『定本 柳田國男集 第十五卷 婚姻の話 家閑談 他』 (新裝版)

『定本 柳田國男集 
第十五卷 (新裝版)』 

婚姻の話 家閑談 他

筑摩書房 
昭和44年8月20日 第1刷発行
579p 目次2p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 15 (8p):
柳田先生の思い出(山川菊栄)/先生と放送(矢成政朋)/お出浮き(田中秀央)/回想断片(上野勇)/柳田先生と戦後の沖繩研究(馬淵東一)/次回配本/図版(モノクロ)1点



本書「あとがき」より:

「○「婚姻の話」は、昭和二十三年八月、岩波書店より刊行。」
「○「家閑談」は、昭和二十一年十一月、鎌倉書房より刊行。」



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 十五


内容 (初出):

婚姻の話
 まへがき
 家を持つといふこと (昭和二十一年九月、世界九號)(原題、「流鶯隨筆」)
 子無しと子澤山 (昭和二十一年十二月、法律新報七三四號)(原題、「婚姻の話」)
 女の身すぎ (昭和二十二年一月、ホープ二卷一號)
 よばひの零落 (昭和二十二年三月、思索五號)(原題、「妻問ひ妻よばひ」)
 錦木と山遊び (昭和二十二年一月、婦人公論三十一卷一號)(原題、「むかしの戀」)
 出をんな・出女房 (昭和二十二年十二月、沖繩文化叢説)(原題、「尾類考」)
 嫁盗み (昭和二十二年十一月、婦人の世紀四號)
 仲人及び世間 (昭和十六年十一月、岩波講座倫理學十二)(原題、「婚姻方式の變遷」)
 婚禮の起原 (昭和二十二年七月、進路二卷七號)(原題、「婚禮考察」)
 聟入考 (昭和四年十月、三宅博士古稀祝賀記念論文集)

家閑談
 自序
 社會と子ども (昭和十六年七月、岩波講座倫理學七)(原題、「誕生と成年式」)
  一 出振舞
  二 産立飯
  三 引揚着物と袖とほし
  四 取上親
  五 名付祝
  六 初あるき
  七 氏子入
  八 成年式まで
  後書き
 オヤと勞働 (昭和四年六月、農業經濟研究五卷二號)(原題、「野の言葉」)
 厄介及び居候 (昭和六年七月、社會經濟史學一卷二號)
 大家族と小家族 (昭和十五年五月、婦人公論二十五卷五號)
  發端
  家の自然の大きさ
  大家と小屋
  マキの解體
  七子持屋
  最近の試み
  白川村の婚姻
  主婦の權威
  花嫁學校のこと
 家名小考――東筑摩郡家名一覽に題す (昭和四年十二月、「東筑摩郡家名一覽」)
 主婦に就ての雜話 (昭和十六年十月、オール讀物十六卷十號)
 女の家 (昭和十八年五月、高志路九卷五號)
 家と文學 (昭和十九年七月、八雲三號)

農村家族制度と慣習 (昭和二年九月、十二月、昭和三年五月、農政講座二、三、四)
 第一節 家族制度と勞働組織
  一 序論
  二 賃銀のない勞働組織
  三 大家族主義の實例
  四 年季奉公と名子制度
 第二節 家族制度と信仰
  一 祖先崇拜
  二 氏神、産土神
  三 祭の慣例と家の格式
  四 宗門改、寺請
  五 民間信仰
  六 田植と信仰
  七 特殊の家筋
  八 クダ、オサキ
  九 人狐
親方子方 (昭和十二年十二月、家族制度全集史論篇第三卷親子)

小兒生存權の歴史 (昭和十年九月、愛育一卷三號)
童兒と神 (大正十四年五月十八日、大阪朝日新聞)
産婆を意味する方言 (昭和二年十一月、民族三卷一號)
私生兒を意味する方言 (昭和二年五月、民族二卷四號)
私生兒の方言 (昭和二年七月、民族二卷五號)
私生兒のこと (昭和二年十一月、民族三卷一號)

