『定本 柳田國男集 第十二卷 石神問答 神を助けた話 他』 (新裝版)

「越後の生で舜覺法印と云ふ人があつた。若い時貧乏にして衣無く、寒天には土中に穴を掘り、藁を入れて住んで居た爲に、穴掘豐後と云ふ綽名を得た。」
(柳田國男 「赤子塚の話」 より)


『定本 柳田國男集 
第十二卷 (新裝版)』
 
石神問答 神を助けた話 大白神考 他

筑摩書房 
昭和44年5月20日 第1刷発行
511p 目次1p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 12 (8p):
柳田のおじさんの思い出(飯島小平)/柳田先生と記録映画(村治夫)/柳田学の啓示(白井浩司)/柳田先生に同伴して(能田多代子)/柳田先生とシノロジー(入谷仙介)/次回配本 他/図版(モノクロ)1点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


本書「あとがき」より:

「○「石神問答」は、明治四十三年五月、聚精堂より初版發行。昭和十六年十二月、創元社より、日本文化名著選の一冊として再刊。」
「○「神を助けた話」は、大正九年二月、爐邊叢書の一冊として、玄文社より發行。後昭和二十五年五月、實業之日本社より、柳田國男先生著作第十冊として、同じく爐邊叢書の「赤子塚の話」、雜誌「民族」に發表した「立烏帽子考」を加えて發行されている。本書は、實業之日本社版を使用した。
○「大白神考」は、昭和二十六年九月、實業之日本社より、柳田國男先生著作集第十一冊として刊行。」



本文中図版2点。


柳田国男集 十二


内容 (初出):

石神問答
 再刊序
 概要
 書簡 一 柳田國男より駿州吉原なる山中笑氏へ
 同 二 山中氏より柳田へ
 同 三 柳田より山中氏へ
 同 四 山中氏より柳田へ
 同 五 柳田より山中氏へ
 同 六 柳田より和田千吉氏へ
 同 七 山中氏より柳田へ
 同 八 陸中遠野なる伊能嘉矩氏より柳田へ
 同 九 柳田より山中氏へ
 同 一〇 柳田より白鳥博士へ
 同 一一 肥後八代なる緒方小太郎氏より柳田へ
 同 一二 山中氏より柳田へ
 同 一三 柳田より山中氏へ
 同 一四 柳田より白鳥博士へ
 同 一五 柳田より喜田博士へ
 同 一六 柳田より伊能氏へ
 同 一七 柳田より山中氏へ
 同 一八 山中氏より柳田へ
 同 一九 山中氏より柳田へ
 同 二〇 柳田より山中氏へ
 同 二一 柳田より伊能氏へ
 同 二二 柳田より白鳥博士へ
 同 二三 遠野なる佐々木繁氏より柳田へ
 同 二四 柳田より佐々木氏へ
 同 二五 山中氏より柳田へ
 同 二六 柳田より山中氏へ
 同 二七 山中氏より柳田へ
 同 二八 柳田より山中氏へ
 同 二九 柳田より白鳥博士へ
 同 三〇 柳田より佐々木氏へ
 同 三一 佐々木氏より柳田へ
 同 三二 柳田より山中氏へ
 同 三三 柳田より緒方翁へ
 同 三四 柳田より松岡輝夫氏へ
 十三塚表
 現在小祠表

神を助けた話
 再版に際して
 神を助けた話 (大正九年二月、玄文社)
  一 猿丸大夫
  二 會津の猿丸大夫
  三 日光山の猿丸
  四 宇都宮の小野氏
  五 阿津賀志山
  六 山立由來記
  七 磐次磐三郎
  八 卍字と錫杖
  九 蛇と蜈蚣
  一〇 田原藤太
  一一 龍太と龍次
  一二 三井寺の釣鐘
  一三 蒲生氏の盛衰
  一四 猿丸と小野氏
  一五 朝日長者
  山立油來記(本文)
 赤子塚の話 (大正九年二月、玄文社)
  一 日向の頭黑
  二 頭白上人
  三 土中出誕の僧たち
  四 桑原の欣淨寺
  五 通幻禅師の故郷
  六 佐夜の中山
  七 夜啼の願掛
  八 赤子の聲と石
  九 神に祀った赤子
  一〇 啼地藏 啼藥師
  一一 赤子の足跡
  一二 賽の河原
  一三 石を積む風習
  一四 道祖と地藏
  一五 子捨川
  一六 子敦盛と下り松
  一七 棄兒の儀式
  一八 子賣地藏
  一九 子安神の變遷
  二〇 境の神に子を禱る風習
 立烏帽子考 (昭和三年一月、民族三卷二號)
  一 惡七別當
  二 惡王子
  三 十一面觀世音
  四 市乾鹿文市鹿文  

