『定本 柳田國男集 第十九卷 國語の將來 西は何方 他』 (新裝版)

『定本 柳田國男集 
第十九卷 (新裝版)』 

國語の將來 西は何方 毎日の言葉 他

筑摩書房 
昭和44年12月20日 第1刷発行
537p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 19 (8p):
柳田國男(長谷川四郎)/柳田先生の慈愛の眼(藤原与一)/二人の先生(牧田茂)/八十六歳の勇気(若杉慧)/先生の門弟教育法(桜井徳太郎)/次回配本/図版(モノクロ)1点



本書「あとがき」より:

「○「國語の將來」は、昭和十四年九月、創元社より出版。」
「○「西は何方」は、昭和二十三年六月、甲文社より刊行。」
「○「毎日の言葉」は、昭和二十一年七月、創元社より初版發行。後昭和三十一年七月、同じく創元社より新版を發行している。新版には、「どうもありがたう」「人の名に樣を附けること」「ボクとワタクシ」を新たに附け加えた。
○「幼言葉分類の試み」は、雜誌「愛育」三卷一號と二號の二囘に亙り連載したものであるが、その(一)は、「小さき者の聲」の中の「子供と言葉」と題する論文の中に收めてあるので、本書は(二)のみを掲載した。」



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 十九


内容 (初出):

國語の將來
 著者の言葉
 國語の將來 (昭和十四年五月、國學院雜誌四十五卷五號)
 國語の成長といふこと (昭和十一年一月、二月、ローマ字世界)
 昔の國語教育 (昭和十二年七月、岩波講座國語教育)
  緒言
  一 最初の選擇
  二 遊ばせ唄
  三 群の力
  四 遊戲と語り物
  五 話の發達
  六 讀み書きの意味
  七 物言ふすべ
  八 後記
 敬語と兒童 (昭和十三年十月、國語・國文八卷十號)
 方言の成立 (昭和十五年二月、安藤教授還暦祝賀記念論文集)
 形容詞の近代史 (昭和十三年五月、方言八卷二號)
 鴨と哉 (昭和十四年一月、言語研究一號)
 語形と語音 (昭和十四年二月、國學院雜誌四十五卷二號)
 國語教育への期待 (昭和十年五月、十月、方言五卷五號 〈原題、「片言と方言と」〉同五卷十號)

西は何方
 自序
 西はどつち――國語變遷の一つの例 (昭和六年九月、十月、十一月、方言一卷一號、二號、三號、(原題、「音訛事象の考察」)
  緒言
  コとカヒコ
  ヒメコ・トゞコ
  古代の新語
  ヒゝルの分化
  蒜と柊と毛蟲
  蛭と蛹
  蛹と蛾
  蛾と蝶
  オシラ神は蠶神
  西何方
  外國語の歸化條件
  テガラと蝶々髷
  テコナ、カハビラコ
  (追記)
 桑の實 (昭和七年一月、方言二卷一號) 
 靑大將の起原 (昭和七年四月、方言二卷四號)(原題、「なぶさ考」)
 虹の語音變化など (昭和五年三月、音聲の研究三輯)(原題、「語音變化に關する研究」)
 蜘蛛及び蜘蛛の巣 (昭和七年九月、方言二卷九號)
 蟻方言の變化 (昭和八年三月、方言三卷三號)
 蟷螂考 (昭和二年九月、土のいろ四卷四號)
 蟻地獄と子供――特に疎開の子供の爲に (昭和二十一年一月、二月、三月、五月、六月、七月、八月、蟲界速報一―三號、四―六號、七號、八號、九・十號、十一・十二號、十三・十四號、昭和二十一年十一月、同二十二年五月、蟲・自然十五號、十六號)
  一 言葉の樂しみ
  二 言葉のちがひ
  三 くぼ蟲
  四 言葉を新しくする
  五 すりばち蟲
  六 ちよこちよこ婆さん
  七 地ごつとい
  八 さをとめ蟲
  九 テッコハッコ
  一〇 次郎と太郎
  一一 幼い者と言葉
  一二 砂の中の怪物
  附表 蟻地獄の異名

