『定本 柳田國男集 第八卷 桃太郎の誕生 女性と民間傳承 他』 (新裝版)

「即ち「くるふ」とは元來舞ふことであつたのであります。(中略)能では斯うして狂うて居るうちに、必ず今迄久しい間、見ることを得なかつたものを、不思議に見出すことになつて居て、それが多くの場合に(中略)、別れて年を經た我兒でありました。」
(柳田國男 『女性と民間傳承』 より)


『定本 柳田國男集 
第八卷 (新裝版)』

桃太郎の誕生 女性と民間傳承 童話小考 他

筑摩書房 
昭和44年1月20日 第1刷発行
511p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 8 (8p):
柳田先生と私(市河三喜)/思ひだすこと(沢田四郎作)/風貌(戸板康二)/柳田先生礼讃(F・H・メーヤ)/「故郷七十年」を読んで(寺田透)/次回配本/図版(モノクロ)4点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「桃太郎の誕生」は、昭和八年一月三省堂より刊行。昭和十七年七月同出版社から改版刊行。今囘は改版を原本とした。
○「女性と民間傳承」は、昭和七年十二月、岡書院より刊行。早川孝太郎氏の編集になり、各章に編者の註と、卷末に編者の言葉がある。後昭和二十四年二月、實業之日本社から、柳田國男先生著作集第七冊として刊行。この版には、初版にあつた章末の註と編者の言葉はのぞいてある。今囘は實業之日本社版によつた。」
「○「昔話を愛する人に」は、昭和十一年、民間傳承の會から發行された「昔話採集手帖」の序文として執筆したものである。
○「昔話のこと」は、昭和二十三年三月、日本放送出版協會發行の「昔話名彙」の卷頭に書いたものである。」



柳田国男集 八


内容 (初出):

桃太郎の誕生
 自序
 改版に際して
 桃太郎の誕生 (昭和五年一月、桃太郎の話をきく會講演)
  一 知られざる日本
  二 民譚二種
  三 童話の起り
  四 童話と其記録
  五 赤本の災厄
  六 桃と瓜
  七 妻もとめ
  八 昔話の本の姿
  犬子噺
  あくと太郎
 海神少童 (昭和五年四月、旅と傳説)
  一 はなたれ小僧樣
  二 薪を採る翁
  三 貧者の奉仕
  四 龍宮の女性
  五 海の神の贈りもの
  六 しこ名と醜い容
  七 説話の成長素
  八 興味と教訓
  九 善玉惡玉
  一〇 將來の神話學
  延命小槌
  嘉手志川
  龍宮小僧
 瓜子織姫 (昭和五年五月、旅と傳説)
  一 昔話の分布
  二 瓜の中からお姫樣
  三 瓜と桃
  四 申し兒の靈驗
  五 驚くべき成長
  六 瓜子姫の事業
  七 瓜子姫の敵
  八 動物の援助
  九 瓜子姫の復活
  諸國の瓜子姫
  天之探女
  黄金の瓜
 田螺の長者 (昭和五年六月、旅と傳説)
  一 舌切雀と腰折雀
  二 蛙の王子と蛇の王子
  三 小泉小太郎と泉小次郎
  四 タミナの聟とツブの長者
  生きて居る小太郎
  五分次郎
  かしこ淵
  田螺聟入
 鄰の寢太郎 (昭和五年七月、旅と傳説)
  一 治水拓土の功績
  二 長者の聟
  三 奧州のならず者
  四 沖繩の睡蟲
  五 物草太郎の草子
  六 博打聟入の事
  七 せやみ太郎兵衞
  八 信州の信の宮
  山田の露
  妻に助けられて
 繪姿女房 (昭和五年九月、旅と傳説)
  一 黑川能の起りと瓜子姫
  二 桃賣殿樣
  三 エンブの果報
  四 安積山の糠次郎
  五 般若寺の磐若姫
  六 六十六本の扇
  七 殿樣の無理難題
  八 白介の翁
  髪長媛
  山路の笛 (昭和七年八月、岩波版文學)
 狼と鍛冶屋の姥 (昭和六年十月、郷土研究)
  一 産杉の傳説
  二 犬梯子と猫の智慧
  三 鍋被りと茶釜の蓋
  四 猫と狐と狼
  五 高木加門の妻
  六 朝比奈氏の先祖
  七 狼と赤兒
  八 荒血山の物語
  九 良辨僧正の杉
  古屋の漏り
  狼と鏡と火
 和泉式部の足袋 (昭和六年十一月、旅と傳説)
  一 熊の子鹿の娘
  二 浄瑠璃御前の生ひ立ち
  三 鹿母夫人
  四 南無藥師
  五 雨乞小町など
  六 誓願寺と鳳來寺
  七 淸少納言の亡靈
  八 横山の禰宜
 米倉法師 (昭和七年七月、中央公論)
  一 盲と文藝
  二 笑話の分布
  三 蚯蚓の歌
  四 盲をからかふ話
  五 餅と座頭
  六 狐と座頭
  七 狼と座頭
  八 水の神に仕ふる者
  九 信仰から文藝へ