常民婚姻史料 (昭和八年二月、三月、四月、五月、人情地理一卷二號、三號、四號、五號)
 緒言
 一 嫁入の起り
 二 嫁の盛裝する日
 三 迎へ人
 四 嫁渡し
 五 嫁入行列
 六 入家式
 七 中宿
 八 花嫁同行者
 九 朝聟入
 一〇 聟遁がしと膝直し
 一一 打明け
 一二 結納聟
 一三 手締めの酒
 一四 見合ひ
 一五 歸り聟
 一六 仲人親
 一七 嫁の食物
 一八 水盛と酒盛
狐の嫁取といふこと (昭和三年九月、民族三卷六號)

耳たぶの穴 (昭和十三年八月、ひだびと六卷八號)
にが手の話 (昭和十七年九月、民間傳承八卷五號)
にが手と耳たぶの穴 (昭和十七年十一月、民間傳承八卷七號)
耳たぶの穴の一例 (昭和十七年十二月、民間傳承八卷八號)

葬制の沿革について (昭和四年六月、人類學雜誌四十四卷六號)
葬制沿革史料 (昭和九年九月、宗教研究新十一卷五號)
 緒言
 一 喪の始め
 二 葬式の總名
 三 訃報
 四 寺行き
 五 枕飯
 六 忌中の徽章
 七 年たがへ
 八 別火屋
 九 忌の飯

魂の行くへ (昭和二十四年十二月、若越民俗五卷二號)
幽靈思想の變遷 (大正六年十一月、變態心理二卷六號)
 一 土俗の荒廢と葬儀
 二 内郷村の竹串
 三 佛教の教理と俗信の妥協
 四 玉串の由緒
 五 死者に對する祖先の考へ
 六 魂迎へ聖靈送り
靈出現の地 (昭和十五年四月、民間傳承五卷七號)
廣島へ煙草買ひに (昭和十二年三月、民間傳承二卷七號)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『家閑談』「厄介及び居候」より:

「兎に角にこの田植の日ばかりは、如何なる老人少年にもそれぞれの任務が課せられて居た。激務は代掻きや早乙女の如き、若い盛りの男女に在つたが、輕い仕事といつても何れも皆缺くべからざる役割であり、且つ歴史上の根據があつたやうである。たとへば田人の晝飯を運んで來る女性などは、古くは殖女(うゑめ)養女(をなりめ)などと稱して、田植女と對立するほどの重要な地位であつた。(中略)苗の分配などにも曾ては宗教的の意味があつたと思ふが、近世に入つては少なくとも是は一番つまらぬ役と看做されて居た。土地によつては之を苗持とも、又苗打とも謂つて居た。大苗打小苗打の二種に分たれ、前者は苗代からそれぞれの植田へ、入用と思ふほどの苗の量を配る役で、老巧にして力衰へたる者の所役であつた。小苗打の方は一人々々の早乙女の手元に近く、無くなる場處を見圖らつて苗の束を投げてやる役、是は主として少年の任務になつて居た。」
「この小苗打が氣が利かぬと、折々手が遊んだり戻つたりするので、興奮しきつて居る女たちに、子供は又叱り飛ばされる役でもあつた。」
「この種の共同作業には割ハカと稱して、最も完全なる分業が行はれて居た。働く者は互ひに他人の仕事を當てにし、又嚴密に批評する必要があつた。さうして其中でも最も多く責められたのは小苗打、即ち手元に苗の束を配つて來る者の機轉であつた。通例は一人前にも足らぬ者の所役が、田植全體の功程に可なり大きな影響を及ぼした故に、何かといふと口やかましく罵られ、然も斯うした無力なる男性を嘲り笑ふことが、一種微妙なる女性の感情の統一にもなつて居たらしいのである。
 私はこのやゝ心理學的なる特殊の共同作業組織を分析する爲に、最初先づこの所謂苗打小野郎が、如何なる別名を以て呼ばれて居たかに注意して見た。岩手縣では初期の方言採集家に故田鎖直三氏がある。此人の手に成つた「氣仙方言」(中略)から發見した一語は、
  カンナイド     苗代の苗を取る人、苗持
といふので、(中略)このカンナイドと最も近い方言が、遠く離れて近畿諸府縣の田舎だけに分布して居る。たとへば京都府では久世郡方言調査に、
  ケンナイド     かゝり人
と出て居る。かゝり人は即ち食客で、是ならば田植の日に苗持の如き迷惑な卑役をさせられてもよいわけであるが、他の地方の解説は必ずしも是と一致して居ない。(中略)滋賀縣では(中略)湖北の高島郡に於ては、
  ケンナイヤツ     食客
とあるが、湖南の愛知郡に於ては、
  ケナイド     不意の賓客
とあつて、カゝリウドといふ言葉は別に存する。即ち常住の寄食者以外に、別にケナイドを以て呼ぶべき者があつたのである。次に福井縣の教育會から出した若越方言集にも、
  ケンナイド     不時の泊り客
といふ語が見えて居るが、是は縣の西部の若狹地方に行はるゝものらしく、遠敷郡方言集にも、
  ケンナイド     不意の來客
とあつて、近江愛知郡の事實と一致して居る。
 不意の來客などと譯してしまふと、或は珍客のやうに取られるか知らぬが、是は家々で計畫して招待した客で無く、從つて力を盡して款待しようとする訪問者では無いといふ意味で、遣つて來られた以上は飯を食はせ、又は午後ならば宿泊させなければならぬ點が「不意」であつたのである。(中略)さうしてケンナイドは此等の地方に於ては、この種一期的の食客を意味して居たのである。水木要太郎翁の大和方言集には、
  ケナイド・ケンナイド     招かざるに來て食事などをする客
と出て居る。即ち此附近は弘く一樣に、之を全く有難からぬ會食者と見て居たのである。」
「兎に角に近代の農村に於ては、このケナイドは普通は外から遣つて來る者であつたらしい。大阪府の北河内郡の俗信には、
  燈火に丁子が結ぶとケナイドが來る
といふ例があつた。さうしてケナイドとは何であるかを、もう大抵の人は明らかに知らぬやうである。行燈の燈心の尖が球になることを、「丁子が結ぶ」と言つて居る處は多いが、通例はそれを何かの好兆と見て居る。然らばケナイドの來るのも、曾ては歡ぶべきことであつたのかも知れぬが、現在は既に嬉しいことゝも思つて居らぬのである。(中略)つまりはケンナイドなる者の社會上の地位も變つたのである。
 或は又子供などが箸で茶碗を叩くのを嫌つて、そんな事をするとケンナイドが來ると謂ふ、俗信も何處かに有つたやうに思ふ。口丹波口碑集に依れば、京都と山一重を隔てた丹波の山村でも、
  箸で茶碗を叩くと飯を出さなくてもよい者が來て飯を食ふ
と言つて嫌ふさうだが、是も以前はケンナイドが來ると謂つて居たのであらう。全體に茶碗を叩くといふことは、何れの地方でも人の非常に嫌がることであるが、其理由と稱するものが少しづゝ異なつて居る。肥前肥後では餓鬼が集まるといひ、紀州でも飛騨でも餓鬼が來て覗くなどと謂ふ。周防の大島では貧乏神が來るといひ、關東にも是に近いことを信じて居た土地が多い。(中略)思ふに食器を叩くといふことは、食物の存在を知らせる常の手段である故に、古くは階級の低い靈魂を喚び招く方式として用ゐられて居たのであらう。」
「ケナイドを貧乏神やオサキ狐と同一視するのはひどい話のやうであるが、是も其名を持つ者の境涯が漸次に好ましくないものになつて來た過程である。家が夫婦親子だけの小さな家庭に分化して行くにつれて、次第に經濟の餘力が無くなり、又彼等の協力に期待すべき事務も少なくなつて、人は努めて此種の往來、即ち來れば飯を出し宿泊させねばならぬような交渉關係を、制限しようとした結果に過ぎぬのである。一言でいふならば家といふものゝ組織の變化である。
