『定本 柳田國男集 第二十三卷 退讀書歴 老讀書歴 他』 (新裝版)

「私は確かによく人を憎むが、一方には誰よりも多く愛する者をもつて居る。殊に欺き僞らざる少年が好きだ。さうして自分の久しく子供らしかつたことを、今以て後悔する氣にならない。」
(柳田國男 「柳田國男自傳」 より)


『定本 柳田國男集 
第二十三卷 (新裝版)』

退讀書歴 老讀書歴 さゝやかなる昔 他

筑摩書房 
昭和45年4月20日 第1刷発行
595p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 23 (8p):
思い出(古川哲史)/伯父のこと(松岡磐木)/水の緑・地の緑(菊池喜栄治)/さわやかな怒り(岡野弘彦)/一枚の葉書(森荘已池)/次回配本



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「退讀書歴」は、昭和八年七月、書物展望社より初版發行。後昭和二十四年四月、實業之日本社より柳田國男先生著作集第八冊として再刊。」
「○「老讀書歴」は、昭和二十五年一月、實業之日本社より柳田國男先生著作集第九冊として刊行。」
「○「さゝやかなる昔」は、著者が生前、この書物を出版する予定で、整理してあつたものである。」
「○「木曾民謠集」「山郷風物誌」は、はじめ「信州隨筆」に收録されたが、本書に收めた。」



柳田国男集 二十三


内容 (初出):

退讀書歴
 自序
 批評集
  金田一京助著『アイヌ研究』 (大正十四年三月十六日、東京朝日新聞)(原題、「人情の學問」)
  中田千畝著『和尚と小僧』 (昭和二年五月十二日、報知新聞)
  文野白駒著『加無波良夜譚』 (昭和七年三月十八日、東京朝日新聞)(原題、「貴い越後の民話集」)
  岡田蒼溟著『動物界靈異誌』 (昭和二年五月十三日、東京朝日新聞)
  中山太郎著『日本巫女史』 (昭和五年五月二十七日、大阪朝日新聞)
  鷹野彌三郎著『山窩の生活』 (大正十三年十一月十日、東京朝日新聞)
  E・キース著『東側の窓』 (昭和四年十二月十二日、東京朝日新聞)
  矢部鴨北著『千葉縣郷土誌』 (昭和四年四月五日、東京朝日新聞)(原題、「千葉縣郷土誌を讀む」)
  木戸忠太郎著『達磨と其諸相』 (昭和八年三月十七日、東京朝日新聞)
  野口恆重複刻『箋註倭名類聚抄』 (昭和六年十月三十日、東京朝日新聞)
 序跋集
  佐喜眞興英著『女人政治考』 (大正十五年六月、岡書院)
  高木敏雄著『日本神話傳説の研究』 (大正十四年五月、岡書院)
  土橋里木著『甲斐昔話集』 (昭和五年六月、郷土研究社)(原題、「昔話の運搬と整理」)
  佐々木喜善著『聽耳草紙』 (昭和六年一月、三元社)
  高田十郎編『大和の傳説』 (昭和八年一月、大阪史蹟研究會)
  青木純二著『山の傳説』 (昭和五年七月、丁未出版社)
  早川孝太郎編『能見郡民謠集』 (大正十三年十一月、郷土研究社)
  三上永人編『東石見田唄集』 (大正十五年七月、郷土研究社)
  澤田四郎作編『ふるさと』 (昭和六年二月、澤田四郎作)
  伊能嘉矩著『遠野方言誌』 (大正十五年六月、郷土研究社)
  荒垣秀雄著『北飛騨の方言』 (昭和七年三月、刀江書院)
  大田榮太郎編『滋賀縣方言集』 (昭和七年三月、刀江書院)
  桂又三郎著『岡山動植物方言圖譜』 (昭和七年三月、中國民俗學會)
  早川孝太郎著『花祭』 (昭和五年四月、岡書院)
  宮良當壯編『沖繩の人形芝居』 (大正十四年一月、郷土研究社)
  伊能嘉矩著『臺灣文化志』 (昭和三年十月、刀江書院)
  江川俊治著『ハルマヘイラ島生活』 (大正十年六月、南洋協會)
  鈴木覺馬編『嶽南史』 (昭和六年一月、嶽南史刊行會)
  鈴木皷村著『耳の趣味』 (大正二年六月、佐久良書房)
  自編『郷土會記録』 (大正十四年四月、大岡山書店)
 讀書雜記
  偶讀書抄 (昭和二年一月、讀書標 6)
  『耳袋』とその著者 (昭和四年三月、讀書標 29)(原題、「偶讀書抄」)
  百年前の散歩紀行 (明治四十三年四月、文章世界五卷五號)(原題、「百年前の近郊遠足家」)
  一靑年の旅行記 (大正七年三月、同人二十一號)
  霜夜談 (昭和三年三月、農民二卷三號)
   我が燈火
   菅江眞澄
   鶴啼く秋
   雪の野のまぼろし
  讀書懺悔 (昭和二年十二月、全人十七號)(原題、「濫讀の弊」)
  讀書術雜談 (大正十四年十月十一日、十八日、東京朝日新聞)
  新傾向 (昭和四年十月八日、東京朝日新聞)(原題、「讀書界の新傾向」)
  讀物の地方色 (大正十三年十月二十日、東京朝日新聞)
  愛書家の立場から (大正十三年九月八日、東京朝日新聞)
  半暴露文學 (昭和五年八月二十二日、東京朝日新聞)
  婦人雜誌のこと (昭和三年十月、家の光四卷十號)(原題、「改良は困難ではない」)
  熙譚書屋閒話 (昭和六年十二月、書物展望一卷六號)
  雜記 (昭和二年十二月、同三年三月、文車一號、二號)(原題、「熙譚書屋雜記」)
  『日本志篇』に題す (昭和三年九月、巖松堂圖書目録)
  古書保存と郷土 (大正四年五月、典籍一號)
  郷土叢書の話 (大正十五年九月、岩手日報一―十九)

