『中島敦全集 1』 (ちくま文庫)

「海越えてエチオピアより来しといふこのライオンも眠りたりけり」
「アセチリンの光圏(くわうけん)の中に一本のつり糸垂れて下は夜の海」

(中島敦)


『中島敦全集 1』
光と風と夢 斗南先生 古譚 ほか
ちくま文庫 な-14-1 

筑摩書房 
1993年1月21日 第1刷発行
488p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,000円(本体971円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 土方久功「島の伊達少年」



「編集付記」より:

「一、作品は著者生前刊行の作品集の形に準拠して配列した。
一、決定版『中島敦全集』未収録の書簡を新たに収める他、習作、遺稿、歌稿、日記等を収録し、著者の全貌が見られるように集成した。
一、本文には新漢字・新仮名づかいを採用した。また、ルビを多く付して読みやすさを配慮した。
一、東西古今、多方面にわたる人名、故事、難語句には小口注を付して鑑賞の資とした。」



本書「解題」より:

「中島敦が生前、みずから目を通して刊行した作品集は次の二冊である。
 『光と風と夢』(昭和十七年七月十五日、筑摩書房)
 『南島譚』(「新鋭文学選集 2」昭和十七年十一月十五日、今日の問題社)」
「この全集では右の二冊を生かして構成するかたちをとった。従って、第一巻では「古譚」(四編)から「光と風と夢」までの作品が、その配列も含めて生前の単行本『光と風と夢』のかたちをとり、それに〔習作〕〔歌稿、その他〕を付したものである。」



著者肖像写真1点。


中島敦全集 一


帯文:

「新編集・オリジナル文庫版全集
一条の光芒……。「光と風と夢」「古譚」「斗南先生」「虎狩」他、習作・歌稿・漢詩・訳詩を収載。」



目次:

古譚
 狐憑
 木乃伊
 山月記
 文字禍
斗南先生
虎狩
光と風と夢

〔習作〕
 下田の女
 ある生活
 喧嘩
 蕨・竹・老人
 巡査の居る風景 
 D市七月叙景(一)

〔歌稿 その他〕
 和歌でない歌
 河馬
 Miscellany
 霧・ワルツ・ぎんがみ
 Mes Virtuoses (My Virtuosi)
 朱塔
 小笠原紀行
 漢詩
 訳詞

解説 (酒見賢一)
解題 (勝又浩)




◆本書より◆


「狐憑」より:

「ネウリ部落のシャクに憑(つ)きものがしたという評判である。色々なものが此(こ)の男にのり移るのだそうだ。鷹(たか)だの獺(かわうそ)だのの霊が哀れなシャクにのり移って、不思議な言葉を吐かせるということである。」

「今迄にも憑(つ)きもののした男や女はあったが、斯(こ)んなに種々雑多なものが一人の人間にのり移った例(ためし)はない。或時は、此の部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉(こい)がシャクの口を仮(か)りて、鱗族(いろくず)達の生活の哀しさと楽しさとを語った。或時は、トオラス山の隼(はやぶさ)が、湖と草原と山脈と、又その向うの鏡の如き湖との雄大な眺望について語った。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢(うえ)に悩みながら一晩中凍(い)てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。」

「憑きものは落ちたが、(中略)働きもせず、さりとて、物語をするでもなく、シャクは毎日ぼんやり湖を眺めて暮らした。」



「木乃伊」より:

「前世の自分が、或る薄暗い小室の中で、一つの木乃伊と向い合って立っている。おののきつつ、前世の自分は、其の木乃伊が前々世の己(おのれ)の身体であることを確認せねばならない。今と同じような薄暗さ、うすら冷たさ、埃(ほこり)っぽい におい の中で、前世の己は、忽然(こつぜん)と、前々世の己の生活を思出す……
 彼はぞっとした。一体どうしたことだ。この恐ろしい一致は。怯(おそ)れずに尚仔細に観るならば、前世に喚起した、その前々世の記憶の中に、恐らくは、前々々世の己の同じ姿を見るのではなかろうか。合せ鏡のように、無限に内に畳まれて行く不気味な記憶の連続が、無限に――目くるめくばかり無限に続いているのではないか?」



