『定本 柳田國男集 別卷第四 日記・書簡』 (新裝版)

『定本 柳田國男集 
別卷第四 (新裝版)』 

日記・書簡

筑摩書房 
昭和46年4月20日 第1刷発行
689p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 35 (8p):
柳田先生の思い出(武田久吉)/柳田先生の思い出(田村吉永)/『蝸牛考』のふるさと(W・A・グロータース)/柳田先生と私の父(胡桃沢友男)/夢に想う(及川大渓)/編集後記/定本柳田國男集全卷略内容 他



本書「あとがき」より:

「○「炭燒日記」は、昭和三十三年十一月修道社より出版されたものである。
○大正七年、十一年の日記には、兩冊とも晩年著者自ら再讀して、前書が注記してあり、公表を認めたものである。大正十一年の日記のうち、六月十二日以降のものはスイス日記(定本第三卷所收)として發表されている。」
「○書簡については、假名づかい、宛字は原文のまゝにした。公表をはゞかる箇所は伏字にした。」



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 別巻四


内容:

炭燒日記
 自序
 昭和十九年
 昭和廿年

柳田採訪
大正七年日記
大正十一年日記

書簡
 田山花袋氏宛(三通) 一~三
 南方熊楠氏宛(二六通) 四~二九
 佐々木喜善氏宛 (一〇八通) 三〇~一三七
 胡桃澤勘内氏宛(九五通) 一三八~二三二
 折口信夫氏宛(一三通) 二三三~二四五
 橋口貢氏宛(一通) 二四六
 三木拙二氏宛(一〇通) 二四七~二五六
 三木庸一氏宛(一通) 二五七
 三木まさゑ氏宛(一通) 二五八
 三木善子氏宛(一通) 二五九
 笹倉駒藏氏宛(一通) 二六〇
 土居光知氏宛(一通) 二六一
 松浦鎭次郎氏宛(一通) 二六二
 嘉治隆一氏宛(一通) 二六三
 淺見安之氏宛(二通) 二六四~二六五
 小池直太郎氏宛(四通) 二六六~二六九
 小池正氏宛(一通) 二七〇
 小川五郎氏宛(一五通) 二七一~二八五
 長岡博男氏宛(八通) 二八六~二九三
 大月松二氏宛(九通) 二九四~三〇二
 上野勇氏宛(一一通) 三〇三~三一三
 西谷勝也氏宛(七通) 三一四~三二〇
 牛尾三千夫氏宛(一三通) 三二一~三三三
 平山敏治郎氏宛(二五通) 三三四~三五八
 和氣周一氏宛(五通) 三五九~三六三
 橋本銕男氏宛(六通) 三六四~三六九
 鳴海助一氏宛(二通) 三七〇~三七一
 矢倉年氏宛(三通) 三七二~三七四
 宮崎進氏宛(一通) 三七五
 杉本舜一氏宛(一通) 三七六
 安井廣氏宛(二通) 三七七~三七八
 水木直箭氏宛(一九通) 三七九~三九七
 澤田四郎作氏宛(一四通) 三九八~四一一
 比嘉春潮氏宛(一一通) 四一二~四二二
 山下久男氏宛(四通) 四二三~四二六
 冨木友治氏宛(二通) 四二七~四二八
 後藤捷一氏宛(一六通) 四二九~四四四
 余部博章氏宛(一通) 四四五
 大森義憲氏宛(二七通) 四四六~四七二
 近藤八十二氏宛(一通) 四七三
 武田明氏宛(二通) 四七四~四七五
 竹田聽洲氏宛(三通) 四七六~四七八
 阿部龍夫氏宛(七通) 四七九~四八五
 小井田幸哉氏宛(三通) 四八六~四八八
 齋藤槻堂氏宛(九通) 四八九~四九七
 武田久吉氏宛(一通) 四九八
 内田魯庵氏宛(三通) 四九九~五〇一

内容細目
あとがき




◆本書より◆


「佐々木喜善氏宛」より:


「九七〔大正十一(?)年八月十四日 日本岩手縣上閉伊郡土淵村山口 佐々木喜善樣 ゴルウトルグラットクルムホテル 柳田國男 繪はがき〕」:

「八月十四日朝 昨ばん此山の上にとまりました こゝは海抜一萬三百尺です うしろの峯はマッテルホルンです 一萬五千三百尺あります 氷河はみな目の下にあります 昨ばんの夕日とけさの日出はわすれることができません 氷河の底をながれる水の音がします」


「一〇一〔大正十一年十一月八日 陸中上閉伊郡土淵村山口 佐々木喜善君 繪はがき〕」:

「ジュネバはもう冬になりました 雪の中から折〃見えるフランス境の山〃は皆もう深い雪です さびしい郊外の家で一人こつこつと本を見てゐます エスペラントももう四五日前から始めて見ました いゝ字引が手に入つたら江刺話の二三節を譯して見やうとおもつてゐます。早く次の本にとりかゝり給へ 寫眞ハ今にあげます
 もう御健康はすつかり元の通りですか」