 しかも大家と稱せられる百姓の廣敷には、つい近頃になるまで斯ういふ「飯食ひ」が幾らでも來て居たのであつた。其内容は甚だしく複雜で、必ずしも年季の奉公人、又は一夜二夜の宿を求めるタビの者には限らず、今日の民法の扶養義務のやうに、範圍のはつきりとせぬ家族といふ者が居て、それが農耕の作業組織にも參與して居たのである。」
「家に多數のカンナイド、即ち標準語でいふ「かゝり人」の、出來なければならぬ原因は今でも存續する。その一つは勿論一族中の鰥寡孤獨である。折角新たに小さな家を持たせて遣つても、働く人の無くなる場合は幾らもある。死んだり驅落ちしたりする他に、東北でいふ「竈をかへす」場合がある。家を一戸として獨立させて行くことが出來なくなれば、賴り無い者の行く先はきまつて居る。少なくとも動かす能はざる順位がある。だから火たき婆などと言つて、火を焚く以上に能力の無い老人でも、結局はどこかの竈の前で生涯を終り、宿無しにはなつてしまはぬのであつた。殊に孤兒の成長する期間の如きは、假令家督の財産があつても、やはり又縁のある者のケナイドと爲らなければ、獨り生きて行くことは出來なかつた。それを大きくして一人前の農民とすることは、一般に村の親方の役であり、又親類一門の任務であつて、或は順位の爭ひはあつたらうが、少なくとも全體として是を引受ける必要はあつた。中には月替りに家々を廻つて養はれて行くといふ悲慘なのもあり、或は便宜上甲の家に置いて、乙丙が食ひ扶持を分擔する例もあつたが、何れにもせよ此風はまだ今日といへども決して絶滅しては居ない。たゞ是が日増しに厭はしいものにならうとして居るのは、要するに經濟の新しい組織からはね出された爲であつた。」
「このケナイドの終りのドは「人」であらう。さうしてケナイといふ語の意味も、比較によつて私には略〃わかつた樣な氣がする。矢田求氏の佐渡方言集などを見ると、あの島には、
  ケナイザケ     常の酒
  ケナイゼン     ふだんの膳
などといふ用語があり、又只の日の粗末な食物を、ケナイ肴といふ例もあるさうである。ケナイといふのはつまりは晴でないこと、即ち改まつた酒肴等に對立する語で、事によると最初「ケなる酒」などであつたのを、形容詞の普通の形に直したのかも知れぬ。もしさうだとすれば古い正しい日本語であつた。文學記録中の雅人に公認せられた言葉にも、ケの衣は即ちハレの衣に對して居る。」
「都市上流の生活に於ては、この褻と晴との差別は主として衣服の上に現はるゝのみであつたが、農家に於いては特に食物が問題となるのであつた。然らば食物のハレは何かといふと、要するに節の食事である。」
「ハレは即ちこの正式の食物を調整して、先づ神と祖靈に供へ、其下に集まつて一同が食ふことであつた。(中略)さうしてケナイといふことは、必ず其以外のものゝみを意味して居たのである。
 此點は勞力の側から謂つても亦同じことであつた。斯ういふ晴の日に限つて集まつて來る人々、是を普通には客と謂ひ、弘くは又ニンズとも謂つて居た。(中略)即ち常に一家に集まり所謂ケシネを共に食つて居た人々は、是と對立してすべてケナイ人と稱してよかつた筈であるが、近代に於ては子とか妻とかの必然の家族は其總稱の中に入れず、主として右申す如く特別の理由を以て、家に居る者のみに、此名を付與することになつて居たのである。尤も大きな相異の點は恐らくは有期といふことであつたらうと思ふ。從つて其範圍も元は相應に弘く、各地の方言にヲヂヲバと謂ふ次三男次三女以下と其子孫、ムコ・トリコ・ヨリコなどと稱せられた寄寓者、譜代年季の奉公人なども含んで居たのであらうが、追々と其地位がそれぞれに特殊のものと爲つて、末には何でも無い唯の所謂厄介人だけが、殘つてもとの名を保有し、關西に於ては突如たる一飯の來客を、また東北に於ては苗打の小野郎などを、さう謂ふ樣になつたのでは無いかと思ふ。」
「厄介は現在既に形容詞になつて、たとへば煩はしいこと又は人に迷惑をかけられることを「厄介な」といふやうにもなつたが、その最初の用法は單なる同居人、即ち前にいふケナイ人と近いものであつたことは、近世の公文書を見た者なら誰にでもよくわかる。」
「ヤッカイは本來主人で無い人々の表向の肩書といふに過ぎなかつた。配偶者と嫡子と先代とは含まなかつたらしいが、(中略)それでも主人の弟たち、叔父叔母の未だ縁に就き家を分たざる者はすべてヤッカイであつた。厄介などといふ熟語は支那の字書には決して無い。厄は厄難の厄、介は介抱の介、斯ういふ二つ字を繋げば大よそ此意味に當るかと、感じるやうな時代の人が案出し又は使用したので、うまく考へたと言へば言はれるか知らぬが、其御蔭で一つ前の心持が不明になつた。それこそ厄介千萬な話である。つまりは兼て同居人のことをヤッカイといふ日本語があり、一方公文には是非とも漢字を使はねばならぬ時代に、丁度大まかに是で現はせるやうな内容を持つて居たばかりに、斯んな漢字が先例になつたのである。然らば最初どうして此ヤッカイといふ日本語が出來たかといふと、(中略)ヤッカイのイは實はヰで「居ること」、ヤカは中納言家持などの家(ヤカ)、英語の Family と同じく家の無形名詞で、もとは多分屋處、即ち家屋の所在から出た語と思ふ。宅をヤケといふのも一つの言葉のやうである。(中略)ところがこの「厄介」だけが別の語感を有つやうになつて、新たに同居者同居人などの語が之に代つて用ゐられることになつた。つまりヤッカイは其語の構成から言つても、同居人のシノニムより以上の何物でも無く、又さういふ風にのみ公文には用ゐられて居たのである。今日でも我々の會話に於いて、「厄介になる」は暫くでも其家に居ることを意味し、(中略)それを「めんどくさい」と同じ樣に、厄介なやつだなどといふことになつたのは、つい近頃になつての變化なのである。厄介どころか彼等が多く居た爲に、我々の農業は今まで樂々と行はれて居たのである。」



