『定本 柳田國男集 第二十二卷 野草雜記 野鳥雜記 他』 (新裝版)

「だからもしこの物寂しい黄昏の感動が、自然に人の空想を死の國に誘うたものとしたら、それは我々がまだ子供の如く、爲すことも無くして靜かな夕暮を過すことの出來た大昔から、さういふ心持を持續けて居たのである。」
(柳田國男 「野鳥雜記」 より)


『定本 柳田國男集 
第二十二卷 (新裝版)』

野草雜記 野鳥雜記 信州隨筆 孤猿隨筆 他

筑摩書房 
昭和45年3月20日 第1刷発行
489p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 22 (8p):
柳田先生と私(桜田勝徳)/「野鳥雑記」を読んで(小堀杏奴)/恩人、柳田國男先生(中西悟堂)/柳田先生の見えられた前後(小井川潤次郎)/感情移入の達人(谷川徹三)/次回配本/図版(モノクロ)3点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「野草雜記・野鳥雜記」は、昭和十五年十一月、甲鳥書林より初版(一帙二冊)刊行。昭和三十一年十一月同書林より再版刊行。初版再版には橋浦泰雄氏の插繪があるが、今囘は省いた。
○「信州隨筆」は、昭和十一年十月、山村書院より初版刊行。後、昭和二十三年二月、實業之日本社より、柳田國男先生著作集第三冊として刊行。實業之日本社版は、初版に「信濃櫻の話」を加えてある。今囘は實業之日本社版によるが、次の「眠流し考」「犬飼七夕譚」「山郷風物誌」「木曾民謠集」の四編は、他の卷にまわした。
○「孤猿隨筆」は、昭和十四年十二月、創元社より刊行。」



柳田国男集 二十二 


内容 (初出):

野草雜記
 記念の言葉
 野草雜記 (昭和十一年四月、短歌研究五ノ四)
 蒲公英 (原題、野草雜記)(昭和五年二月~五月、ごぎよう九ノ二~五)
 虎杖及び土筆 (昭和三年七月、民族三ノ五)
  方言量の多少
  理由ある新語作製
  舊語保存
  國の両端の方言
  中間地帶の混合
  複合形と語義
  語義の推移と感化
  隔地共通の例
  方言區域の論
 菫の方言など (昭和二年七月、地上樂園二ノ七)
 草の名と子供 (昭和十四年五月~十月、愛育五ノ一~五ノ一〇)
  緒言
  雪の下
  兎の耳
  馬の砂糖
  雀の袴
  猫の枕
  狐の剃刀
  ぺんぺん草
  繪具花
  ハゴジヤ
  山の筆
  爪紅草
  桝割草
  目はりごんぼ

野鳥雜記
 野鳥雜記 (昭和三年八月~十月、アルト四~六)
 鳥の名と昔話 (昭和九年六月、野鳥一ノ二)
  一 水こひ鳥
  二 行々子
 梟の啼聲 (昭和二年八月、家の光三ノ八)
 九州の鳥 (昭和五年十月、九州民俗學特輯號)
 翡翠の歎き (大正十五年五月、郊外六ノ六)
 繪になる鳥 (原題、野鳥雜記)(昭和五年七月、短歌月刊二ノ七)
 烏勸請の事 (昭和九年五月、東京朝日新聞)
 初烏のことなど (昭和五年一月、大阪朝日新聞)
 鳶の別れ (原題、市隱談片)(大正十五年六月、經濟往來一ノ四)
 村の鳥 (昭和九年一月、きぬた)
 六月の鳥 (昭和八年七月、文体一號)
 須走から (原題、小河原鶸のこと)(昭和九年八月、野鳥一ノ四)
 雀をクラといふこと (昭和三年五月、南島研究)
 談雀 (昭和十四年二月、俳句研究六ノ二)
  雀の郷里
  雀の顏
  雀の家庭
  雀の引越し
  雀の國語

信州隨筆
 自序
 信濃柿のことなど (昭和七年十一月八日、長野放送局放送)
 しだれ櫻の問題 (昭和五年十月、郷土一ノ一)
 信濃櫻の話 (「山宮考」――昭和二十二年六月――所収)
 なんぢやもんぢやの樹 (昭和六年三月、郷土一ノ二)
 御頭の木 (同年七月、郷土一ノ三)
 矢立の木 (原題、傳説と習俗)(昭和五年二月、旅と傳説三ノ二)
  二つの要素
  地名と傳説
  峠と上の杉
  矢立と矢止
  樹の幹から鏃
 靑へぼの木 (原題、信州隨筆)(昭和十年五月、山邨二ノ一)
 地梨と精靈 (昭和六年十一月、郷土一ノ四)
 新野の盆踊 (原題、誦の會)(大正十五年八月二十五日~九月一日、東京朝日新聞)
 信州の出口入口 (昭和十一年八月)

