『定本 柳田國男集 第十卷 先祖の話 日本の祭 他』 (新裝版)

『定本 柳田國男集 
第十卷 (新裝版)』

先祖の話 日本の祭 神道と民俗學 祭禮と世間 他

筑摩書房 
昭和44年3月20日 第1刷発行
501p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 10 (8p):
柳田さんと朝日新聞(荒垣秀雄)/柳田先生の学風(古野清人)/京大と柳田先生(柴田實)/柳田先生(佐多稲子)/先生の先生(伊馬春部)/次回配本/図版(モノクロ)3点



本書「あとがき」より:

「○「先祖の話」は、昭和二十年四月から五月末まで、第二次大戦の末期に書きおろした原稿である。
○「日本の祭」は、昭和十六年七月から七囘に亙り、東京帝國大學全學教養部教養特殊講義で講演した原稿に筆を加えたものである。
○「神道と民俗學」は、昭和十六年七月五日、神社精神文化研究所の第一學期例會の講演筆記を補足加筆して、一冊にまとめたものである。
○「祭禮と世間」は、大正八年五月二日から十九日まで十六囘に亙り、東京朝日新聞に連載。後大正十一年三月、爐邊叢書の一冊として、郷土研究社より刊行。」」



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 十


内容 (初出):

先祖の話 (昭和二十一年四月、筑摩書房)
 自序
 一 二通りの解釋
 二 小さな一つの實例
 三 家の初代
 四 御先祖になる
 五 相續制と二種の分家
 六 隱居と部屋
 七 今と昔のちがひ
 八 先祖の心づかひ
 九 武家繁榮の實情
 一〇 遠國分家
 一一 家督の重要性
 一二 家の傳統
 一三 まきと親類と
 一四 まきの結合力
 一五 めでたい日
 一六 門明け・門開き
 一七 卷うち年始の起原
 一八 年の神は家の神
 一九 年棚と明きの方
 二〇 神の御やしなひ
 二一 盆と正月との類似
 二二 歳德神の御姿
 二三 先祖祭の觀念
 二四 先祖祭の期日
 二五 先祖正月
 二六 親神の社
 二七 ほとけの正月
 二八 御齋日
 二九 四月の先祖祭
 三〇 田の神と山の神
 三一 暮の魂祭
 三二 先祖祭と水
 三三 みたまの飯
 三四 箸と握飯の形
 三五 みたま思想の變化
 三六 あら年とあら御魂
 三七 精靈とみたま
 三八 幽靈と亡魂
 三九 三種の精靈
 四〇 柿の葉と蓮の葉
 四一 常設の魂棚
 四二 佛壇といふ名稱
 四三 盆とほかひ
 四四 ほかひと祭との差
 四五 瓫も行器
 四六 ホトケの語源
 四七 色々のホトケ
 四八 祭具と祭式
 四九 祭られざる靈
 五〇 新式盆祭の特徴
 五一 三十三年目
 五二 家々のみたま棚
 五三 靈神のこと
 五四 祭場點定の方式
 五五 村の氏神
 五六 墓所は祭場
 五七 祖靈を孤獨にする
 五八 無意識の傳承
 五九 このあかり
 六〇 小兒の言葉として
 六一 自然の體驗
 六二 黄泉思想なるもの
 六三 魂昇魄降説
 六四 死の親しさ
 六五 あの世とこの世
 六六 歸る山
 六七 卯月八日
 六八 さいの川原
 六九 あの世へ行く路
 七〇 はふりの目的
 七一 二つの世の境目
 七二 神降しの歌
 七三 神を負うて來る人
 七四 魂を招く日
 七五 最後の一念
 七六 願ほどき
 七七 生まれ替り
 七八 家と小兒
 七九 魂の若返り
 八〇 七生報國
 八一 二つの實際問題