「耳たぶの穴」より:

「瀨川淸子さんの見島聞書を讀んで、人はどうだか私だけは非常に面白がつて居る一條は、「蛇を平氣でつかむ人を、フヂワラトウと謂ふ。その人の耳の後には小さい穴があいて居る」といふ記事(中略)である。」
「曾て秋田縣の大館に一泊した晩に、館資次君といふ人が來て色々の話をせられた。此地方は淺利與一の舊領と傳へられる處で、(中略)館君は曰く、私の家は勇婦板額の後裔だといふことですが、この血筋を引く者は皆耳たぶに穴があると語つて居ます。御覽下さい此通りにと、向ふをむいて見せられたのを見ると、穴とは謂つても抜け通つて居るわけでは無かつた。たゞ耳たぶの表面に皺の溝が多く、それがまん中に集注して、それだけ著しく窪んで居るのであつた。以前耳環をはめて穿つた穴が、もしも固定して遺傳したならば、斯ういふ風になるのでは無いかとも思つて、非常に興味を動かされたのであるが、勿論是は數多くの例を知つてから、其家系の特徴を比べて見なければ假定を下すことも六つかしい問題だと思つて還つて來た。」
「蛇を怖れず、蛇の方で却つて怖れるといふ特殊の能力をもつ人は、數は少ないけれども全國到る處にある。ニガテといふ語は今は轉用せられて居るが、本來はさういふ能力を持ち、蛇取り蛇使ひなどを業とする者の手のことであつた。其手の筋肉の動き方が竝とちがふともいひ、(中略)又まむし指と謂つて、指の上端の關節のみを、自在に屈伸し得る者が蝮蛇の毒を怖れず、押へることが出來るとも謂つて居た。白状すると自分もそれであつたが、實は怖ろしくて一遍も此天賦の技能を試みないうちに、今日はどうやら平凡になつてしまつた。(中略)もしも之を法術に利用しようとすれば、最初の開業試驗はやはり蛇取り位なものであつたらう。この素質者をカヂワラといふ處が、たしか九州のどこかにあつたやうに記憶する。」
「此文を公表する私の趣旨は、(中略)即ち我邦でも可なり近世になるまで、呪ひや祈禱に從事する女子又は童兒のみは、耳たぶに何か金屬の環をはめて居たのでは無いか。さうして其職業が世襲であつた爲に、代々の耳たぶの形が普通とは變り、その後天的の特徴が固定してしまつて、久しく業を罷めてたゞの百姓になつて後まで、子孫に其形を遺傳するのでは無いか。斯ういふ考への夢が正しいか、何れであるかを決するやうな事實資料を少しづゝでも集めて行きたいのである。」


























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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