大白神考
 序文――オシラ樣とニコライ・ネフスキー
 オシラ神の話 (昭和三年四月、文藝春秋六卷九號)
 人形とオシラ神 (昭和四年四月、民俗藝術二卷四號)
  一 人形と技藝
  二 東北文化研究
  三 オシラ神の異名
  四 シデと神衣
  五 採物と神の顏
  六 採物の分化
  七 瓢箪と姫瓜雛
  八 杓子の呪法
  九 飛島のヨンドリ棒
  一〇 御左口神の神付
  一一 穗に出づる神
 人形舞はし雜考 (昭和三年一月、民俗藝術一卷一號)
 鉤占から兒童遊戲へ (昭和六年七月、民俗藝術四卷四號)
 おしら神と執り物
 ネフスキイ氏書翰

塚と森の話 (明治四十五年一月、二月、三月、四月、五月、斯民六卷十號、十一號、十二號、七卷一號、二號)
十三塚 (明治四十三年二月、考古界第八編第十一號、同年十二月、考古學雜誌一ノ四)
十三塚の分布及其傳説 (大正二年一月、考古學雜誌三卷五號)

境に塚を築く風習 (大正二年五月、郷土研究一卷三號)
七塚考 (大正四年七月、郷土研究三卷五號)
耳塚の由來に就て (大正五年二月、郷土研究三卷十一號)
民俗學上に於ける塚の價値 (大正七年七月、中外二卷八號)
 飯盛山と飯盛塚
 古墳と塚との關係
 塚を研究する必要

内容細目
あとがき




◆本書より◆


「神を助けた話」より:

「縁起に曰く、秀郷は江州栗田郡田原の人であるが、龍宮に行つて俵を貰つたから、改めて俵藤田と呼ばれた。力強くして弓の上手であつた。延喜十八年の十月二十一日、一説には承平年中の事とも謂ふ。秀郷勢多橋を渡らんとすると、大蛇眼を日月の如く光らせて、橋の上に蟠つて居た。豪雄の秀郷些も之を怖れず、蛇を跨いで通つた。一里ばかりも行く中に、靑い着物を着た人、路に在つて呼掛け、自分は今の大蛇である。あの橋の下に二千年から住んで居る。此頃我同類の者、多く百足馬蚿の爲に害せられる。勇士を賴んで此寇を除かうと思ひ、通行の人を試すに御身の如き豪傑は無い。どうか來て助けられよとの話であつた。秀郷之を諾して、相伴に水を分けて波路を行き、正しく龍宮の御殿と思はるゝ處に到着した。饗應を受けて敵の來る時刻を待つて居ると、夜更けて風雨の音凄じく、炬火の如き物、光りはためくこと雷電の如く、龍宮に押寄せ來るは、是なん三上山を七卷半纏くと云ふ百足であつた。流石の強弓の射出す矢も、始は更に裏を掻くとも見えなかつたが、ふと古老の言つたことを思ひ出して試に矢鏃に唾を塗つて之を射れば、弦に應じて百足は斃れ、炬火は忽ち消え雷電は止んだ。嚮の靑衣の人大に悦び且つ感謝して、十種の寶を以つて禮物として贈つた。」
「此中で珍らしいのは(中略)如意童子である。或は心得童子とも名づけ、主人の心中を知り、言付けざるに用をしてくれる。之を十種の寶の中に數へる説と、寶を背負うて附いて來た者とする説とある。何れにしても此者にも子孫が有つて、龍次郎と稱し、野州の佐野家に仕へて、家の名を宮崎と謂ふとの傳が近江にもあつた。又佐野の人に聞くと、心得童子も慈覺の隨從者と同樣に、龍太龍次の兄弟であつた。」
「佐野の家來の兩人の名は、龍太郎と龍次郎であつたとも云ふ。どう云ふ譯か兄弟とも、五體に鱗が有つた。」
「子孫の身の内に何等かの特徴の有ると云ふことは、系圖よりも尚確かな血統の證據である。私の友人の鈴木君なども、母方から田原又太郎の後裔である故に齒が大い。文科大學講師の村松武雄氏の家も、一代前までは男女ともに牙のやうな齒があり、其前には背中に鱗の形も有つたと傳へられて居る。大蛇と人間との中に出來た子の末である爲だと謂ひ、此家にも三輪の神話、乃至は日向嫗嶽の物語と同じやうな舊傳があつた。松村氏郷里は上州利根郡の布施村、即赤城山の北麓である。現存の赤城神傳では、婦女入水の話ばかりであつて、水神に嫁いだ事は些も見えぬが、隣の榛名山の湖水の方は、此話が色々の口碑と爲つて永く遺つて居る。又沼田の城は同じ赤城の裾野であるが、其城主の沼田萬龜齋入道は、其母蛇體であつた故に、腋の下に鱗があつたと噂せられた。而も之と同時に、沼田家は緒方三郎の後裔と云ふ説もあつたのである。緒方は人も知る如く、日向嫗嶽の大蛇の神裔と稱せられ、其家名も亦身體の特徴に由つたものである。(中略)阿波の美馬郡穴吹山の中で、宮内と云ふ處の住民には、特殊の家筋があつた。彼等は自ら尾形一黨と稱し、之に屬する人々には背中に蛇の尾の形があつた。」














































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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