メルヴィル 『ビリー・バッド』 坂下昇 訳 (岩波文庫)

「あばよ、なつかしの『人間の権利』よ!」
(メルヴィル 『ビリー・バッド』 より)


メルヴィル 
『ビリー・バッド』 
坂下昇 訳

岩波文庫 赤/32-308-4 

岩波書店
1976年1月16日 第1刷発行
1996年9月17日 第5刷発行
237p
文庫判 並装 カバー
定価520円(本体505円)



Herman Melville: Billy Budd, Sailor, posthumous
「あとがき」に「追記」(1989年2月)があります。


メルヴィル ビリーバッド


カバー文:

「ある日突然、商船「人権号」から軍艦「軍神号」へ強制徴募された清純無垢の水夫ビリー・バッド。その彼が、不条理で抗いがたい宿命の糸にたぐられて、やがて古参兵曹長を撲殺、軍法会議に付され、死刑に処されようとは……。孤絶のなかで沈痛な思索の火を絶やさなかった『白鯨』の作者メルヴィル(1819-91)の遺作。」


内容:

ビリー・バッド(遺稿)
 1~30

付録A
 序文
付録B
 ある挿話――弁護士、専門家、聖職者

訳注
あとがき




◆本書より◆


「1」より:

「ここに登場する、青い目をしたビリー・バッド、またの名を『赤ん坊の蕾(ベイビー・バッド)』(中略)彼もまた、このような万人賞賛の的だった。」

「たれひとりとして、人もわれも認める親類縁者を持たぬという人間がいるものではない。そこへゆくと、ビリーについては、やがてこの物語が明らかにするように、彼に家族というものがあったとしても、それは彼一人(いちにん)のなかにくるまれていたのだ。」



「2」より:

「そうなのだ。ビリー・バッドは棄て子だったのだ。恐らくは、私生児だったのでもあろう。それも、紛れもなく、賤しからぬ人の落とし胤(だね)だったのでもあろう。彼の面差しには、貴種の家系譜がありありと見えていた。」
「他の特徴はというに、機転の鋭さはほとんど、いや全然なかったし、蛇の狡猾(さかしら)の気配はみじんもないが、だからといって、知慧なくして柔和だといわれる鳩だというのでもない。知性もあるにはあるが、その知性とても、しばしば質実な人間性の人に見受けられるように、因襲に捉われない廉直の心と同居しているような程度と種類の知性なのだ。さらに、ここにいう質実な人間性とは、知慧の林檎という、あのいまだに不可解な堕罪の誘惑にかかる以前、原初びとがもっていた人間性のことだ。彼は無学もんだったし、文盲だった。文字を読むことは知らなかったが、歌を唄うことは知っていた。そして、無学もんの夜啼き鳥(ナイチンゲール)がいつもそうであるように、彼もまたじぶんの歌の作曲家であった。
 我(が)の意識ということになったら、ビリーはほとんど、いや、全然持っていないかに見えた。」

「自然の資質のうえに、生まれついての境涯も手伝ってか、ビリーは、多くの点で、いうなれば高貴な野蛮人と選ぶところはなかった。」
「わたしたちの時代の、キリスト教国の首都にも、稀にはこうした原初の性のままの継承者が姿を現わし、虚ろな目をして町を彷徨していることがある。一世を騒がせた森の自然児、キャスパー・ハウザーなどは、こうした えにし の一人だったのだろう。」

「わが『花の水兵』には、(中略)ただひとつだけ、心残りな点があった。(中略)どうかすると、言語障害を起す癖があったのだ。(中略)いや、ほんとうは、多かれ少かれ、吃りになってしまい、もっとひどい発作にまで嵩ずることがある。」



「11」より:

「ここで、因果律というものを考えてみたい。因(いん)とは必然的に事実に還元可能な唯一の因(いん)だと仮定されるのだから、従って、因には、事実のもつ現実性のゆえに、『神秘性』という名の超絶的相(そう)がうんとはいってくるのもまたやむをえない。ラドクリフ女史の怪奇小説(ロマンス)の根源の要素もこんな神秘性なのだし、彼女が鬼才を発揮した傑作、『ユードルフォの神秘』は、そうした人生の超絶相でいっぱいだ。この『死ぬる者』人間の世界には、時たま例外的人間がいて、他の死ぬる者人間の相(そう)を見ただけで、先験的な、深遠な対立感情を呼び起される。相手がじぶんにはいくら無害だろうが、その無害だということ自体が悪感情を生む――こういう風にでも解さない限り、これ以上の神秘性をおびた感情もないものだ。」
「だが、通常の性(さが)の人間が、クラッガートを適切に理解するためには、以上のような暗示だけではとても無理だ。通常の性から、彼のような性に還相してゆくためには、『中間のゼロ地帯』を越えてゆかねばならない。」