毎日の言葉
 新版自序
 自序
 毎日の言葉 (昭和十七年九月―同十八年七月、婦人公論二十七卷九號―同二十八卷七號)
  緒言
  オ禮ヲスル
  有難ウ
  スミマセン
  モッタイナイ
  イタゞキマス
  タベルとクフ
  オイシイとウマイ
  クダサイとオクレ
  モラヒマス
  イル・イラナイ
  モシモシ
  コソコソ話
  ゴモットモ
  ナルホド
  左樣シカラバ
  知ラナイワ
  ヨス・ヨサウ
  ヨマヒゴト
  オゝコハイとオッカナイ
  ミトムナイ其他
  モヨウを見る
  よいアンバイに
 「毎日の言葉」の終りに (昭和十八年八月、婦人公論二十八卷八號)
 買物言葉 (昭和十七年七月、民間傳承八卷三號)(原題、「話題集」)
 あいさつの言葉 (昭和十九年三月、四月、五月、民間傳承十卷三號、四號、五號)
 どうもありがたう (昭和二十七年四月、言語生活七號)
 女の名 (昭和十九年六月、民間傳承十卷六號)
 ウバも敬語 (昭和二十二年六月、民間傳承十一卷四・五號)
 御方の推移 (昭和二十一年十月、民間傳承十一卷三號)
 上臈 (昭和二十一年九月、民間傳承十一卷二號)
 人の名に樣を附けること (昭和二十七年五月、言語生活八號)
 ボクとワタクシ (昭和二十一年五月、赤とんぼ一卷一號)

幼言葉分類の試み (昭和十二年二月、愛育三卷二號)
村莊閑話 (昭和九年四月、十二月、國語八號、十一號)
話の話 (昭和二十四年十二月、信濃教育七四八號)
單語の年齡と性質 (昭和二十八年十二月、言語生活二十七號)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


『國語の將來』「昔の國語教育」より:

「民謠を尋ねて居る人々の一つの興味は、十や十二の小娘の子守唄が、はや純然たる勞働歌の内容を具へて居ることである。背の子を睡らせるといふことは、彼等に取つては隨分の大仕事である故に、通例は群の合唱によつて調子を取り勞苦を忘れ、又少しでも樂に效果を收めようとした。しかもその背の赤子とは何の交渉も無い點は、船方と船荷との間柄も同じであつた。ネンネコロゝといふ類の文句も、實は前からあるものを承繼いだだけで、聽いても解しない兒にたゞ呪文のやうに之を用ゐて居た。子守の即興の自作歌には、嘲つたり笑つたり、又はいつ迄も働かせ置く主人を當てこすつて見たり、すべて同輩の共鳴を求むる歌ばかりで、背に居る者に言ふやうな言葉は一つも無い。ところが之とは反對に、母や姉祖母などの愛する者が歌ふのは、果して相手が聽いて居るか否かには拘らず、早いうちから赤子に言ひかけて居る。子守唄には明らかに二つの種類があつたのである。さうして前に擧げた勞働用の唄は、少しの給金でよその小娘を雇ひ、赤子を負はせて出す習慣の始まる前から、有つた氣遣ひは無いのである。」


同「國語教育への期待」より:

「最初自分たちでよい加減な宛字をこしらへて置きながら、それに引付けられて元の語の意味を、その方へ曲げて行くとは何といふ拙ないことであらう。ヤッカイといふ語は家(やか)と居(ゐ)との組合せで、本來はたゞ同居人といふことであつた。是を公文に必ず厄介と書くことになつて、次第に此一語の感じを惡くした。兄や伯父たちと仲よく暮して居る者が、この爲にどれ程肩身を狹くしたことか、考へて見ると宛字も折々は罪を作つて居る。」


『西は何方』「蟻地獄と子供」より:

「次に長野縣の北の方の、非常に數多くこの蟲の名のある地方では、その一つにスナネコといふのもある。是は相手の氣が附かぬ處に潜んで居て、不意に飛びかゝる擧動が猫に近いからで、新しい思ひ附きらしいだけに、皆さんも聽いたら或は成程といつて、使つて見る氣になるかも知れない。是と似たものには、岡山縣の邑久(おく)郡にスナガメといふのがある。ガメは只の龜では無くて、鼈の年經たものといひ、北陸地方に行くと、川童といふ水中の怪物と同じもの、又はよく似たものゝやうにいふ人もある。怪物だから無論實見した者は至つて少なく、どんな形かといふと話はまちまちだが、ともかくもさういふ人を襲ふ怖いものが居るといふことだけは考へて居る者が多かつた。(中略)タガメ(田鼈)と謂ふのもそれであつて、是にも土地によつて 蛙はさみ その他、色々の氣味の惡い名が附いて居る。源五郎といふ蟲は、田鼈よりも小さくてきれいで、時々は田鼈に捕つて食はれるのだが、二つのものは屡〃混同せられ、東京からすぐ東にあたる千葉縣の農村などでは、蟻地獄のことをもゲンゴラウと呼んで居る。」

















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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