文「笑の本願」「笑の教育」「女の咲顏」は、「笑の本願」と内容が重複するので省いた。」
「○「東北文學の研究」は、はじめ「雪國の春」の中に收めてあつたが、この卷にまわした。」



柳田国男集 七


内容 (初出):

物語と語り物
 自序
 一寸法師譚 (昭和三年五月、民族三卷四號)
 孝子泉の傳説 (大正五年十一月、十二月、郷土研究四卷八號、九號)(原題、「孝子泉の話」)
 甲賀三郎の物語 (昭和十五年十月、文學八卷十號)
 有王と俊寛僧都 (昭和十五年一月、文學八卷一號)
 黑黒百合姫の祭文 (昭和十九年六月、黑百合姫物語)(原題、「山臥と語りもの」)
 山莊太夫考 (大正四年四月、郷土研究三卷二號)
 能と力者 (昭和十九年五月、能樂全書第五卷、創元社)
 參宮松の口碑 (昭和十一年十月、高志路二卷十號)(原題、「越佐偶記」)
 北國の民間文藝 (昭和十三年一月、南越民俗四號)(原題、「語り物と物語り」)

笑の本願 
 自序
 笑の文學の起原 (昭和三年九月、中央公論四十三卷九號)
 笑の本願 (昭和十年四月、俳句研究二卷四號)
 戲作者の傳統 (昭和十三年八月、文學六卷八號)
 吉右會記事 (大正十五年五月、地方三十四卷五號)(原題、「昔話の新しい姿」)
 笑の教育――俚諺と俗信との關係 (昭和七年九月、北安曇郡郷土誌稿第四輯)(原題、「俚諺と俗信との關係」)
 女の咲顏 (昭和十八年六月、新女苑七卷六號)

不幸なる藝術
 不幸なる藝術 (昭和二年九月、文藝春秋五卷九號)
 ウソと子供 (昭和三年八月、文章倶樂部十三卷八號)(原題、「ウソツキ不朽」)
 ウソと文學との關係 (昭和七年四月、設樂二卷四號)
 たくらた考 (昭和十五年一月、科學ペン五卷一號)
 馬鹿考異説――「日本の言葉」を讀みて (昭和十六年二月、創元二卷二號)
 嗚滸の文學 (昭和二十二年四月、藝術三號)
 涕泣史談 (昭和十六年六月、國民學術協會公開講座)

東北文學の研究
 一 義經記成長の時代 (大正十五年十月、中央公論四十一卷十號)
  發端
  義經記の成立
  座頭の交通と割據
  讀み本としての義經記
  奧淨瑠璃の元の形
  家と物語と
 二 淸悦物語まで (大正十五年十一月、中央公論四十一卷十一號)
  生き殘つた常陸坊
  清悦出現のこと
  鬼三太殘齢記
  義經勳功記
  人魚の肉
  八百比丘尼の事
  九穴の貝
  おとら狐と玄蕃丞
  語り部の零落
  盲目の力
世間話の研究 (昭和六年十一月、綜合ヂャーナリズム講座11)
御伽噺と伽 (昭和十三年一月、民間傳承三卷五號)

踊の今と昔 (明治四十四年四月~八月、人類學雜誌二十七卷一號~五號)
越前萬歳のこと (同年十月、風俗志林一卷六號)
二たび越前萬歳に就きて (明治四十五年一月、風俗志林一卷八號)
獅子舞考 (大正五年一月、郷土研究三卷十號)
掛け踊 (同年九月、同誌四卷六號)
風流と我面白 (昭和四年六月、民俗藝術二卷六號)

病める俳人への手紙 (昭和二十二年十二月、風花四、五合併號)
女性と俳諧 (昭和二十三年九月、風花九號)
俳諧と俳諧觀 
喜談小信 (昭和二十四年四月、かまくら九號)
七部集の話 

内容細目
あとがき




◆本書より◆


「山莊太夫考」より:

「遠州掛川の附近に居住して所謂千秋萬歳(せんすまんざい)に携はり、別名を聲聞身(しやうもんじん)(唱門師)とも院内とも又散所とも呼ばれた博士小太夫の事は、既に毛坊主考の結論にも之を述べて置いた。此地の散所は寺を作つて之に據つて居た。」
「中世の博士が今日とは雲泥の、變な人體の者であつたこと、又陰陽師身上知らずなどゝ言ひ、暦と祈禱の外に村里では卜占を以て生業として居たことも人のよく知る所である。」
「要するに山莊は自分の所謂ヒジリの一種である。サンシヨのサンは「占や算」の算で、算者又は算所と書くのが命名の本意に當つて居るかと思ふ。」
「自分の見る所では、丹後由良の長者が其名を山莊太夫と呼ばれたのは偶然では無い。あれは最初あの話を語つてあるいた伎藝員が、或算所の太夫であつたのが、いつの世にか曲の主人公の名と誤解せられたのである。」



「能と力者」より:

「中世の特權世襲の慣行は、往々にして此種の悲しむべき差別觀の原因になつて居るやうである。土地を耕作する者がすべて土着の久しき者なるに對して、他の色々の職人は大小の差無く、大抵は新來であつて身元が明らかで無く、又ことさらに職業を深秘にせんが爲に、ちがつた生活ぶりを標榜しようとしたことが、自然に通婚を妨げて疎隔の感を深め、しかも衣食の資料に就いてはいつも受給者であり、地方の行政にも發言權が無かつた故に、一旦信仰の根柢が崩れると、その地位は段々と惡くなり、外部からの解説は之に伴なうて變つて來た。是は多くの役者といふものに共通の事情であつて、たゞその中では特別の庇護を、富と權勢ある者から受けて居た部分だけが、どうやらかうやら體面を維持して、獨自の發達を遂げて居たのである。」