「つまり、そんな人間は、均衡のとれた気質と、分別のゆきとどいた振舞いをしていて、精神はいかにも殊勝げに、理性法則に合致しているかのように見える。だが、心は依然として理性法則から完全に離脱して、狂乱しているとしか思えない。(中略)言い換えるならば、目的達成のためだといって、飽くなき残虐行為に走れば、狂気の色調をおびてくるものでも、彼はそうはしないで、冷静な判断力を、聡明に、かつ、着実に駆使することによって、目的の達成をはかろうとするわけだ。」
「さて、クラッガートがどこかこれに似たような人間だった。彼の内なるところには、悪に根ざす狂躁病が宿されていた。しかも、この悪の根源は、彼が異端邪宗の教えを受けたせいでもなく、堕落した本を読んだせいでもなく、淫蕩な生活をしてきたからでもなく、生まれながらにして備わったもので、無為の本性だったのだ。つまり、プラトンのいう「自然の性に合致した堕罪」だったのだ。」



「12」より:

「ビリー・バッドの内なるところに具現されていた道徳的特異現象を最も知的に理解する力があったのは、この武器係り兵曹長ただひとりだったのではあるまいか?(中略)その彼だって、審美者の立場に立ち戻れば、清浄のもつ魅力、清浄のもつ凜然として、のどかな無為の気質をよく理解しえたのだし、じぶんでもよろこんでその一部にあやかりたいと思ったのだ。だが、それがかなわぬと知って、絶望してしまったのだ。
 おのれの内なるところにある原初の悪を滅ぼす力はないのに、悪を隠す気持は人に劣らない――善を知る力はあるのに、わが身が善を行う力はない――クラッガートの性が、もしもそういうものだったとしたら、(中略)もはや残された道はひとつしかない。おのれの本性にとぐろを巻いて居直り、割当てられた舞台の役を、とことんまで演ずるだけだ。そして、この道は、蠍(さそり)の道だ。だが、これとても、ひとえに創造の神の責任にほかならない。」



「16」より:

「船乗りは率直であり、陸人種は手管(てくだ)だ。船乗りにとって、人生は遊戯(ゲーム)ではない。さきのことを読む長頭(ながあたま)なんか要るものでない。人生とは、複雑怪奇なチェスのゲームで、歩を動かすにも、直截に拠ることなく、王手を攻めるにも迂遠法に拠る――なんて理窟は船乗りのあずかり知らぬところだ。(中略)なんとひがごとの多い、退屈で、不毛の遊戯であることよ、人生とは!」


「17」より:

「そのときのクラッガートは、まさしく、『悲しみの人』に見えた。そうなのだ。そして、おりにふれては、この憂鬱症の表情に、ほんのりと憧れの風情(ふぜい)まで加わることがある。この風情は、運命と疎外(そがい)の業(ごう)さえなかったら、クラッガートとても、ビリーを愛することができたろうに、といわんばかりなのだ。」


「21」より:

「虹をみて、どこですみれの色調が終わり、どこでオリーブの色彩が始まるか、転移の境界線を引きうるひとがあろうか? わたしらの目には、基調の違いは明らかに見える。なのに、はじめの色がしだいに融合し、いつしか次の色に転化してゆく境界は、正確にはどこにあるのか? 正気と狂気についても、同じことがいえよう。」

「『軍神』艦上で発生した事件の因果関係に揺曳している縁(えにし)の糸にしてもそうなのだが、事件を公式に裁定するための規範であるところの戦時刑法の精神に照らしても、クラッガートとバッドという二人格を通じて化身(けしん)された清浄と罪悪の立場が、結果においては、入れ替わっていた。法的に解すれば、悲劇の外見上の被害者は、一点の穢れもない人の子を生贄(いけにえ)にしようと企らんだ人間のほうだったし、その穢れなき人の子が犯した行為は、まさしく議論の余地もないもので、軍紀に照らせば、軍事犯罪中の極悪犯を構成するものだったのだ。」

「「ぼくは兵曹長に対し、悪意を抱いたことはいちどもありません。あの人が死んでしまって、すまないと思います。もしも舌を使うことができたら、ぼくはあの人をぶったりしなかったでしょう。だけど、あの人はぼくの面に向って、そして、艦長のおられるところで、汚いウソをつきました。ぼくはなにかをいわねばならないと思ったのですが、ぶつことでしか言うことができなかったのです。」」



「24」より:

「わが聖の司祭がビリー・バッドに向って、おまえは召されて死ぬる身なのだ、それも、夜が明けるとすぐなのだと、いくら神のみくにの善知識を授けようとしたところで、所詮(しょせん)、無駄なことだった。なるほど、死の話をしてやると、そうですね、ぼくの死は目の前に迫っているのですね、といかにもきままに語ってみせるのだが、その話しかたは、まるで子供が面白半分に死について語っているようなもので、(中略)葬式ごっこをしているようなものだった。
 だからといって、現実に死とはなんぞやについて、ビリーが子供も同然な認識不足だったといっているのではない。それは違う。死に対する非合理な恐怖観念が彼には全的に欠けていた、という意味なのだ。いったい、この種の非合理の恐怖観念は、高度文明化された社会に遥かに多く流通しているようである。これに比べて、あらゆる点で、堕罪以前の『原初』にもっと近いはずの、いわゆる野蛮未開のあいだではそれほどでもない。それに、どこかでも書いた通り、ビリーは根源的には野蛮人だったのだ――」


























































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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