女性と民間傳承
 序言
 再刊序
 誠心院の大きな石塔
 四十餘りの尼姿
 一遍上人と幽靈
 まぼろしと夢の告
 靈驗は靈夢から
 深山と美しい上臈
 美女の木の由來
 山に登らんとする式部
 勅撰集中の傳説
 歌のにせもの
 書寫山の和泉式部
 南無藥師の歌
 或は小野小町とも
 歌と信仰と
 旅の歌うたひ
 熊野比丘尼
 浄瑠璃の根原
 遊行女婦
 小野のお通
 文ひろげの狂女
 話の泉
 誓願寺の縁起
 法然上人との因縁
 小式部の内侍
 母と子の歌
 木遣節と御伽草子
 道命阿闍梨
 神童發見譚
 ウルカ問答
 綿を賣りあるく人
 樹に登る子供
 西行戻りの故跡
 謎のやうな言葉
 江口と室積と
 旅僧と遊君
 歌舞の菩薩
 子を尋ぬる物狂ひ
 天王寺の弱法師
 烏帽子の力
 百萬と山姥
 萬日といふ女性
 姥ヶ池と念佛水
 平左湯うはなりの湯
 關の姥さま
 河臨祭
 姥と弘法大師
 太子講の根原
 一つ家の姥
 石の枕
 越中立山の姥石
 備後の和泉式部
 歌占人
 古歌の濫用
 伊勢の三郎
 曲舞と親子
 白髪水
 折居の松
 笠置山
 東平王
 松下氏
 女の社會の成長
 文藝の主管者
 刀自の職業
 酒の歴史

童話小考
 童話小考 (昭和十年七月、昔話研究)
 猿聟入話の要素 (昭和十年八月、昔話研究)
 猿の聟と水甕 (昭和十年九月、昔話研究)
 田の水の約束 (昭和十年十月、昔話研究)
 猿澤と川童 (昭和十年十一月、昔話研究)
 大蛇に嫁ぐもの (昭和十一年一月、昔話研究)
 姥皮と蛙報恩 (昭和十一年二月、昔話研究)
 昔話の繼合せ (昭和十一年三月、昔話研究)
 鷲の卵と桃の酒 (昭和十一年四月、昔話研究)
 蛇聟入話考 (昭和十二年五月、昔話研究)
  立聽
  長者の娘
 昔話新談 (昭和十七年八月、民間傳承)
昔話を愛する人に
昔話のこと

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『桃太郎の誕生』「自序」より:

「今からちやうど十年前の、春の或日の明るい午前に、私はフィレンツェの畫廊を行き廻つて、あの有名なボティチェリの、海の姫神の繪の前に立つて居た。さうして何れの時か我が日の本の故國に於ても、「桃太郎の誕生」が新たなる一つの問題として囘顧せられるであらうことを考へて獨り快い眞晝の夢を見たのであつた。」


「桃太郎の誕生」より:

「さてこの大きな瓜と大きな桃、それが水上から浮いて流れて來たといふことは、小兒には素より感じのよい言葉には相違ないが、要點は寧ろ「大きな」といふことでは無かつたやうである。元は恐らくは桃の中から、又は瓜の中から出るほどの小さな姫もしくは男の子、即ち人間の腹からは生れなかつたといふことと、それが急速に成長して人になつたといふこと、私たちの名付けて「小さ子」物語と言はうとするものが、この昔話の骨子であつたかと思ふ。後世の所謂一寸法師、古くは竹取の翁の傳へにもそれは既に見えて居るのみならず、諸社根元記の載録する倭姫古傳の破片にも、姫が玉蟲の形をして筥の中に姿を現じたまふといふことがあるのである。それから今一つは水上に浮んで來て、岸に臨む老女の手に達したといふこと、是が又大切なる點では無かつたかと思ふ。」
「桃太郎の桃が瓜子姫の瓜よりも後のものであつたことは、さう多くの憶測を借らずとも容易に之を認めることが出來る。瓜類が中うつろにして自然に水の上を浮き漂ふ事實は、非常に我々をして其内に在るものをゆかしがらせて居たのであつた。後世のうつぼ舟説話を成長せしめた元の起りには、新羅の朴氏の始祖が瓠に乘つて、日本から渡つて來たといふ樣な例もある。是と白蘞(かゞみ)の皮で作つた舟に乘り、鷦鷯(さゝき)の羽衣を着て、潮のまにまに流れ寄つたといふ我々の小男(をぐな)神の物語とを比べ合せて見ると、最初異常に小さかつたといふことが、其神を尊く又靈ありとした理由であつたことは察し得られる。(中略)常人すら尚到底企て難しとする難事業を、始めは普通以下の如く見えた者が、何の苦も無く安々と爲し遂げた。是れ奇瑞であり是れ天意で無くして何であらう。(中略)だから亞細亞でも歐羅巴でも、現在知られて居る英雄の成功譚には、單に小さくて弱々しい者であつたといふ以上に、非常な貧乏人であり、極度の惰け者だえり、又は少なくとも外見には法外な魯(をろ)か者でもあつた。この四つの條件の二又は三を兼備して人から省みられなかつた者が後に偉い事をして居る。是をたゞ桃や瓜の中から飛出したといふだけにしたのは、我々の方の單純化であつたかも知れない。」
「信州木曾の小さ子塚の傳説といふものは、既に破片となつて元の姿を究め難いが、あまり小さいので臼に入れて育てたといふ、或は笠の蔭に蔽はれて見えなかつたといふことだけは殘つて居る。ところが是が我邦の神子譚の、至つて古い形であつたと見えて、九州にも又東北のそちこちにも、神に禱つて授けられた申し兒が、笠の中に蟠かまつた小さな小さな小蛇であつた昔話が傳はつて居る。」

「大田榮太郎君が「國語教育」の昭和五年一月號に報告した、越中上新川郡の灰蒔翁では、爺が山へ柴苅に行つた留守に、婆は川へ出て洗濯をして居ると、水上から大きな桃が流れて來る。それを拾つて來る爺に食はせようと思つて、家の庭の搗臼の中に入れて置いたところが、爺が還つて蓋を除けて見ると、桃では無くて一匹の犬ころが入つて居た。大事に育てて居ると段々に大きくなり、それから以下は奥州の灰まき爺とほゞ同樣に展開して居る。」
「喜田貞吉氏の話によれば、阿波でも桃太郎の桃が流れて來る代りに、瓜が流れて來て其中から出た雀が、舌切雀になるといふ込入つた筋もあるといふ(中略)。是が込入つたもののやうに考へられたのは、寧ろ今日の五大噺なるものが公認せられた結果では無いかと私は思つて居る。阿波には通例の桃太郎はもとは無くて、黍團子を半分遣つて栗・鋏・臼などを家來とし、猿ヶ島を征伐に往つたのは蟹の子であつた。」

