色川武大 『狂人日記』

「とにかく自分は、ただの気狂いです。それ以外のことを主張する気はありません」
(色川武大 『狂人日記』 より)


色川武大 
『狂人日記』


福武書店
1988年10月15日 第1刷発行
1989年4月28日 第11刷発行
253p
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価1,545円(本体1,500円)
装丁: 菊地信義
画: 有馬忠士


「この作品は「海燕」一九八七年一月号から八八年六月号まで連載された。」



色川武大 狂人日記 01


帯文:

「自分は
誰とも一体に
なれないのか――
狂人と健常者の
狭間に身を置き、
他者を求めながらも
得られずに
自ら死を選ぶ
男の狂気を
内側から描いて、
現代人の
意識に通底する
絶対的な孤絶を
表出した
著者渾身の
長篇小説!」



色川武大 狂人日記 02



◆本書より◆


「身体のすぐ横に、猿が来ている。じっとみつめると、横すべりして壁の中へ入ってしまう。しかし身体の横にまだ居る気配でもあるわけで、睨むと、やっぱり横すべりして行ってしまう。どうということはない。日常生活を遮断するほどのことがあるわけでもなく、自分が黙っていれば、無に近いことだ。しかし、他の人は、こういうことを黙っているのだろうか。どうもそういうふうに感じられることがある。口にして詮のないことをいう奴は、馬鹿、とまでいかなくとも、はしたない奴だと思われそうだ。自分は小さい頃からそのへんのことがわからなくて、人間のふるまいかたというものをちゃんと身につけることができなかった。」

「終戦の放送を山梨できき、ある日汽車の窓から一面の焼け跡になった東京を眺めた。生家は焼けて家族たちは都心から離れた小さな借家に居た。そういったことに対する感慨は紗の幕を透してのように薄かった。自分のどこかがこわれている、と思いだしたのはその頃からだ。漠然と感じる世間というものがそのとおりのものだとすれば、自分は普通ではない。
 他人もそうなのかどうかわからない。他人は他人で、ちがうこわれかたをしているのか、いないのか、それもよくわからない。」

「奴は凶暴でわるがしこい。自分はただ奴の鉾先を避け、逃げ廻ることだけ考えて生きてきた。ところが完璧な逃げなどない。そのうえいつも運わるく、さんざん考えた末に、進退きわまる方に行ってしまうのだ。」

「そういえば自分は死人と接触が多い。ときどき、どこの誰とも知らぬ人の身体が、五体も六体も、胸や腹や腰のあたりから生えてくることがある。なかには足の方から生えてくる者もいるが、たいがいは眼をつぶってかすかに揺らいでいる。重量感はないが、いずれもそれなりに憩っているようなので身を動かすことができない。彼等は外傷のある人が多い。そのほかにも、手近を漂っていく白いものが見える。自分は口もきかないし、何をしてあげることもできないが、いっとき彼等に混じって放心している。」

「「自分はただの気狂いで、人格などありません」」
「「とにかく自分は、ただの気狂いです。それ以外のことを主張する気はありません」」

「もし完全な狂人になって、正気を失ったまま日が送れたらどんなに楽だろう。自分が、自分のことを忘れることができたら、すばらしいのだが。自分は、正気と狂気の間を行き交いながら、いつも自分の狂気のことを考える。正気についても考える。どちらについても明快な認識が得られない。ただ、両方を行き交う気配について鋭敏になるだけだ。そうして自分と他人のちがいについても鋭敏になろうとする。
 ところが、自分たちは個々のケースであるだけで、だから死ぬまで一人で個々のケースを歩いていくだけだ、と日常で思い知らされることが多いので、ちがいにこだわることが自分たちの主要テーマだというふうになる。病人同士はなおさらだ。結果、自分は自分だけだという思いにすがるほかはない。」





こちらもご参照下さい:

『谷中安規 モダンとデカダン』 瀬尾典昭 他 編
飯吉光夫 編訳  『ヴァルザーの小さな世界』 (筑摩叢書)
ハーマン・メルヴィル 『幽霊船 他一篇』 坂下昇 訳 (岩波文庫)
川村二郎 『幻談の地平 ― 露伴・鏡花その他』




















































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