孤猿隨筆 
 自序
 猿の皮 (大正十五年三月二十五日、放送)
 松島の狐 (同年八月、東京朝日新聞)
 狐飛脚の話 (昭和十四年十一月、動物文學六ノ十一)
 坂川彦左衞門 (同年九月、改造二十一ノ一〇)
 サン・セバスチヤン (昭和二年二月、隨筆ニノ二)
 對州の猪 (昭和十四年九月、文藝春秋十七ノ九)
 猫の島 (昭和十四年十月)
 どら猫觀察記 (大正十五年五月、隨筆一ノ一)
 旅二題 (昭和十四年九月、俳句研究六ノ一〇)
  一 有井堂
  二 金剛證寺
 モリの實驗 (同年十月)
 狼のゆくへ――吉野人への書信 (昭和八年十一月)
 狼史雜話 (昭和七年九月、同八年十一月、日本犬一ノ二、二ノ二)

「黑」を憶ふ (昭和五年四月、文藝春秋八ノ四)
狸とデモノロジー (大正七年九月、「たぬき」)
狸とムジナ (昭和二十三年八月、「上毛の民俗」)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『野草雜記』「記念の言葉」より:

「私の家では、始めには庭に何物をも栽ゑない主義であつた。木は門を出ること數歩にして松でも何でもある。草は抜ききれないほど色々のものが生える。どんなものが先づ生えて來るか、見ようと思つて空地にして置いたのだが、あまり土埃が立つといふので芝を張つた。さうすると其隙間から顏を出したのが、隣の地面からの根笹の芽であつた。是は棄てゝ置くと笹原になるから鋏で切つた。其次には職人が食べてはふつたかと思ふ梨の芽生えが二本、松が一本と片隅に合歡(ねむ)の木とが生えた。是だけは約束だから成長にまかせ、もう其あとは構はずに置くとよかつたのだが、春になつて氣がかはつて梅をたつた一本、竹垣の近くに移植したのが病みつきで、秋は其隣へ小さな木犀と山茶花、安行(あんぎやう)からは富有柿の若木が來る。いけて置いた丹波栗が芽を出す。何やらかやら皆大きくなり、おまけに隣地の檜の木までが林のやうに茂つて來て、目隱しにはよいが日陰が多くなつた。幼な馴染の草などは、大抵は十分な日の光の中で育つものばかりだから、斯んな處には見切りをつけて、ずんずんと野外に退却してしまひ、家のまはりにはいやな草ばかりがはびこらうとする。雨でも降りつゞいて五六日も出ずに居ると、すぐに化物屋敷のやうになつて心までが荒びるので、近年は草取りが夏秋の日課になつてしまつた。人も草取りを日課にする年になると、もはや少年の日の情愛を以て此物に對することが出來ない。この變化は相應に寂しいものである。
 よい草いやな草の差別は子供もするが、標準は違つて居る。かたばみは我々にとつては迷惑至極な草だが、彼等はあの葉の珍しい形と、實が胡瓜のやうなのに興味をもつ。千なりほうづきなども怖ろしいやつで、うつかり一本を見のがすともう翌年は畠中に滿ち、抜いても棄てゝも後から出て來て、小さななりをして花をもち實が熟する。どうして退治しようかと思ふほどであるのに、孫どもはやつて來ると先づそれに目を著ける。杉菜が畠に入ると飛び上るほども農夫が騒ぐのは、一つには根が深くて除きにくい爲もあるが、それが又土筆採りの子供を誘引して、畝を踏み荒される氣づかひもあるからであつた。佇んでたゞながめるだけなら、あゝ美しいと思ふやうな草でも、土地を再び曠野に返すまいと思へば、精出して抜かねばならぬものが多い。それを承知の上で雜草の方にも、驚くやうな繁殖力、智慧と名づけてもよい程の對抗手段をもつて居ることが、子供で無いだけに少しづゝわかつて來た。觸れるとすぐに筴(さや)が彈けて、遠くまで種子を飛ばすものがある。蔓が容易にちぎれて殘りだけで又根づくものがある。或は地獄蕎麥とも呼ばれる蕺草(どくだみ)のやうに、惡く臭いので人を近づけぬものもある。環境に應じて大きくも小さくも、形を色々にかへて生きて行かうとする努力などは、或る草は全く知らず、他の或る種には特に著しい。自然の始めからの配慮と言はうよりも、何だかめいめいの發明の如くにも感ぜられる。自身庭に降りて直接の交渉に當るめでは、眼の前に居ながら丸で知らずに居た。子供で無くなつたといふことも必ずしもさう惡いものでは無い。私は今も草取りによつて少しづゝ學んで居るのである。」