「だから標準御伽の現在ある形を以て、古來唯一つの正しいものと見ることは止めなければならぬ。
 其前に今少しく各府縣の異なる形の、如何にして發生したかを考えて見る必要があるやうである。近頃になつて丸で無視せられてしまつたのは、昔話の英雄の異常なる出現、即ち只の女の腹からは生れなかつたことと、同時にその普通で無い成長のし方であるが、(中略)しかも前代の常識に於ては、是ほど人を感動させることは無かつたので、或一人の童子が誰にも豫期し得ぬやうな難事業に成功したとすれば、それは必ず生れから違つて居たらうと思ひ、もしくはそれと反對に、不思議の誕生をする位な人間だから、鬼ヶ島の寶でも取つて來られたのだと解する風が、我々の祖先には行渡つて居た。(中略)其上に人が時あつて異類に轉身し、もしくは鳥獸草木の姿を具へつゝも、人と同じく思惟し咏歎し得たといふことも、極めて有りふれたる上代人の考へ方であつた。」

「故高木敏雄君はその桃太郎新論に於て、今から二十年も前に既にモゝ太郎のもとは、人間の股(もゝ)では無かつたかと説いて居る。(中略)少なくとも神童が尋常を超越した状況の下に、此世に現はれ出たといふ語りごとの一つに、股(もゝ)から生れた股太郎もあつたといふだけは認め得られる。」



「海神少童」より:

「昔爺が山に行つて柴を苅つて居ると、其下の淵の水がくるくると面白く渦を卷いて居る。それを面白いと思つて、苅つて居た柴を一束投込むと、見事にくるくるとまはつて水の底に沈む。是は面白いと又一束、又一束と投げて居るうちに、とうとう三月の間苅り溜めて居た柴を、殘らず此渦卷の中へ沈めてしまつた。ところが其淵の中から美しい女が出て來て柴の禮をいひ、是非わたしの家へ遊びに來てくれといふ。そこで目をつぶつて女に負はれて、淵の底に入つて行くと、眞に立派な構への屋形があつて、爺が投込んだ柴は其脇にちやんと積重ねてあつた云々(江刺郡昔話二三頁)。」
「浦島子の舊傳は此方から遊びに行つたことになつて居るが、今ある龍宮女房の昔話に於ては、美しい少女が訪ねて來て、妻となり子を儲けて後に還り去つたといふのが至つて多い。(中略)それから又非常に多い水の神の文使ひの話、某の橋の袂に立つ女のもとへ、もしくは某沼の底に住む姉神へ、どうかこの手紙を屆けてくれと賴まれるのも若い女性からであつた。(中略)諸國の傳説に今も殘つて居る機織池・機織淵、大歳の夜の眞夜中に又は靜かなる雨の日に、筬(をさ)の音梭(ひ)の音が水の底から聞えることが有るといひ、或は其音を聽き得た者は幸運であると稱し、もしくは某家の美しい一人娘が行方知れずになつたのが、後に水底に入つて機を織つて居るところを見て來た者があり又堅く口留めせられたなどといふのも、其根本には何か一つの古い信仰があつて、それがどこかの點で右にいふ昔話と、縁の絲を引いて居るやうに思ふ。兎に角に我々は今尚龍宮といへば乙姫樣を思い起す習はしをもつて居る。(中略)海はこの國民の爲には永遠に妣(はゝ)の邦であつたといふことが言へるのである。」



「瓜子織姫」より:

「たゞ幸ひに石見の例に於て、櫃の中に入れて置いたと謂ひ、信州下水内郡の話では、重箱の中に入つて川上から瓜が流れて來たとある爲に、それが本來は常陸風土記の蛇體神子、或は倭姫命の玉蟲傳説と同じく、必ず淸淨なる容器に入れて安置するを要したことが察せられるのである。(中略)古くは瓜子姫の成長を説く爲にも、やはりこの容器といふ點が缺くべからざる一箇條であつたことを、推定することが出來るのである。」


「田螺の長者」より:

「甲州の上九一色村(中略)にも、又斯ういふ昔話が遺つて居た。
  昔老いたる夫婦、子無きを憂ひて神樣に子を禱ると、忽ち婆が身ごもつて男の兒を生んだ。之を龍吉と名付けて愛育して居るうちに、龍吉は追々體が長くなつて、家には置かれぬので鳥籠のやうな物を作つて其中に入れて置いた。それでも愈〃長くなり、後には手足も無くなつて蛇のやうな形になつて、もう何處にも置かれぬので、老夫婦は其箱を山の頂上へ背負ひ上げ、よく譯を言つて聽かせて、又用がある時は爰へ來て喚ぶからと言つて放すと、龍吉は喜んで走り去つた。それから何年かの後に國中にひどい旱魃があり、雨を降らせた者には褒美を遣るといふ、殿樣からの御觸れが出た。そこで爺婆は再び其山に登り龍吉を喚ぶと、龍吉は大蛇となつて、草木を靡かせつゝ飛んで來た。雨を降らせてくれぬかといふと承知をして、七日の間靜かな雨を降らせてくれた。そあれ故に二親は御約束の恩賞を受け斯んな片輪の子ながら龍吉は、親を一生安樂に送らせることが出來た(土橋里木君、甲斐昔話集)。
 話は斯ういふ形を以て又弘く行はれて居たと見えて、老媼夜譚の蜘蛛息子といふ一例も、大分世話物風に語り改められては居るが、一部分だけはこの甲州のものと似て居る。
  貧しい父に一人の娘があつた。春の頃山に菜を摘みに行つて、美しい若者と心安くなつた。さうして身持になつて別れて還る時に、若者は誠は人間で無いと告げて、大きな蜘蛛の形になつて山深く入つて行つた。驚いて戻つて父に其事を話すと、仕方無い仕方ない。其物が大事に生んでくれと言ふなら、大事にして生むがよい。決して心配するなと父が言つて慰めた。さうして生れた兒は腰から上は人間であるが、腰から下は蜘蛛の姿であつた。それでも父と娘は約束事だとあきらめて、大切に育てて居た。其男の子は十四五になると、祖父樣(ぢいさま)、おれは斯んな體に生れて人に見られたくも無いし、又外に出て働くことも出來ぬから、どうか家の床板に穴を開けてくれ。其中に入つて手仕事でもしたいからと言ふので、不憫に思つて言ふ通りに支度をして遣ると、息子は其穴から上半身だけ出して、上手に木地(きぢ)繰り物の細工をした。始は鄰近所の子供等に與へて、其親たちから少しづつの米錢を禮に貰ふばかりであつたが、後には追々と神佛の御姿まで造つて、それを世間に廣めるやうになつた。
 腰から下だけが蜘蛛の形といふのは想像も出來ぬことであるが、人間の少女が大蛇と婚姻したといふ昔話でも、やはり何かの特徴が後裔の者にまで傳はると言つて居る。さうして其家は必ずしも之を恥ぢ包まず、寧ろ此傳説に據つて富みもし貴まれもして居たのである。」



「狼と鍛冶屋の姥」より:

「甲州では曾つて炭燒が山に伴なうて行つて居た二歳になる兒を、半纏にくるんだまゝで狼に持つて行かれたさうである。年經て後發見して家に連れて歸つたが、全身に毛が生えて居て山の物ばかり食ひ、どうしても里の食事に馴れ兼ねて、再び山に入つて行つた。あんなのが山男といふものになるのであらうと、評判をしたさうである。」


『女性と民間傳承』より:

「能より以前の狂女なるものは、今日精神病院の中で見るやうな、あるべかゝりの不幸者では無かつたので、多くは人に賴まれては狂うて見せて居ります。例へば有名な「隅田川」は都北白河に住む女、一人子を人あき人に取られ、其跡を慕うて武藏國まで下つて見ると、其子は旅に病んで歿し、塚には梅と柳が咲き靡き、其樹陰に里人が供養の大念佛をとなへて居りました。
  ワキ「都の人といひ狂人と云ひ、面白く狂うて見せ候へ。狂はずば此舟には乘せまじいぞとよ」
と渡し守が申しますと、女は忽ち一心になつて、狂女の舞を舞ふのであります。
 即ち「くるふ」とは元來舞ふことであつたのであります。菊でも朝顏でも、我々が狂ひ咲きといふのは、何れも美しく又面白く、亂れて舞つて居る花のことです。能では斯うして狂うて居るうちに、必ず今迄久しい間、見ることを得なかつたものを、不思議に見出すことになつて居て、それが多くの場合に(中略)、別れて年を經た我兒でありました。」






























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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