老讀書歴
 自序
 批評集
  鷹野つぎ著『子供と四季』
  中西悟堂著『野禽の中に』 (昭和十六年九月二十九日、東京朝日新聞)
  山階芳麿著『日本の鳥類と其生態』 (昭和十六年八月十一日、東京朝日新聞)(原題、「山階侯爵の業績」)
  小寺融吉著『郷土民謠舞踊辭典』 (昭和十六年九月八日、東京朝日新聞)
  福永恭助・岩倉具實共著『口語辭典』 (昭和十五年二月十四日、東京朝日新聞)
  東條操著『方言と方言學』 (昭和十三年八月十日、大阪朝日新聞)
  小谷方明著『大阪府民具圖録』 (昭和十四年五月、和泉郷土文庫)(原題、「農具の話」)
 序跋集
  田中喜多美著『山村民俗誌』 (昭和八年十一月、一誠社)
  山口貞夫著『地理と民俗』 (昭和十九年八月、生活社)
  楢木範行著『日向馬關田の傳承』 (昭和十二年十二月、鹿兒島民俗研究會)
  江馬三枝子著『飛騨の女たち』 (昭和十七年十二月、三國書房)
  瀬川淸子著『海女記』 (昭和十七年十一月、三國書房)
  能田多代子著『村の女性』 (昭和十八年三月、三國書房)
  大藤ゆき著『兒やらひ』 (昭和十九年五月、三國書房)(原題、「四鳥の別れ」)
  女性民俗學研究會編『女の本』 (昭和二十一年九月、朝日新聞社)
  高田十郎著『隨筆民話』 (昭和十八年三月、桑名文星堂)
  別所梅之助著『地を拓く』 (昭和十七年十月、警醒社)
  福原信三編『武藏野風物』 (昭和十八年一月、靖文社)
  川崎隆章編『岳』 (昭和十八年八月、山と溪谷社)
  松木時彦著『神都百物語』 (昭和七年五月)(原題、「二つの新しい意義がある」)
  辻本好孝著『和州祭禮記』 (昭和十九年三月、天理時報社)
  須山計一・諸田益男共著『信濃の祭』 (昭和二十二年九月、長野縣農業會)
  中山德太郎・靑木重孝共編『佐渡年中行事』 (昭和十三年九月、民間傳承の會)
  日本放送協會編『日本民謠大觀關東篇』 (昭和十八年二月、日本放送協會)
  小笠原謙吉著『紫波郡昔話集』 (昭和十七年十二月、三省堂)
  島袋盛敏譯『遺老説傳』 (昭和十年二月、學藝社)
  水原岩太郎著『備中土面子の圖』 (昭和八年十二月)
  石川縣圖書館協會編『町村誌編纂の栞』 (昭和十三年七月、石川縣圖書館協會)
  岩手縣教育會九戸郡部會編『九戸郡誌』 (昭和十一年十一月、岩手縣教育會九戸郡部會)
  富木友治編『百穗手翰』 (昭和二十年四月、言靈書房)(原題、「平福百穗君と時代」)
  佐藤氏日記『菻澤歳時記』 (昭和十七年一月)
  川口孫治郎著『日本鳥類生態學資料』 (昭和十二年二月、巣林書房)
  小林保祥著『高砂族パイワヌの民藝』 (昭和十九年四月、三國書房)
  柳田國男編『沖繩文化叢説』 (昭和二十二年十二月、中央公論社)
  太田陸郎著『支那習俗』 (昭和十八年十月、三國書房)
 解題集
  帝國文庫『紀行文集』 (昭和五年十月、博文館)
  赤松宗旦著『利根川圖志』 (昭和十三年十一月、岩波書店)
  根岸守信編『耳袋』 (昭和十四年五月、岩波書店)
  横山重編『琉球史料叢書』 (昭和十五年八月、名取書店、内容見本)(原題、「文化史料としての價値」)
  田邊泰・巖谷不二雄共著『琉球建築』 (昭和十二年八月、座右寶刊行會内容見本)
  館柳灣著『林園月令』 (昭和十五年四月、形成五號)(原題、「良書供養」)
 讀書雜記
  書物が多過ぎる (大正六年十一月、中學世界二十卷十四號)
   讀む可き物を讀み盡されぬ淋しさ
   幼かりし日の懷しき思ひ出
   兄を心配させた小説類の濫讀
   讀書の目的を限定する必要
   内容の分らぬ氣取つた標題
   人生は短くして書物甚だ多し
  文庫本について (昭和十年六月十五日、書物新潮一四〇號)(原題、「書物を愛する道」)
  古典の發掘 (昭和二十二年十月、綜合文化一卷四號)