『孤猿隨筆』「坂川彦左衞門」より:

「因州鳥取の藩士坂川彦左衞門、ある日鐵砲を肩にして雉子を打ちに野をあるいて居ると、松林の中から出て來て、御獵でござりまするかと聲を掛けた者がある。身なりは家僕の通りで顏は狐であつた。私も御伴を致しませう。今日は奧方にも御許しを得て參りましたと謂ふ。それはよく來た、然らば是を持つてくれいと鐵砲を渡せば、かしこまりましたと擔いて後からついてくる。とある一軒の農家の前に來たとき、暫く休むから其邊の鳥の樣子を見て參れと、自分ばかりさきに入つて腰を掛け、今をかしいものが來るが決して笑ふなよと、家の者によくさう言つて待つて居ると、やがて暫くしてからその狐の下郎が、鐵砲をかついでのこのことやつて來て、どうも雉子は見えませぬといふ。さうか草臥れたらう、先づ休めといふと臺所の端に腰をおろす。家の人々も敢て笑はず、茶を汲んでさし出すと茶よりも水を下されといふので、大きなうつは物に水を盛つて盆に載せて與へた。それを手に取らうとしたまでは化けたつもりで居た狐、水に映つた我顏を見てはつと驚き、椀も盆も取落して飛び上つて遁げてしまひ、あとは一同が腹一ぱい笑ひこけたといふ。
 此話は江戸の一無名氏の隨筆、寓意草といふ書にむつかしい和文で書いてある。」
「同じ寓意草にはつゞけて又斯ういふことが書いてある。その坂川彦左衞門、翌日も又雉子打ちに出かけ、小松の中を押し分けてあるいて居ると、近くの草むらから彦左衞門と呼ぶ者がある。誰ぞと問うても返事が無く、又姿も見えず、「きのふはをかしかつた」とたつた一言、言ひ放して何處かへ行つてしまつた。乃ちかの狐なるべしといふ想像は尤もであるが、合點のいかぬのは化けそこなひの大失敗、さうで無くても世間ではきつと評判するであらう出來ごとを、進んで當の本人がをかしいと承認した心持である。曾て鎌倉の北條泰時の所へ、訴訟に出て來た或寺の坊さんは、段々と相手の述べ立てることを聽いて居て、やがて手を叩いて「あら負けや」と、謂つて譽められたといふ話が殘つて居る。果して狐にも其通り率直で律儀なのがあつて、人と共に自分の不調法を、笑つてしまはうとしたものと考へられて居たのであらうか。もしさうだとすると今日の人とはよほど氣風がちがつて居る。」



同「猫の島」より:

「多くの家畜の中では猫ばかり、毎々主人に背いて自分等の社會を作つて住むといふことが、第一には昔話の昔からの話題であつた。九州では阿蘇郡の猫嶽を始とし、東北は南部鹿角郡の猫山の話まで、いゝぐあひに散布して全國に行はれて居るのは、旅人が道に迷うて猫の國に入り込み、怖ろしい目に遭うて還つて來たといふ奇譚であつた。猫嶽では猫が人間の女のやうな姿をして、大勢聚つて大きな屋敷に住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。」
「中國方面で折々採集せられる例では、この猫の國の澤山の女たちの中に、一人だけ片眼の潰れた女が居た。それが夜中にそつと入つて來て、私は以前御宅に居たトラといふ猫です。爰に居ると命があぶないから、早くお遁げなさいと教へてくれる。(中略)つまりは猫が必ずしも人類の節度に服せず、ともすれば逸脱して獨自の社會を作らうとするものだといふことを、稍〃アニミスチックに解釋して居た名殘とも認められるのである。」



同「どら猫觀察記」より:

「猫が物を言つたといふ話も多い。是も祖母から聽いたのだが、同じ山國で春に入ると、門の通りをゴマメ賣りが振れてあるく。或日靜かにして居ると障子の外で、ゴマメゴマメと謂ふ聲がするが、商人の表を呼ぶ聲よりも小さく又低いので、不思議に思つて障子をあけて見ると、街道は森閑として只縁側に猫がゐるだけであつた。多分ゴマメ賣りが來る毎にゴマメを貰ふので、其聲を覺えて居て眞似て見たのであらうといふ。
 新著聞集の中にも幾つか猫の人語した話を載せて居る。(中略)和尚が風邪を引いて寢て居ると、夜更に次の間に來て聲を掛ける者がある。すると蒲團の裾の方に居た猫が、そつと起き出して外に行き、今夜は方丈樣が病氣だから、一緒に出かけることはむつかしいとさゝやいた。之を寢たふりして聽いて居た住持が、翌朝靜かに其猫に向つて、私には構はずに行きたい處へは行くがよいと言ふと、ふいと出て往つた儘それきり歸つて來なかつた。」




















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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