日本の祭 (昭和十七年十一月、弘文堂書房)
 自序
 學生生活と祭
 祭から祭禮へ
 祭場の標示
 物忌と精進
 神幸と神態
 供物と神主
 參詣と參拜

神道と民俗學 (昭和十八年四月、明世堂書店)
 自序
 神道と民俗學

祭禮と世間 (大正八年、東京朝日新聞)
 小序
 祭禮と世間

神道私見 (大正七年一月・二月、丁酉倫理會倫理講演集一八五・一八六)
神社のこと (昭和二十五年六月、民俗學研究第一輯)
人を神に祀る風習 (大正十五年十一月、民族二卷一號)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『日本の祭』「參詣と參拜」より:

「最後に是は民俗學の範圍外であるが、日本の祭を考へて見ようとする諸君に、此ついでを以て語つて置きたいことが一つある。諸君の境涯は、前人のあらゆる好き經驗を習得し、久しく世に隱れて居た法則の發見から、最初の恩惠を受けるのみならず、更に人生の今後の變化に就ても、最も確實に近い見透しを付ける術を學ぶことを許されて居る。假に寸分の迷ひも誤りも無しに、今から一生の計畫を立てゝ進まうとする人が、この中に有つたとしてもそれは少しも意外で無い。寧ろさうあるべきを私も期待して居る。しかし其技術を公有とし、乃至同胞の誰にでも傳授し得るものとせぬ限りは、まだまだ諸君と同じ條件に惠まれない者が、ちがつた科學以外の方式によつて、その生活上の不安を處理しようとするのを、輕蔑する權利などは無い。少なくとも是を普通とする根本の考へ方を、あらまし理解した上でないと、批評をしたつもりでも實は批評にはなつて居ないのである。」

「諸君の如き次の代の有識者に向つて私の説きたいことは、現在も國民の恐らく三分の二以上、以前はほゞ其全數を擧げて、めいめいに所屬の神を祭つて居た。さうして一定の方式を守ることによつて、無言の祈請の必ず聽受せられることを信賴し、心の平和を保ち得たのである。この事實だけはとにかくに認めなければならぬ。前章にも一たび説いたやうに、參拜の參はもと參列の意であつた。マヰルは即ち祭の庭に侍坐することであつて、さういふ人々の中には素より精進潔齋をせぬ者などは居なかつた。參る用意が無く又は其資格を缺く者が、憚つて出て來ぬのも謹愼であり、崇敬の一つの形でもあつた。それが此頃になると人の氣持は變つて、たとへ觸穢があり鳥居をくゞることの許されぬやうな者でも、立ち止つて帽を取り拜をして行かぬと、彼奴非禮といふことになりさうなのである。」



「神道と民俗學」より:

「祭場には別に點定せられた御旅所に於てゞなく、頭屋と稱する常民の家を以て充てる例は、是も列擧がしにくいほど方々にあります。」
「頭屋に神を御迎へ申す儀式には、現在は無數の變化が出來て居ります。」
「第二の樣式の、是が最も普通の如く見られて居るものは、愈〃祭の期日が到來して、頭屋の用意が完成し、頭人夫婦親子の物忌が徹底した時に、始めて神の來臨を御迎へ申す例であります。是にも明らかに二通りの差別があつて、一つは祭の日の前夜又は前々夜に、神職その他の僅かな者が御伴をして、御宮から直接に、もしくはある一定の場處を通つて、設けられた祭場に御入りになるもので、式は多くは眞夜中に行はれ、今謂ふ神の御幸とは殆と正反對に、たゞの氏子の路に出て拜むことさへ禁止するものが有りました。丹後のある海岸の村の話として私の聞きましたのは、この御通りに行き逢ふ者は死ぬといふ言ひ傳へが、まだ信じられて居たにも拘らず、生き惱んだ老人などの、わざと路傍に出て立つ者があり、それが又きまつて次の年の祭までに、世を去つたといふことであります。人の知らない愁ひは有るもので、あの人までが出て居るのかと、嗟歎するやうなことが折々あつたといふのは、誠に哀れな話でありました。」






























































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