「笑の文學の起原」より:

「浮世を三分五厘などゝ茶にしてかゝついて居る連中は、實は笑ふ人よりも遙かに賢く又横着なのであつた。それが笑はれても一生は暮せると思ふまでには、有心の側から見れば辛苦修養、少なくとも人生の改作が行はれたに相違ない。その技術は今や既に埋もれ、徒らに凡庸模倣の徒の名聞と身過ぎにまで零落したのである。江戸の遊び人や京のスッパ、今一つ前の代の隱者といふ生活まで、同じ系統を引いたものゝ如く、折口君などは推定して居るが、私はまださう斷言する程の材料を集めて居ない。兎に角に曾ては捕虜や奴隷などを強壓して、この屈辱多き任務に當らせて居た習ひが、いつと無く悟り切つた智慧者どもの自ら甘んじて、我とその境涯に入つて來る風と代つたことだけは、彼等の文藝の進展の跡に由つても、これを想像することが出來るのである。江戸では彰義隊の生殘者として、明治まで渡世をして居た松の家露八などが、さういふ太鼓持ちの最後の雛形であつた。其角や一蝶などは時代がずつと古いけれども、幸ひに作品を世に遺した故に人柄がほゞ窺はれる。座頭にも連歌師にも、後には平賀源内の如き市井の學者の中にも、榮達本位の我々の人生計畫からは、何としても解説し得ない藝術の取引があつた。それがどの程度にまで初期の民族意識と交渉のあるものか。即ち最初から孤高自得の個人主義的のものであつたか、はた又群に神主あり巫女ある如く、これも亦要求せられたる社會必然の構成分子であつたか。或ひは又曾て後者であつたものが、追々に疏外せられて統一圏内から逸出したものか。それを明らかにする爲にも、我々の笑話の成長を今少しく綿密に、調べて見る必要があらうと思ふのである。」


「不幸なる藝術」より:

「以前小樽で知合ひになつた某といふ男の如きは、僅か十五圓の金を私から借り倒す爲に、半歳に近い苦勞と三分の一ほどの入費を使ひ、其上に五つほどの大きなウソをついて居る。「このあひだ新カズノコを一樽、船便で出しましたがまだ屆きませんか」と謂つた。「何とかして獵虎(らつこ)の皮を一枚、手に入れて差上げようと思つて方々へ賴んであります」とも謂つた。「アザラシならば二枚持つて居ます。あれはカバンなどに張るのは勿體ない。是非チョッキに仕立てさせて御覽なさい、さし上げます。私も着て居ますが中〃ようございます」とも謂つた。そればかりか既に初めて逢つた時にも、樺太は水が良くない。炭酸水を御持ちなさるがいゝと謂つて、現に船の出る間際に、繩で括つた一ダースを屆けてくれた。然るに樺太へ行つて見ると水は大いに良い。つまらぬ物を持つて來たと、船の中からもう人に笑はれた。斯ういろんな事をされては長くなる程氣味が惡い。早く勘定を取りに來てくれた方がよいのにと思つて居ると、その中に遣つて來て騙したのである。騙されてやれやれと思つたやうな場合が、私などにさへあるのだから、たしかに人生は活きるに値ひする。」
「逞ましい金齒の、太つた四十ばかりの男であつたが、もう何處かで斯んな事を忘れて老いて居るであらう。生まれは大阪だと言つたが、案外に古風な着實な惡人であつた。あんなのは少し位は世の中に居た方がよいかとさへ思ふ。」



「ウソと子供」より:

「東北各縣では、黄金の牛の昔話が、傳説として各地の山村に傳はつて居る。(中略)佐々木喜善君の東奧異聞の中に、詳しくこの問題が説いてあるが、曾て或地の金山が極盛の時に、牛を牽き出したとも、牛の形をした大金塊を得たともいひ、其時が全盛の行止まりで忽ち まぶ が崩れ落ち、さしものさかり山が一夜のうちに滅びてしまつたといふのが普通の形である。其時何百人又は何千人の金山人足の中で、たつた一人だけ偶然に活き殘つて、その最後の場面と色々の前兆とを、語り傳へたといふことになつて居るが、其男の名が數十箇所の實例に於て、大抵はウソトキ又はオソトキと呼ばれて居るさうである。ちやうど出雲神話の大國主命の如く、平生は馬鹿にされ除け者にされて居たのだが、却つて彼たゞ一人この幸運に惠まるゝしるしであつた樣にも語られて居る。如何なる理由を以て彼の名をウソトキと謂はねばならなかつたかを、佐々木氏は訝かつて居るが、私だけにはほゞ解るやうな氣がする。つまりはウソトキが活きて此ウソを説かなかつたら、我々の知らねばならぬ大きな歴史の一つが、此世の中から消えてしまつたらうからで、單に昔の聽衆が是ほどまで、虚言に寛大だつたといふ以上に、笑ふと夢みるとの差こそはあれ、兎に角にこの人生を明るく面白くする爲には、ウソを缺くべからざるものとさへ考へて居る者が、昔は多かつたことを示して居る。」























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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