「山月記」より:

「今迄は、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、此の間ひょいと気が付いて見たら、己(おれ)はどうして以前、人間だったのかと考えていた。」
「一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己は しあわせ になれるだろう。」



「文字禍」より:

「その中に、おかしな事が起った。一つの文字を長く見詰めている中に、何時(いつ)しか其の文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、何故、そういう音とそういう意味とを有(も)つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。老儒(ろうじゅ)ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めて此の不思議な事実を発見して、驚いた。(中略)彼は眼から鱗(うろこ)の落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここ迄思い到った時、老博士は躊躇(ためらい)なく、文字の霊の存在を認めた。魂によって統(す)べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊が之を統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有つことが出来ようか。
 この発見を手初めに、今迄知られなかった文字の霊の性質が次第に少しずつ判って来た。文字の精霊の数は、地上の事物の数程多い、文字の精は野鼠のように仔(こ)を産んで殖(ふ)える。
 ナブ・アヘ・エリバはニネヴェの街中を歩き廻って、最近に文字を覚えた人々をつかまえては、根気よく一々尋ねた。文字を知る以前に比べて、何か変ったような所はないかと。之(これ)によって文字の霊の人間に対する作用(はたらき)を明らかにしようというのである。さて、斯(こ)うして、おかしな統計が出来上った。それに依(よ)れば、文字を覚えてから急に蝨(しらみ)を捕(と)るのが下手(へた)になった者、眼に埃(ほこり)が余計にはいるようになった者、今迄良く見えた空の鷲(わし)の姿が見えなくなった者、空の色が以前程碧(あお)くなくなったという者などが、圧倒的に多い。「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ喰イアラスコト、猶(なお)、蛆虫(うじむし)ガ胡桃(くるみ)ノ固(かた)キ殻ヲ穿(うが)チテ、中ノ実ヲ巧(たくみ)ニ喰イツクスガ如シ」と、ナブ・アヘ・エリバは、新しい粘土の備忘録に誌(しる)した。」
「しかし、ナブ・アヘ・エリバは最後に斯う書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺(まひ)セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」

「ナブ・アヘ・エリバは、或る書物狂の老人を知っている。其の老人は、博学なナブ・アヘ・エリバよりも更に博学である。彼は、スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく、紙草(パピルス)や羊皮紙(ようひし)に誌された埃及文字まですらすらと読む。凡(およ)そ文字になった古代のことで、彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王の治世第何年目の何月何日の天候まで知っている。しかし、今日の天気は晴か曇か気が付かない。彼は、少女サビツがギルガメシュを慰めた言葉をも諳(そら)んじている。しかし、息子をなくした隣人を何と言って慰めてよいか、知らない。彼は、アダッド・ニラリ王の后(きさき)、サンムラマットがどんな衣裳を好んだかも知っている。しかし、彼自身が今どんな衣服を着ているか、まるで気が付いていない。」



「光と風と夢」より:

「彼は殆ど本能的に「自分は自分が思っている程、自分ではないこと」を知っていた。それから、「頭は間違うことがあっても、血は間違わないものであること。仮令(たとえ)一見して間違ったように見えても、結局は、それが真の自己にとって最も忠実且つ賢明なコースをとらせているのであること。」「我々の中にある我々の知らないものは、我々以上に賢いのだということ」を知っていた。そうして、自らの生活の設計に際しては、其の唯一の道――我々より賢いものの導いて呉れる其の唯一の途を、最も忠実、勤勉に歩むことにのみ全力を払い、他の一切は之(これ)を棄てて顧みなかった。俗衆の嘲罵(ちょうば)や父母の悲嘆をよそに、彼は此(こ)の生き方を、少年時代から死の瞬間に至るまで続けた。」




こちらもご参照下さい:

『中島敦全集 2』 (ちくま文庫)
Mircea Eliade 『Occultism, Witchcraft, and Cultural Fashions』
ホフマンスタール 『チャンドス卿の手紙|アンドレアス』 (川村二郎 訳)
ボルヘス 『伝奇集』 篠田一士 訳 (ラテン・アメリカの文学)


























































































































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