「一〇三〔大正十二年一月七日 岩手縣上閉伊郡土淵村 佐々木喜善樣 柳田國男 封書〕」:

「けさ御手紙拜見、四月住んでゐたミルモン町六番地の七間の家を昨日去つて近所の此ホテルに入りました、寢臺と同居で丸で病院みたやうですが久しく味はなかつた氣樂な心持に立戻つて一寸妙です 正月になつてから却つて暖です、毎日霧がありますが折〃うつくしい日がさして散歩の興をそゝります、昨日も引こしを朝のうちにすまして午後ハ佛蘭西領の上サボアドウヴェヌといふ村迄電車で行き八キロ(二里)ほどあるき暮になつてかへつて來ました。國境の夜ハ淋しいものでした 室ハ上手に暖めてあります、君たちニ羨まれてもよい位です、此で本が澤山もつて來られたらこゝでも本ハかけますがそれが不可能です 及川氏は小生も久しく名を知り且尊敬してゐますが、あの切抜のやうな著述ですと其儘爐邊叢書の一冊にはしにくいやうです 其理由ハ、地方的の研究としてハ一般の話が多分にまじり、總括的研究としてハ獨創が少なさうだからです といふのは、讀者が近所の人であるだけに我々の知つてゐることでも詳しく説き教へねばらなぬ爲でしやう あれを氣仙一郡の土地制、又ハ家族制に限り、つまり我々位の者ニ説く態度に改められたら勿論良き一冊でありましやう、永い問題として考へておきましやう、それよりも御地の考古學的調査の記録は殘さねハなりません、是非とも印刷にして置き、何の爲にほりくりかへしたか無意味にならぬやうにしたいものです
 此趣旨ハ今に叢書が四五十冊も出ることゝなれば自然に及川君にもわかります 特別の研究ハ必ず人に役立てねハなりません
         ×
 エスペラントで物がかけるやうに早く御なりなさい、單に文法のミならず此語に於てハ「簡單」、「明瞭」且つ「よい響」といふことを非常に重ずるやうです 重ずるといふよりも之を規則にしてゐるやうです 私の尤も敬服してゐる文章ハ ジュネブの若い學者「プリベ」といふ人のザメンホフ傳です 日本で手に入らぬやうなら今に送つてあげましやう 私は「エスペラント」の方から日本の文章道をも改良し得るとさへおもつてゐます」



「一〇四〔大正十二年三月十七日 岩手縣上閉伊郡土淵村山口 佐々木喜善樣 ジュネブ K. Yanaghita, Hôtel Beau-Séjour, Genève 封書〕」より:

「瑞西の冬は永いばかりで格別の寒さでなくそろそろ靑い空が見えるやうになつた 花の咲くのも近しであらう それに私は二月の間暖い國をあるいて來て春と一所にこゝへ還つて來たのです 併しローマの郊外では牧場の綠が正に濃かに杏李の花が小雨と共に其上に散つてゐたのに反し瑞西に入ると山〃はまだ雪の衣で里も冬木立です、只色〃の鳥が來て一日鳴いてゐるのでこの閑靜なホテルの生活が樂ミです こゝには六十日以前に私が見た人たちばかり十組ほど泊つてゐて老人も子供もそれそれの生活を呑氣にしてゐる、大戰爭で一人息子を失つた巴里の紙店の老主人は今私のわきに犬と二人で坐してゐるがもう四年に近く泊つてゐ、其間に大へん年をとりました 私も靜にしてゐるとじりじり、年をとるのがわかるやうにも感じ早く還つて今少し働きたくてたまらない 本居先生の日記を今よんでしまつた處ですが此人なども七十一かニまで生きてゐたけれとも日記か本になると五六時間でよんでしまひ子供や孫が其一行で生れ親や兄弟従兄弟が其一頁で死し且つ悲しまれてゐる 數千年の未來の爲に數萬年の過去を研究しておく學問が、この間に成立つことハ全く時間を超脱した念力のやうなものゝ力です 伊太利では古いもの美しいものを澤山に見ることが出來ました 殊に私の深く動かされたのは今日に至る迄起原の明白にはなつてゐないエトルリヤ人の藝術です 此民族は畫や彫刻の外に手頃の神や人やの形を陶器で作るのが特技でした、紀元前六七百年の頃の物といふ土偶の中に日本の子安神、キリスト教でいへば聖母神子の像と全く同じものが何百となく掘出されてゐるのには驚きました、それが日本でよく見る子安觀音なとゝ同じく腰かけて膝の上に裸の幼子を立たせた像で、フロレンスの博物館にあるチマブエ其他十四世紀末頃の畫家のマリヤ像と位置も構へも少しもかはりません つまりは所謂文藝復興期などといふ時代の天才の頭の中にも二千何百年來傳はり來つたものが隱然として根をとゞめ、たまたま世界の春にあつて美しく芽をさしたものだといふことがわかりました」












































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本