さゝやかなる昔
 さゝやかなる昔 (昭和十六年二月、山崎珉平昔談)
 萩坪翁追懷 (明治四十二年十二月十二日、讀賣新聞)
 國木田獨歩小傳 (昭和二年四月、現代日本文學全集 1、改造社)
 這箇鏡花觀 (大正十四年五月、新小説三十卷五號)
 花袋君の作と生き方 (昭和五年五月十九日~二十一日、東京朝日新聞)
 『東京の三十年』 (昭和二十二年五月、藝林間歩二卷五號)
 重い足踏みの音 
 『破戒』を評す (明治三十九年五月、早稻田文學五)
 蘆花君の『みみずのたはこと』 (昭和三年十月八日、大阪朝日新聞)(原題、「蚯蚓の神秘な歌を聽く度に忘れられぬ唯一つの實録」)
 野鳥と海洋文學 (昭和十五年九月、明治文學九號)
 露伴をしのぶ――大きな世界 (昭和二十二年七月三十一日、東京朝日新聞)
 南方熊楠 (昭和二十五年六月、辰野隆編 「近代日本の教養人」、實業之日本社)
 南方熊楠先生――その生き方と生れつき (昭和二十六年七月、展望六十七號)
 新佛教のことなど (昭和二十五年十一月、「高嶋米峰自敍傳」、學風書院)
 無意識の歴史家 (昭和十三年五月、楚人冠全集月報十二)
 法制局時代の上山氏 (昭和十六年十二月、「上山滿之進」上卷、成武堂)
追思録その他 (昭和十四年六月、「手向草」澤田四郎作)
 境を歩む人 (昭和十三年四月、「佐々木彦一郎遺稿と追憶」、白猫社)
 三條商太郎翁事業推薦書
  申込書
  推薦状
 土の香の思ひ出 (昭和二十六年六月、加賀紫水翁記念誌)
 菅江眞澄のこと (昭和十七年九月)
 少年讀書記 (昭和二年十一月、中央公論四十二卷十一號)(原題、「童時讀書」)
 漱石の猫に出る名――越智東風の由来 (昭和九年三月、週刊朝日二十五卷十二號)
 童心畫卷 (昭和十二年四月、南畫鑑賞六卷四號)
 予が出版事業 (昭和十四年十二月、圖書四十七號)
  竹馬餘事
  萩の古枝
  後狩詞記
  遠野物語
  郷土研究
  甲寅叢書
 芳賀郡と柳田氏 (昭和六年四月、芳賀郡土俗研究會報二卷三號)
  私の信條 (昭和二十六年二月、世界六十二號)
 柳田國男自傳

