『定本 柳田國男集 第十一卷 神樹篇 祭日考 他』 (新裝版)

『定本 柳田國男集 
第十一卷 (新裝版)』

神樹篇 祭日考 山宮考 氏神と氏子 他

筑摩書房 
昭和44年4月20日 第1刷発行
548p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 11 (8p):
柳田國男さんの白タビ(津村秀夫)/柳田國男先生を憶う(原田敏明)/私の思い出と願い(丸山学)/「新国学談」のころ(堀一郎)/柳田先生の絵はがき(武田明)/次回配本/既刊内容/図版(モノクロ)3点



本書「あとがき」より:

「○「神樹篇」は、昭和二十八年三月、實業之日本社より、柳田國男先生著作集第十二冊として刊行。」
「○「祭日考」は、昭和二十一年十二月、小山書店から新國學談第一冊として發行。」
「○「山宮考」は、昭和二十二年六月、小山書店より、新國學談第二冊として發行。本書所收の「おしら神と執り物」「信濃櫻の話」の二論文は、他の卷にまわした。
○「氏神と氏子」は、昭和二十二年十一月、小山書店より、新國學談第三冊として發行。」



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 十一


内容 (初出):

神樹篇
 柱松考 (大正四年三月、郷土研究三卷一號)
 柱祭と子供 (大正四年五月、郷土研究三卷三號)
 龍燈松傳説 (大正四年六月、郷土研究三卷四號)
 旗鉾のこと (大正四年八月、郷土研究三卷六號)
 大柱直 (大正四年九月、郷土研究三卷七號)
 諏訪の御柱 (大正四年十月、郷土研究三卷八號)
 勸請の木 (大正四年十一月、郷土研究三卷九號)
 腰掛石 (大正五年三月、郷土研究三卷十二號)
 左義長問題 (大正六年一月、郷土研究四卷十號)
 杖の成長した話 (大正十四年十一月、民族一卷一號)
 楊枝を以て泉を卜する事 (大正十五年一月、民族一卷二號)
 爭ひの樹と榎樹 (大正十五年三月、民族一卷三號)
 天狗松・神樣松 (大正十五年九月、民族一卷六號)
 地藏木 (明治四十四年六月、考古學雜誌一卷十號)
 花とイナウ (昭和二十二年一月、二月、北方風物二卷一號、二號)
 信州の祭の木 (昭和二十三年五月、月明十一卷三號)
 祭の木 (昭和二十五年一月、女性改造五卷一號)
 鳥柴考要領 (昭和二十六年四月、神道宗教三號)

祭日考
 解説
 祭日考
  一 氏の神を祭る月
  二 祖先を神と拜む風習
  三 大小氏神の異同
  四 春秋二度の祭
  五 日の晴と蔭祭
  六 靈山と二月の祭
  七 二十二社の性質
  八 石淸水と北野と祇園
  九 稻の收穫と祭の日
  一〇 祭と精進との關係
  一一 式社考證の弱點
  一二 宮座と霜月新嘗
  一三 甲信山地帶の特色
  一四 祭日變化の五段階
  一五 神を山に送る
  一六 農村の夏祭
  一七 鶴岡八幡宮の祭日
  一八 淺間神社群の祭日
  一九 熊野三山の祭日
  二〇 出雲の所謂神在祭
  二一 稻荷社の初午の祭
 耳の文学(一)――山姥の話
 祭のさまざま
 窓の燈
  一 新國學
  二 方法と態度
  三 氏神の研究
  四 民間傳承の會消息

山宮考
 解説
 山宮考
  一 伊勢の氏神祭
  二 神と氏人との關係
  三 氏神祭場の移轉
  四 氏神祭と觸穢
  五 二種の精進
  六 特色ある饗膳の式
  七 山宮祭場は葬地か
  八 法樂舎の問題
  九 山より降り來る祖神
  一〇 淺間神社の山宮神事
  一一 祭神推定の弊
  一二 二處の祭場
  一三 諸國に殘る山宮
  一四 靈山信仰の統一
  一五 山王の猿
  一六 山から神を迎へる方式
  一七 氏神と山宮行事
  一八 山の神は田の神
  一九 祭月と山宮との關係
  二〇 賀茂と日吉
  二一 田中社と田宮寺
 窓の燈
  一 小さな民俗學研究所
  二 百問百答集
  三 民俗學教本
  四 女の會
  五 先祖の話
  六 全國昔話記録
  七 環らざる同志
  八 民間傳承のこと