序跋・批評・自序集
 松浦辰男著『芳宜乃古枝』序 (明治三十八年七月、秀芙舎工場)
 飯島花月著『花月隨筆』序 (昭和八年九月、冨山房)
 『農村信仰誌』序 (昭和十八年七月、六人社)
 井上通泰翁歌集『南天莊集』序 (昭和十八年八月、三國書房)
 『いたどり』第四巻別冊附録「歌及び序」 (昭和二十二年十月)
 『拾椎雜話 稚狹考』序 (昭和二十九年三月、福井縣立圖書館郷土誌懇談會)
 大里武八郎著『鹿角方言考』小序 (昭和二十八年六月、鹿角方言考刊行會)
 木曾教育部會『木曾民謠集』 (昭和十一年九月、信濃教育會木曾部會)
 長尾宏也著『山郷風物誌』 (昭和九年六月、竹村書店)
 新日本風物誌 (昭和二十三年、「北陸路」推薦文)
 二つの新しい用途 (昭和二十六年十一月、東條操著「全國方言辭典」東京堂内容見本)
 淸棲幸保著『鳥類圖鑑』 (昭和二十六年十二月、講談社推薦文)
 爐邊叢書解題 (大正十四年七月、「『島』月刊の計畫及び動機」)
  爐邊叢書序
  爐邊叢書刊行趣旨
  飛騨の鳥 川口孫治郎
  三州横山話 早川孝太郎
  古琉球の政治 伊波普猷
  郷土誌論 柳田國男
  南島説話 佐喜眞興英
  小谷口碑集 小池直太郎
  江刺郡昔話 佐々木喜善
  祭禮と世間 柳田國男
  續飛騨の鳥 川口孫治郎
  熊野民謠集 松本芳夫
  アイヌ神謠集 知里幸惠女
  八重山島民謡誌 喜舎場永珣
  筑紫野民謠集 及川儀右衞門
  相州内郷村話 鈴木重光
  能美郡民謠集 早川孝太郎
  沖繩の人形芝居 宮良當壯
  『島』を公けにする趣意
 『方言と昔 他』解題 (昭和二十五年一月、朝日新聞社)
  『方言と昔』
  『民謠の國』
  『秋風帖』
  『祭禮と世間』
 『祭禮と世間』小序 (大正十一年三月、郷土研究社)
 『菅江眞澄』再版に際して (昭和十七年七月、「菅江眞澄」再版本、創元社)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『退讀書歴』「自序」より:

「今となつてしみじみと感ずることは、書物は一生かゝつても、案外に僅かしか讀めぬものだといふことである。私は一族兄弟の間で、誰よりも多くの暇を持ち、又幼少の時から本は好きであつた。それで居てなほ世人の爲に談り得る所は、寄せ集めてたゞ是ばかりしか無いのである。將來の讀書子が歩み入る文の林は、甞て私たちの跋阿渉したものよりも、遙かに廣漠たる樹海でなければならぬ。そこに一條の正しい道を切りあけようとするには、迷うて戻つて來た柴人の言も栞である。素より群衆のどやどやと行く大通りは別にあるが、私はなほ佇立して鳥語幽かなる、羊腸の徑を指さゝうとして居るのである。」


同「讀書懺悔」より:

「實際をかしいくらゐ自分の讀書生涯は亂雜なものであつた。今思ひだして見ると一人で興味を感ずる位である。私は少年の時には、あんまりいたづらがひどいので、何處かにやつて本を讀ませねばならぬといふので、幸ひに父の友人に中井竹山の門流に屬する藏書家があつて、先代は若死した人だが、短い間に大へん書物を集藏して居たので、そこにわけを話して一年程托されたことがある。今行つてみると家はまだ殘つてゐるが、家の後に土藏風の建物を造つて下を老人の隱居所にし、二階の八疊二間に本を一ぱいおいてあつた。少年だから私だけ、自由にその部屋に入ることを許された。朝入ると晝まで、晝入ると晩まで、呼ばれなければおりて來ない。小さな窓があつて、その窓の下の長持にもたれて立つて本を讀んでゐた。文庫は大部分中井氏の系統の實學風の經濟や文學書であつたけれども、その中に氣まぐれなものが澤山入つてゐる。例へば江戸の合卷草紙が何百冊と入つてゐる。極く通俗な隨筆類とか、それから歌謠類とか、非常に完全な謠曲集などもあつた。それを少しも指導者なしにでたらめに讀んでゐる。時々主人が來て、また小説を讀んでゐるのではないかなといふが、そんな時には大てい小説を讀んでゐる。そんなことでは二階には上らせないと言はれたが、あんなに色々な本の中に一人おかれたのでは、目うつりしてそんなものゝ他讀めるものでない。儒書とか經書とかは長持にもたれながらは讀めない。わづか一年ばかりの間であつたが、一生煩はされてゐる雜學風の基礎はその間に作られてしまつた。
 ところが滑稽なことには、同じやうな機會が、またやつて來た。それから一ぺん家に歸つてゐたが、十三の秋に兄につれられて茨城縣に移住してしまつた。兄も醫者で、極く邊鄙なある農村の、主人の若死した醫者の家を借宅して開業した。當主は當時は中學生で家に居らず、婆さんが一人小さい孫を世話して留守番をしてゐた。これは家をたてゝから四代目といふことであつたが、先代は珍らしい藏書家で、土藏の二階が悉く本であつた。どんな風に話合ひをつけたのだつたか忘れたけれども、土用干の手傳か何かをしたのが初めで、後には藏の中へ、藏さへ開いてゐれば何時でも入ることを公認されてゐた。いたづらさへしなければ捨てつぽかしにされてゐたが、こゝには蒐集者が儒者でなかつたゝめに、非常に雜駁な、また少年のためによくない書物も交つてゐた。それから格別學問の盛でもない田舎であつたのに、をかしなことには近くにもう一軒、書物の多くある家があつた。此處にも時々行つて本を讀むことを許されてゐたが、そこには少年に惡い本が可なりあつた。大へん不必要な、世間とは縁のうすい知識をこの時得てしまつた。一つには自分の體が弱くて正式の學校に行かれなかつたので、時間の餘裕が可なりあつた點もある。」



同「讀物の地方色」より:

「近頃のことでは無かつたが、いやに法律の通俗略解と云ふ類の紙表紙ばかりが、往來近くに飛出して居る町もあつた。又は學校の教科書類の半紙本以外には、玩具との中間に位する幼年雜誌が、獨り目に立つ店もあつた。雜誌類の色なぞも、澤山を集めて見ると自然に一定の調子があつて、愛用者の成長するに從つて、配合がじみになることは、園中の花木が春闌け夏に入るにつれて、桃色から黄になり白になつて行くのと、同じやうな趣きであつた。
 又秋の終りに林の奧に入つて見る時のやうな、深い赭(あか)に交つた靑綠、或は其葉隱れに木通(あけび)の實などの、重くるしい紫色が覗いて居るのは、一時淺草物などと呼ばれた探偵小説や講談物、武勇譚の類の石版繪の表紙で、昔話はすきでももう語り手を失つた冬の村に於て、新たに物識りを産出しようとする傾向を物語るものであつたと思ふ。」