氏神と氏子
 解説
 氏神と氏子
  一 未來の史學
  二 神道學者の責任
  三 新たなる發見
  四 神社の二つの種類
  五 氏人の意味
  六 氏神と氏の盛衰
  七 氏人無き大社
  八 延暦の新制
  九 氏神の統一
  一〇 傳承史料の價値
  一一 現在の氏子制
  一二 判斷と常識
  一三 村氏神
  一四 ウブスナ樣の名
  一五 屋敷氏神の起り
  一六 氏神の合同
  一七 一門氏神社
  一八 神社と私社
  一九 氏神社の祭神
  二〇 勸請古傳の誤り
  二一 祭場の異動
  二二 神社の個性
  二三 中世の勸請
  二四 總社と集合祭祀
  二五 鎭守神の起り
  二六 前代の統一政策
  二七 水の神の信仰
  二八 若宮と御靈
  二九 信仰の公共性
  三〇 單純に自然に
 敬神と祈願
  一 我々の方法と態度
  二 沖繩神道の例
  三 政策と經驗
  四 神社巡拜の風習
  五 神信心の變化
  六 内外信仰の接合
  七 敬神の解釋
  八 自他内外の差
  九 個人祈願の發生
  一〇 參詣はもと臨時祭
  一一 氏神と氏人
  一二 自然と人爲
  一三 神道は衰えたか
  一四 統一政策の弊
  一五 悲しむべき經驗
  一六 必要なる措置
 祭と司祭者
  一 綜合と比較から
  二 統一方法の當否
  三 大きな一つの弱點
  四 事實と理論
  五 祭の方式
  六 鉾と山
  七 神の渡御と降臨
  八 祭の木のさまざま
  九 一つ物の意義
  一〇 上げ氏子
  一一 頭屋制と講
  一二 民間信仰の名
  一三 頭屋と神社との關係
  一四 祭の永續の爲に
  一五 頭屋制の基礎條件
  一六 神道史の役目
  一七 神職の地位
  一八 心からの奉仕へ
 窓の燈
  一 民俗語彙事業
  二 農村語彙增補版
  三 警下抄の事
  四 新しい民俗誌
  五 子安神の話

氏子の特徴 (大正三年一月、郷土研究一卷十一號)
田社考大要 (昭和二十五年十一月、十二月、昭和二十六年二月、民間傳承十四卷十一號、十二號、十五卷二號)
 はしがき
 一 伊勢の田社
 二 田と社
 三 田社と御刀代田
 四 家田・親田・神樣田
 五 大水神
 六 水口祭

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『神樹篇』「左義長問題」より:

「山吹日記といふ天明六年の紀行に、武藏比企郡鎌形村(中略)の農萬右衞門の家で、五十何年か前の夏の午後、下女一人留守をして夕飯の支度にかゝつて居ると、木の枕などのやうな物が背戸口から轉がつて來て、閾居を越えて家に入つた。怖ろしと思ふ内に再び轉がつて出て行くので、些し心を落ち付けて見て居ると、庭に在る榎木の上へ騰つて空洞のある中に入つてしまつた。人々歸つて後此話をし、若い者等空洞の中を搜したが何物も無かつたので、此木只物ならずと怖れ合うた。後に故あつて此木を少し伐りかけたが、血走り出づるに由つて驚いて止め、老木で今も存すと記してある。」
「古い榎木が化けると云ふことは、隨分昔から言ふことであるが、井上圓了博士などは、既に例の「何でも無い」と云ふ目録の中に入れて居られる。例へばつい近年京都相國寺の境内で、手掌ほどの光を放つ數箇の眼玉ある怪物が居ると騒いだのを、或教員が調査して見ると、多年土中に埋れて居た榎の古株の掘出されたものであつたと云ふ(おばけの正體)。但し我々は世間多數の俗人と共に、是だけは「あゝさうですか」と言ひたく無い。又何故に榎の古木が光るかと云ふ文明的な理由を訊ねる前に、此一箇の事實と永い間の榎崇敬とが、如何に關係して居るかを知りたいやうな氣がする。しかも古榎の怪を爲すと云ふ例は色々あつて、必ずしも眼玉のやうに光るのみでなかつたことは、右の武州比企郡の昔話の示す通りである。つまり問題は怪あるに由つて榎を崇めたか、崇められるに由つて怪を現じたかで、之を決するのは將來の郷土研究者である。」



同「爭ひの樹と榎樹」より:

「榎木に關しては又種々樣々の怪異談が、現實の記録として傳へられる。其半分は素より有り得ない事であるが、人は是あるが故に始めて或地の榎の神木なることを認め、後には又榎なるが爲に、一段と之を信じ易かつたのであらうから、前代の生活を理解する爲には之を閑却することを得ないのである。やはり東京附近の地から始めるならば、千住の竹ノ塚から少し北、道路の東側に在つた古榎は、(中略)以前は縊り榎と名づけ毎年此木で首を吊る者が何人もあつたので、之を神に齋うて白山權現と稱へたと謂ふ。(中略)戸塚の三島明神に神木の榎があつたのは昔のことである。猿のやうな頭をした猿蛇といふ蛇が、暫く此木に住んで居て、後に天上する時榎も共に卷かれて失せたと謂ふのは、即ち大暴風の記録であらう。之とは反對に巣鴨の辨才天社の榎は、近世になつてから白蛇が登つて常に居た。辨天の御所望なるべしと判斷して、氷川神社の後から、今の社は此樹の下へ移したのである。
 神木の榎は伐れば祟があると謂つて、枯榎までも大切に保存した例が多い。越後では南蒲原郡中條村の大行(だいぎやう)と云ふ地に、大行榎と稱する老木の榎があつた。信濃川東岸に在つて流を妨げ堤防の害をする故に、古來神木の言ひ傳へはあつたけれども、或年數十人の杣を雇ひ入れて之を伐らしめることにした處、僅かに二打三打斧を入れるや否や、其場に居合せた者悉く心神惱亂し、四邊朦朧となつて人の顏が逆樣に見えたので、一同舌を卷いてしまひ、翌日往つて見ると斧を入れた痕はまるで無くなつて居た。(中略)奧州二本松の住民某、微祿して門前の古榎、齡五六百年と見ゆるものを伐倒さしめ、挽き割りて用に供せんとするに、其木片方は朽ち、片へらには生氣があつて内に人の立つた形が現れた。文理鮮明にして活きたる人の如く、髭髪手足の掌の筋まで具はつて居たので、主人も怖れて之を用ゐず其家に藏し納め往々之を人に示したとある。武州比企郡鎌形村の農萬右衞門の家で、享保末頃の或夏の日の午後に、木の枕のやうな物が突然と背戸口から、閾居を越えて家の中に轉げ込んだ。夕飯の支度をして居た下女が之を見て、怖ろしいと思ふ中に再び外へ飛び出して、庭にある榎木の空洞の中に入つてしまつた。人々歸つて來て此話を聞き、空洞の中を探して見たが何物も無かつた。後に仔細あつて此木を伐倒さうとすると、血が流れて止まないので之を中止したと謂ふ。是も亦何等の下染無くして、不意に發生すべき幻覺では無かつた。
 榎の朽株などが暗夜に光ることは、今でも經驗した人があつて珍しい話で無い。併しそれだけではまだ説明し得ぬ怪異が幾らもある。數百年の老樹に靈があつて、伐れば血を迸らせ聲を立て、或は斧の痕が夜痊えたと云ふ類は、勿論榎ばかりに限つて居らぬが、昔も「大椋の木の下ゆかし」と言つた如く、化物は兎角榎の陰を選んで出た形があるのは、果して路傍の老樹が、多く榎なる爲だけであらうか。筑後川の下流地方では、所謂砂播き狸は大抵榎の上に登つて砂を降らす。又馬の脚をぶら下げるなどとも云ふ。王子稻荷の衣裳榎の本に、除夜の晩には關八州の狐が集まつて來て狐火を焚くと謂ふのは、源氏物語の浮舟の君をかどはかして、明方に椋の木の下に棄てゝ去つたと云ふ話と共に、狐が特に此木を選定した例であるが、前者に在つては目的は世の中の爲であつて、結局二三の例外は寧ろ畏怖に基づく誤解であり、大體に於ては人をして神木の靈威を承認せしむる迄の、作用に過ぎなかつたことを知るのである。」

「次に今一つ、是もまた植物家の説は聽かぬが、自分の久しく注意して居る特性がある。榎は其材が柱梁に適せぬ如く、柾が弱く内部が朽ち易いに反して、樹皮の至つて丈夫且つ活溌なる木であるらしく、從つて幹が空洞になつて後も、永く生存し又繁榮する。殊に榎の空洞には、木の股から始まるものが多いかと思はれる。外面はさりげ無く穴の口が窄くして内の廣々とあいて居るものは、常に尊いものゝ宿りであつた。人も匿れ又色々の蟲鳥獸の類も住むからは、神ばかりが宿りたまはぬ道理は無い。斯ういふ考へ方が樹精山靈の大昔以來、榎を他の樹木と差別せしめた一つの原因であると思ふ。之に附け加へて日本の如く、地下水露頭の數多き國で無いと、到底遭遇し能はざる奇現象であるが、榎木の根元から噴き上げて、樹高い空洞の穴に水を湛へることは、亦最も普通なる此木の奇瑞であつた。專門の學者ならばほんの僅かな勞力を以て、其理法を見出し得ることゝ思ふが、(中略)幹を喞筒とし樹皮を井戸側として、地底の泉の湧き出した例が、楠欅其他の木にもあるけれども、特に榎には多くあつたのである。」

「自分が少年の日を過した下總東葛飾郡布佐町では、今でも辰年の大水と稱して、文化五年の利根川の水害を記憶し、切れ所の堤の内側には、其時に出來た大きな沼が、今も楊と浮草とに飾られて靜かに湛へられて居る。元は傳右衞門と云ふ富人の屋敷であつた。大水の日、邸内の榎木の根から水の涌き出すのを、不思議に思つて見て居るうちに、次第に大穴になつて家も藏も崩れ込み、上下三十餘人の者、一時に命を失ひ其跡が一面の沼と爲つたのである。此等の現實を考へ合せると、永い年代の間に我々の祖先が、榎から受けた感化は小さいもので無かつた。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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