『老讀書歴』「書物が多過ぎる」より:

「書物との因縁は最初から隨分深かつた。世の中に目が開いた時は、自分の家は既に澤山の書物の散ばつて居る家であつた。その時代の事を考へると、まづ心に浮ぶのは、明治の初年に專ら流行した、黑や黄色のよく光る表紙の色である。西南戰爭の前後に出來た本は一種特別の臭ひがあつた。今日書庫の奧で嗅ぎつける黴びた楮の繊維が濕つては乾いた、あのにほひでもなければ、古本屋の店先でよく感ずる埃の香でも無く、初期の洋紙に一種の印刷インキの浸み入つた、餘り快い香では無いが、年代が經つて見ると懷しい臭ひである。今になつて考へて見ると、あの頃は既に、昔に較べて非常に出版が容易になつてゐた時代であつたらしい。或商人は銅版の印刷を始めて人氣を惹いた。活字も年を逐うて氣の利いたものに變つて行つた。袖珍と稱する量の低い複刻本がドシドシと出たのもこの時代であつた。それをかの光つた黄や紺の表紙で裝釘したものである。全體に鼠色の調子の寛政前後の書物、それよりいま一段昔の黑い調子の書物などに比べて、嫌な色だが確かに新しい感じを與へたに違ひない。幼少な自分等も、土用干しの日にこの臭ひを嗅いで、ボンヤリと學問は斯ういふ臭ひのものゝやうに感じて居たのであつた。」

「今日と異なつて、少年が小説類を讀む事は餘程忌はしい事に考へられて居た。それ故に二番目の兄などが大に心配して、幸便のある毎に歌集や國學者の隨筆などを澤山送つて來て、小説さへ讀まなければまだいくらでも貸してやるといふ傳言などもあつたが、結局はそれも讀みこれも讀みで、最も惡い濫讀の癖は腹の底まで滲み込んで了つた。」

「處が不思議な事が一つ起つた。少年の頃から好きであつた旅行と讀書とが、或時ふと結び付いたやうな時があつた。江戸時代の隱れたる地方學者が、心血を絞つて蒐集して置いた昔の記事が、旅行する度に面白くなるやうに感ぜられた。それを助けて呉れたのが陸地測量部の五萬分の一の地圖である。自分はこれに依つて、色鉛筆をステッキにして、暇さへあれば地圖旅行をして居た。」



『さゝやかなる昔』「這箇鏡花觀」より:

「昔も今のやうに、鏡花はとかく文林の異彩であつた。世の所謂鏡花好みは、全く先生自身の創造であつて、あのと指して型に採つた、時代と云ふものがなかつたのである。即ち時代を超脱して居たが故に老いもせず、且つ其夢は自在に美しかつたので、物に譬ふれば男鹿(をが)津輕の北の山々に、春闌(た)けて出現すと云ふ狐館(きつねだて)などの如く、かねて一處の土に基礎を置かぬから、或時は近づいて却つて遠く、或時は飜つて今越えた岡の辻に、搖曳と靡き横たはり、永く日本の小さきドンキホーテをして、魂を消し情を傷ましめ來つたのである。是はそも何等の術、何等の天分の然らしむる所なるか。誠にロマンチックの先途も是までであつて、我が鏡花にして始めて其境を得たのである。
 仍て惟みるに鏡花はそれ時代の精、かりそめに形を塵の世に示現するものではあるまいか。」

「實際鏡花に導かれて行くと、こんな現代にもまだ詩があるかと心付く。疲れて彳む衢の人のまぼろしにも、遠い古代の物思ひが、折々は來り通うて居ることを感ぜしめる。生活苦必ずしも凡庸ならず、流轉の歎きも時あつて散漫ならず、かのションガエの古曲が汐路山阪を越えて、海の果谷の底にも口ずさまれた如くに、次の世の人の胸に痕を留めてから、消えて行かうとするのかと思はれる。明治も大正も先生の鑑賞に從へば、たゞ一續の縹渺たるものゝ片端であつた故に、其間に浮動する無名多數の生存の如きも、心掛け次第乃至は福分次第、夢の蝴蝶のやうに醜惡から解脱して、戀でも富でも無制限にやさしく美しく、血は錦繍に滴り、花はとこしへに淸流に沿うて飛ぶと言ふ境涯ばかり、見て暮せると考へる者が、御蔭で少しづつは今でも居る。さうとは本人御存知なくても、當時の文化を斯程までに、豐麗ならしめたファンタジーの水上には、この鏡花の靑い花が、寂寞として咲いて居たのである。」



同「花袋君の作と生き方」より:

「昨晩も舊友達の寄合の席で君は田山君のどの作が一番に、頭に殘つて居ますかと島崎氏から聞かれたが、私はやはり「重右衞門の最後」と答へざるを得なかつた。(中略)花袋を有名ならしめた中期のもつとも油の乘つた幾つかの作品に對しては、私は必ずしも雷同しなかつたのみならず、寧ろ内心の不滿を隱すのに骨が折れた。殊に「蒲團」に至つては、末にはその批評を讀むのさへいやであつた。」


同「『東京の三十年』より:

「小山内薰君はあの時分まだ本たうの新進であつて、あらい木綿がすりの羽織を着て居た。この人は眉山とは入れちがひに、武林の友人として龍土會の方へ出席し始めた。(中略)ところが或時食事のなかばで、小島といふ同席の靑年が、怖ろしく烈しい見幕で彼を痛罵したことがある。小山内は默つて蒼い顏をして一言も返答をしなかつた。それが何だか氣の毒でたまらぬので、私は奮然として一人立つて抗議をし、うんと小島をやつつけたつもりだつたのだが、歸りに田山君が二人切りになつてから私にさゝやいた。あれは女の事なんだよ。詳しく話を聽いたら、君なんかの同情の出來る事件ぢやないんだよと謂つた。(中略)私はあの無口な純情家の田山君が、是でも私よりは浮世のさまざまには通じて居る。流石は小説家だなと竊かに敬意を表したのであつた。この以外にも、聽くのがいやだと思ふやうな内側のもつれが、斯ういふ仲間には幾つかあつて、酒を飲むものだからそれが時折は一端をこの集まりに顯はした。聽けばすつかり知りたいやうな氣持が私にもあり、そんな事をして居る餘裕も無いので、自然に私はこの有名な會合から、疎遠になることを制し得られなかつた。」


同「南方熊楠先生」より:

「日本にも南方先生みたいな人があるといふのが正しいか、日本なればこそ南方先生のやうな人が出たといつてよいかこれはゆつくり考へたいと思ふのであります。(中略)非常に程度の差をもつて、同じ傾向をもつた人が昔は日本にずゐぶんあつたと思ひます。素盞嗚尊をはじめとして、日本には小規模には現れてをるのであります。」

「どのくらゐまで先生は人を驚かせるために大きなことをいはれ、猥褻なことをいはれて人の氣持をひきつけようとされたのか、どういふところまでが先生のほんたうの心の惱みであり、もしくは巨人が縛られたやうな状態の苦しみであつたかといふことをまづもつて知りたい。少しでも先生の身體に繩がかかつてゐるのであるならば、急いでその繩を切りにゆかなければならないのであります。今後現れてくる第二、第三の南方に對しては、初めからさういふ繩をかけないやうにしなければならない。」

「私はまだ今日凡人には出來ない問題が非常にあることを感じ、尋常なる人のよつてたかつて成し遂げることだけに安心してまかして置けない。昔三十しかなかつたところの粘菌が百何十種に増加したことは大きなことであります。南方先生をさういふことの出來ないやうにしてしまつた、世の中は後悔していゝと思ひます。これから先もあります。」


































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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